「みたいな、かっこわらい、じゃないでしょ」
今回、「男性向け週刊誌」及び「女性週刊誌」について差別的発言が出てきます。全編フィクションでと心がけておりますが、お気になさらないようにお願いいたします。
また、後半におきまして性を匂わせる表現が少しだけ出てきます。
たいしたことはないですが、苦手な方はご注意ください。
『女優の真壁希さんが、自宅マンション前で男に刺され、都内の病院に緊急搬送されました。幸い傷は内臓から外れており、真壁さんの所属事務所によりますと全治一ヶ月ではないかとのことです』
この報道に、ファン達は驚愕した。
ブログへのコメントや事務所のHPへのメールが次々と寄せられ、中には事務所宛にお見舞いの品を送ってくるファンまでいる始末。
さすがに高価すぎる品は丁寧なお礼状をつけて返送しているようだが、お花や果物などの生ものやお菓子などの期限があるものはありがたく受け取って、希が退院後にメッセージカードをつけて快気祝を返送する予定らしい。
と、そんな報道が芸能ニュースのトップを飾ったのは二日ほど。
事件の翌日に新聞各紙が事件のことと犯人逮捕を知らせ、ニュースでも同じような内容が報道され。
情報収集に躍起になっていたらしい週刊誌は、だがさして大きなスクープを手にすることもできず、結局無難に事件のあらましなどを伝えるに留まっていた。
例の真壁希バッシングをしていた週刊誌も、犯人である男のことを知っている者もいるはずなのに、上からの圧力なのかそれとも名誉毀損で告発されたくなかったか、ありきたりの記事でお茶を濁した程度だった。
事件に関する記事が載った新聞や週刊誌を広げつつ、由羅と水嶋、菜々美、そして冴木の四人は見舞いに訪れた希の検査が終わるまで、と病室内で待機していた。
「刺した男については、すぐに逮捕されたってことだけしか書いてないですねぇ」
「デリケートな問題やし、警察自体が情報を出しとらんのやろ。報道規制だって敷かれとるやろうし」
「けど、それでもどこからか情報が漏れるのがマスコミの怖いところですよね」
「あら、なになに?一人前なこと言うようになったじゃない、柚木サン」
「……もう、からかわないでください冴木さん。ここまで色々あって、あたしもあたしなりにあれこれ考えたんですから」
芸能界は怖い。それ以上にマスコミはもっと怖い。
これが女優デビューしてから今までそこそこ荒波に揉まれてきた柚木菜々美の出した結論である。
彼女はこれまで、マスコミの『怖さ』に踊らされ続けてきた。
マスコミが報じる芸能人達の『作られた素顔』を信じ込まされ、実際に自分もその中に入ってみて初めて厳しい現実を思い知らされ。
偏った悪意を持って書かれた記事に翻弄され、その釈明にとテレビに出ればその反響が意外と大きく。
共演で恋愛を噂され、あたかもそうに違いないという無責任なコメントまでされて。
乗せられて、叩かれて、踊らされて、持ち上げられて、煽られて。
「で?考えた結果、どうするって?」
「……女優のお仕事、しばらくやめようかなと思ってます。モデルのお仕事でいくつかオファーいただいてるようなので、そちらに専念させていただこうかと。そのうち、死体役とか犯人役とか機会があったらやってみたいな、とは思いますけど」
これは既に、マネージャーと話し合って決めたことだった。
芸能界の厳しい洗礼、マスコミの煽りや決め付けなどにうんざりしたのは事実だ。
だがそれ以外に、彼女自身『主役』の器じゃないとはっきり自覚したことも大きい。
(キラキラ輝く舞台に立ってみたい……その憧れは叶ったわけだし、ね)
女優デビューしてまだ一年、されど一年。
諦めるのはまだ早い、と言う人もいるだろう。惜しんでくれる人も、それ以上に嘲る人もいるだろう。
だが菜々美は、これでいいんだときちんと納得できていた。
それに、これで終わりというわけじゃない。
これまで通り事務所を通じて仕事を請けるという形を取るし、マネージャーも変わることなくついてくれる。そして時にはテレビ出演のお仕事の依頼も来るかもしれない。
「今度は背伸びしすぎないで、自分らしくやっていけたらいいなって思うんです」
そう告げた菜々美の顔は、晴れ晴れとしていた。
「……そう。女優業をしばらく控えるのね」
検査から戻ってきた希は、器用に車椅子から自力でベッドに移乗すると、菜々美の告白を静かに受け止めた。
その双眸に驚きの色はない。
「なんとなくね、そうかなぁって思ってたの。ずっと悩んでるみたいだったし……CMとかドラマの話してる時も、あまり楽しそうじゃなかったから」
「え?あたし、そんなに顔に出てました!?」
やだ!と両手で頬を包み込むようにしてうろたえる菜々美の背後で、「気付いてなかったの?」「天然ちゃんやなぁ」「バレバレだっつーの」と先輩三人が笑う。
「その、楽しくなかったわけじゃ、ないんです。でも、全力でお仕事ができるかって聞かれるとやっぱり違うっていうか……うまく言えませんけど、コレジャナイ感があるって言うか」
「違和感があるような?」
「そう、そうです!それです」
「『違和感』くらい普通に使うだろ。今時モデルにも知性が求められる時代なんだから、まずは国語のお勉強から始めたら?」
「うぅっ……参考書、買ってきてもらいますっ」
いやそうじゃなくてさ、と呆れ顔で色々アドバイスをしている冴木の顔にも、以前のような嫌悪感や面倒くさそうな色はない。
相変わらず小ばかにしたような口調だが、それは彼のデフォルトなので希もさして気にしてはいないし、菜々美も気になってはいないようだ。
(これがもし映画だったら、この辺でスタッフロールが流れてくる頃ね。そしてその後、後日談が軽く語られるんだわ)
小説の場合も、ヒロインが前を向いて新たな目標に向かって歩き始めるところで、本編は終了している。
そして後日談として、トップ女優となった菜々美とアイドルからタレントに転身した桐生のやりとり、かつて恋のライバルだった男達のその後がちょっとだけ描かれ、【End】と打たれて終わる。
そこに、恋に破れて闘いにも敗れたライバル真壁希についての描写は一片たりとも存在しない。
彼女はヒロインに敗れ、表舞台を去った。それだけが全ての存在であるからだ。
だがここは、小説の中ではない。勿論、映画でもない。
【柚木菜々美】という名の新人女優は芸能界の荒波に翻弄され、彼女自身キラキラと輝けていたモデルの世界へと舞い戻った。
モデルの世界も芸能界並に甘くはないが、それでも仕事自体を楽しめるというならそれだけで乗り越えて行けるだろう。
【真壁希】は刺されて怪我をした。これは小説の中にはなかった設定だ。
小説の中では、二宮が刺されて命を落としていた
刺した犯人は彼女のストーカーだった。彼女に直接的な非はなかった、はずだ。
だが世間は彼女の桐生への猛アプローチや菜々美への冷ややかな態度などを論い、一気にどの局もどの週刊誌もこぞってバッシングに走った。
仲が良かったという二宮の家族からも希への非難が寄せられ、次第に世間もヘイトの方向に傾いていき、そして。
【真壁希】は潰された。
「【ヒロイン】が表舞台からご退場、そして【悪役】は芸能界で生き残った……ってね。ねぇ、今どんな気持ち?」
勝利宣言でもしとく?と歪に笑った冴木から視線をはずし、希はそうじゃないでしょとトントンとサイドテーブルに載せられた雑誌を指先で叩いた。
それには、散々希を翻弄してきた芸能週刊誌のたった一誌が手に入れた、冴木智之への独占取材が掲載されていた。
週刊誌といっても、希をバッシングしていた雑誌は巻頭にグラビアアイドルを使うなどどちらかと言えば男性向けだが、冴木の記事が載っているのは月に二度発刊される隔週刊もので、主に男性アイドルや既婚芸能人の不倫疑惑などの記事を取り扱う女性向け週刊誌である。
彼はわざわざ、『女性週刊誌と言えば』と聞くとまず真っ先に名が挙がるだろう有名どころを選んで取材に応じ、オフの過ごし方や芸能界での交友関係などに紛れて、今回の事件にもがっつり触れていた。
『ですから、彼女が事件に巻き込まれたと聞いて心臓が止まるかと思いました。彼女は僕にとって大切な……皆口を揃えて扱いにくいと言う僕の本質を理解してくれる人ですから。いてもたってもいられず、すぐ病院に駆けつけたんです。それからは数日置きくらいにお見舞いに行ってるんですが、なにしろ彼女皆に愛されてますからね。織田さんとか二階堂さんとかヤマシナさん、水嶋君、和泉さん……他、共演したことのある方達とか、直接行けないからって僕に見舞いの品とか預けてくるんですよ。もう何ですかね、僕が彼女のお見舞いに行くのは公認ですか?みたいな(笑)』
「みたいな、かっこわらい、じゃないでしょ。この記事のお陰でうちの事務所、事件のこと以外でも対応に追われてるみたいなんだけど?」
「うん、反響狙ったからね。さっすがこういうゴシップ大好きな女性週刊誌、憶測も含めてがっつり書いてくれてるなぁ」
【彼女は僕の大切な理解者】という見出しが踊る憶測4割事実4割脚色2割の記事を眺め、冴木は満足げに頷く。
そして希の胡乱げな眼差しに促されるように、ぽつぽつとその狙いを口にし始めた。
例の記事を書いた週刊誌サイドが動かずとも……否、動かないからこそ尚更それを怪しんだ他の週刊誌記者が、件の編集局内で事情に通じている者を懐柔しようと動くはずだ。
元々ゴーストを使っていたこともありそれほど固い倫理観念を持っているわけでもないだろうから、脅すなり金をちらつかせるなりすれば、先方はあっさり口を割るだろう。
となれば、今はまだ事実のみを伝えるだけで済んでいる記事が、【真壁希】の親族についてスキャンダラスに書き立てるだろうことはほぼ間違いないわけで。
冴木は自分の事務所や二宮まで説き伏せて、自分が話題を振りまくからそちらを後押しして欲しいと計画を実行するに至った。
その一端が、この記事であるらしい。
「僕、言ったよね?『冴木智之と真壁希が恋をする、そんなストーリーだってアリだと思わない?』って。君が刺されたことで僕は君を友人以上だと気付いた。そして刺した犯人がかつて君を追い出した親戚だと知って憤り、バッシングを仕掛けた週刊誌の記事を批判するんだ。彼女は僕の理解者で、僕は彼女の理解者だ。だから彼女がそんな犯罪者の主張するようなこと、してないって信じてる。誰が信じてくれなくても、僕が信じます。……ねぇ、これって結構女性の視聴者にはウけると思わない?」
悪魔がここにいる。と、希はつい先日まで『友人』と称していた男をベッド上から見上げ、肺に溜まった二酸化炭素を力いっぱい盛大に吐き出した。
(つまりこれって、サエくんの計略の一端ってことなのね。……なんか拍子抜け)
女性週刊誌と男性向け週刊誌は、基本的に同じ事柄を題材にしていても掘り下げる角度が違う。
スキャンダラスに書き立てるのは同じだが、読者層を考えて男性向けはより性的な視点で、女性向けは時には同情や涙を誘う方向で。
ならばと冴木は女性受けしそうなお涙頂戴純愛ストーリーを仕立て上げ、自分がその矢面に立つことで近々来るだろう盛大なバッシングに対抗しようと考えた。
そして恐らくそれに賛同しただろう、今回の記事で名指しされた俳優、タレント達……彼らもインタビューを受けることがあれば、きっと希を擁護した上で冴木と彼女の関係について微笑ましくも気恥ずかしい内容を語ってくれることだろう。
「あ、がっかりした?それとも呆れた?」
「……さあ、どっちかしら」
「あのさ、僕がただ『トモダチを助けたいんだ!』って理由で動いたんじゃないってこと、わかってるよね?この期に及んでわかんないとか言い出したら」
「言い出したら?……あ、待って。やっぱり言わなくて」
「夜中に忍び込んでめちゃくちゃ犯す。っていうか孕ませる」
「…………不法侵入、ダメ、絶対」
そっちかよ!とつっこんだ冴木はすっかり機嫌も上昇し、けらけらと声を立てて笑い転げている。
いくらなんでも、希だって冴木から向けられる時に気恥ずかしいほどの、時に息苦しいほどの執着と恋心がわからない、とは言わない。
彼女自身、冴木を『友人』という括りに入れてしまってはや数年……抱く気持ちは彼ほどではないにしても、このまま居心地のいい関係でいたいと思う半面でもっと近づきたいと願う気持ちも日増しに大きくなっていくばかりだ。
彼が露骨にアプローチしてこなければ、もしかすると彼女も己の恋心をしまいっぱなしで枯らせていたかもしれないが……彼女がどうして恋愛ごとに積極的になれないのか、それを知っている冴木は優しくだが強引に彼女の心を引きずり出そうとしてくる。
『雌の匂いがする…………いやらしくて……だが君に良く似合ってる』
初潮を迎えたばかりでまだ心身ともに幼い希を、彼女を引き取った親戚筋の男は舐めるようにそう評した。かっちりとした小学生の紺のブレザーを身に着けた、幼い少女に向けるべきではない雄の目で。
そして第二次性徴が訪れた中学生……男の目は益々彼女を付け狙うようになり、家庭はどんどん荒れていった。
誰もが、希を責めた。
薄着で誘惑したからだ、いい子ぶって陰では男を誑しこんでいる、男を立てることも知らず恥をかかせた…………そうやって罵られ、虐められ、いつしか彼女の瞳は硝子のように何も映さなくなってしまった。
(ここから出たら、きっと真っ向からあの男達と対決しなきゃいけない。凄く怖い、けど)
だけど、と希は記事に目をやった。
冴木だけじゃない、希を支えようと、応援しようとしてくれる人達は大勢いる。
冴木が取材で告げたように、一度しか共演したことのない先輩や名前しか知らない大御所まで、いくつもの見舞い品が冴木の手で届けられたのは事実なのだ。
その中には、純粋な好意ではない者もいるだろう。だとしても。
誰かが支えてくれて、手を差し伸べてくれて、知らないことは教えてくれる。そうやって、彼女は芸能界で生きてきた。だから。
「サエくん」
「ん?」
勇気を出して、まず一歩。
菜々美が元の仕事に戻ると決意した、その勇気を少しだけ分けてもらって。
「私……サエくんのこと、その、好きだから。ちゃんと、あの、恋愛の意味、で」
つっかえつっかえになりながら、しかも最後の方は囁き程度に声が小さくなってしまったが。
頬どころか耳まで真っ赤になったのを意識しながら、彼女は俯いた。
冴木がどんな顔をしているかなんて、確かめることなんて到底できなかったから。
と、
布団と床と彼の足しか見えなかった彼女の視界に、突然さらさらの黒髪が映りこんだ。
冴木がしゃがみ込んだのだ、と理解できるまで十数秒。
「希さぁ…………ちょっとあんまりなんじゃない?」
「え、な、なに?」
「そりゃ最近禁欲的に生きてますけどー?僕だって健康な二十代の男なわけでして。あーもう、つまり、だからさ」
煽ってどうすんの。
そう呟いた彼は、首筋まで真っ赤だった。
完結まであとちょっと。10万字いけるかな……。