「……うー……誘導尋問です」
鏡の前でうんうん唸りながら、ああでもないこうでもないと悩む女性。
その女性が手にしていた紙の束を背後からひょいっと奪い取り、その中身にざっと目を通したすらりと背の高い女性は、ぽかんとしたままの可愛らしい印象の女性に向き直った。
「貴方、田舎のご両親には芸能界入りを反対されていたそうね?そもそもこちらの短大に入るのも反対で、ご両親としては一人娘の貴方には地元で就職してそのまま結婚、と平凡な幸せを手に入れて欲しかった、そう聞いたわよ?なのにどうしてその反対を押し切ってこちらへ出てきたの?どうして芸能界入りしたの?」
「そっ、それは……」
「華やかだと思った?きらびやかなだけだと思ってた?それだけじゃないってわかって、今どんな気持ち?裏切られたって思わない?貴方をスカウトしたマネージャーに、恨み言を言いたいって思わない?」
女性は、笑みを浮かべつつ彼女を追い詰めていく。
「ねぇ、裏切った人達に復讐したいとは思わない?自分も同じように裏切ってやる、って思うでしょ?」
「自分も、同じように……」
つられるようにそう呟いてから、小柄な女性はぶんぶんと慌てて頭を振った。
流されまいと拳をぎゅっと握り締め、微笑んで首を傾げたままの女性をキッと睨みつける。
「あたし、そんなこと考えてません!もし本当に裏切られてたとしても、でも、自分も裏切ってやろうなんてそんなこと!できるわけ、ないっ!!」
「ほら、できたじゃないの」
カット、とでも言うように丸めた紙の束をポンと手のひらで叩いて、背の高い方の女性……真壁希はにこりと笑った。
睨みつけていた方……柚木菜々美は、急に毒気を抜かれたようにきょとんと目を見張り、言われた意味がわからないという顔で首を傾げる。
「『裏切られたなら裏切り返してやれ』って言われた時のリアクションが上手くいかなくて悩んでる。……そんなことを織田さんから聞いたの。だからちょっとお手伝いできるかな、って思って」
「じゃあ、今のって……」
「菜々美さんの場合、演技しなきゃって考えすぎるんだと思うわ。それよりも、感情移入しちゃうの。自分と重ねるとか、知り合いのエピソードになぞらえるとか。今だって、自分に置き換えたらするっと言葉が出てきたでしょ?」
「…………あ」
言われて、菜々美は恥ずかしさに真っ赤になった。
自分の大事な人達をバカにされたと思いつい言い返してしまったが、希は演技指導をしてくれていただけだったのだ。
しかも菜々美が握り締めていた台本をさらっと読んだだけで、その中身を菜々美の境遇に置き換えるという即興のシナリオまで作って。
「もし原作があるならそれを読みこんでみるのもひとつの手よね。ないなら……そうね、台本をキャラ目線で読むっていうのもありかしら。ちょっとくらいセリフの言い回しが変わっても、案外誰も何も言わないものよ?だったら思いっきりなりきっちゃってもいいんじゃない?」
「希さんはいつもどうしてるんですか?」
「私?そうねぇ、役柄によるかしら。共感できるような役柄なら入り込むし、共感しにくいタイプならそのキャラの背景とか勝手に考えちゃうわ。実はこんな裏話があるんだとか、悪いことをするにも理由があるんだ、とかね」
「へぇ……そういう考え方もおもしろそうですね」
「そうそう。そうやって『おもしろい』って思うのって大事じゃない?私達って視聴者を楽しませてお金貰ってるでしょ?だったら、自分も楽しんじゃわないとその『おもしろさ』が伝わらないって思うの」
『人を楽しませるためにはまず自分が楽しまないと』
『そういう考え方もおもしろそうですね』
【真壁希&柚木菜々美、CMで話題の『美人姉妹』超ロング対談】
「あらこの雑誌、今日発売だったのね。……はい、希。巻頭グラビアで綺麗に写ってるわよ」
はい、と二宮が手渡してくれたのは、テレビ番組の週間放送スケジュールを中心に芸能界で話題の出来事や新番組の最新情報など、わかりやすく全ページカラーで載せている芸能系の週刊誌だ。
ゴシップは一切載せず『お仕事』の話題に終始していることもあって、巻頭取材のオファーを受けた希は、ちょうど連ドラの役作りに悩んでいるようだった菜々美との対談ということで、その相談も一緒に片付けてしまおうかと考えた。
なので、役作りのための『なりきり演技』の部分の掲載は省いてもらったが、その後の相談部分はほぼノーカットで掲載してもらっている。
違っているのは、途中から記者も同席した上で菜々美にこれが取材であることを知らせた、という部分が省略されていることくらいだろうか。
記事も最初の演技指導あたりは希がよく喋っているが、途中からは菜々美が芸能界入りしたきっかけや演技について思うこと、最近はまった趣味などについて楽しそうに語っており、逆に希は聞き役に徹している。
途中から同席した記者は時折相槌を打つだけで、話には入ってこない。
話題の誘導を行わないことで、自然体で話してもらうというのがこの雑誌のコンセプトであるからだ。
その対談記事が終わると、すぐ後から桐生と菜々美の再共演と題して新しく始まった『裏切りの約束』というドラマの特集が組まれている。
ヒロインの家族を結果的に死に追いやった元銀行マンの役を桐生が、そんな恋人の真実を知って愛と憎しみの狭間で揺れるヒロインを菜々美が、そしてそんなヒロインに復讐を唆す謎の男を織田が演じる。
よくある設定だが、よくあるだけに『ああ、またこのパターンか』と視聴者に舐められてしまえば視聴率はとれない。
そこを若手二人がどう演じきるか、背後を固めるベテラン勢がどうフォローするか、それによって『化ける』だろうな、と希はそう思っている。
「にしても、彼女もちょっと印象変わったわよね。デビューしたての頃はどうなることか、本気でハラハラさせられたもの」
「そうですね……プロ意識が出てきた、ってことじゃないですか?」
「それはどうかしらね。でも、構ってあげたくなる可愛さっていうのが出てきた感じ。前の『甘えた』なままじゃ、あの織田さんが手を貸してあげるはずないでしょ?」
「あははっ、それもそうですね。織田さん、ああ見えて結構人選ぶとこありますから」
気さくで優しいお父さんという印象の強い織田は、収録現場でも頻繁に差し入れを持ってきてくれたり、落ち込んでいれば励ましてくれたりと本当に気配りのできるベテランである。
ただ、そこから一歩踏み込んで演技の相談に乗ったり、自分から手を差し伸べたりする相手は限られており、誰にでもそうだというわけではないらしい。
当初、演技が上手く行かずに落ち込んでいる菜々美を見ても、彼はそれに関わろうとはせず遠くから気にかけただけだった。
だが菜々美が前向きに頑張り始めたのを見て、今回のドラマでは希に相談を持ちかけるなどして積極的に手を貸そうとしている。
それはつまり、今の菜々美を彼が認めたということに他ならない。
「構ってあげたくなる可愛さ、ですか……彼女、【ヒロイン】ですもんね」
「え、なぁに?」
「あ、いえ……だってそんな感じじゃないですか。悩んだり壁にぶつかったりしながら前を向いていく、誰もが構ってあげたくなる可愛さと健気さ、それって物語のヒロインの典型ですよ」
まだ花開くまでは行っていないものの、菜々美は着実に固定ファンを増やしている。
それはまるで、『落ち目になっていくライバルを踏み台にして階段を駆け上がっていくヒロイン』そのものだ。
ただ原作と違うのは、希が落ち目になっていないこと、そして桐生へ歪んだ恋心を抱いていないということか。
(そういえば、彼女は桐生君のことどう思ってるのかしら?彼の方は執着してるようだけど)
歪んだ恋心、というなら正に今の桐生がぴったり当てはまる。
純粋に菜々美を想っているようにも見えるが、それにしては公の場での余計な発言が多すぎるのだ。
その己の発言が菜々美をも傷つけ、返す刀で自分の評判にも傷をつけていることに、彼は果たして気付いているだろうか。
もし気付いていてやっているなら、相当なヤンデレだ……とそこまで考えて、希は自分の発想に戦慄した。
(まさか、ね。いくらストーリーが狂ってきてるからって、ヒーローまでヤンデレ化しないわよね?)
もしそうなったら誰が最も苦労するか。
それは勿論、【ヒロイン】である。
「え?桐生さんのこと、ですか?」
後日。
なかなか好評なCMのwebストーリー版を撮影するということで、希と菜々美は再び顔を合わせた。
場所は撮影のために何度か借りたスタッフの自宅で、『姉妹の日常編』と銘打たれた宣伝とは直接関係のないストーリーが展開されていく予定だ。
その中で、姉妹が互いの『好きな人』についてじゃれ合うように話すシーンがある。
といってもファン層にも色々あるわけで、具体的な表現は出さないようにこそこそと耳打ちしあったり、ふざけて笑いあったりする、という演出でとどめているが。
そのシーンで、「ねぇ、カレシってどんな人なの?」と訊ねる【姉】に、【妹】は恥ずかしげにこう耳打ちする。「……優しくって誠実な人」と。
そして「お姉ちゃんは?」と聞き返す【妹】に、【姉】はこう囁き返す。「私だけを一途に想ってくれる人よ」と。
画面上では何と言っているかわからないが、例えわかったとしてもそれほど支障はないという内容だ。
順調に撮影が終了したところで、途中から合流した二宮の方から菜々美のマネージャーに「良かったら送っていきますが」と声をかけた。
ここへ来るまではスタッフの出してくれたワゴンに乗り合わせてきたのだが、これから連ドラの撮影現場に向かう菜々美はさてどうしたものかといったところだったため、彼女のマネージャーもすんなりその申し出を受けてくれた。
そうして乗り込んだ車内で、希は思い切って桐生について訊ねてみた。
菜々美は何を聞くのやらときょとんとした顔のまま、そして助手席に座っているマネージャーは瞬時に表情を強張らせるものの、口出しまではしてこない。
「ほら、一時期噂になってたでしょ?その時はお互いにお友達ですって言ってたけど、また共演するってことは噂が再燃しちゃう可能性もあるなって思ったの。否定するのか、誤魔化すのか、認めるのか……その辺、個人の感情だけでどうこうって出来ないわけだし。マネージャーさんもいるからちょうどいいかなって思ってね」
「あー、そっか……うん、そうですよね。事務所側の方針とかあるんですよね。あたし顔に出やすいから、いきなりそういう質問されたらおたおたして本音言っちゃうかも」
「ってことは、まんざらでもないのね」
「……うー……誘導尋問です」
「どこがよ。誘導なんてしてないでしょ」
と冷静に突っ込んだのは運転席の二宮だ。
「正直言うと、気にはなってます。だって桐生さん優しいし、親身になってくれるし、一生懸命励ましてくれたりして……。けど最近ちょっと怖い時もあるんです。希さんの話をしただけなのに急に黙り込んだり、この前みたいに批判しだしたり、って」
ぽつぽつと話し出す菜々美の顔は、不安に彩られている。
桐生の真っ直ぐな優しさや気遣いに心惹かれている自分と、希を極端に意識しすぎる彼への不安を抱く自分、その双方に折り合いをつけられず困惑しているという様子だ。
希の名前が出たところで、二宮は「それっていつ頃から?何か変わったことなかった?」と食いつき気味に訊ね、助手席の菜々美のマネージャーに「二宮さん」と低く窘められてしまう。
が、当の菜々美は特に気にした様子もなく「そうですねぇ」と考え込んで、つっかえつっかえ口を開いた。
「あたしがテレビで爆弾発言した後くらいから……だったと思います。桐生さん、急に希さんのこととか批判しだして…………あ、そうだ。前に一度だけ言ってました。『真壁さんって昔からそうだったらしいよ』って。あれ、どういう意味だったのかちょっと気になってて」
「昔から?」
「……昔から、ねぇ……」
撮影現場に菜々美とそのマネージャーを下ろし、二宮はそのまま事務所へと車を走らせた。
希のその日の予定はもうない。本来ならマンションに帰すべきなのだが、さっき車内で聞いた菜々美の言葉が彼の頭から離れてくれず、このまま希も巻き込んで社長に相談すべきだろうと判断したらしい。
「ねぇ、さっきの話だけど……」
「桐生君の『昔から』発言ですか?」
「そう、それ。もしかしたら、ってちょっと引っかかってたことがあってね。でも多分、間違いなさそうよ。桐生君の態度があからさまに変わったのは、恐らく例の週刊誌の記事を書いた阿呆が何らかの入れ知恵をしたから。素直で真っ直ぐな彼はそれを信じてしまった、ってとこかしら」
「それって……私の親戚筋にインタビューしてきたっていう」
「それなんだけどね、希」
これまでは、決定的なことは希に伝えていなかった。
二宮はただ、悪質な記者が希の親戚筋にインタビューした内容について取材を申し込んでいる、そう教えただけだ。
その記者自身が親戚なのだとは、伝えてはいなかった。
だが希は当事者だ、いつまでも過去から逃げてばかりもいられない。
「…………そう、ですか」
「そんなことやりそうな相手、心当たりある?」
「……ええ、一人だけ。彼は、私のこと心底嫌ってますから。良く言われました、『疫病神のオトコオンナ』って」
「あら酷い。うちの希に向かって『オトコオンナ』だなんて。そんなの、単なる僻みでしょ」
「ふふっ、それも酷い言い様ですよね」
泣きたくなる心を抑え込んで、希は無理に笑った。
疫病神という部分にはあえて触れずにいてくれた……きっと既に知っているだろう『最高の相棒』に感謝しながら。