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「そう、罠だよ」

 

「だからね、いくら演技だって言っても手を抜いたら見てる人にはわかるわけじゃない?テレビみたいに編集したり特殊効果つけたりできないんだし」

「うん、だよね」

「だったら、役者は力いっぱい演技するしかないわけよ。勿論立ち合いの相手に怪我させないようにって最低限気は使うけど……でも何回やってもダメなの。迫真の演技をしようと思えば向こうが倒れちゃうし、精一杯気を使おうとすればタイミングが合わなくて音とずれちゃうし。もうなに、どういうこと?これで本番スタートできるの?ねぇ、どう思う?」

「う、うーん…………それってさ、真壁ちゃんの実力が高すぎるってことじゃないの?」

「じゃあなに?私がこの役を降りればいいってこと?そうよね、向こうは主人公で私は脇役だもの。降りるんなら私でしょうけど」

「……そんなことまで言ってないんだけど。参ったなぁ……」


 どうにもこうにも宥めきれず、和泉はぽりぽりと頭を掻いて首を傾げる。

 ほとほと困り切った、という顔の親友を見て冴木も苦笑いするしかない。

 他の二人……由羅と水嶋は、希が絡み酒モードになった時点で席を移ってある程度距離を置いて好き好きに飲んでいる。



 ここは、彼らがたびたび利用する隠れ家的な居酒屋の一室。

 よくある『隣の部屋とはパーテーションを隔てただけ』という造りではなく、周囲の声を気にせずゆっくり飲みたいという人向けに……そして勿論、彼らのように周囲に声を聞かせたくないという集まり向けに、完全個室の防音設計となっている特別な個室だ。

 それでも顔の知れた芸能人が集まって飲むとなれば話題になってもおかしくないのだが、ここのオーナーは和泉の顔なじみであるため、特別に裏口から従業員用の通路を使って中に入れてもらっている。


 この日仕事だったのは希だけ、他の面々はオフの夜ということでその表情にもどこか余裕がうかがえる。裏返せば、余裕がないのは希だけということだ。


 冴木に指定された約束の時間よりも少し遅れてやってきた希は、「もしかして稽古長引いたんですか?」という由羅の一言に「そうなのよねー、ねぇ聞いてくれる?」とぐったりした様子で由羅の手元の温くなったビールをぐいっとあおり、彼女にしては珍しく最初から愚痴全開で稽古の様子を滔々と語り始めた。


 曰く、舞台のクライマックスで死闘を演じる主人公役の桐生と軍人役の希、その立ち合いのシーンが何度やっても上手くいかないというのだ。

 希が強く打ち込めば彼が迫力負けして転ぶ、かといって手加減すればテンポのいい音楽とタイミングが合わず、タイミングを合わせてリズムよく打ち込めばまるでチャンバラごっこのように観客の目には映ってしまう。

 コメディ性のある舞台ならそれでも良かったが、徹頭徹尾シリアス一直線のムードで、しかもよりにもよって最も盛り上がる見せ場でそれはないだろう、と演出家が嘆いたのだそうだ。



「他の皆だってそれぞれに一生懸命なんですもの、主役のフォローまで手が回るわけないわよ。むしろそんな気を使ってたら、公演最終日まで体が持たないわ。ただでさえハードなんだもの」

「まぁそりゃそうですわな。俺もミュージカルやったことありますねんけど、普通の舞台の数倍気ぃ使うんですって。音楽に合わせなあかんし、歌もセリフも身体に叩き込まなあかん。下手すりゃダンスとかもありますよってに」

「そうでしょ?そうなのよ、結局は彼にどうにかしてもらうしかないってことなのよ……」

「うん、まぁそうなるかな?でもさ、そういうのって演出家の人とかに相談とかってできないのかな?なぁサエ、黙ってないでお前もなんか考えろって」

「ああ、僕?ダメダメ、今の希は僕の話なんて聞かないよ」


 珍しく黙ったまま愚痴を聞き流していた冴木は、和泉に話を振られて一瞬きょとんとした顔になったものの、すぐにいつもの彼らしくにっこりと表面上だけは爽やかな笑みを浮かべた。

 とそれに数秒遅れて、テーブルに突っ伏しかけていた希ががばりと顔を上げ、「サエくんはダメ!」と声を荒げる。


「サエくんとは今、お別れしてるの。だからダーメ」

「は?お別れ?」

「えっ、希さん達ってお付き合いしてたんですか!?」


 と、希の爆弾発言に胡乱げな表情をして問い返したのは水嶋、そして過剰に反応したのは由羅だ。

 問われた本人は既に潰れかけており、仕方なくこの中で最も付き合いの長い和泉がフォローを入れるために口を開いた。


「ああ、違う違う。って俺が言うのもおかしな話なんだけど……ほら、サエと真壁ちゃんって仲いいでしょ。普通の付き合い程度の役者さんなら演じ分けもできるらしいんだ、でもサエの場合距離が近すぎるってのもあるらしくてね」

「そういうこと。んで、今ドラマの役でお別れのシーンやってるからさ。そこんとこカタがつくまでは距離をおきたいらしいよ」

「えええー?あの二人、お別れしちゃうんですかぁ?あたしあのドラマ大好きで、最後はくっついてくれるんだろうなって期待して観てたのにぃ。とんだネタバレですぅ」

「……わかった。そのムカつく語尾で抗議してくれた礼に、とことんネタばらししてやる」


(あれ、もしかしてサエも相当酔っちゃってる?)


 と和泉が気付いた頃にはもう遅い。

 実はあの二人は次で別れるだとか、その後二人同時に警察を辞め、猛勉強して司法試験に合格した彼女は弁護士に、既に司法試験に合格している彼はコネをフル活用して検察庁へそれぞれ正反対の道を歩むことになるだとか、最終話ではそんな二人が法廷で再会し、宣戦布告しあうのだとか。

 由羅が「聞きたくないですぅ!」とイヤイヤするのを押さえつけるようにして、冴木はわかっている範囲でしっかりドラマのネタばらしをやりきっていた。

 ついでのようにネタバレを聞いてしまった水嶋は「あ、俺も最終回にゲストで出るんですわ。犯人役で」とこちらもさらりとネタバレし、由羅と同じく毎回欠かさず観ている和泉は「そっか、そうなるのかー」とこちらは暢気に聞き入っている。


 なにこのカオス、と突っ込めるまともな思考の人間は今ここには存在しなかった。




 その後、潰れておねむな希を悪乗りした水嶋が送っていくと言い出し、焦った由羅も「私が!」と立候補し、俺が私がと揉めている間に和泉が二宮に迎えを頼む電話をしたことで、その場は決着がついた。

 そうして今、経過は違ったもののほぼいつも通りに和泉の部屋に移動した二人は、先ほどまでとは違って静かにグラスを傾けあっている。


「なぁ、サエさ……もしかして水嶋君ってヤマシナさんのこと好きなわけ?」

「さあ?僕が見た限りじゃそうだと思うけど。だってあいつ、飼い主に構ってもらいたそうな犬の顔してたし」

「犬ねぇ。そういや、桐生君も犬っぽいよな?ほら、前にサエもそう言ってただろ」

「…………桐生、ね」


 噛み締めるようにその名をゆっくりと口にして、冴木は口直しとばかりに水割りを喉に流し込む。

 カラン、とグラスの氷が涼やかに鳴った。


「直也さん、知ってた?あいつ、希のこと結構意識してたんだよ。……いや、今も、かな?」

「え?いや、だって……え?」

「あはは、直也さんでも知らなかったかー」


 あいつはね、気がつくと希を見てるんだ。

 そうして、冴木は話し始めた。

 ゆっくり、己の心の中の氷を噛み砕くような、苦々しい表情で。



 その視線に冴木が気付いたのは、彼自身希を『友人』以上に意識するようになってからだ。

 彼が希を見ている、だから桐生の視線にも気付くことができた。

 眩しいものを見るように瞳を細め、眉根を寄せて何かに耐えるように、彼は彼女を見つめている。

 そのわりに、視線が合いそうになるとすぐに反らして違う人を見ているフリをするのだ。


 子供か、と冴木は内心突っ込んだ。

 話しかけたいなら話しかければいい。拒絶されているわけでもないのに、彼はしかしそれを躊躇う。

 それは素直になれない思春期未満の子供がやることだ、と冴木はなおも嘲笑う。


「そうやって希を眩しそうに見ているくせに、あいつは他のヤツとちゃっかり噂になってる。笑えるだろ?しかもその相手ってのがあの『ユズキチナミ』だ。希の猿真似して勝手にへこんでたあいつだよ」

「……サエ、口挟んで悪いけど『柚木ゆのき菜々美(ななみ)さん』な。せめて名前くらい覚えてやったらどうかな?」

「いいんだよ、そういう細かいことは。僕、酔っ払いだしー?」


 まぁ確かに、と和泉はこちらも珍しく耳まで真っ赤になっている冴木を見つめ、相当酔いが回っているだろうなと小さく笑った。

 酔いが回っているからこそ、普段は面倒がって口にしない桐生に対する本音を語っているのだ。

 通常モードの彼なら、笑ってごまかすか不機嫌になって拗ねるかで、ここまで饒舌に語ることはないだろうから。



「ああでも、柚木さんと桐生君の噂なら聞いたよ。事務所側は気の合うお友達です、とかいつものテンプレな返しをしてるらしいじゃないか」

「そういう時は、恋人未満なことが多いってのもテンプレだったりするんですけどー?」


 菜々美のデビュー作だったあのスペシャルドラマで、年が近く経歴も浅いということで共通点があった二人は、その撮影中も撮影が終わってからも時々一緒にいる光景が目撃されているらしい。

 といっても撮影所だったりテレビ局の中だったり、二人っきりでプライベートにというわけではないようだが。

 それでも、マスコミの渦中で仲の良さそうな態度を見せ付けている二人は、いつしか『仲がいい』→『特別仲がいい』→『実は付き合っている?』→『付き合っているらしい』と噂を発展させていった。

 事務所側はやんわり否定しているが、現段階でどうやら共演の話が進んでいるらしく、きっぱり無関係を主張するまでには至っていない。


 しかも二人とものほほんとしたところがあるのか、言葉巧みにその話題を出そうとする芸能レポーター達の追撃にあった時も、


『桐生さんは柚木さんとお付き合いされていると聞きましたが』

『え?いえ、柚木さんは友達です』

『そうですか。つまり友達としてお付き合いされているということですね?』

『え、っと……ええ、多分そうなのかな』

『柚木さんはどうですか?』

『あの、桐生さんは大事なお友達で……』


 と、視聴者に『大事な相手』で『お付き合いしている』と取られても仕方がない言い回しをさせられていた。

 その辺もバカだなぁと冴木は嗤い、和泉もこれはフォローのしようがなく「マスコミって執念深いっていうかね」と笑うしかない。



 ひとしきり笑った後、和泉はふと思い出したように一冊の週刊誌をぽいっと冴木の方に放り投げた。


「それ。前に真壁ちゃんと柚木さんのことについて書いた週刊誌。なんか気になってその出版社に勤める知り合いに聞いてみたんだけど、取材を申し込んだ記者と実際に記事を書いた記者って別人なんだって」

「ま、そういうこともあるかもね。ゴーストライター、って言ったら大袈裟だけどさ。一時期流行ったじゃん」

「まぁ聞けって。その記事を書いた記者の名前、書いてないだろ?で、調べてもらってみたんだ。俺には心当たりのない名前だったけど、サエならなんか知ってるかなって。……『ホヅミ』って言うらしい。しかも『八月一日』って書いてそう読むらしいんだよ。珍しいよな」

「『八月一日』で『ホヅミ』ねぇ……ちょっと待って」


 冴木は何か納得のいかなさそうな顔をして、のろのろと携帯を取り出した。

 かける先は決まっている。今頃酔いつぶれた担当タレントを部屋まで送り届けてホッと一息ついているだろう、苦労性のマネージャーのところだ。


 ちょうど手元にあったのかワンコール半で電話に出た二宮に、冴木は和泉から聞いた名前に心当たりがないか訊ねる。

 返ってきたのは、「知ってるわ」というやけに沈んだ声。


『珍しい名前だからまず間違いないと思う。本音じゃ間違ってて欲しいけど……調査会社の調べによると、希が引き取られた親戚の名前が「八月一日」と書いて「ホヅミ」だったはず。まさかとは思うけど、その家族の誰かが希の成功を妬んで近づいてこようとしてるだなんて……考えたくないわね』


 教えてくれてありがとう、なんとかするわ。そう言って、通話は切られた。

 これから事務所にとってかえして事情を説明した後、護衛をつけるなりその後の親戚筋を調べるなりして対応策を練るつもりなのだろう。



 知り得たことを和泉に話すと、彼は難しい顔をして頬杖をついた。


「俺も詳しいことを知ってるわけじゃない。でも確か、その親戚筋ってのは真壁ちゃんにとっての泣き所だったはずだ。なにしろ、自分からは殆ど語ろうとしなかったっていうんだから」

「うん。希は基本的に強い子だけど…………突然、突発的に崩れちゃうからね。今日みたいに」

「今日みたい、ならまだいいんだけどな」


 酔いつぶれるだけなら、まだ平和でいい。それが泣き崩れる、もしくは意識を失うレベルまで達してしまったら、果たして元に戻るまでにどれだけかかることか。

 その彼女が必死に築き上げてきた【真壁希】の仮面をはがそうと躍起になっているらしい相手がいる。


 許せるわけがない、と和泉は使命感に燃える。

 潰しちゃおっか、と冴木は不敵に嗤う。


「もうちょっと探り入れてみるわ。その出版社、わりと付き合い長いし」

「ん、じゃそっちは任せる。僕は別件で罠張ってみるから」

「……は?罠?」

「そう、罠だよ。上手く食いついてくれたら上々、食いつかなくてもそれなりに収穫はあるって罠を、ね」




全国の『ホヅミ』様、『八月一日』様、どうもすみません。

あと今更ですが、水嶋の関西弁がデタラメですみません。彼自身デタラメの関西弁を喋ってる自覚はあります。はい。

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