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「私に貴方を育てさせてくれない?」

 

「おいこらバイト!ちょっとこっち来いっ!」


 広い雑然としたオフィスの中に、男の怒鳴り声が響く。

 男は四十代半ば、今座っている課長の椅子に異動したのは半年前だ。

 やっと手に入れた管理職の椅子、漸く彼単独の判断で動かせる部下がつき、同期と肩を並べたと安堵したのもつかの間。

 上からはもっと良い結果をとプレッシャーをかけられ、下の者は『名ばかり上司』と彼を蔑みついて来ず、募る苛立ちと高まるストレスに彼の不満は爆発しかけていた。

 加えて『課長昇進おめでとう』と一度は祝ってくれたはずの妻も、最近では稼ぎが少ないだの休みが減っただのと嫌味を言う始末で、難しい年頃に差し掛かった息子は登校拒否の真っ最中。


「おいおいバイト!なんだこれは!読書感想文書いてんじゃねぇんだ、すぐやり直せ!!」


 諸々のストレスを、彼は不思議そうな顔で目の前にやってきたアルバイトにぶつけた。

 バシン、と丸めた書類でデスクの上を一度叩き、彼はそれを少女に向かって投げ付ける。


 少女は職場体験という名目で学校が休みの間だけ勤務に入っている、近くの高校に通う十六才。

 整った顔立ちをしているが、必要以上に愛想を振りまくことも媚を売ることもなく、淡々と教育担当社員から仕事を学んでいる。

 その姿は周囲にも評判が良く、しかし男にとっては『ガキがすかしやがって』と苛立ちの原因のひとつとなってしまっていた。


「…………」


 投げられた書類は彼女の頬に小さな傷をつくり、床に落ちる。

 痛みを訴える頬を指でなぞり、指先にべたりとついた赤い液体を目にした瞬間、少女の鼓動がどくりと跳ね上がった。


【争え】


 脳裏に響く、低い囁き。

 それは悪魔の声と言ってもいいほど甘く、甘美に、彼女の理性を溶かしていく。


【邪魔者は、殺せ。感情を、解き放て。お前は……自由だ】


 カチャリ

 ポケットから取り出したのは、小型の自動拳銃。

 よくドラマなどで使われているそれは、いつの間にか少女の使うロッカーに入れられていた。

 前日に入れた覚えもなければ、買った覚えもない。

 だが彼女はそれを、捨てるでも隠すでもなくそれが当然だとでも言うようにポケットに忍ばせた。

 使い方は知らない、本物かどうかもわからない。


 無表情に、何かに操られるようにそれを取り出した少女に、一瞬男はぎょっと目をむく。

 が、すぐにモデルガンだと判断してがたりと立ち上がり、「会社にオモチャを持ち込みやがって!!」と顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。


「…………」


 少女は何も答えずに、ゆっくりと男の額に向けて構える。

 銃の使い方など知らないはずなのに、その手は躊躇いなくセーフティを解除する。

 そして


 ズドン、と一発の銃声がオフィスに響き渡った。


 何が起こったのかわからない、そんな表情で後ろに倒れ伏す男。

 その中年太りした身体が肘掛け椅子と共に倒れこんだ音を聞き、周囲は漸く弾かれたように逃げ惑い始めた。

 きゃあきゃあと甲高い声で騒ぐ女子社員、

 警察だ警備員だと指示を飛ばしながら、結局何もせず我先にと逃げ出す男性社員。

 そんな中、渦中の少女は何の感情も篭らない硝子球のような瞳でパワハラ上司『だったもの』を見下ろし、次いで手の中のまだ熱を持っている銃を近くのゴミ箱に投げ入れた。

 そして非常用に半分だけ開く仕組みになっている窓に近寄ると、一度騒然としたオフィスを見回してから


「さよなら」


 後ろ向きにゆっくりと、その身を宙に投げ出した。




「はいカット!カメラチェック入りまーす」


 この声に、ざわざわと役者達がざわめきだす。

 このドラマは大晦日特別企画として撮影されている、オムニバスのサスペンスもの。

 年の瀬を迎えた街中で次々と発生する連続殺人事件を、定年間近な老刑事が追っていくというストーリーであり、何の接点のないように思えた犯人達は実は洗脳され殺人衝動を埋め込まれた道具だった、というものだ。

 メインの老刑事役と黒幕役以外は新人かさして名の売れていない俳優ばかり。

 このオフィスでのワンシーンで犯人役を演じた少女も、オーディションで選ばれた現役女子高生だった。


 オッケーですとの声に、このシーンでクランクアップとなる役者達は漸く安堵の表情を浮かべ、倒れ伏していた課長役の男ものっそり起き上がる。

 そして己を撃った少女に近寄り、「お疲れさん」と笑顔で声をかけた。


「お疲れ様でした。……ありがとうございます」



 この時収録されたドラマが放映された大晦日。

 画面の中で大写しになった少女に魅入られる人物がいた。


(この子、欲しい……!)


 大手事務所に所属する駆け出し社員、二宮にのみやまこと

 彼は画面の中の少女……その無機質な硝子の瞳に心惹かれた。

 そしてすぐさま事務所に連絡を取り、DVDを見せ、この子をスカウトしたいのだと長々と説得した一週間後、件の少女の家へと向かった。


 そこは、予想に反して小さなアパートだった。

 てっきり家族と一緒に楽しく過ごしているのだとばかり思っていた二宮は、一人暮らしだという少女の前に座り込み、たった一言こう告げたのだ。


「ねぇ、私に貴方を育てさせてくれない?」




 それがスカウトのきっかけでしたね、と真壁まかべ のぞみはゆるりと微笑む。

 彼女が見つめるカメラの向こう、チェック用のモニターをいまや事務所いちの敏腕マネージャーと呼ばれる【相棒】が見つめていることを意識して。


 あれから十年。

 硝子球の瞳をカメラに向けていた十六才の少女は、人気急上昇中の女優となっていた。

 数多く存在する【女優】の中で彼女の人気の秘訣と言えるのが、男顔負けの体当たりアクションだ。

 本当に危険なシーンではスタントもつけるが、基本的には自分で動いて、感じて、演じる。その演技に真っ直ぐな姿は、男性はもとよりむしろ同性である女性を中心に支持を集めている。


「スカウトを受けた時、正直どんな気持ちでしたか?」

「そうですねぇ……」


 あ、これ前世で読んだネット小説だわ。しかも私悪役じゃん。詰んだ。


 というのがその時の正直な感想なのだが、まさかそんなことをバカ正直に語るつもりもないし、語ったが最後『二十六歳にもなって中二病か』という痛い子認定を受けてしまうに決まっている。


 希は困ったように小首を傾げ、そして悪戯っぽく新人女子アナを見つめた。


「いきなりアポもなしに家庭訪問に来たスーツのイケメンが、半泣きになりながら説得してくるんですよ?しかも女言葉で。……正直、ドン引きましたね。あ、事務所的にここはカットで」

「いえあの、これ生放送ですから」

「あー……えっと、すみません社長。やっちゃいましたー」


 瞬間スタジオ全体が笑いに包まれ、緊張しきりだった新人女子アナもつられたように声を上げて笑った。




「お疲れ様」

「ごめんなさい、マコさん。ちょっとネタに使っちゃいました」

「いいわよ、別に。大事なタレントのネタになってなんぼでしょ、マネージャーなんて」

「拗ねないでくださいよー、大人気ない」


 仕方ないわね、と二宮はスーツの肩を竦めて苦笑する。

 別段彼は同性愛者でもなければオネエでもない、ただ女系家族で育った所為で女言葉が当たり前になってしまったというだけで。なので、こうしてネタにされても「それが何か?」と笑い飛ばせるし、半ば本気で『タレントを育てるためのネタ』で構わないとも思っている。


『育てさせてくれない?』との問いかけに希が頷いたことで、二宮は自分の住むマンションの隣にもうひとつ部屋を借り、彼女を引っ越させた。

 彼女が暮らしていたアパートはセキュリティの欠片もないほどのボロで、とてもじゃないが年若い少女を一人で住ませておくには危険すぎた。

 数年前に両親と死別したという彼女は、義務教育を済ませた段階で親戚の家を出たのだという。

 彼女が身内について語る言葉は少なく、二宮もそれ以上つっこんで聞くことはしなかったが、何か事情を抱えているだろうことはわかっていた。

 その辺りは、希がタレントとして使えるとわかればいずれ事務所側が調べるだろうと思ったからだ。


 そうして手元に引き取った少女は、何度かオーディションを受けて端役をこなしているうちに、徐々に芸能人のオーラを纏うようになってきた。

 硝子球のようだった瞳は、感情を宿して今はキラキラと宝石のように輝き。

 元々身体を動かすことが好きだという彼女の申し出により、ジムに通わせてやったら段々とそのスリムなスタイルをメリハリボディへと開花させていった。

 そしてデビューから二年経ったある日、とある映画の主演オーディションに受かったことから、真壁希の名前は全国に向けて本格デビューした。



「そうそう、来年の春に予定されてる大型ドラマ企画だけど……希の名前も挙がってるわよ」

「あ、もしかして前に話してた悪役お嬢様ですか?ふふっ、楽しみです」


(来た。いよいよ……本編がスタートするんだわ)


 希には、二宮にも決して告げられない隠された事情がある。

 それが先ほどのインタビュー中に彼女がちらりと考えたこと……【ネット小説】だ。



 希は、物心ついた頃から大人びた子供だった。

 それは、いつの間にか【現在】を生きている自分とは別に、【前世】を生きてきたもう一人の自分の記憶を併せ持っていたからだ。

 その記憶はひっそりと、彼女の中で自己主張することなく存在していたので、彼女も特に意識することなくいられた。


 だが二宮の突撃家庭訪問を受けたあの日あの時、今いる自分が【前世】で何度も読み返してはその世界観に浸った【ネット小説】の登場人物であること、新人女優としてデビューする主役ヒロインのライバルであり越えるべき目標でもある【悪役】であることを思い出し……そしてその【悪役】が相手役ヒーローに入れあげた挙句徐々に人気を失墜させていき、ついにはヒロインにトップ女優の座を奪われてしまうかませ犬なのだと気付いて、「あ、詰んだ」と一度は絶望した。


 だけど、と彼女は考えた。

 この世界があの【ネット小説】なのだとして、最低限逆らえないシナリオ補正というものがあるのだとしても……そうだとするならなおさら、学べることは貪欲に学び、必要な技能は積極的に身につけ、後悔することなく生き抜こう、と。



 物語のスタートはもうすぐ。二宮の言っていた春の大型ドラマ企画の主役にヒロインが大抜擢され、そしてシナリオが動き出す。


 だが希はまだ知らない。あまりに熱心に自分を磨きすぎた所為で、新人女優ヒロインのライバルになりえないほどハイスペックになってしまったということを。

 そして本来ヒロインに向かうはずの【矢印ベクトル】のいくつかが、既に彼女に向かってしまっているということを。




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