カミサマの年越し
カミサマは、その日、神社を出て、とぼとぼ歩いていました。
今しがた、住職さんと話したのです。
『お前は、なんだか悲しそうだね』
『だって、ここにくるひと、みんなかなしそう』
『そうだなぁ』
『みんな、かなしいのかな。たのしいことなかったのかな。もう、いちねんがおわるのに』
カミサマは、しゅんとしてそう言いました。困ったように住職さんは笑います。
『今年は、いろいろあったからなぁ。しょうがないのかもしれん』
『やだよ。かなしいかお。なんで、みんな、かなしそうなの?』
『お前さんは神様だから人の感情が分かるんだな。でもな、皆が皆、悲しい訳ではないぞ。そうだ。お前さん、ちょっと外に出て言ってみたらいい』
『なんで?』
『絶対、悲しくない人も町にいる。その人を探して、話を聞いてごらん。きっとお前さんも楽しい気分になるぞ』
『そんなひと、いるの』
『きっといるさ。ほら、行っておいで』
ポンポン、と、住職さんはカミサマの頭を撫でました。それで渋々、カミサマは神社から出たのです。
カミサマは空を見上げました。どんよりとした、泥をかぶったような雲が空いっぱいに浮かんでいます。その向こう側では、お日様が今にも沈もうとしていました。
カミサマはマフラーに顔をうずめて、道路の真ん中に立ち尽くしました。
その通りは、どうやら商店街のようです。周りには、いろいろなお店が並んでいます。どのお店の店主も大声を上げて、赤くなった顔でお客さんを呼び込んでいました。
しかし、カミサマの傍を、足早に過ぎ去っていく人たちは、みんな苦しそうに顔を歪めています。店主の声に顔を上げることなく、ポケットに手を突っ込んで、スタスタと早歩きで歩いていきます。
「あ、あの……」
カミサマがそう言うも、誰も小さいカミサマに気が付きません。時々ちらりとカミサマを見る人もいますが、それでもカミサマに話しかけはせず、面倒なものを見たような顔をして、通り過ぎていきました。
「あの、あのっ。すみません」
鼻をぐすりと鳴らしながら、カミサマは少し声を大きくして、そう言いました。
すると、一人の女性が、カミサマを見て立ち止まりました。
この人は、もしかしたら、楽しい気分なのかもしれない。
期待に胸を膨らませて、カミサマは勢い込んで、その女性に向かって言いました。
「あの、あなたはいま」
「目障りなのよ、さっきから! お父さん、お母さんは? はぐれたの? さっさと家に帰りなさい!」
突然の怒鳴り声に、カミサマはびくっとして、口の動きを止めました。
女性は、きっとカミサマを睨みます。
「ああもうっ。いいからどっか行きなさいよ!」
カミサマはびっくりして、数歩、後ろに後ずさります。そして勢いよく女性に背を向け、だっと通りを走りました。
カミサマは疲れて、通りに座り込みました。元々赤かった頬は、さらに真っ赤になってます。
空は、完全にお日様が隠れてしまって、真っ黒な色をしています。気温も急に落ちたようで、カミサマの手が、段々と赤くなっていました。
道行く人は、そんなカミサマを不思議そうに見ます。しかし、声を掛けようとする人はなかなかいません。
カミサマは、なんだかもやもやして、きゅーっと全身が締め付けられている気分でした。
俯いていると、ただでさえ暗くてよく見えない地面が、ぼんやりしてきます。雨が降ったように、ぱたりぱたりと、地面に黒いしみがつきます。
と。
「どうしたどうした。こんな日に、悲しいことでもあったの?」
突然、カミサマの上から、そんな明るい、女性の声が聞こえました。
カミサマは、ばっと顔を上げました。そこには、買い物帰りなのか、パンパンになったスーパー袋を抱えている女性がいました。
にかっ、と女性は歯を見せて、カミサマに笑いかけます。
「こんなに涙流して。せっかくのお顔が台無しだよ。お母さんは? はぐれちゃった?」
「お、おねえさんは!」
カミサマは、女性の心配する声を無視して、ひぐひぐと泣きながら、精一杯叫びました。
「おねえさんは! ことし、たのしかった?」
突然の質問に、女性は驚いた顔をして、カミサマを見ました。
カミサマは、落ちる涙を両手でこすって拭いながら、言葉を続けました。
「み、みんなね、みんな、かなしそうなのっ。だれもっ、わらってないの。まちっ、まちが、まっくらなの! どうして? どうしてこんなにくらいの? そんなに、いやなことあったの? かなしいよっ、かなしいよ!」
「……あらあら。はぐれて、泣いているわけではないのね」
女性は、ふんわり笑って、カミサマの頭の上に手を伸ばしました。ゆっくりと、大事そうにカミサマの頭を撫でています。
「君は、人の痛みが分かるのね」
カミサマは拭う手を止めて、濡れた目を女性に向けます。
「おねえさんは? おねえさんも、かなしい?」
カミサマは、泣きながら聞きます。
女性は、少し考えた後、ゆっくりと首を横に振りました。
「確かに、悲しいことはあったわよ。たくさんあったけど、その中でも一番は、お父さんが死んじゃったことね」
「……かなしい」
顔を歪めて、ぽつりと言ったカミサマに、女性は答えます。
「そうね。これだけ聞いたら、悲しいことね。でもね、お父さんが死んだことは、悲しかっただけじゃないの」
「どうして? だって、ひとがしんだら、かなしい」
カミサマが聞くと、女性は微笑みました。
「……わたしのお父さんはねぇ、とっても頑固者だったの。わたしが夜出かけに行くって言ってもダメっていうし、子供の時に、あめ買って、て言うと怒られるし。車を買うことも許してくれないし。とても厳しい人で、わたしはそんなお父さんが嫌いだった」
「じゃあ、いなくなって、うれしかったの?」
「そんなわけないじゃない。しっかり悲しかったわ。……それにね、お父さんがいなくなって分かったの。
わたしは、お父さんに守られていたんだなぁって」
「……? なんで?」
「お父さんが死んじゃったあと、お母さんが教えてくれたの。あなたはお父さんが嫌いだったみたいだけど、お父さんは、いつもあなたのことを考えていたのよって」
女性の目に、涙が浮かびます。それでも彼女は、微笑むのをやめませんでした。
「考えると、思い当たる節ばっかりでね。夜出ていくのは、不審者に襲われてほしくないから。あめがダメなのは、虫歯になってほしくないから。車は、事故を起こしてほしくないから。
ちょっと過保護だけど、お父さんは、わたしのことをとても考えていてくれたの。……それを、死んでから気付くなんてね。最低だよ。でもね、それに気付いたおかげで、とっても単純なことだけど、一つ分かったの。
いつも、わたしは誰かに支えられて、生きていられる。いろんな人がいるから、今、私は、ここにいられるんだって。
そう思ったら、周りの人たちが、とても大切な人に見えてきて。周りの人を大事にしようって思えたの。今日もこれから、親族と年越しのお蕎麦を食べるの。今年も一年、無事で良かったねって言いながら」
女性は、泣いている顔で、きらきらと笑いました。
「難しかったかな? ごめんね」
カミサマは、ぱぁっと笑って、ぶんぶんと首を振りました。
「ありがとう! すごく、あったかい!」
「そ、そう? なんか照れるな」
「ううんっ、ううん! いいおはなしだった! よかった! かなしくないひともいた!」
きらきら笑うカミサマを、女性も眩しそうに見ています。
「君は、ここから家に帰れる?」
「うん!」
「それなら帰って、家の人と、暖かい年越しをしてね」
「うんっ!」
カミサマはぴょんっと立ち上がって、女性にお辞儀をしました。
「ありがとう! よいことしを!」
「ことし、じゃなくて、お年、よ」
「よ、よいおとしを!」
「そう。よいお年を!」
二人はニコニコと笑って、別れました。そんな二人を、お店の人が、周りの人が、見ながらくすくす笑っています。
「ただいまー!」
「おお。どうだった?」
「あのねあのねっ。とってもあったかかった! かなしくなかった!」
「そりゃよかった。それじゃ、蕎麦、食べようか」
「たべる!」
楽しそうな神社の中へ、除夜の鐘を突きに来た人たちの、楽しそうな笑い声が聞こえてきました。
おわり
年越し、ということで昨日の夜突然思いつき、早速ログインして書き上げました。
もう大晦日ですね! よいお年を!




