魔法の《定食屋》 (完)
「よかったの? アレで」
無人の店内。静かにジャズが流れる中、マリアが口を開いた。
俺の城――キッチン・アクアの夜ピークは七時から。それまでは笑ってしまうほどに来客は無い。
「よかったも何も、筋書き書いたのはオメーだろうが。いつから俺は、パティシエになったんだこの野郎」
無茶苦茶な《設定》をブチ上げた相手に毒づく。
そう、全てはマリアの思い付き。デタラメ、設定、狂言だったのだ。
「だって、そうでもしないと発破かけれないとおもって」
ゆったりのんびりした口調でマリアが言い訳をする。
「だって秋穂ちゃん、今までにないくらいへこんでたし、ね」
しんみりとマリアが口にした台詞で、俺は黙らされてしまう。
唯一の従業員である加賀美マリアの自慢は、人並み外れた洞察力だ。
マリアにとっては、緋山秋穂を元気づけられる最良の手段を取っただけなのだろう。ワリを食うのはいつも俺なのだが。
「《時には手段を選ばず、お客様に笑顔を》、でしょ?」
悪戯っぽくウチのモットーを謳うマリア。思わず漏れるため息。
「別にいいけどよ、でもなあ」
そう、今まさに俺は狂言の被害者となっていたのだ。
コイツは、客のためとはいえとんでもない嘘をついたのだから。
「……どうするんだ、またシブーストなんて頼まれたら」
俺は定食屋だ。パティシエなどでは無い。
趣味でコーヒーくらいなら淹れるが、ケーキ作りなど論外だ。
そもそもこの店には材料も設備も足りない。
周囲を、見渡す。
小麦粉、砂糖、ベーキングパウダー、卵。
冷蔵庫には生クリームと牛乳が入っているはずだ。
ちなみに、この店自慢のガスオーブンはばっちり加熱してある。
――ケーキくらいなら作れる気がしてきたぞオイ。
「そしたら、また買ってくればいいじゃない。今日みたいに」
眩暈を感じる俺を、マリアが恨みがましい目で睨む。
「まだ根に持ってんのかよ……」
先ほど、俺はこの女に殺されかけた。
来客が無ければ、マジで死んでいたかもしれない。
原因は、先ほど提供したシブースト。
「んもう。当たり前でしょ。《丘上の洋菓子店》のシブースト。並んでも買えない伝説クラスの超人気商品。独り占めしようとしてたんだから死んで当然よ」
「そんなモンで死んでたまるかっ!」
「でも、どうして秋穂ちゃんに出したの? 赤字じゃない」
俺の叫びを無視して、マリアが続ける。
確かに、今回は大赤字だ。
休憩中に購入したシブーストが四百七十五円。それにコーヒーまでつけて五百八十円で提供したのだ。
人件費や光熱費を考えたら、こちらには損しか無い。
「あの子、今日はコンクールだったんだ。家族だって御馳走を用意して待ってんだろうし、だったら普通のメシを出す訳にはいかねぇだろ」
「だからスイーツ? いつか潰れちゃうわよこの店」
「うるせー。《時には手段を選ばず、お客様に笑顔を》だよ。学割だ学割」
呆れ顔のマリアに、投げやりに言い放つ俺。
満足して帰って貰えたし、それほどの不満は無かった。
それに――
「実は、だな」
にんまりと笑い、足もとの小型冷蔵庫から小さな箱を取り出す。
「シブーストは、もう一つある」
「……えっ?」
先ほどはマリアに対するイタズラで一つしか買ってきていないように見せかけただけだ。
俺も鬼ではない。たった一人の従業員にご褒美をやらないような経営者であるはずがなかろう。
まあ、そのせいで殺されかけたワケだが。
「殺してでも奪い取っていい?」
「ふざけろ。働け。今日の働き次第で半分分けてやる」
「むむっ。が、がんばるわ」
フリフリのメイド服を着た年齢不詳の女が拳を握りしめるのを見て、満足する。
緋山秋穂のリアクションを見たせいで、このシブーストを食べたくてたまらなくなったのだろう。
「おう、気合入れといてくれや」
あと三十分もすれば仕事帰りの会社員たちが大挙し、店は戦場になる。
この程度でマリアが本気を出せば安いものだ。
「おっと、馬鹿やってねぇで準備しろ。客が来たぞ」
「はーい」
ふと外を見ると、ドアを開けようとする人影がガラス越しに映っていた。
数秒後、姿を現したのは小柄な少女。勿論客、それも女の子だ。
緋山秋穂とは別の高校の制服。一日で二度も女子高生が一人で来店するのは、この店では珍しい事だった。
「あら、いらっしゃい」
「いらっしゃい」
緋山秋穂と同じくらいの少女。
小柄で、色白の、大人しそうな子だ。
俺達は、彼女の事を知っている。少女もまた、常連の一人だからだ。
「ってオイ、どうしたんだよ」
挨拶もそこそこに、俺は少女に疑問の声をかける。
少女に感じたのは、違和感。
「あら? 今日はいい事があったんじゃないの?」
そう、あったはずなのだ。
彼女は、今日とある演奏コンクールに出場し、見事に優勝をかっさらったのだから。
市のコンクールで優勝をもぎ取った少女――黒川絢葉。
先ほどの緋山秋穂が《黒川》と口にしたときから、予想は付いていた。黒川絢葉も、ウチの常連なのだ。
ただ不思議な事に、前の前の少女は肩を震わせ、頬を膨らませ、不機嫌さをあらわにしていた。
「試合に勝って勝負に負けた感じだよ」
少女がフルートケースの入ったバッグを、そっとカウンターへと置く。
感情的になりながらも、楽器の扱いだけは丁寧なのは面白い。
「僕よりずっと上手い人だっていたんだ。ただ、その子のチームメンバーが微妙だったせいで僕に優勝が回ってきただけ」
眼鏡の位置を直しながら溜息。
どうやら、怒りの矛先は見る目が無い審査員と、実力不足の自分のようだ。
「しかも、僕と同じフルートで……正直、悔しいよ」
泣きそうな表情で目を伏せる黒川。
俺が感じたのは、頭がくらくらするような既視感。
どこかで、似たような経験をした気がする。
と言うか、さっきも同じような女子高生が来ていたような。
「ねぇマスター」
「分かってる。みなまで言うんじゃない。《オススメ》でいいだろ?」
頭を振り、内心を悟られないように笑顔を浮かべてやる。
キッチン・アクアは魔法の定食屋。俺達が客に不安を抱かせることは許されない。
俺の思惑を悟ったのか、マリアは少女の死角から射るような視線を向けてきているが。
――知った事か。
《手段を問わず、お客様に笑顔を》だ。
シブーストくらい、明日俺が買ってきてやる。だからマリア、今日はお前へのご褒美はナシだ。
俺は、水切りカゴからサイフォンを引きだす。
先ほど洗ったばかりの硝子製の調理器具は、まだ僅かに湿っていた。
「それで、マスター。今日のオススメは何がでてくるのかな?」
期待に満ちた瞳で、上目遣いで少女が俺に問いかける。
コーヒーを目にした時、黒川はどんな顔をするだろう。
緋山のように仰天するだろうか。
それとも涼しげな顔で「これはグァテマラだね」とでも言いだすのだろうか。
反応を予想するだけで、未来を想像するだけで、俺の胸に多幸感が沸き上がる。
もちろん、質問に対する俺の――俺達の答えはいつも一緒だ。
この店の約束。
《オススメ定食》の内容は――
「「出てきてからのお楽しみ」」
■
キッチン・アクアは不思議なレストラン。
口の悪い店主と、
可愛く可憐で素敵なウェイトレス、
そして魔法の料理の数々が、
お客様の舌に満足を、
さらに心へ幸福を、
目一杯、全力で、力の限り、
時には手段を問わずお届けいたします。
キッチン・アクアは魔法のレストラン。
悩みなんて、さようなら。
一口食べれば、待っているのは至福の時間。
それではお客様。
次回のご来店、従業員一同心よりお待ちしております。
お読みいただきありがとうございました。
第一話、完。
ファーストエピソードにしていきなりマスターが《料理をしていない》お話ですが楽しんでいただけたならば幸いです。
また、美味しいものを食べた時にこのお店の事を描いていきたいと思います。
……って言うかここまで長くなるとは思ってもいなかった。
それでは、また会いましょう。