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魔法の《定食屋》 (2)

 キッチンアクアは変な店だ。


 裏路地のおんぼろビルにあるかと思えば店内は新築のようにピカピカ。

 定食屋なのに壁にメニューは貼り付けられておらず、各席に備え付けられた写真入りのリストから注文する形だ。

 店内の内装と相まって、ここは定食屋では無く、小さなレストランではないだろうかと錯覚してしまう。


 さらに、メイド服の女性が唯一の従業員だし、しかも店主は殺されかけている。

 一体このお店は、どんな客層をターゲットにしているのだろう。


 それに、変なのは見た目だけでは無い。

 私が初めて来た日なんて、店主は《天井に頭から突き刺さっていた》。

 あの時、何があったのか。私の短い人生の中で最大の謎として、未だに未解決事件ファイルの中にしまわれている。

 おそらく、永久に迷宮入りだと思うけど。


「初めて殺人事件の現場を見ました」

 お冷を持ってきたお姫様……改め殺人未遂ウェイトレスに向かってぼやく。

 既に私は入口から一番奥の席に座っていた。少々大きめな荷物(バッグ)はカウンターの脇に置いておく。

 他にお客さんがいないのだから、咎められることもないだろう。


「あら、嫌だわ。殺人事件じゃないわよ」

 なぜか私の隣に座った殺人犯(未遂)が、やや間延びした口調で返答する。

 たった今、ウルトラバイオレンスな行為を行っていたとは思えないほど、穏やかな仕草だった。


――えぇっと。

 この従業員の名前は何だったろうか。

 何度も聞いたはずなのに、もう二年近くこの店に通っているはずなのにどうしても思い出せない。

 私は、人の顔と名前を覚えるのが苦手なのだ。 


「ふざけんな加賀美」

 怒りを込めて呟いたのは、この店の店主(マスター)

 年齢は三十を少し超えたくらいだろうか。すっきりとした鼻梁に、意志の強そうな目をした男前だ。


――あっ。

 そうだ、加賀美さんだ。

 マスターの言葉で、ようやく殺人メイドウェイトレス(未遂)の名前を思い出す。


 加賀美マリア。


 可憐な外見の彼女に、聖女の名前はぴったりだと思う。

 ただし、中身までは保証できないけれど。


「ってか、アレが殺人事件じゃなかったらなんだってンだよ」  

「んー。夜ピークの仕込み?」

「え?」

 平然と、加賀美さんがとんでもない返答をするのが聞こえた。

 この人が言うと冗談に聞こえないのは何故だろうか。

「メシ屋の従業員が恐ろしい事言うなよ! 人肉ハンバーグなんてどこのホラー映画だ!」

「あらやだ。ハンバーグじゃなくて生姜焼きかも?」

「どっちでも同じだ! クビにすんぞ!? このポンコツ従業員ッ!」

 顔を真っ赤にして怒鳴るマスターと、平然な顔をして受け流す加賀美さん。

 最初は面食らったが、さすがに二年も通えば慣れてしまう。

 常連の中には、この二人のコントを見る為に来店する人もいるらしい。


「それで秋穂ちゃん。今日は何しに来たの?」

「何って、ご飯ですよぅ」

 思い出したかのように、加賀美さんが私に顔を向けて問う。

 少なくとも、定食屋に楽器を買いに来る女子高生はいないだろう。


「あら、私はてっきりフルートでも買いに来たかと」

「……間に合ってます」

 バッグから顔を出しているフルートケースを指差し、首を振る。もちろん私の私物だ。

 大丈夫なのかなこの人。あらゆる意味で。


「《オススメ》でいいかい?」

 加賀美さんに任せていては話が進まないと思ったのか、ため息交じりにマスターが口を挟む。

《今日のオススメ定食》。五百八十円。


 私にイヤな事や辛い事があった時、必ず注文するモノ。

 何が出てくるかは分からない。聞いても教えてくれない。

 だけど、絶対にハズレのないメニュー。


「なんで、分かったんですか?」

 私が、《オススメ》を注文する事を。


 つまり、私にイヤな事があった事を。


「顔を見れば、大体な」

 にやりと不敵な笑みを浮かべるマスター。 


――やっぱり、変だ。

 釣られて、私からも笑みが漏れる。

 いつもそうだ。

 マスターは客の事なら何でも知っているのだ。

 不機嫌そうな瞳で、いつも私の心を見透かしてくるのだ。


「ちょっと待ってな。今日は、いい《モノ》が手に入ったんでな」

「あら、じゃあ待ってる間は私とお話しましょ。仕事なんかマスターに任せて」

「……オメーは何しにここに来てんだよ。いいからバックヤードから《アレ》取ってこい」

 深いため息をつきながら、マスターが調理の準備へと入る。

 加賀美さんもしぶしぶと言った表情でバックヤードへ向かっていく。


「今日は何が出てくるんですか?」

 返事は分かっているけど、聞いてみる。いつものやり取り。同じ質問、変わらない答え。

 私が質問をすると、加賀美さんは振り返り、マスターが顔を上げた。

 そして、二人は口をそろえてこう言うのだ。


 新しいイタズラを思いついた子供のような顔で。


 満面の笑みで。


「「出てきてからのお楽しみ」」と。


 何があってもここだけは変わらないという安心感が私に安心を与えてくる。 

 答えが同じなら、私は楽しみに待つだけだ。

 この、二年間全く変わることのない《キッチン・アクア》の空気を感じながら。


 ぴかぴかの店内。耳に障らない程度に音量を抑えられたジャズ・ミュージック。

 小さな世界に充満するのは、香辛料の、熱した油の、香味野菜のにおい。

 食べ物の残り香。ランチタイムの残滓。

 この地球上の美味しそうなもの全ての香りが、私の鼻孔を支配している。


 今日は、一体何が出てくるのだろう。

 火傷しそうなほど熱いのに、箸を進める手が止まらなくなるホクホクのコロッケだろうか。

 それとも、口の中でとろけるように柔らかいハンバーグだろうか。

 今日はいつもより香辛料の臭いが強いので、カレーなのかもしれない。


 何が出てきても、必ずこのお店は私に元気をくれるだろう。


――けど、大丈夫かな。


 今日の私の落ち込みようは尋常ではない。

 マスターたちの掛け合いが無くなり、静かな空間になって改めて気付かされた。

 きっと、酷い顔をしているのだろう。

 泣き腫らした目は化粧や目薬で隠せていないだろうし、声にだって張りが無い。

 よく考えれば、マスターでなくても私の異常には気付けるだろう。


 それに、実はあまり食欲は無い。

 朝から何も食べていないにも構わずだ。


 朝とお昼は緊張のせいで。

 そして今は、怒りと嫉妬と憂鬱が私の胸とお腹を一杯にしているせいで。


 つい、習慣でキッチン・アクア(ここ)に足を運んでしまったが、さすがのマスターの料理でも今の私に食欲を取り戻す事は難しいように思えた。


――駄目。変な事考えちゃ、駄目。

 マスターの腕前でもみて、気持ちを切り替えよう。

 調理手順を見ていれば、何が出来るか少しは予想できできるだろうし。

 無言の時間を過ごすよりは七百倍はマシだった。


 それだけではない。

 マスターがご飯を作る姿は、芸術だ。

 無言で、表情一つ変えることなく、美味しい料理を作る為だけに最適化された動きは機能美と言う言葉こそ美しい。

 彼自身が芸術品であると言っても過言ではないのだ。


 ゆっくりと、顔を上げる。

 今日の食材は何だろう。


 肉かな?


 野菜かな?


 それとも魚?


 調理手順はどうなのだろう。


 焼く?


 煮る?


 蒸す?


 揚げる? 


 だけど。


 私の目の前で起きているのは、それらの予想全てを裏切っていた。


「えっ?」

 思わず、声が上がる。

 自分の声が、自分じゃないような錯覚。

 音を外したトランペットのような間抜けな声。 


 私の予想は、見事に外れていた。

 と、言うより当てる事が出来る人がこの世界にいるとは思えなかった。


 このオッサンは一体何をやっているのだ。


 ここは定食屋のはずだ。


 私は、美味しいご飯を食べて辛い思いを吹き飛ばそうとしていたはずなのだ。


 彼が握るべきは包丁であり、決して《あんなもの》では無いはずだ。


 カウンター越しに私の目に入って来たもの。


――それは。


 小さなバーナーで焙られている、先っぽを切り取ったフラスコのような容器。

 そして、フラスコの上に乗せられたビーカーと漏斗を足したような物体。

 どちらも、ガラス製だ。

 フラスコ(仮)にはコップ一杯分ほどの透明な液体、水のような物が注がれていた。


 まるで、理科室のようだった。

 小学生の頃に行った、バーナー実験。あの時沸かしたのは、塩水だった気がする。

 いつからここは学校になったのだろう。


 ただ、ここが学校で無いのは私が一番よく知っている。


 目の前の調理器具(ツール)が理科実験を行う物では無い事も。

 バーナーの音が奏でているのは、塩水を蒸発させようとする音ではない事も。


 私は、一度だけ見た事があった。

 両親に連れて行かれた《喫茶店》で。


「え、えっと、あの、マスター?」

 思わず、質問する。


「これって、えっと。《サイフォン》、ですよね?」

「おぉ。若いのに物知りだな。そうだよ、サイフォンだ」

 心底嬉しそうに、マスターが私に笑いかける。


「いや、えーっと。ここって、定食屋、ですよね?」

「おう、定食屋だ」

 良かった。私は異次元や他の世界線に迷い込んだ訳ではないようだ。


「えっと、でも、《サイフォン》って……」

 同時に、新たな疑問が頭に浮かぶ。


 私はここに、何をしに来たのだ? と。

 私はご飯を食べに来たはずなのだ。

 しかし、《サイフォン》ではどうやってもご飯を作る事は出来ない。


 何故なら――


 目の前でお湯を沸かしている《サイフォン》と呼ばれるツールは――


「それって、コーヒーを沸かすヤツ、ですよね?」


――コーヒーを淹れるものだからだ。


「おう、その通りだ」

 証拠とばかりに、漏斗に引いたフィルターへとざばざばと挽き豆を注ぎ込む。

「良い豆をもらったんだよ。今日のお勧めだ」


――いったいこのオッサンは何を言ってるの。


 マスターが料理を始める気配は無い。

 食材の準備も、包丁を握る素振りも、鍋を用意するつもりもなさそうだ。


 彼は、ただひたすら愛おしそうにフラスコのお湯が沸くのを眺めていた。


 これから、何が起きると言うのだろう。


 私の頭の中では、ただただ疑問符のフルオーケストラが鳴り響いているのだった。


どんな料理が出るのやら。

近日更新予定。

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