魔法の《定食屋》 (1)
はじめましての方ははじめまして。
またジャンル分類不能なものを書き始めました。
全3~4話の短めのお話なので、よければお付き合いください。
キッチン・アクアは不思議なレストラン。
ちょっとおかしな店主と、
可愛く可憐なウェイトレス、
そして魔法の料理の数々が、
お客様の舌に満足を、
さらに心へ幸福を、
目一杯、全力で、力の限り、手段を問わずお届けいたします。
キッチン・アクアは魔法のレストラン。
悩みなんて、さようなら。
一口食べれば、待っているのは至福の時間。
従業員一同、心よりお待ちしております。
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レシピ.1 魔法の《定食屋》
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何かがあると、いつも《ここ》に来る。
辛い事、苦しい事、嫌な事、悲しい事。あと、嬉しい事。
何があっても、《ここ》に来る。
あいにく、今日は辛くて苦しい事の方だけど。
都内の某私鉄駅から徒歩三分。
駅から近いとはいえ、裏路地からさらに細道に入らないと辿りつけない《ここ》は、まるで世界から隔離されてしまったかのように静かだった。
時計を確認する。
午後五時七分。
――うん、大丈夫。
確か、夜の営業時間は五時からだったはずだ。
私の目の前に映るのは、一枚の扉。
《キッチン・アクア》と可愛らしいフォントで飾り付けられたガラスの押しドア。
ぴかぴかに磨かれたガラスは、寂れた裏路地に寂しそうに突っ建っているオンボロビルにはとても不釣り合いに見えた。
奥はどうなっているのだろう。
――先客がいたら、ヤだな。
私の頭の中はぐちゃぐちゃ。まるで調律の狂った楽器が不協和音のコーラスを奏でているようだ。
今は、顔を人には見られたくなかった。
おそる、おそるガラス越しに店内を覗き見る。
「あれ?」
扉の奥は薄手の白いカーテンがかかっていて覗けなかった。
――もしかして、休業?
僅かな、不安。
けれどそれは杞憂だった。
ガラス戸には、私を――緋山秋穂を歓迎するように《OPEN》の札が掛かっていたのだ。
どうやら、カーテンはただの開け忘れらしい。
――相変わらず、ヘンな店。
私が初めて《ここ》に来たのは二年前。中学生三年生の時。今日と同じような蒸し暑い夏の夕暮れ時だった。
あの時も、やっぱり《ここ》はヘンな店だった。
そして、私は《今と同じように》心が鉛になったかのような重い気持ちでここに立っていた。
もう一度言う。キッチン・アクアはヘンな店だ。
とても、とっても、とーーっっっても、おかしな店だ。
私はここ以上に変な飲食店は見た事が無い。
まず、立地が変だ。
周囲には飲食店どころか、お店と名のつく物は何一つ無い。
あるのは他のビルの裏口ばかり。
ワケの分からない所にぽつん、と存在している《キッチン・アクア》は、奇妙な存在だった。
私がオーナーなら、お金を積まれてでもこんな所に店を構えようなどとは思わないだろう。
ちなみに、本当にお金を積まれたら持ち逃げする予定だ。そんな機会は一生なさそうだけど。
そして、立地より変なのは店内。
コレは絶対にヘン。って言うかおかしい。狂ってる。神経を疑う。頭がイカれている。
前置きが長くなったが、何がおかしいかこれから私の目で見て、一つずつ説明しよう。
「えと、こんばん……」
私は、指紋一つないドアの取っ手に手をかけ、静かに開き、
「……っ!」
思わず、絶句すした。
広がるのは、想像をはるかに上回った衝撃的な光景。
きっと、見間違いだ。気のせいだ。幻覚なんだ。
無理矢理に思いこもうと、瞼を閉じる。
目を開けばいつもと同じ景色が広がっているに決まっている。
――大丈夫。大丈夫だから。気のせいだから。
何度か、深呼吸。
たっぷりと数秒の間を置き、意を決して瞼を持ちあげる。
同時に、私は目の前で起きている事が現実である事を理解させられた。
惨状は、何一つ変わっていなかったのだ。
店内で起きている異常、それは。
殺人事件だった。
予想していた以上に狂っていた。
想像していた以上にぶっ飛んでいた。それはもう、光速を超えて銀河の果てまではじけ飛びそうなほどに。
私の視界にあるのは、いつもの見慣れた店内。
カウンター席だけの狭い客席。収容人数は僅か十二人。
薄汚い外観にそぐわず、店内は病的なまでに掃除が行き届いている。
そして、カウンターの奥にあるのは同じくらい手狭そうなキッチン。
もちろん、厨房も寒気がするほどに手入れがされている。
そのぴかぴかのキッチンで、今まさに事件は起きていた。
もはや、私の頭の中から「この店のどこがヘンなのか事細かに説明しよう」などと言う気持ちは次元の彼方に吹き飛んでいた。
ただ、立ちつくして見ていることしか出来ない。
「ギブ! ギブアップ!! 死ぬ、マジで死ぬからっ!」
カウンターの奥で被害者の男性が苦悶の叫びを上げている。
彼は、首を絞められていた。
と、言うより吊り上げられていた。
吊り上げているのはロープなんてありきたりな物では無い。
腕だ。
それも、両腕では無く片腕。
被害者の男性は、加害者の右手で首を握り潰されて吊り上げられていたのだ。
「ストップ! ストップ! お客、お客さグェッ」
突然、被害者の体が解放された。
そのまま崩れ落ちた男は、カウンターの陰に隠れて見えなくなってしまう。
ただ、私の耳には洒落にならなさそうな、咳き込む声だけが届いていた。
《加害者》が振り返った。
ゆっくりと、優雅に、そしてどこか可愛らしさを感じられる素振りで。
目が、合った。
大きな瞳、長い睫毛。白い肌。黒く、長い、さらさらの髪。
まるで絵本の中の《お姫様》みたいな女の人。
ただ、この《加害者》がお姫様ではない事を私は知っている。
「あらっ……」
女性が、声を上げる。
《ドレスでは無く、メイド服を着た女性が》。
テレビで見るようなコスプレメイド服を着ている彼女がお姫様な訳が無いのだ。
そして、もう一つ。彼女が間違いなくお姫様でないと言える事実がある。
「いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞっ」
何事もなかったかのように私に声をかける彼女は――
お姫様などではなく、このキッチンアクアの従業員なのだった。
つづく。