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中編 「“その日”」

 二年前、中学三年生の夏――。

 記録的猛暑日だったその日、僕の受験前の疲れを癒すため、家族でレストランに行く予定だった。

 再婚した僕らの家族は、そういう家族行事を大切にしていたから、その日もまあまあ楽しみで、学校から帰った姉たちと三人で、制服から私服に着替え、指定されたレストランへと向かっていった。

 両親は共働きだったから、仕事帰りに合流して直接店へ向かう手筈になっている。

「私、ちゃんとしたイタリアン食べるの初めて」

 レストランに向かう途中、美幸がそう言ったので、僕は自慢げに笑った。

「僕は何度も行ってる」

 というのも、今日行く店は父の友人が経営している店で、子供の頃からよく行っているのだ。

「なによ。お父さんのお友達のお店だからでしょ」

「まあまあ。二人とも。喧嘩しないの」

 軽くあしらう長女の麻里に、僕と美幸は互いに舌を見せ合い変顔で対抗した。

 僕らは、そんな仲の良い姉弟だった。そう、その日までは――。

「あれ、お母さんたちじゃない?」

 麻里の言葉に、僕は顔を上げる。すると、スクランブル交差点の向こう側に、両親の姿がある。

「本当だ。おーい!」

 僕らが手を振ると、両親も気付いて手を振る。

 その時――突然、猛スピードのスポーツカーが横切ったかと思うと、歩道へと乗り上げ勢いよく止まった。

 誰もが目の前で起こっている事実を理解出来なかった。

「キャー!」

 どこからともなく上がった悲鳴に、僕は我に返り、一目散に駆け出した麻里と美幸に後れを取って、信号を渡った。

 そこらじゅう、血とオイルの匂いが混ざった匂いで充満し、数えきれないくらいの人が倒れている。だが、両親の姿が見つからない。

「お父さん! お母さん!」

 僕はどうしたのだろうか。気が付けばそこは病院の一室で、近くには美幸が座っている。

「美幸……」

「千秋。気が付いた?」

「父さんたちは……?」

 僕の言葉に、美幸が泣き出した。

 歩道の先頭にいた両親は、突っ込んできたスポーツカーを真正面に受け、数十メートル引きずられた場所で見つかった。即死だった。

 それを聞いた時から、僕の思考や感情というものは何処かへ飛んでしまって、たまに血や救急車の音などを聞いて発作を起こしては、消えないトラウマと闘っている……とまあ、はたから見れば可哀想だと聞こえはいいが、同じ境遇である姉たちは強く生きようとしているのだから、みんなが言うように、僕だけが異常で、弱い人間ということなのだろう。

「一人になりたい」

 カウンセリングで、僕は頑なにそう言った。言えば言うほど、一人にさせてはいけないと、大人たちは偽善の顔で僕に近づいてくる。

 僕は超能力でもあるかのように、そんな大人たちの心情を察知して、頑なにそれを拒んだ。

 やがて、両親を亡くした僕たちは、母方の祖父母の家に引き取られることになった。それは僕にとっては他人の家。僕はもはや姉妹とも口を利かず、ましてまったくの他人の家で過ごすなど耐えられない。

 そんな事情を麻里が察してくれて、僕だけが元いたマンションで暮らせることになった。最初の頃は、麻里と美幸が代わる代わる様子を見に来てくれたが、毎日が一週間に一度になり、一か月に一度になり……今では不定期で現れる。それは、僕がそう望んできたことにある。


「ねえ、千秋。もう一度、病院へ行こう。私だって、まだカウンセリング受けてるんだよ? 一緒に行こうよ」

 現実の世界に、美幸の声が引き戻した。でも、僕は返事をしない。

「千秋! そんなんじゃ、本当に一人になっちゃうよ?」

 その言葉に、僕はカッとなってドアを開けた。

「一人になりたいって言ってるのがわからないのかよ!」

 思えば僕が感情をぶつけられる相手は、もう世界中で美幸しかいないのかもしれない。そういう意味で、美幸はまだ僕の家族なのかもしれないと、一瞬だけそう思った。

 目の前には、悲しそうな顔で美幸が僕を見つめている。

 またも罪悪感にかられ、僕は怒りを一気に抑え、目を逸らそうとした。

 その時、美幸が僕の顔を両手で押さえ、僕の目をじっと見つめた。

「人間一人じゃ生きられないって、私知ってるの。私にはお姉ちゃんがいるけど、千秋は……このまま千秋を一人にしておけない。嫌だと言われても、私、千秋を見捨てたりしない」

 真剣な美幸の気持ちが伝わってきた。

 でも僕は、それを捻くれて受け取る。

「血の繋がりもない形だけの姉弟に、偽善者面も大変だな……」

 聞こえるか聞こえないかくらいの僕の心ない言葉に、美幸の張り手が飛んだ。そんなことは、小学生の時くらいだ。

「血の繋がりがなくたって、数年間一緒に暮らしてきた姉弟じゃない。大事な家族だってことは、これからだって変わらないよ。落ち込んでたなら慰めてあげたいし、私に出来ることならなんでもしてあげたいって思う」

「なんでも?」

 急に態度を変えた僕に、美幸は一瞬、驚いたように躊躇する。

「……出来ることなら」

 やがて言った美幸に勝ち誇ったように、僕は口元を緩ませた。

 卑猥なことが浮かぶ。姉弟だなんて本当に思ったことがないのは、美幸だって同じだろう。

 そう思ったところで、僕の気持ちは突然萎えた。

「馬鹿馬鹿しい……」

 そう言って、僕は背を向け、ドアを閉めようとすると、美幸がそれを拒んだ。

「そうやっていつも逃げようとする。自分の殻に閉じこもっていたって、お父さんたちが帰るとでも思ってるの? 現実から逃げないで」

「姉貴面すんなよ!」

 怒りに満ちて、僕は美幸の腕を掴んだ。何の運動もしてないからといって、僕のほうが男で力もある。

「離してよ」

「おまえが悪いんだろ。本当に何でもしてくれるのか? じゃあ、付き合えって……キスしろって言ったら……セックスさせろって言ったら、やらせてくれんの?」

「千秋……」

「こんなこと、言ってどうなるっていうんだよ。おまえのこと、姉貴だなんて思ったこと一度もねえよ。こんなこと言って壊すくらいなら、僕は一生誰とも関わらなくていい」

 本音だった。言ってどうなる。わずかな繋がりが壊れるだけじゃないか。それでも、僕は言ってしまった。もう取り返しがつかない。今まで殻に閉じこもっていたことが、全部水の泡になるような、そんな気がした。

「……いいよ」

 やがて、美幸がそう言った。

「千秋が……それで立ち直れるんなら、私……」

 震える美幸に、僕は絶望した。カッとなるような、冷めていくような、言い表しがたい感情だった。

「馬鹿にすんじゃねえ!」

 僕はそのまま美幸を玄関口へと連れて行き、外へと追い出した。

「もう来んな! 二度とその顔見せるな! じゃないと今度は……本当に何するかわからないからな!」

 僕の怒声が、ドアを隔てても聞こえたはずだ。

 あの忌々しい世界が終わった夏の日から、僕の周りに何かが張り付き、閉塞感が拭えない。その正体が、壊れた家族なのか、どす黒く渦巻く恋心なのか、思春期だからなのか、それは今もわからない。


 美幸を追い返してからものの数分で、僕はまたいつもの冷静さを取り戻した。というより、自分の存在を忘れるかのように、世間から離脱した思考に戻る。透明人間でも、ロボットでも、なんでもいい。現実の世界すべてが嫌なのだ。

 次の日も、僕はいつも通りの生活を送る。高校へは行きたくなかったが、一人暮らしの条件が高校へ行くことと提示されれば、高校生活などどうってことはなかった。

 僕の生活費は、父の遺産と、美幸たちの祖父母からの援助にある。そう考えると、美幸の言う「人間一人じゃ生きられない」というのは正解なんだろうが、僕からお願いしたことではないと、突っぱねておこう。それが甘い考えだっていうのも、僕にはわかっているが……。


 次の日も、僕は誰ともしゃべらず、たまに当てられる授業で声を発する程度でしか、自分の存在証明は出来ていない。出来ればそれすら拒みたいところだが、僕の中にも「いい子」という部分がまだあるようだ。

「三島!」

 放課後、ホームルームが終わるなり、そんな声が聞こえ、僕は目を見開いた。三島という人間は、この学校には僕しかいない。

 僕は静かに振り向くと、そこには隣のクラスの男子生徒がいる。

「おまえ、三島だろ。校門のところで、広瀬って女の子が呼んでるぞ」

 その言葉に、僕はたぶん今まで誰にも見せたことがないくらい、驚いた表情を見せた。

 広瀬……思い当たるのは二人。広瀬麻里、広瀬美幸。両親が結婚しても名字が変わらなかったのは、今まで持っていた名字を変えさせたくないという、両親の思いやりだった。

 僕は呼びに来てくれた生徒に礼も言わず、そのまま校門へと向かっていく。

 「広瀬って女の子」……それだけで、美幸という想像がついた。なぜなら麻里はもう大人だから、そうは呼ばないだろう。しかし、昨日の今日であんな目にあわせた美幸が来るということも信じられない。

 だが、校門のところにいたのは、紛れもなく美幸だった。

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