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<隻眼>ゲアノート

<凱旋歴九七七年八月昼 古道、エッフェン伯爵領、神聖帝国>


 草の匂いが濃い。


 隊商は、街道を外れた古道を急いでいた。

 馬車は一輌もない。道が細く、荷物を馬に括り付けて進むより他にないのだ。

 長い間放置された道は両脇の草が伸び放題になり、樹々は繁って昼間でも薄暗い。


 駆け出し冒険者の、<青銅>のヴィクトルがこの隊商の護衛について八日が過ぎていた。

 三日で終わるはずの仕事が、長雨の所為(せい)でここまで押している。

 大市を目指して出発した隊商は遅れを取り返す為にこの裏道を選んだのだ。


「酷い道だな」と雇い主が零す。

 腹の出た商人で、自分だけ馬に揺られているというのに不平ばかり漏らしている。

 彼以外の用人と冒険者は、皆徒歩だ。長雨でぬかるんだ道は足を取られ、疲労が溜まる。


「……だから、ヨーゼフさんも反対してたじゃねぇか」

 呟くヴィクトルの方に商人は咎めるような視線を向けた。

「<神速>なんて御大層な二つ名を名乗っている斥候(スカウト)がいると聞いて雇ったが、とんだ期待外れだな。儂が何をしようとしても反対するだけではないか」


 ヴィクトルは顔を(しか)めた。

 この商人は、何も分かっていやしない。


 ○


 “冒険者は、北を目指す”という言葉が死語になって久しい。

 神聖帝国や蛮域、その向こうに広がる魔軍の領域。叙事詩に語られる英雄譚の多くは、寒風吹きすさぶ北の大地で紡がれた。

 だが、今は違う。

 ならず者とほとんど同じ意味にまで落ちぶれた冒険者たちは北など目指さない。

 春から秋は農村で賃雇いの仕事をし、冬になると街に(たむろ)する。

 そこには“冒険”などない。

 あるのは、腐りかけたパンと気の抜けた麦酒(エール)と、たまに淫売女。

 かつての<冒険者>が得ようとした名誉と財宝と未知と美酒と美女と比べると、随分と見劣りする。


 それでも、ヴィクトルは北を目指した。


 東王国出身のヴィクトルにとって、神聖帝国は子どもの頃に聞かされた物語の舞台だ。

 冒険者になったばかりのヴィクトルは、故郷を離れてここで日雇いクエストをこなしながら腕を磨いている。

 いずれは金と名誉を携えて、故郷に帰りたい。

 そうすれば、父親を“生き返らせる”ことが出来るかもしれなかった。


 ○


「この先に盗賊騎士の根城がある、という噂は本当だ」


 先行して偵察していた<神速>ヨーゼフは、開口一番そう言った。

 名のある斥候(スカウト)で経験も豊富なヨーゼフの言葉に、隊商よりも護衛の顔が暗くなる。

 最初二十人いた護衛も、金払いの悪い商人を見限って徐々に減り、今では半分の十人になっていた。


「相手の数は?」

「三十人。ごろつきだが、当然武装している」

「迂回は、出来ないのだろうか?」

「裏街道の周りは完全に森に囲まれている。迂回するなら、引き返して本道に戻るしかないな」


 初心者に過ぎないヴィクトルから見て、ヨーゼフと他の冒険者との違いはよく分からない。

 ただ、いつも自分より半歩先を見ている気がする。

 この八日間、ヨーゼフと行動して分かったことは、その半歩が埋めがたい半歩だということだ。


「本道に、戻るわけにはいきませんか?」


 ヨーゼフの提案を、雇い主である商人は笑い飛ばした。


「馬鹿を言うな。この道を後二日行けば大市だ。今更引き返すなどと」

「しかし、命あっての物種とも言いますよ」

「その命が賭かっとるんだよ、こっちは」


 エッフェン伯爵領で大市が開かれるのは、今回が初めてだ。

 神聖帝国の事実上の最高権力者である帝国総督が、大市開市の代勅を出すのは珍しい。

 何らかの政治的駆け引きがあったのかもしれない。

 定期市と違って、大市では参加費に当たる税さえ払えばどんな商人も参加出来るので、普段帝国領内で商いをしていない商人にとっても、儲けが出る機会がある。

 南方でしか取れない産品を馬に満載して北上してきた隊商の主にとって、ここで大市の開催に遅れることは破算とは言わぬまでも、莫大な損失になってしまう。


「そもそも、お前を雇ったのは説教を聞く為じゃないぞ、<神速>の。

 高い金を払ったのは、金儲けを確実にするためだ。その為の投資だ。

 “冒険者風情”は儂の言うことを聞いていればいいんだ!」


 怒声を上げる雇い主を(なだ)めるヨーゼフの口元が冷たく歪んでいるのを、ヴィクトルは見逃さなかった。


 ○


 裏街道の脇に少し開けた場所があったので、その晩はそこで休むことに決まった。

 夜営の支度も早々に<神速>ヨーゼフは元狩人の冒険者を伴って、夕闇の森へ消えて行った。

「兎でも獲って、スープの実にでもするつもりでしょう」と年嵩の冒険者が歯のない口で笑う。

 行程が伸びたので、糧食は常に不足していた。

 商人はたっぷりと食べ物を持っていたが、「これは商品だ。欲しいなら金を払え」と出し惜しんでいる。


(それも仕方ないか)


 ヴィクトルはよそって貰った薄いスープを啜りながら溜め息を吐く。

 世間の風は、冒険者に冷たい。

 地縁もなく彷徨う彼らに対し、為政者は「税を納めぬ者」として見ていたし、都市や村々の人間は「厄介事を持ちこむ者」と畏れている。

 便利使いされるだけで、何処にも心の置き処がない。それが日雇い冒険者の生き方だ。


 それでもヴィクトルは冒険者にならなければならなかった。

 父親を、救う為に。


 ○


 ヴィクトルの父親は、死んでいる。

 但し、それは“法的に”という意味でだ。

 元々とある男爵の家士をしていたヴィクトルの父は才覚に溢れた人物だった。

 義に篤く、謹厳実直。

 彼を慕う人間は多く、食客も囲っていた。


 その食客の一人が、無法を働いた。

 ヴィクトルの父の主筋に当たる男爵家の親戚の娘を、手籠めにしたのだという。

 事実は分からない。

 娘は生き恥を晒すことを良しとせずに、見つかる前に命を絶っていた。

 そして、食客が一人、姿を消した。それだけのことに過ぎない。


 だが、男爵の怒りは収まらない。

 父は裁判にかけられ、死罪を仰せつかった。裁きを下したのは、男爵自身だった。


 ヴィクトルは、当時のことをよく覚えている。

 裁判の翌日に大雨が降った。激しい雨に(つつみ)が破れ、家も畑も押し流された。

 避難を指揮していた男爵自身も、濁流に呑まれた。


「神の怒りだ」


 村人は口々にそう言った。裁判を私的に利用したことに、領民は憤りを覚えていた。

 男爵の遠縁に当たる老人が新しい男爵として招かれた。

 この老人は、死刑宣告書に既に署名がされていることを重く見た。


「一度、死ぬしかない。公的な文書とは、そうしたものだ。但し……」


 元々僧侶だったという老人がヴィクトルの家族に提示したのは、一つの条件だった。


「教会の鐘撞堂が古くなっている。誰かの喜捨であれが建て直されることがあれば、儂は特赦を行うことに躊躇いはなくなるだろう」


 鐘撞堂を、建て直す。

 それは普通に農民をしていて稼げる金額ではない。

 地べたに這い蹲ってでも、ヴィクトルは金を稼がねばならなかった。


 だから、冒険者になった。


 ○


 首筋の辺りがチリチリとする。

 まだ寝入ったばかりなのに、ヴィクトルは目を醒ました。空には星が瞬いている。

 不寝番の交代までにはまだ時間があるはずだ。

 枕元に置いてあった戦槌をそっと引き寄せ、立ち上がる。


 帰って来なかった<神速>と狩人を除き、護衛は八人。

 不寝番も含めて全員が既に戦いの支度を終えていた。

 ヴィクトルは、未だ眠りの国にいる雇い主を乱暴に揺する。


「ん、どうした? まだ暗いぞ?」

「敵襲です。物陰に隠れてください」


 言い終わらない内に、最初の矢が飛んできた。

 (かわ)しながら周囲の森に目を凝らす。駄目だ、見えない。

 焚き火を背後にしているので、森の影が濃いのだ。

 慌てて火を消そうとするが、降り注ぐ矢にそれも叶わない。


「ギャッ」と声を上げて、年嵩の冒険者が倒れ伏した。

 森の中から姿を現したのは、十五人ほどの盗賊だ。

 得物は山刀や片手剣など統一が取れていないが、連携はしっかりしている。


 敵は、隊商がこれまでやって来た道の方から現れた。

 逃げる為には、先に進むしかない。


(これは…… 詰んだか?)


 先に進めば、敵の根城がある。かといってこの人数で商人を守りながら元来た道へ突破できるとも思えない。

 ヴィクトルは死を覚悟し、戦槌を構え直した。



「グッ、フッ」

 また、くぐもった悲鳴が聞こえる。

 今度は誰がやられたのか。商人を守りながら、周囲の様子を窺う。

 しかし、(たお)れたのは商人でも用人でも、冒険者でもなかった。

 盗賊の一人が、山刀を構えたまま、倒れ伏している。

 その背中には、矢が深々と突き刺さっていた。


(同士討ち、か?)


 乱戦であれば、そういうこともままあると聞く。

 打ち掛かって来た盗賊の脳天に戦槌を叩き込みながら、ヴィクトルは辺りに気を配る。


 また、矢だ。

 矢が狙い(あやま)たず、盗賊の背に刺さる。

 暗闇の森に目を細めると、何かが素早く森の中を動いている。

 そういえば、森の中から射掛けられていた矢の雨はいつの間にか止んでいた。


 盗賊たちに動揺が走っているのが見て取れる。


(行ける、これは!)


 ヴィクトルは腹に力を込め、大音声(だいおんじょう)で叫んだ。

「貴様ら、もう終わりだ! 天運は我らに味方した! 降伏すれば命ばかりは助けてやる!!」

 言いながら、こんな莫迦な話はないと自嘲する。

 まだ相手の方が多いのだ。こんな状況で降伏を勧めるなど、正気の沙汰ではない。


 だが、効果は覿面(てきめん)だった。

 浮足立った盗賊は、明らかに連携を欠くようになっている。

 圧倒的に有利だったはずが、いつの間にか追い詰められていることに怖れをなしたのか。


 盗賊の一人が乱戦を抜け出し、根城の方へ逃げようとする。

 が、それは叶わなかった。

 ヴィクトルは、その背中が立ち止り、崩れ落ちるのを視界の端に捉えていた。

 盗賊は斬られたのだ。

 根城に続く道から現れたのは、戦斧を構えた大男だった。

 片目に眼帯を付けている。

 大男は、吼えた。


「我が名は騎士ゲアノート。<隻眼>のゲアノート・フォン・アードラースヘルムだ。名前くらいは聞いたことがあるだろう」


 髪も髭も伸ばし放題の大男がフォンという柄でもないだろうに、と思いながら、ヴィクトルは戦慄していた。

 身体つきには自信のあったヴィクトルだが、それよりも大きい。

 その膂力で繰り出される一撃を受け止めることが出来るだろうか。

 唾を飲み、戦槌を握り直す。


 その時ゲアノートの(かたわ)らに小さな影が(うごめ)いているのにヴィクトルは気付いた。

 あれは何だろう。


 ○


 影は、素早かった。

 気付かれないように一瞬でゲアノートに近寄ると、左脇の下にナイフを抉り込む。


「んなッ!」


 よろめきながらもゲアノートが振るう戦斧を、影はひらりひらりと躱していく。

 その動きは、まさに<神速>。

 避けながらも再びゲアノートに近付き、ナイフを抜き去る。

 大男の脇から血が溢れ、辺りに飛び散る。


 巨獣のような<隻眼>ゲアノートが動きを止めるまでに、さほど時間はかからなかった。


 ○


「ヨーゼフさん!」


 残党を追い散らした後、ヴィクトルはヨーゼフに駆け寄った。

 ゲアノートの返り血を浴びたヨーゼフは凄惨な笑みを浮かべている。

 戦いの間中ヴィクトルの後ろで震えていた商人も、いつの間にか這い出してきていた。


「逃げたんじゃなかったんですね」

「逃げても良かったんだが、勝てそうだったからな」


 狩人を連れたヨーゼフは森の中で罠を張り、移動しながら矢で盗賊を倒していたのだ。

 本当は事前に言い含めていた年嵩の冒険者がこちらの指揮を執って連携するはずだったが、最初にやられたのは想定外のことだった。


「流石は<神速>だ! 儂の眼鏡に適っただけのことはある! どうだ、儂の専属にならんか!」


 煤と泥で汚れた顔を拭いもせずに商人は、商人はヨーゼフの手を握ろうとする。


「折角のお話ですが、お断りします」

「どうしてだ、金ならたっぷりだすぞ!」

「それが、勿体ないと言っているんです」ヨーゼフは、嘲りを隠さない表情で言った。

「“冒険者風情”に大金を払う必要なんて、無いんでしょう?」


 ○


 隊商は大市の開催日には間に合ったが、あまり意味はなかった。

 逃げ散った盗賊たちは抜け目なく貴重品を持ち去っていた上に、商品を満載した馬を乗り逃げしていたのだ。

 残った商品は、ほとんどない。

 結構な額の資産を失って呆然とする商人から、ヨーゼフたち冒険者はしっかりと給料を分捕り、大市を後にした。


「ヨーゼフさんは、この後どうするんですか」

「そうだな。もっと、北を目指そうと思う」

「“冒険者は、北を目指す”ですか」

 ヨーゼフは鼻を掻き、「実は、<勇者>ってのに憧れているんだ」と応えた。


 それきり二人は何も話さずに別れた。

 まさか、三十五年も経って再会するとは思わずに。


 ○


 ヨーゼフの杯に酒を注ぎながら、ヴィクトルはあの時のことを思い返していた。


(“冒険者風情”、か)


 今でもあの商人の口調を思い出すことが出来る。

 ヴィクトルは多くの舎弟を従え、<首府>で知らぬ者はない人間に成り上がった。

 だが、実際はどうだ。

 あの頃から、何も変わっていないのではないか。


 この家一つとっても、そうだ。

 ヴィクトルの住んでいるこの家は、名義が別の人間になっている。

 冒険者は、家を購うことが出来ないのだ。


 目の前にいるこの英雄ですら、“冒険者風情”なのだろうか。

 だとすれば。


 自分の杯に酒を注ぎ、一気に呷る。

 宴の夜は、まだまだ続いて行く。

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