酒宴
<凱旋歴一〇一二年一五月十一日夜 ヴィクトルの家、首府、東王国>
「しかしそうか、あの時の小僧が、今では<鬼討ち>か」
ヨーゼフを上座に据えての酒宴は、大いに盛り上がった。
参加することが許されたのは、舎弟衆の中でもヴィクトルが認めたものだけだ。
<鋳掛け>を名乗る老冒険者が<六英雄>の一人、<神速>ヨーゼフであると漏らさないと信用出来る人間は、さほど多くはなかった。
ヴィクトルの舎弟とは言え、元はただのごろつきも多い。冒険者の仕来たりを教え込むのも親分の仕事ではあったが、末端まで行き届かせるのは不可能だ。
それでも、伝説の英雄を迎えての宴が盛り上がらないはずがない。
「左様にございます。盗賊騎士ゲアノートから助けて頂いた後、研鑽を積んでこそ今の自分があるのです」
板敷きの間だけでは狭いというので、土間にまで茣蓙を並べての酒宴だ。
肉だけでも牛、豚、羊、鶏と並び、<首府>の物不足を思わせない有様。
持ち寄った肴だけでは追い付かず、小者が忙しなく調達に出ている。
集まっている面々も、凄い。
ヴィクトル親分の舎弟衆では飯場を任されている<大樹折り>や<牛斬り>、頭角を現し始めた<赤銅>が居並び、普段は敵対しているはずの<嘆き>のイシドール親分やその舎弟頭の<鐘担ぎ>までいる。
そんな中で、ヴィクトルはヨーゼフを常に立て、下にも置かない扱いだ。
美女を侍らせ、給仕をし、自ら酌まで務める。
相手が相手である。
ヨーゼフは噂が広がらないことを望んでいるが、人の口に戸は立てられない。
招いた相手を通じて、ヴィクトル親分が<神速>と関わりのあることはいずれ<首府>の冒険者に広まる。そうなれば、しめたものだ。
逆らう者は減り、無用な諍いもなく飯場を支配下に収めることが出来る。
ダヴィドは端女の少女に酌をさせながらこの数奇な巡り合わせを想い、感慨に耽っていた。
○
「<六英雄>の一人、伝説の斥候、<神速>のヨーゼフ様の顔を、私が忘れるはずがございません」
跪き、ヨーゼフを見上げるヴィクトルの顔には憧憬が浮かんでいる。
ダヴィドは師父のこんな顔を見るのは初めてのことだった。
「……さて、<鬼討ち>にここまで頭を下げられては白を切ることも出来んか」
ヨーゼフ老人は居住まいを正し、
「左様。<神速>ヨーゼフとは儂のことだ。故あって長くその名乗りは上げておらんが」と応えた。
<神速>のヨーゼフ。
呪文持ち帰りし者たちの冒険行を達成した<六英雄>の一人。
その眼力に見通せぬものはなく、その身軽な体捌きは正に神速。
曰く、魔軍の将軍を翻弄し、負けを認めさせた。
曰く、遺跡の罠を全て見抜き、何一つとして作動させることがなかった。
曰く、神聖帝国中に多くの舎弟を抱え、大盗賊の頭目ですらヨーゼフには道を譲る。
生きた伝説。
全ての斥候の憧れ。
噂には尾鰭が付くものだが、話半分に聞いたとしても尋常の冒険者ではない。
魔軍の領域の奥深くに潜って古代の叡智の結晶である呪文書を持ち帰った冒険行の一員と言うだけで、ヴィクトルがひれ伏すに足る威徳がある。
ましてや、ヴィクトルにとってはヨーゼフは命の恩人でもあった。
「御無沙汰をしております。と言っても、ヨーゼフ様の方では私のことは覚えてはおられないでしょうが」
「ふむ、そこが腑に落ちん。<鬼討ち>ほどの豪傑を覚えておらぬというのでは斥候失格。儂もついに耄碌したか」
「いえ、そうではありません。往時の私はまだまだ駆け出しのひよっこでしたから。三十五年ほど前に、エッフェンの古道で……」
そこまで聞いて、ヨーゼフは手を打った。
「ああ、そうか。あの時の小僧か! 確かに面影がある」
○
そのまま打ち解けた二人は、家に入ってダヴィドの酌で葡萄酒を飲り始めた。
<首府>の冒険者のこと、ヨーゼフの旅して回った各地の現状、佳い女のこと……
酒神の気まぐれで話題は縦横無尽に飛び交ったが、どうして<鋳掛け>などと名乗っているのかと、何をしようとしているかについてはヨーゼフは巧みに話を逸らしている。
ヴィクトルの指示で信の置ける者だけが集められ、なし崩しに宴会が始まった。
ヨーゼフの武勇伝をヴィクトルが聞き役になり、周りが喝采を送る。
こんなに心躍る宴は、そうそうありはしない。
「親分、そのゲアノートというのはそれほど強かったんですか?」と尋ねる舎弟に、ヴィクトルは苦々しげに笑う。
「強くは、ない。……あの時は、まぁ、雇い主が悪かったのだ」