<剛腕>ダヴィド
<凱旋歴一〇一二年一五月一〇日夜 貧民窟、首府、東王国>
目を覚ましてすぐに、ダヴィドは自分が縛られ、転がされていることを発見した。
冷たい土間に直に寝ている為、寒気に歯が鳴りそうになる。
あの“老いぼれ”に絞め落されてから、どれくらい時間が経っただろうか。
どうやらここは、あばら家の中らしい。建てつけの悪い壁の隙間から射す光は夕陽のそれではなく、青白い月の光だ。
見える範囲には、誰の姿もない。
(くそっ、あいつ等逃げやがったな)
元より取り巻きを当てにしていたわけではないが、自分を置いて逃げ去ったとなれば腹も立つ。
所詮はただのチンピラだ。数合わせに<鬼討ち>ヴィクトル親分から借り受けた小者だったが、こんなことなら連れてこない方が良かった。
明日になれば、ヴィクトル親分の舎弟であるダヴィドが老人一人相手に数を恃んで襲いかかり、しかも返り討ちにあったという噂は冒険者の間に広まってしまうだろう。そうなれば、親分の舎弟衆の中での立場は無い。
それにしてもあの“老いぼれ”の強さは、何だ。
あれは、戦い慣れた者の動きだった。
俊敏な足運び、戦いを組み立てる機転、そしてあの身のこなし。
地元では負け知らず、<首府>に出ても喧嘩では連戦連勝だったダヴィドが、まるで子どものようにあしらわれた。ダヴィドも莫迦ではない。あの戦いは運だとか油断だとかそういったものに左右されたのではなく、単純に力量の差が結果に表れたのだ。
となると、あの<鋳掛け>のヨーゼフとは何者だろうか。
いずれ名の知れた冒険者だろうか。であれば、襲撃前に親分から何か注意があってもいい。<鬼討ち>ヴィクトルという親分は、世間で言われているように膂力だけで伸し上がった男ではなく、頭も切れる。その親分から何も言われていないということは、親分も何も知らなかったのだろう。
そんなことがあるだろうか。ダヴィドは考えを巡らせる。
<鋳掛け>のヨーゼフは、見たところ既に六〇の峠を越えている。つまり、ヴィクトル親分よりも一〇ほど歳が上だ。となれば、高名な冒険者であれば自ずと名前は耳に入ってくるだろう。
冒険者の世界というのは、広いようで狭い。
神聖帝国や南部諸国の冒険者であっても、一流の名前は音に聞こえるものだ。
偽名、だろうか。
考えてみれば、ヨーゼフなど如何にも有り触れた名前で疑わしい。
それとも……
○
「何だ、目を覚ましたのか」
あばら家に入って来たヨーゼフは、手に鍋を下げていた。旨そうな匂いが漂っている。
申し訳程度に設えられた脱税竈に鍋を掛け、手慣れた様子で火を点ける。しばらくすると、くつくつと食欲を刺激する音が立ち始めた。ヨーゼフはそこに田舎パンを潰して加え、ラグーにするようだ。
ダヴィドはしばらく黙って様子を見ていたが、不思議なことにこの“老いぼれ”は自分に危害を加えるつもりがないように思えた。
ヨーゼフはダヴィドに背を向けたまま、鍋を掻き混ぜたり味見をしている。
「……オレを、どうするつもりだ?」
「どう、とは?」
「見せしめにするつもりじゃないのか?」
このままいけば、<鬼討ち>親分は間違いなく追手をヨーゼフに差し向けるだろう。手下に報奨金を出すかもしれない。だが、<剛腕>ダヴィドを痛めつけて見せしめにすれば、多少の抑止力にはなるだろう。自惚れているわけではなく、ヴィクトルの舎弟の中でのダヴィドの地位とはそうしたものだった。
「馬鹿馬鹿しい」
鍋が煮えたのか、ヨーゼフは合財袋から取り出した香草を加えながら応える。
「じゃあ、オレをどうする? セレスタンの叔父貴のように、塔伯に突き出すのか」
「突き出して欲しいのか?」
まさか。
腹を刺されていたセレスタンは、大した治療もして貰えずにそのまま息を引き取ったと聞く。突き出される詰所にもよるだろうが、あまり明るい未来は待っていそうにない。
「じゃあ……」
「明日、<鬼討ち>ヴィクトルの所へ連れて行ってやる」
「え?」
この“老いぼれ”は、今何と言った?