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<鬼討ち>ヴィクトル

<凱旋歴一〇一二年一五月一〇日夕方  貧民窟、首府、東王国>


 元を辿れば東パリシィア王国の<首府>とは中洲の集落に過ぎない。

 交通の要衝に位置した為に次第にその大きさを増し、今では大陸東岸最大の都市となっている。

 王城や教会を含む街の中心部は古くからの中洲にあるが、時を経るごとに増えた人口は川の両岸にまで溢れだし、止まるところを知らない。今では内壁と外壁の二つの城壁が張り巡らされ、広大な敷地を取り込みながら尚も成長を続けている。


 内壁の内側には、貴族や僧侶、富豪。外壁の内側には、市民。そして<冒険者>や貧民は、外壁の更に外。

 城壁に守られていない貧民窟は、常に危険に曝されている。

 危機とはつまり、ならず者であり、夜盗であり、山賊であり、魔物であった。

 もし<首府>を天高く空より眺める視座があれば、壁際に苔のように弱々しく貧民窟がへばり付いているのが見て取れるだろう。


 ヨーゼフは、その貧民窟を(ねぐら)にしていた。


 ○


 空は低く、今にも降り出しそうな色をしている。


 林檎は酸っぱくて食えたものではなかった。

 買ったばかりの物を捨てるのも惜しいが、口にするのは御免(こうむ)る。

 ヨーゼフは合財袋(がっさいぶくろ)に歯形のついた林檎を放り込んだ。入れたままにしてある銀貨が、小気味の良い音を立てる。


 <邪魔屋>を捕らえてから、三日が経っていた。

 その間、ヨーゼフは更に二人のならず者を塔伯の元に突き出している。

 最初ほどの実入りはなかったものの、腰に下げる合財袋の重さは少しずつ頼もしいものになってきていた。


 そろそろ、商家にでも預けに行かねばならないか。そう思った矢先、ヨーゼフの背筋に嫌な感覚が走った。


 老いたりとは言え、身体は往時の動きをよく覚えている。

 真後ろから打たれた(つぶて)を最小限の動きで(かわ)しながら、腰のナイフを逆手に構えた。


「誰だ」


 怒りを含んだ声で問いを投げると、粗末なあばら家の陰から六人ほどの男たちが手に手に得物を持って姿を現す。身なりは粗末だが、動きを見れば<冒険者>のようだ。


「老いぼれ、金を置いてけ」


 (かしら)らしい大男の口から出たのは、要求だけ。どうやら追い剥ぎに慣れているらしい。手にした棍棒を弄びながら、ゆっくりと距離を詰めてくる。連携、と言えるほど巧みではないが後の五人もじりじりとヨーゼフを取り囲むように動く。


「……断る、と言ったら?」


 答えずに、大男は棍棒で手近な壁を叩きつけた。土壁に開けた穴が、ヨーゼフの運命だと言いたいらしい。普通の老人相手の脅しとしては、十分以上だ。


 崩れる壁を見て、ヨーゼフは観念したように両手を上げた。

 無造作にナイフを手放し、大男の方に蹴って寄越しさえする。

 その様子に、大男は口元を緩め、「金だ」と催促した。


 ぽつり、ぽつりと雨粒が落ちてくる。

 ヨーゼフは、腰の合財袋に手を掛けた。


 ○


 次の瞬間、大男が見たのは凄まじい速さで飛んでくる林檎だった。

 慌てて避ける。が、遅過ぎた。

 頬骨の痛みに耐えながら老人の方を見遣る。地を這うような足捌きでこちらに近寄りながら、既にナイフまで拾っていた。


「ちぃっ!!」


 棍棒で打ちのめそうと叩きつけるが、手応えはない。

 気付けば逆に首絞めにされ、首筋にナイフを突き付けられている状態だった。


 ○


「金目当てか、怨恨か。言え」


 ナイフを大男の日に焼けた首筋に当て、ヨーゼフは尋ねる。

 まさか頭を人質に取られるとは思っていなかったようで、仲間は慌てふためくばかりで動くことすらできない。


「言え」


 少しナイフを引く。

 肌が裂け、筋のような傷に血の玉が浮いた。


「……か、金目当てだ」


 ヨーゼフは、ナイフの柄に魔力を込める。

 施された刻紋が輝き、灼熱した刀身が傷口を焼く。

 さしもの大男も、くぐもった悲鳴を上げる。


「もう一度だけ、聞く。金目当てか、怨恨か」


 たっぷり三秒だけ耐え、大男は口を割った。


「……怨恨だ」


「怨恨なら、誰の差し金だ?」

「ヴィクトル、<鬼討ち>ヴィクトル親分だ」


 聞いたことがあった。

 若かりし頃にトロルを倒した腕利きの<冒険者>だったが、今では零落してならず者の親玉に収まっているらしい。


「そのヴィクトルとやらがどうしてこんな“老いぼれ”を狙う?」

「お前が塔伯に突き出したセレスタンの叔父貴(オジキ)は、ヴィクトル親分の弟分に当たる方だった」


 <首府>における<冒険者>の勢力争いは激しい。

 自分の弟分を余所者に捕らえられ、その報復もしないようでは親分としてのヴィクトルの名に傷が付くのだろう。


「下らん。単なる逆恨みではないか」

「違う。これはれっきとした仇討ちで……」


 最後まで言い終える前に、首に絡めた腕に力を込めて絞め落とす。

 ヨーゼフはナイフを順手に構え直し、周囲に殺気を放った。

 この大男以外は烏合の衆だったようで、殺気に当てられた小物たちは算を乱して逃げ出す。


 下らないことに時間を使ったが、もっと下らないのは置かれている現状だ。

 <鬼討ち>ヴィクトルとやらは、威信に賭けてヨーゼフを血祭りに上げようとするだろう。

 実に、下らない。


 下らないが、下らないなりに楽しいことになるかもしれない。

 全ては、ヨーゼフの立ち居振る舞い次第だ。



 降り始めた雨の中、ヨーゼフは絞め落とした大男を引きずって、貧民窟の奥へと歩を進めた。

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