新年
<凱旋歴一〇一三年一月一日午前 市街、首府、東王国>
まるで、葬列だな。
<勇者候補>アドルフは宿屋の窓から見下す行列をそう評した。
色とりどりの服装に身を包んでいるが、覇気がない。
東王国の各地から首府に参集した諸侯の代理人の行列である。王家であるパリシィア家は王統としてその血筋を認められているが、新しい年を迎えるこの日に首府に大諸侯の全てに参集を命じるだけの力は持っていない。
ならばこれは茶番である。
中小の諸侯は直接参内にも来るだろうが、大諸侯が寄越すのは肩書だけの小者に過ぎない。小者であっても大諸侯譜代の家臣であればまだ可愛い方で、この時期になると吟遊詩人を一月だけの約束で家臣に雇うやり口があるのをアドルフは知っていた。
つまり、東王国といってもその程度でしかない。
王がいて家臣としての諸侯があるのではなく、頭一つ抜けた諸侯としての王があるだけなのだ。
その王が、王としての務めを果たすのが新年の儀である。
この国が崇める様々な神の頂点に立つ主神、鯨神に王自らが祈りを捧げ、国家安康と君臣豊楽、そして今年の作物の豊作を願う大切な国家祭祀である。
勇者を目指すアドルフにとっても、他人事ではない。
勇者宗家と言っても所詮は田舎貴族の一家に過ぎず、しかもその実態は神聖帝国内の大寺院の僧兵の元締めといった程度なのだ。それがこうして勇者として祭り上げられているのは全くご先祖様に感謝するよりほかない。
とはいえ一皮剥けば僧職に関係のある身として、祭祀には可能な限り参加する必要があるし、滞留していればその引き受け手から誘いがあるのも普通のことだ。一貴族でありながら、勇者の権威は小国の王に勝る。神に親しいとされる勇者を新年の祭祀に招くことは、その儀式の箔付けに繋がるのだ。
ところが、その誘いがない。
慌てているにしても、誰かが気が付きそうなものである。
何と言っても、アドルフは現在候補として名の挙がっている唯一の勇者候補なのだ。北への冒険行を達成した暁には、勇者となる男である。
そのアドルフを誘い忘れるとは。
アドルフは、姿見で自らのいでたちを確認した。
悪くない。
流行りを取り入れた格好は少し南の趣味が入って明るい色に纏め過ぎているが、今の行列を見た限りではそれほど浮きはしないだろう。一般に開放される儀式に混じって参列し、途中で巧く話をつけて貴賓席に潜り込めばいい。
勇者稼業には金がかかる。こういう場で顔を売って貴族の出資者を募るのもまた、試練の一つなのだ。
ついでにパーティの一員となるべき吟遊詩人も見つけられれば言うことなしである。
アドルフは、何となく浮かれた気持ちで出発の支度を整えた。目指すは中洲の大聖堂である。
<凱旋歴一〇一三年一月一日午前 大聖堂、首府、東王国>
神話、と呼ばれる物語は幾つかが伝わっている。
荒唐無稽なもの、妙にしっかりと纏まったもの、明らかに作者の痕跡を窺わせるもの。
その中でも東王国を始めとする大陸東岸諸国で広く信じられているのは、鯨神の神話だ。
昔々、鯨の神様がいた。
とても巨大な神で、月よりも太陽よりも大きかったという。
鯨の神様は孤独で孤独で退屈だったので、余所から神様を招くことを思いついた。客人の神様を招く為に自分の身体を八十八に分けた鯨の神。その熱意にほだされて、遥か遠くから神々がやってきて、八十八に分かれた鯨神の身体の一つに住みついた。
八十八に分かたれた鯨神の一部こそこの世界であり、ここに生きる全ての人々や動物は、その時神々と一緒に招かれてやって来たものの末裔だという。鯨神の肉体は、今も太陽として人々を照らしている、というのが創世の神話だ。
僧侶たちはこの神話の意味を色々に解釈しているが、真意はよく分からない。
よく分からないままに信じられているのは、その神話の“証拠”が残っているからである。
中洲の大聖堂には、何代か前の国王が破格で買い求めた“聖遺物”が眠っているのだ。
「朕ここに民草の安寧と豊年を願い……」
聖堂に安置された“継ぎ目のない鉄板”に手を置き、神への祝詞を幼王が奉じる。
式典は、佳境だ。
王叔宮、王女摂政宮を筆頭に、王族、諸侯、貴族が居並ぶ聖堂の大伽藍に幼王の声が朗々と響きわたる。
アドルフは参列する一般市民の間から、儀式の推移を見守っていた。
例年なら、この祝詞が終われば王からの祝福が病人に与えられる。王の御手による奇跡だ。
これは、魔術の類ではない。
神の助けを人の技で導く四術とは異なり、王の手を介して直接顕現する神の奇跡とされている。実際に、これで病いの快癒した者も少なくないのだ。
この奇跡の際に、アドルフは王の元に参上する腹積もりにしている。
異変に気付いたのは、その直後だ。
どうしたことか王の奇跡はいつまで経ってもはじまらない。
祝詞が終わった途端、王は演台に立ち、参列した者全てに向けて語り始めた。こんなことは、今までにない。異例中の異例だ。
「勇者が大いなる旅を終えて聖都に帰還してより一千と十三年の経った今日の良き日に、皆と喜びを分かち合えることを、朕は無上の慶びとする」
一体、何が発表されるのだろう。
アドルフも隣の徒弟風の男と顔を見合わせるが、とんと見当が付かない。
「神の恩寵と善き臣民の助けを得、今や東王国は大陸東岸に比類なき力を持つようになった」
ここで貴賓席から微かに笑いが漏れる。不逞な奴もいたものだ。
アドルフは、未だ内容の掴みとれない演説に意識を集中する。
「社稷も二〇〇年を数えるに到り、これよりさらなる発展を得る為には、臣民ますますの協力が必要である。然るに、朕はこれまで王廷の定まらなかった非を改め、今ここにこの<首府>を恒久の<王都>とすることを宣するものである」
群集の間にざわめきが起きる。
おい、なんだって? 王様は何と仰った? ここが<王都>になる? それはどういうことだ?
さざ波のように広がる問い掛けは、最早貴賓席も飲み込んでいる。
アドルフは、喝采したくなった。
王廷も、なかなかやる。
新年のこの場でこの発表をするのに、事前の根回しを諸侯にしていない。ここから諸侯は大急ぎで祝いのあいさつの為に<王都>に参内しなければならなくなる。それだけでも諸侯に結構な出費を強いることが出来るので、嫌がらせとしては及第点だ。
だがそれよりも恐ろしいのは、諸侯が王都の情報をどれだけ素早く得ることが出来るかの目安になる、ということだった。これから、王は王廷を<王都>から動かさずに政治を行う。そうなった時、ここから書く諸侯までの“距離”の情報は驚くほど大切なものとなるだろう。
全ては<寝取られ男>の采配か。
北の神聖帝国が身動きの取れない時に、国家の形を変えてしまう。
恐ろしい策略だった。
ひょっとすると、冗談ではなくこの東王国が大陸東岸に覇を唱える時代が来るかもしれない。
それは、夢物語の類ではなく、想像できる未来の話だった。