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冒険者

 炉の火が爆ぜる。

 外よりは幾分かましだが、部屋の中は寒い。灰を掻き、ルイが新しい薪をくべた。

 皆、黙っている。

 ヨーゼフの言葉を咀嚼しているのだ。


 ダヴィドは、じっと炉を見つめている。

 “自由”

 舌の上で転がしてみると泡雪のように消えていく、儚い言葉。

 口にするのも気恥ずかしい、それでいて荘厳な薫りの漂う言葉。

 誰にも縛られない自分、というものをダヴィドはこれまで考えたことがなかった。

 生きる為に働き、生きる為に食べる。生きる為に奪い、生きる為に殺す。日々、目の前に迫って来るものを何とかすることに精いっぱいで、自分からどこかへ行こうとかそういうことは思い付きすらしなかったのだ。

 それが当たり前の生き方で、むしろ当たり前の生き方が出来ることに感謝すらしていた。ダヴィドの弟妹の何人かは、そんな生き方すら出来ずに故郷で土の下にいる。


 しかし。

 ダヴィドは、この“自由”というものを知っていた。

 当てはまる名前を知らないだけで、この想いはいつも胸の中に在ったはずだ。

 衛戍(えいじゅ)が自分たちに向ける視線に気付いた時。商人との交渉に理不尽を感じる時。“それ”を求める心は、いつも燃え上がっていた。名前を知らなかっただけなのだ。あるいは、それを自分が手に入れられると思わなかっただけか。


 顔が、熱い。

 火に照らされているからだけだろうか。

 いや、違う。

 何かが乗り移ったかのように、ダヴィドの中が作りかえられていく。それまでばらばらで意味を成さなかったものたちが、位置を得、意味を持ち始める。湧き上がる何かに、吼え出したくなる。


「ヨーゼフ殿、一つお聞きしたい」

「何だろうか」

「ヨーゼフ殿は、何者にも縛られない為にギルドを作る、と」

「確かにそう言ったな」

「では何故、<邪魔屋>のセレスタン叔父貴を突き出したのです?」


 <邪魔屋>セレスタンはダヴィドの親分に当たる<鬼討ち>ヴィクトルの舎弟だったが、ヨーゼフに捕えられ、塔伯に突き出されて、死んだ。冒険者が何者にも縛られないのなら、これはおかしなことのような気がする。

 <剛腕>ダヴィド自身は、個人として<邪魔屋>を好いていない。いなくなってしまえば良いとさえ、思っている。だからと言って、好き嫌いで冒険者を排除するのでは、道理が通らない。“秤を二つ持つ商人とは付き合ってはならない”のだ。


「<邪魔屋>セレスタンは、冒険者ではない」

「何故です。確かに悪い人だったが、冒険者だ」

「いや、違うな」

「どこが違うというのです。オレや、ドミニクや、ルイや、<鬼討ち>の親分と同じく、冒険者のはずだ」

「いや、違う。その意味では、お前たちも儂の言う冒険者ではない。まだ」

「まだ?」

 ヨーゼフは頷き、ルイを指差す。

「この中で、儂の思う冒険者に一番近いのがルイだな」

「どういうことでしょうか?」

 ドミニクも会話に割り込んでくる。


「つまり儂は、ギルドを作る以上、“誰が冒険者か”をはっきりさせようと思っているのだ」


 ○


 最初の冒険者の名は伝わっていない。

 多分、古帝国時代のどこかの村の冒険好きな猟師か何かが名乗ったのだろう。野に魔物が溢れていた時代のことである。冒険を生業とするものは、すぐに増えた。

 魔物を倒して報酬として金品を得る。あるいはその実力で遺跡や魔物の砦を攻略し、財貨を持ち帰る。

 正しく、冒険者の在り方だった。


 それが崩れたのは、勇者のせいかもしれない。

 北の原野を征き、苦難の末に魔王を討った<冒険行(クエスト)>の後、明らかに魔物の勢力は衰えたのだ。結局は内乱で力を失った古帝国の方が衰えた魔物にすら抗することが出来なくなったのは皮肉ではあったが。

 生存圏を南に大きく狭められた人間が古帝国に代わる国を作り、蟠踞(ばんきょ)する魔物を追い出したのはほんの数百年前の事に過ぎない。山野に蔓延る魔物の残党や野獣を退治するくらいしか仕事のなくなった“自称”冒険者たちは、今ではほとんどならず者と同じ扱いをされている。


 ○


「免許、ですか? 冒険者の」

「そうだ、しかるべき人間に認められた者だけが、冒険者と名乗ることが出来るようにする」

「鍛冶ギルドや手工業のギルドに範を取る、ということですか」ドミニクが頷く。

 <首府>にある鍛冶ギルドや手工業ギルドでは“親方”と呼ばれるギルドの構成員が、“職人”や“徒弟”を指導する。“親方”に技量卓抜であると認められた者だけが、例えば“鍛冶職人”としての名乗りを許され、仕事を得ることが出来る。


 これは職人にとっても、職人に仕事を任せる人間にとっても、意味のある仕組みだった。

 親方が技量を保証することで信用が生まれ、安心して仕事を任せることが出来る。安心して任せられるとなれば仕事は不定期な飛び込みのものから、段々と定期的で確かなものとなり、職人の収入も安定する。余所から新しい職人が来た時に、仕事が取られにくいという利点もあった。


「なるほど。細かな問題はよく検討してみないと分かりませんが、方向性としては理解出来ます」

「冒険者が育てたものだけが、冒険者を名乗るようになる。儂は斥候(スカウト)の出だからな。弟子であるルイには、その技を伝える。そうやってそれぞれの“親方”冒険者が、弟子に免許を与えていくのだ。子が親に生業(なりわい)を教わるように」

「しかしそうすると、冒険者の数は際限なく増えていきませんか?」

「それはないだろう。その理屈だと、街には鍛冶屋が溢れていることになる。冒険者になろうとし、学び、修めたものだけが冒険者になる」


 それまで黙って聞いていたダヴィドが首を傾げた。


「ヨーゼフ殿の理屈は、分かった。だが、そうなると今の“冒険者”で新しい“冒険者”になれない者たちはどうなるのだろうか。例えば、<邪魔屋>の叔父貴のような」

「そういう者たちは、冒険者ではなくなる」

「なくなって、どうなる。その連中を除けば、ギルドは出来るかもしれない。でも、冒険者でなくなった者たちは、その後も生き続けなければならない。ギルドに賛成しない冒険者もいるだろう。ギルドに加われば例えば親方冒険者になれる腕のある冒険者でも、だ」


 ダヴィドの口調は落ち着いているが籠められた語気は、強い。

 ヨーゼフは一度瞑目し、ゆっくりと口を開いた。


「かつて、儂は、九度失敗した」

「九回、も?」

「ああ、すぐに失敗したこともあれば、軌道に乗りかけたこともある。だが、どんなに上手くいっても最後に立ちはだかるのは、その問題だった。つまり、“冒険者ではない冒険者”のことだ」

「解決することは、出来ないものだろうか?」


 ダヴィドの問い掛けに、ヨーゼフは大きく溜息を吐いた。


「何度も信じた。それでも救わねばならないと思った。特例を設け、規律を緩め、何とか冒険者を救い上げようとした。……だが」

「だが?」

「儂は、そこまで強くはない。英雄と言っても、ただの一人の人なのだ」

「しかし……」

「ダヴィド、想像してみろ。一番信頼を置いていた人間に裏切られる時のことを。儂はもう、耐えられないのだ」


 それきり、ヨーゼフは口を閉ざした。

 他の誰もしゃべらない。

 ダヴィドには、英雄がひどく小さくか弱い老人に見えた。

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