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<瘤>のブリュノー

<凱旋歴一〇一二年一五月十六日昼 市場、首府、東王国>


 流石に<首府>の市場ともなれば、この寒さでも開いている店もある。

 賑やかというほどではないものの、辛うじて客の流れと呼べるほどの一団がこの辺りをうろうろとしていた。

 木製の骨組に厚手の布で屋根を張っただけの露店が軒を連ねて色々の物を商っているが、どれも物はよろしくない。パン一つ取ってみても、胡桃油を絞った後のカスのような胡桃粉をパン種に加えたような粗末な代物が堂々と並べられている。その点で見れば街の外から運んで来られるパンの方がよっぽど大したものなのだが、今日はそういったパンの売り子をイシドールは見つけることが出来なかった。

 やはり、寒さのせいだろうか。

 雪が早くに降り出しただけではない。今年の寒さは、どこか異常だ。

 その内、河が凍りつくのではないかと古株の冒険者たちが危惧するほどだった。


 ブリュノーの(ねぐら)の前はこの寒さだと言いうのに異様な雰囲気に包まれていた。

 かなりの人数が出入りし、荷物が運び出されている。焚き火にくべられているのは涜皮紙(とくひし)だろうか。

 火で暖を取る為にか乞食や浮浪児までが集まり始め、まるでちょっとした祭のような騒ぎだ。


「……何の騒ぎだ? これではまるで」


 夜逃げではないか。

 ブリュノーが塒にしているのは元々は酒場として設えられた二階建の石造りの建物だが、そこから次々と家財らしき道具が運び出されている。開け放たれた扉から見える建物の中は、ほとんど空っぽだ。


「<嘆き>のイシドールの旦那、とお見受けいたしやすが」


 訝しげに中を覗き込んでいると、作業を指揮していた年嵩の冒険者がイシドールに声を掛けて来た。

 片目が無い。

 <瘤>のブリュノーの手下の中でも荒事専門で知られる<目刺し>だろう。夜盗との揉め事で片目を失ったが、そのまま切り結んで相手の首を刎ねたという剛の者だ。

 今までにどうした訳か顔を合わせたことがなく、その隻眼を見るのも今日が初めてだった。


「これは失礼。こちらは<首府>の東でケチな人足商売をしている<嘆き>のイシドールという者で……」

とそこまで言いかけてイシドールは言葉に詰まった。口上は言い慣れたものですぐに出てくるのだが、何だか気恥ずかしい騎士に叙されたら、新しい名乗りを考えないといけないことを思えば、あとこの名乗りをするのは数えるほどしかないだろう。


「こいつはこちらの方こそとんだ失礼を。あっしは<瘤>のブリュノー親分の子分で、<目刺し>と申します。以後、お見知りおきを」

と挨拶もそこそこに<目刺し>は若い衆に何事か耳打ちし、建物の中へと走らせる。その様子も中々堂に入って、ブリュノーの日常の瑣末な用事は全て彼に任せているというのも誇張ではないだろう。

 イシドールに向き直ると、<目刺し>は悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「実は、親分はイシドールの旦那を先刻からお待ちでして。どうぞ、中へお入りください」


 ○


 どうしてブリュノーは自分の訪問を知っていたのか。

 扉を潜りながらイシドールは首を捻る。

 元酒場というだけあって酒精の匂いの染みた一階部分はほとんど空になっていた。外から見ただけでは分からなかったが、ここにあったものはほとんど持ち出すつもりらしい。

 代わりに真新しいテーブルが運び込まれたまま、部屋の隅に積み上げられている。


「本当に、夜逃げみたいな有様だな」

「有様ではなく夜逃げですよ、本当に」


 自ら案内を買って出た<目刺し>が凄味のある笑みを浮かべた。


「ブリュノー親分は、この(ねぐら)を引き払う御積りですんで」

「へぇ、便利そうな所なのに」

「それについては、直接聞かれた方がよろしいかと」


 薄暗い階段を軋ませながら上ると、立派な拵えの扉が姿を現した。

 丹念に彫り物が施されたそれは、数寄者が見ればちょっとした値段をつけるのではないだろうか。


 親分は中におります、とだけ言い残し、<目刺し>はさっさと階段を下りて行ってしまう。

 掌に滲む嫌な汗をローブで拭い、イシドールは戸を開けた。


 明り取りの窓を背に、<瘤>のブリュノーは書類の整理をしていた。


「ようこそ、イシドールさん。お待ちしていました」


 その顔は、二つ名に反して綺麗なものだ。乳白色の肌に柔らかそうな栗色の髪、少し薄い唇と濃い鳶色の目。優男、という形容がぴったりの顔立ちだった。さぞかし女にもてるだろう。

 <瘤>とは言ったものの、彼の<瘤>は文字通りのそれではなく、立場のことだった。彼の先代とも言うべき<長腕>の親分に、それこそ瘤のように付いて回ったからこその仇名だ。立ち回りが巧かっただけに、親分の寵は受けたが酷く周りから嫌われた。それもあっての<瘤>呼ばわりだとイシドールは聞いている。


「急に押し掛けて、悪いな」

「もうそろそろ来るとは思っていましたよ」


 年齢で言うと、ブリュノーの方が下になるはずだ。

 この道に入ったのはイシドールの方が後だが、<瘤>は<瘤>らしく年上を立てるように恭しく振舞う。手にした書類もそのままにイシドールに慇懃に頭を下げて見せる様は、行き過ぎているようにも思えた。


「どうしてオレが来ると?」


 単刀直入に、疑問をぶつける。

 まさか占術師でも雇ったのだろうか。いやいや占術をやっている奴は自分の値打ちを知っている。いかにブリュノーの金離れが良いとはいえ、冒険者風情に雇われるとは思わない。


「何、簡単な話です。先刻、恐らくは同じ用事で<大樹折り>さんが来ましたので」

「ほう、それは」


 平静を装いながら、イシドールは言葉に詰まった。

 <大樹折り>と言えば<鬼討ち>ヴィクトルの片腕とも言える冒険者だ。最近は<剛腕>ダヴィドが目立っているが、一家を構えても不思議のない冒険者である。


「貴族としては新顔である我々で何といいますか、横の繋がりを持とうというのが<鬼討ち>の考えのようですよ」

「……その盟主として力を得よう、と」

「そこまで露骨には言いませんでしたがね。貴方も同じようなことをお考えでは?」

「連絡を密にするべきだ、とは思うがね」


 嘘だ。

 本当は自分こそ、盟主と言わないまでも緩やかな纏まりの世話役にでもなるつもりだったのだ。

 それが、先を越された。


「<鬼討ち>が遣いに寄越した<大樹折り>という方も中々面白い方でした。何と言うか、喩え話の巧い方で。単なる力自慢だと聞いていたので驚きましたよ」


 なおも雑談を続けるブリュノーだが、果たして<大樹折り>には何と答えたのだろうか。

 よくない噂の多い男だ。面従腹背くらいの芸当はやってのける。ひょっとすると積極的に“竜鱗のダニ”にでもなるつもりかもしれない。

 考える内に、腹が立ってきた。この優男は、この<嘆き>のイシドールを弄んでいる。


「それで?」

「それで、とは」

「それで、<瘤>のブリュノーの旦那はどう答えた?」


「断りましたよ、もちろん」


 帰ってきた答えは、意外なものだった。

 打算的なこの男なら、一も二もなく<鬼討ち>の庇護下に加わり、内側から何か企むと見ていたが。


「今はまだ纏まるべきじゃないですよ、我々冒険者貴族はね。相手はあの<寝取られ男>だ。迂闊な真似は相手の思う壺です。イシドールさん、貴方この家に入る前に焚き火を見ませんでしたか?」


 見た、と頷きを返すとブリュノーは大げさに肩をすくめて見せた。


「なら、貴方も見たはずだ。あの焚き火に群がっている乞食、あれは<寝取られ男>直轄の、<御伽衆>という連中です。<首府>の隅々までこそこそと嗅ぎ回る。連中は既に、今日あなたがここに来たこともアナトールに御注進済み、というわけです」

「確かめたのか?」

「ええ、方法がないではありません。こちらもこちらで耳はありますからね」


 愛嬌ある仕草で自分の耳を撫でながら、ブリュノーはおどけてさえ見せる。

 演技なのかこういう男なのか。確かにこれなら<長腕>の親分にも気に入られただろう。


「それでこの夜逃げ騒ぎか?」

「確かにあいつらに嗅ぎ回られたくない、というのは一つの理由ですが、まぁ色々あるんです」


 そう言って、ブリュノーは先ほどまで弄っていた涜皮紙をイシドールに投げて寄越す。

 どうやらブリュノーの組織の財産目録の一部のようだ。


「貴族になる、と簡単に言いますが、調べてみると貴族が体面を取り繕うのに必要な財産は大した金額になります。貴方のところや<鬼討ち>の旦那、それに<鳥撃ち>さんなんかの組織は比較的これからの収入に余裕がありますが……」

「ちょっと待て、<東大路>のフィデール爺さんのところも結構稼いでいるだろう? ここだって……」

「それなんです」


 ここでブリュノーは一拍置いた。

 後ろに手を組み、イシドールの周りをゆっくりと歩き始める。


「貴方と<鬼討ち>の旦那、<鳥撃ち>さんには共通点があります」

「共通点?」

「はい、後ろ暗い資金源を持っていない、ということです」


 それは確かにそうだった。

 イシドールも<鬼討ち>ヴィクトルも人足を束ねているだけだし、<鳥撃ち>の爺さんは昔堅気に隊商の護衛だけをやっている。他にもそういう面子はいるが、<瘤>のブリュノーや<東大路>のフィデールのところとなると話が大いに違う。


 そもそも<首府>で一千からの冒険者が暮らしていくためには、仕事(クエスト)の数が全く足りない。となれば彼らが手を染めるのは強制的な用心棒や、それにかこつけた用心棒代の請求といった仕事に始まり、盗みに恐喝、密輸に脱税補助、酷い時には殺しまで請け負うことになる。

 そういう組織の代表格とも言えるのが<瘤>のところと<東大路>の二つだ。

 両者とも従士ではなく騎士での叙任をされることになっているが、犯罪に手を染めた人間の叙任には冒険者の間からも反発の声がないではない。


「これから、金はいくらでも要ります。でも、うちもフィデール翁のところも、今まで通りの“おしごと”はやりづらくなるでしょう。下手をすると、すっぱり手を引かないといけないかもしれない。恐らくそれが<寝取られ男>の真の狙いでしょうから、わざわざこっちからのってやる必要もない」


 ブリュノーの顔に浮かんでいるのは、酷く子供っぽい無邪気な笑みだ。

 あるいは本当にこの状況を楽しんでいるのかもしれない。


「そこでうちの組織では、さっさと財産を分散させることにしたんです。ちょっとした小銭ですがね」


 宝石や美術品、銀貨に銅貨を織り交ぜて、それらを次々と運び出しては<首府>の外に運び出す。

 つまり、全くの夜逃げなのだ。


「で、この夜逃げ騒ぎの後をどうするんだ?」

「それはまぁ、流れに身を委ねるしかないでしょう。私には耳の良い部下は沢山いますが、“未来が見える”わけではないもので」


 ああ、そうか。こいつが何に似ているのか、イシドールは漸く思い当った。

 蛇だ。

 まるで熱の籠もっていない目でこちらを見ながら、まるで舌舐めずりをしているようだ。



「イシドールさん、どうでしょう、私たち、手を組みませんか?」

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