酒場
<凱旋歴一〇一二年一五月七日昼 衛戍詰所、王都、東王国>
<鋳掛け>のヨーゼフと名乗った老冒険者にバティーニュ塔伯の出した報償はちょっとした額だった。
元々<邪魔屋>に掛けられていた賞金の、倍はある。
功績に対してというよりも、タイミングの問題だ。
彼の捕らえた<邪魔屋>セレスタンは大物というには程遠いものの、手柄として扱うには十分な獲物だった。王が帰還するちょうどその日に、気の利いた報告をすることが出来るということは、治安維持に携わる者として僥倖と言うより他ない。
歳若い王に代わって政治の実権を握っている王女摂政宮は全く合理的な人間なので、賄賂よりも実績で人を判断する。彼女の差配がもう数年続く以上、バティーニュを始めとした貴族官僚たちは目に見える成果を挙げ続けなければならなかった。
「それで、<鋳掛け>のヨーゼフという冒険者の素性は分かったのか?」
「いえ、回状は出ていないようですから、犯罪者ではないようですが」
賞金を銀貨で支払った後、塔伯は部下に命じてヨーゼフの素性を当たらせていた。とは言え、首府に不慣れだという彼の言葉を信じるなら、あまり大したことは分かるはずもない。
「ヨーゼフ、という名前からしてもっと北、神聖帝国の出身でしょうな」
詰所に配されている書記官はそう言って回状の綴りを閉じた。
「北では有り触れた名前か?」
「ええ。我々の読み方だとジョゼフになりますが、一つの集落に最低でも一人か二人はいるでしょう」
「ふむ、では<鋳掛け>の方はどうか」
「二つ名、というよりは単に家業でしょう。本人も鋳掛けをするのか、親兄弟がしていたのかは分かりませんが」
鋳掛け、というのは簡単な鍛冶のような職業だ。
穴の開いた鍋釜の修理をして日銭を稼ぐ。旅から旅の稼業で、あまり実入りの良い仕事ではなかった。
預かった鍋釜を粗悪品とすり替える詐欺を行う者も絶えない。
鍛冶屋ほど高度な技術も開業に資金も必要ないので、それなりに人数のいる職業だ。
「つまり、“何も分からない”ということだ」
「そうなります」
だが。
バティーニュ塔伯は従卒に淹れさせた白湯を啜りながら呟いた。
「……あの顔は、昔どこかで見た気がするのだがな」
○
<凱旋歴一〇一二年一五月七日昼 安酒場、王都、東王国>
酒場は喧騒に満ちていたが、どこか陰気でもあった。
カウンターの端に腰掛けたヨーゼフは、蒸した薯と薄いスープ、それに麦酒を頼んだ。どこもかしこも物価が上がっているらしく、これだけで貝殻銅貨を五枚も取る。
東王国は貧民救済の為に貝殻銅貨一枚でパンを一個売ることを法律で定めたが、その悪法の所為でパンの大きさは日に日に小さくなっている。最近では油を絞った後の胡桃の滓まで練り込んだパンさえ売られている始末だ。
そんなものを食べるくらいなら、ここ十年で出回り始めた薯を食べている方が、いくらかマシだった。
酒が来るのを待ちながら、ヨーゼフは掌の感触を確かめる。
人を刺すのは、あまり好きではない。
浮浪者の装いは川に捨てたが、何かどろりとしたものがまだ肌にまとわりついているような、そんな気がするのだ。
とは言え、今日のようなことをしばらく続けねばならない。
それが、金を稼ぐ一番の近道だからだ。
ヨーゼフは合財袋の手触りを確かめた。
ずっしりと、重い。
中には今貰ったばかりの馬蹄銀貨が一〇枚入っている。
これだけあれば、普通の<冒険者>はどこかに小さな土地を買う。それほどの金額だ。
ヨーゼフはこれ以外にもあちこちの商会に金を預けている。合わせれば、余生を遊んで暮らしてお釣りくる程度には持っている。
しかし、
(……まだだ、まだ全然足りない)
もっと、もっと金が必要だった。
それも普通に稼いで稼げる金額ではない。
金だけでも足りない。
<鋳掛け>のヨーゼフには、己の全てを賭して成さねばならないことがあるのだ。