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<嘆き>のイシドール

<凱旋歴一〇一二年一五月十六日昼 市街、首府、東王国>


 腹立ち紛れに蹴飛ばした桶が道を転がり、ぬかるんだ雪道に跡をつけた。

 日頃感情を露わにしない<嘆き>のイシドールが、珍しく怒っている。

 肩に降り積む粉雪を払いつつ、足早に進む。


 通りは閑散としていた。

 いつも声を嗄らしている物売りたちも流石にこの所の冷え込みには閉口しているのか、ほとんど姿を見せていない。あるいは単に、売るものが無いだけかもしれなかった。

 まるで籠城でもしているかのように<王都>への物の流れが滞っていることを、イシドールは知っている。

 例年より早くに降り始めた雪の所為だった。

 <王都>に十分な蓄えが溜まる前に、近隣の村々は本格的な冬支度を始めている。


 糧食、薪炭のいずれも、<王都>は自給自足など出来はしない。なればこその商人であり、護衛の冒険者である。人足の飯場を差配するイシドールにとって、この冬の困窮は十分に予測の範疇の出来事だった。

 先見の術である兆術に頼らずとも、これくらいのことは、分かる。

 懇意の商人に頼んで小麦の買い取りに出資させて貰い、ちょっとした小銭も稼ぐことが出来た。

 何事もなければ、平穏無事に年を越せるはずだったのだ。

 それが、叙任である。


 思ってもみない好機は、痩せぎすな兆術師に野心を抱かせるのに十分な力を持っていた。

 野心。

 そう、それは正しく野心と呼ぶに相応しい。

 イシドールは王叔宮(おうしゅくのみや)殿下の孫、シャルルの顔を思い浮かべた。

 彼を、玉座に据える。


 湿気た心に火は灯ったものの、イシドールには手札が少ない。

 本来強力な武器になるはずの兆術であったが、今回のような流動的な状況では使いどころが難しいものだ。下手な未来の像を見てしまい、それに誤った解釈でもしてしまえば、変に拘泥して余計な失敗を蒙ることになってしまう。

 だからこその、寒空の外出だ。

 今は同じく叙任された親分衆に一人でも多く会い、小さかろうとも自分の派閥を持たねばならない。

 頭一つ抜きんでた<鬼討ち>ヴィクトルに抗するには、数で挑むより他に手段は有り得なかった。

 そして、その交渉は上手く行っていない。


 それにしても、寒い。

 魔術師のローブに身を包み忙しなく手を擦り合せながら目指す先は、<瘤>のブリュノーが起居する市場外れの小さな小屋だった。

 収まらぬ怒りをまた別の木桶にぶつけ、イシドールは先を急ぐ。

 怒りの原因は、ブリュノーではない。

 直前に会っていたとある親分の顔を思い浮かべ、イシドールは歯噛みした。


 ○


「気に食わん」

「何がだね、<鳥撃ち>の旦那」


 <鳥撃ち>と言えば<首府>でもちょっとした顔役を務める年嵩の冒険者で、主に隊商の護衛を取り仕切る親分だ。真っ白に染まった髪を総髪に纏めた姿は、大親分といった風情である。

 隊商の護衛は、冒険者の仕事の中でも花形だ。

 他の職種を莫迦にするだけあって、稼ぎも良い。都市と都市の間の陸運を生業にする馬借と連携し、手広く商売をする分だけ顔も広かった。今回の叙任騒動では従士に推されたが、貫禄から言えば騎士として鍍金の拍車を賜ってもおかしくはない実力者だ。


「全てが、だよ。<嘆き>の。全部だ。

 お前さんが従士ではなく騎士になることも、今日、お前さんがここに来たことも」

「そう邪険にしたものでもないだろう。オレは喧嘩しに来たんじゃない」

「はン、どうだかね。今お前さんが顔を見せること自体が喧嘩を売ってるようなもンだぜ?」


 会談は最初からこんな調子で、話はさっぱり進まない。

 わざわざ出向いた<鳥撃ち>の根城の酒場で、イシドールには白湯の一杯すら振舞われてはいなかった。

 <鳥撃ち>はイシドールを莫迦にしているだけでなく、今回の件で妬んでいるようだった。敵視しているとさえ言って良い。老いたりとは言えギラついた冒険者の視線で睨まれると、さしものイシドールもたじろぎそうになる。


「城壁の内側でぬくぬくと人足の世話だけしてりゃ騎士様とはな。<寝取られ男>も焼きが回ったもんだ」

「<鳥撃ち>の、言ったはずだ。喧嘩しに来たわけじゃない」

「おぉそうかい、それじゃ何か良い話でも持ってきて下さったのかな? 騎士殿は」

「オレたちは貴族としちゃあ、言わば新参だ。どこの世界でも新参がいきなりでかい顔なんか出来やしないことは分かるだろう? だから、新参同士で……」


 そこまで言った所で、イシドールの言葉を<鳥撃ち>は制した。


「止めてくれ、<嘆き>の。悪いがオレはアンタと組むつもりはこれっぽっちもない」


 <鳥撃ち>の表情は険しい。嫌悪感を剥き出しにして、まるで交渉の糸口が掴めない。


「アンタみたいなのと組むなら、<鬼討ち>の旦那の兄弟分にでも収まった方がまだマシだ」

「おい」


「まだ分からンか、<嘆き>の。お前みたいな“覗き見野郎”の風下に立つつもりはない、ってことだよ」


 ○


 魔術師は、差別されるものではない。

 優れた知恵を持ち、神々のもたらす奇跡の御業を操る者として尊敬されこそすれ、悪しざまに言われることは有り得ないのだ。

 但し、兆術師はその限りではない。


 “覗き見野郎”“嘘吐き”“薄情者”、兆術師にはお定まりの罵倒だ。

 人の腹の内まで探る“覗き見野郎”。

 未来が見えたと言いながら、てんで当てにならない“嘘吐き”。

 先のことが分かるはずなのに手を差し伸べてくれない“薄情者”。

 罵詈雑言だけならまだしも時には石を投げられることすらある。

 魔術師の中でも占術や禁術、そして呪術とは決定的に扱いの異なる兆術師はだからこそ成り手が少ない。


「……誰が好き好んで、兆術師になんか成るものかよ」


 イシドールの父は、兆術師だった。

 父の父も、そのまた父も、その上も、イシドールの知る限り、遡れるだけの祖先は皆、兆術師だ。

 一門の帰依する神まで<先見の(ふくろう)>という兆術に利益の篤い一柱という念の入りようである。

 そんな家系に生を享ければ、いやがおうにも進路は決まっていた。

 物心が付いた頃から起きている時間のほとんどを兆術の鍛錬に充てられ、同年代の友人すらいない。

 精神を一統し、神の世界と意識を繋ぐ。

 怪しげな秘薬を飲まされたり、臨死体験と称して殺されかけたことも、ある。


 だが、視えなかった。


 父の抱える内弟子たちにすら先を越され、イシドールに残るのは惨めさだけだ。

 無聊の慰みに古典の英雄たちの書物を読み漁り、政治や弁舌への知識だけは深めたものの、決定的な何かはずっと欠落していた。時折庭に遊びに来る梟と書物だけを共に、日々を嘆いて暮らすイシドールの二つ名が自然と<嘆き>に定まってしまったのも無理からぬ話だ。


 それでも兆術師にならねばならない。

 一門衆の惣領の座は出来のいい弟に譲り渡したが、とは言え兆術師にならねば食い扶持は無い。

 血を吐くような鍛錬の末に漸く兆術師の初歩を修めた頃には、イシドールはもう二十歳(はたち)になっていた。


 ○


「とにかく、帰ぇってくンな」と挨拶もそこそこに放りだされ、イシドールは桶を蹴ったのだ。


 よくあそこで殴りかからなかったものだとイシドールは自分の自制心を見直した。

 いや、殴っていた方が良かったのだろうか。

 少なくとも冒険者としては、あそこまで虚仮にされてすごすごと引き下がるのは悪手だったかもしれない。

 どちらにせよ、行くべきではなかった。

 <鳥撃ち>ほどの冒険者にああまで敵意を向けられると、何をしたわけでもないのに疲労を覚える。

 胃の腑の辺りに重さを感じるのは、気に当てられたからだろうか。

 次に向かう<瘤>のブリュノーにも期待はしていない。

 むしろ、<鳥撃ち>よりも望み薄だとさえ思っている。


 よくない噂の絶えない男だ。

 悪人と言って問題ない。

 市場を(ねぐら)に情報屋をやりながら、その一方で手下に盗賊をさせている。

 確かな話ではないが、皆そのように信じていた。それでもブリュノーが捕まらないのは、四人いる塔伯の誰かの弱みを握っている、というところまで含めて、この街では知らぬ者の無い公然の秘密だ。


 会うべきか、会わざるべきか。

 逡巡している内に、気付けばいつの間にかブリュノーの塒の前に立っていた。

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