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合流

<凱旋歴一〇一二年一五月十五日昼 <跳ねる鱗魚>亭、首府、東王国>


 天井の梁を蜘蛛が這っているのが見える。

 <跳ねる鱗魚>亭の土間で、<悪童>のルイは無様に横たわっていた。

 口に溜まった錆臭い血の混じった唾を吐き捨て、ルイは起き上がろうとする。

 だが、立てない。

 腕にも脚にも腰にも、全く力が入らないのだ。

 仰向けに倒れたままで、殴られ腫れ上がった左の頬を撫でる。

 それもそのはずで、ルイに一撃をくれたのはあの<剛腕>なのだ。


 <神速>のヨーゼフへの先触れを終えたルイは、自分の親分に当たる<剛腕>ダヴィドに事と次第を報告した。

 英雄の弟子として取り立てられた、ということを誇らしげに。

 当然、褒めて貰えると思った。何と言っても相手は英雄なのだ。

 だが、それに対する返答がこの一撃だった。

 奥歯の砕けるような鋭い拳打。

 <剛腕>の二つ名に相応しい、重さの乗ったそれは吸い込まれるようにルイの頬を打った。


「莫迦か、お前は」


 “親”への断りも無しに誰かの弟子になるなど、冒険者にとって重大な背信だ。

 命を取られても、文句は言えない。

 一匹狼の冒険者を別として、親分子分の繋がりを重視する傾向はこの街の冒険者に特に強かった。

 そうしないと生き残れないだけの競争があるからだろうか。熾烈な縄張り争いの中で頭一つ抜けているだけに、<鬼討ち>ヴィクトル率いる一門はこうした決まりに煩い。ましてヴィクトルの後継者と見られている<剛腕>だけに、その辺りの躾には厳しかった。


(さか)しらなのだ、才智に頼り過ぎる」


 そう断じられると、ルイにはまるで言い返せない。思い当たる節は両手の指でも数えきれなかった。

 元より浮浪児の身の上だ。

 頼れるものが自分の才覚だけしかないと思い定めた結果、周りの大人よりもよく回る頭を武器に色々とやってきた。そのことに反省はしていないが、確かに自制すべき点はあったかもしれない。

 最大限の利益を確保する為に、独走する。

 そのこと自体は冒険者である以上は貶されることではない。貶されることではないが、程度の問題である。

 これまでのルイは、自分がまだ半人前であることすら利用して、姑息ともとれるほどに巧くやってきた。そのやり口は、確かに他人の眼には“賢しら”と映るかもしれない。

 早く大きく偉くなりたいという焦りが、却って自分を目標から遠ざけていた。

 そのことがルイを戦慄させる。


 足りないものが、ある。

 それを補う為にルイは努力してきた。誤った方法だと心の何処かで感じながら。

 今回の一件もそうだ。

 心の何処かに甘えがあった。

 自分なら許されるという根拠のない自信が、“親”にも確かめずの弟子入りだったのだ。

 それを、見透かされた。

 頬への一撃ももちろん痛かったが、それ以上に、辛い。


「だ、ダヴィド親分……」


 絞り出すように親分の名を呼ぶ。

 あの日、拾われた時は反抗心もあった。が、今では本当の親のように慕っている。

 そのダヴィドが、ルイを見下ろす視線は、冷たい。


「オレは前々から、お前のその小賢しいところが気に食わなかったんだ」


 突き放すような声音は、凍てつくように聞こえる。

 親と慕う人間から放たれる否定の言葉が、ルイの胸に突き刺さる。


 今なら、分かる。

 欠けていたのは、侠気だ。

 守るべきものを守る、毅然とした態度。

 自分の憧れたもの。何も言わずとも、滲みでる風格。

 得ようと思って、却って遠ざかっていたもの。 

 だが、遅かった。

 親分であるダヴィドに見捨てられては、この<首府>で生きていくことは叶わない。

 痛みに霞む視線でダヴィドを見る。


 <剛腕>は、口元を綻ばせた。

 奥の間に歩み去りながら、はっきりとした声で言い捨てる。


「……だから<神速>の旦那のところで、鍛え直して貰ってこい」




 いつの間にか、蜘蛛はいなくなっていた。

 痛みを堪えてルイは胡坐をかく。

 手持ち無沙汰に床をまさぐると、小さな塊が落ちていた。歯だ。


 それは、ルイの奥歯に残っていた最後の乳歯だった。


 ○


「今日はめでたい話が二つある」


 居並ぶ面々を前に、ダヴィドは重々しく口を開いた。

 飯場で働く冒険者や人足の中で主立った者の全てが<跳ねる鱗魚>亭のこの部屋に参集している。

 ドミニク、双子、他にも客分として預かっている者も、全てだ。

 ルイはまだはっきりとしない身体を末席に滑り込ませた。


「オレの“親”に当たる<鬼討ち>のヴィクトル親分が、騎士に叙任される運びとなった」


 おぉ、とどよめきが漏れる。

 騎士といえば、貴族だ。

 戦うべき階級。選ばれし存在。

 日陰者である冒険者とは、一段も二段も違う存在だ。

 自分たちが連なる人間が騎士に叙される、というそれだけで鼻が高い。


「冒険者が騎士、とは…… あまり例がありませんな」とドミニクが首を捻る。

 珍事であるからには、理由があるはずだ。

 少なくともあの<寝取られ男>はただで騎士の位をばら撒くような男ではない。


「ああ、今回騎士に叙されるのは、ヴィクトル親分だけではない」

「と、仰ると?」

「<嘆き>のイシドール殿をはじめ、騎士が計四名。従士が二十二名。合わせて二十六名。

 これだけの数が一気に冒険者から取り立てられる」


 どよめきは先ほどに倍する大きさとなる。

 二十六名。

 この<首府>に(ねぐら)を持つ冒険者が何人いるのかは知れないが、その内の二十六名。

 これは大した数だった。何かが変わろうとしているのかもしれない。そう感じさせるには十分な数だ。


「それだけ選ばれるのなら、若や<大樹折り>の叔父貴も、当然?」

「選ばれていない。叙任されるのは、全て組織の頂点にいる冒険者だけだ」

「基準がよく分からないな」

「ともかく、めでたいことじゃないか」

「いやしかしだな」


 ドミニクを皮切りに、皆が疑問を投げていく。

 単にめでたいと割り切るには複雑な話のようにルイには思える。

 明らかになっている情報が少ないから判断はつかないが、詐術の疑いがぬぐえない。


(これは、探りを入れる必要がある、か)


 小賢しくあってはならない。

 甘えは捨てた。

 それを踏まえて、ルイは自分のなすべきことを探さなければならない。


 その時、入口の方で誰かが(おとな)いを入れる気配がした。


 ○


「皆さん、お集まりですな」


 現れたのは、<神速>のヨーゼフだった。

 朝方ほどまでの風体とは違い、しっかりとした冒険者風の格好に身を包んでいる。


「紹介しよう。こちらは<神速>のヨーゼフ殿。言わずと知れた六英雄の一角だ」


 ダヴィドの紹介を受け、ヨーゼフは面々に軽く会釈をした。

 ルイを含めた冒険者たちは座ったまま、会釈を返す。

 ヨーゼフはその所作の一つ一つにまで無駄がない。歴戦の英雄とは、こういうものか。


「さて、もう一つのめでたい話だが」


 ダヴィドが、勿体つけるように咳払いをする。


「こちらのヨーゼフ殿が、客分としてこの<跳ねる鱗魚>亭に(ブーツ)を脱いで下さることになった」


 どよめきは、起こらなかった。

 皆、顔を見合わせている。

 先触れを務めたルイは知っているが、そもそもここにいる人間のほとんどが、ヨーゼフと顔を合わせること自体がはじめてなのだ。


「<神速>のヨーゼフ、と申す。縁あってこちらの<剛腕>のダヴィド親分の軒下を借りることになった。

 冒険者としては諸兄より齢を重ねているが、この街にはまだ不慣れだ。よろしくお願いしたい」

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