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王冠

<凱旋歴一〇一二年一五月十五日早朝 王城、首府、東王国>


 朝の陽射しが徹夜明けの目に眩しい。

 弱い冬の日射しがリーニュ河の川面に跳ね返り、きらきらと輝いている。

 <鬼討ち>ヴィクトルは手をかざし、目を細めた。

 夜通しの宴は終わり、貴族たちも親分衆も引き上げ始めている。

 予め城門前で供を待たせていた貴族たちはともかく、千鳥足で王城を退出する親分衆は憐れを誘う。

 寒い空の下、折角の従士就任を祝う供もなく酔い潰れた醜態を晒しながら帰るのは屈辱だろう。

 そんな連中を尻目に、ヴィクトルは隣に立つ<嘆き>のイシドールに目配せを送った。


「で、<嘆き>の。お前さんは?」

「御目通りが叶うなら、新しい“雇い主”に一度お目通り願いたいところではあるな」

「奇遇だな。オレもそう思っていたところだ」


 <鬼討ち>のヴィクトル、<嘆き>のイシドールの両名は今回騎士に叙任される四名の内に入っていた。

 儀式さえ済ませれば身分として認められる従士と異なり、騎士は騎士に叙任してくれる人間が必要だ。

 つまり、忠誠の対象となる人間ということになる。

 今回の不思議な冒険者の取り立ては王廷の複雑な政治力学の産物であり、本音としてはヴィクトルたちの“雇い主”は<寝取られ男(コキュ)>ことアナトール・デュ・ブランショということになるだろう。


 その点について、実は<鬼討ち>に異存はない。

 冒険者としての考えが染み付いたヴィクトルにとって、“借り”とは必ず返すべきものであり、アナトールが騎士への叙任を実際に取り仕切ってくれているということは、間違いなくこれは“返すべき借り”として扱われるべき事柄なのだ。

 この借りを返そうというのは、冒険者ヴィクトル・デュ・エローにとって自然な発想だった。


 しかし。

 優れた組織運営者であるヴィクトルの親分としての嗅覚は、この状態に危惧もしている。

 仕えるべき相手と報恩すべき相手が違う、というのは不幸な結果を招くことが多い。

 “忠臣二君に仕えず”

 原理原則は曲げてでも実利を優先する冒険者だが、危険な匂いのする時は用心に越したことはない。

 だからこそこの機会に“二君”のもう一方、王叔宮殿下おうしゅくのみやでんかに会っておこうというのだ。


 ○


 防禦の為に極端に窓が少なく作られた城内は仄暗(ほのぐら)い。

 揺らめく蝋燭の中を、二人はピエール殿下の逗留する尖塔に向かって歩を進める。


「ピエール殿下、というのはどういう方なんだろうな」

「さて、随分前に王廷から退かれた方だからな。

 確かタラスコン=シュール=リーニュ辺りに隠居用の賄い領を貰って引っ込んだというから、案外淡白な方かもしれん」


 イシドールはこういった政界の機微に詳しいが、先代王の叔父ともなると記憶が怪しい。

 いずれにせよ、今の東王国には王家直系に連なる人間として宮の称号を名乗れるのはアレクサンドリーヌ王女摂政宮おうじょせっしょうのみやとピエール王叔宮の二人しかいない、ということである。

 もし有事があり、幼王陛下が斃れることがあれば。

 王女摂政宮が女王として即位し、王配を適当に見繕うことになるだろう。


 が、その摂政宮すらも何らかの事情で至尊の座に就くことがないとなれば、どうなるか。

 宮の称号を持つ唯一の直系男子であるピエール王叔宮が再び王廷に返り咲くことも有り得る。

 既に老齢のピエール殿下だが、寿(ことほ)ぐべきことに子宝は豊富だ。

 子の代はほとんど死別するか他家に片付くかしているが、手元に直系の孫がいる。

 不安定なパリシィア家を安定させる為、殿下にタラスコン朝を開いて貰おうと考える輩が出る可能性すら否定はしきれない。


(だからこそ)


 ヴィクトルは、見極めなければならない。

 ギリギリの一線で、本当に“恩人”か“雇い主”かの二者択一を迫られた時、どちらを選ぶのか。


 ○


「ほう、汝らが新たに叙任される騎士たちか」


 イシドールたちは、意外にも好意的に迎えられた。

 鷹揚に笑って見せるピエール・ド・パリシィアは好々爺然とした老人だ。

 鶴のように、細い。

 痩せ細った体を隠すように纏う派手な緋色の装束が却って痛々しく見える。

 肺病でも患っているのか、吐息にある種の病人に特有の甘く爛れた香りが混じっていた。


「早朝からの不躾な訪問、誠に申し訳ございません」

「良い良い、この老いぼれを訪ねる者はほとんど居らんでな。

 客人はいつでも歓迎しようぞ」


 質素だが念入りに丹精された部屋には、ピエールと侍女、そして孫息子が一人いるだけだった。

 奥方は随分前に星方へ旅立っている。

 田舎に逼塞していたにしては持ち物はどれも立派だ。ひょっとすると、何処かの貴族が差し入れているのかもしれない。


「酒臭いことで申し訳ございません」

「良い。薬師(くすし)にも呪術師にも酒は止められておるが、元々嫌いな方ではないしな」


 挨拶の言葉を述べるヴィクトルに、平癒したら酌み交そうと気さくに話す姿に、イシドールは大器すら見出している。

 ひょっとすると若くしての隠居も、周囲がこの器を恐れてのことかもしれなかった。



 <嘆き>のイシドールは周囲に気付かれぬようにそっとマナを集める。

 兆術の為だ。

 大気に(あまね)く存在するマナを体内に取り込み、練る。

 真言を唱えるのにイシドールは唇を微かに動かすことしかしない。

 祈り、囁き、詠唱し、念じる。

 この四段階を経て、イシドールの意思は神々の世界に接続され、魔法の行使が可能になるのだ。


 目頭が熱を持ち、この世界の像と重なるようにもう一つの世界の像が浮かび上がって来る。

 物質の世界に重ねて、神慮の世界を垣間見る。

 まるで鳥が天高くから地上を見下ろすように、全く違う角度から世界を見る術。

 これこそ、兆術の極意だった。


 能動的に未来を眺める技法に長けた占術と異なり、兆術は飽くまで受動的にしか先見は出来ない。

 その代わり、現実を全く別の視座で眺めることが出来る。

 商人が手慣れた口調で商品の素性を語るように、神慮の視座は今見えるものの真の姿を見せてくれた。

 その見え方は術者によって千差万別で、それぞれが多分に暗示的だ。

 解釈を間違えば、まるで違った見え方になる。

 この林檎は甘いか、酸いか、或いは腐っているか。

 今の姿が見え、その結果として未来の姿の兆しを感じ取る。

 これが兆術の本当の使い方だ。


 兆術の視線で見つめる王叔宮は、明らかに病魔に蝕まれていた。

 身体の、特に胸の辺りにどす黒い何かが渦巻いているように見える。

 何かは影のようであり、まるで別の生き物のようでもあった。

 老いたピエールの体中に転移し、それはまるで宿主の胎を食い破ろうとする宿り木のようだ。


(殿下は、長くあるまい)


 隣にひれ伏すヴィクトルはどう見るだろうか。

 この目は、賭けるには少し弱い。

 時間が味方しない相手に賭けるのは、莫迦のすることだ。

 アナトール・デュ・ブランショはまだ三十代。

 王女摂政宮に到っては十九歳だ。


 この二人は常々、幼王陛下が適切な年齢になれば(まつりごと)の大権を奉還する、と言う。

 だが、イシドールはそんな言葉をまるで信じていなかった。

 先々代、先代の二人の王の時代より、東王国は確実に強く、気高くなっている。

 どうしてその功労者が退かねばならないのか。

 自分が耳長男(アナトール)の立場ならば、巧くやる。

 幼王には適当に愛妾でも囲わせて、実権は王女摂政宮が握り続けるのだ。


 イシドールは政治とそれに纏わる闘争が嫌いではない。

 むしろ、そういう世界に自分の身を置きたいと考える人間だった。

 つまりは野心家なのだ。

 宮廷に出入りする為に魔法を習い、兆術を修めたのもその為だった。

 幾つかのよくある不幸が重なってどこかの宮廷に職を報じるという道こそ断たれたが、それで捨てられるほどに自己顕示の欲と言うのは安い業ではない。

 冒険者を纏める親分としての暮らしの中で研ぎ澄まされた刃物のような野心こそなりを潜めていたが、自分が騎士として叙任されるのであれば話は違う。騎士である魔術師とは即ち宮廷魔術師であり、となれば辿る道こそ異なったが、イシドールは当初の目標を達していた。


(さて、しかし……)


 王叔宮は、死ぬ。

 肺腑の病は死病だ。腕利きの薬師や呪術師を百人集めてもどうしようもない。

 遅いか早いかの違いしかないのだ。


「こちらは<嘆き>のイシドール。腕利きの兆術師です、殿下」

「ほう、兆術師か。それはまた珍しい」


 紹介され、会釈する。

 ヴィクトルは如才なく自分を売り込んだだけでなく、イシドールの人となりまで王叔宮に語っている。

 流石は飯場を幾つも束ねるだけのことはあり、こういう場でも物怖じはしない。

 この<鬼討ち>と同じ方に賭け続ける限り、イシドールは常に二番手に甘んじねばならないだろう。

 そういった勝負で<鬼討ち>に勝つことを兆術師は既に諦めている。

 膂力、知力、精神力、発想、人望。

 全てにおいて力の差を見せられた時、感じたのは嫉妬ではなく諦念だった。

 同じ方に賭けることは、イシドールの必敗を意味する。

 どこか、別に賭けられる相手はいないものか。

 何の気なしにイシドールは視線を走らせる。


 その時、兆術師の神慮の視線は、王叔宮の孫息子シャルルに不思議なものを見た。


 ○


(……王、冠?)


 明かり取りの細い窓から外を眺めているシャルルの頭上に、王冠が輝いている。

 もちろん、現実にではない。

 神慮の視線がもたらす“兆し”だ。

 細身で知的な印象の祖父と異なり、この若者は顔に獣じみた生気を漲らせた偉丈夫と言ってよい。

 その頑丈そうな頭蓋の上に見える王冠は、間違いなく東王国伝国の王冠だった。


 こいつは、運が向いてきたかもしれない。

 兆術を修めて随分になるが、イシドールにここまではっきりと未来が見えたのは初めてのことだった。

 このシャルルという若者は、確実に玉座に就く。

 それは確信に似た予感だ。

 そう思ってみれば、苛立たしげに外を睨む表情すら覇気の表れに見えるから不思議だった。


(オレは、この目に張る)


 内心に野心が満ちる。

 隣に座る<鬼討ち>すらも出し抜いて、<嘆き>のイシドールが成り上がるには。

 兆術を維持する集中を解きながら、イシドールは口元を綻ばせた。


 この若者を、オレが玉座に据える。

 それはとてもとても楽しい仕事に思えた。

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