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機転

<凱旋歴一〇一二年一五月十五日未明 街区、首府、東王国>


 <首府>は眠ったように静まり返っている。

 昼間降った雪は踏みしめられ、道は泥濘(ぬかるみ)になっていた。

 雲間から月明りがこぼれている他に、光は全くない。

 その中を<悪童>のルイは、自分の夜目を頼りに進む。

 浮浪児の中でも目は良い方だ。これは、ルイが自慢にしていることの一つだった。


 家並みが続く<パン屋通り>を抜け、外壁に沿って歩く。

 敵に備えて高く作られた外壁の門は夜間には固く閉ざされている。が、出る方法がないわけではない。

 この街に長く暮らすルイは、抜け道について誰よりも詳しく知っていた。

 まだここが古帝国の前線基地の一つに過ぎなかった頃に作られた水道跡を通れば、夜でも街の中と外とを行き来出来る。


 残雪と泥と馬糞とに塗れた夜道を行きながらもルイの足取りは軽い。

 十二歳の少年ルイの心は、高鳴っていた。

 なんとなれば、これから会いに行くのは、あの伝説の<神速>のヨーゼフなのだ。


 ○


 大陸の東岸に暮らす人々にとって、<勇者>という存在は特別な意味を持っている。

 強大な魔に立ち向かい、人々に安寧をもたらす者。

 普段使う暦からして、<勇者>の偉業を讃えるものだ。

 凱旋歴元年は、初代<勇者>が<魔を打ち倒し者たちの冒険行デモンバスターズクエスト>を成立させた年に置く。

 勇者の冒険は詩歌や演劇、物語として伝承され、一千年を経た今なお人々の心を捕らえて放さない。


 魔王を打倒した<大勇者>。

 それを支えた五人の大英雄、<大騎士>、<大僧正>、<大斥候>、<大魔術師>、<大吟遊詩人>。

 勇者を含めた六大英雄の冒険譚は浮浪児であるルイでもよく知っている。

 いや、よく知っているという程度ではない。

 物覚えの良いルイは、寺院で吟遊詩人の語る冒険譚を諳んじている程だ。

 力と、信仰と、機転と、叡智と、幸運の全てを尽くして長く険しい苦難の冒険の末に、魔王を倒す。

 男に生まれたものの、憧れそのものだ。


 <大勇者>の血は勇者宗家とその分家に現代でも脈々と受け継がれている。

 勇者の血を引く者の中から次代の勇者が選ばれるのだ。

 先代の<勇者>アルベルトも、勇者宗家の血を引いている。

 そのアルベルトの同行者(パーティ)の一人が<神速>のヨーゼフ。

 ルイにとってヨーゼフとは伝説であり、彼に会うことは自分が伝説の一部と触れあう機会に外ならなかった。


 ○


 外壁と<乞食通り>のぶつかる処に、フユヤマゴボウの茂みがある。

 昼でも鬱蒼として、あまり人の近寄らない場所だ。

 ルイはここに来て松明を取り出した。

 松明もただではない。この冬は、特に値段が上がっている。

 吝嗇(ケチ)だと浮浪児仲間から陰口を叩かれるルイだが、使うべきところに金は惜しまない。

 金は使い処を誤らなければ、もっと大きくなって帰って来るということをルイはこの歳で理解していた。


 もっと、偉くなる。

 それが浮浪児に生まれついた<悪童>のルイの、たった一つの目標だ。

 どこまで偉くなるとか、何かになるとかそういうことではなく、漠然と偉くなる。

 大きな樹を下から眺めるようなもので、上に何があるかまでは分からない。

 でも、誰よりも高く樹に登りたいというのが、ルイの信条だ。


 その為なら字も覚えるし、身体も鍛える。

 だが、何と言っても金だ。

 金は、良い。

 偉くなるには少しでも多くの人と仲良くなることが肝要で、その為に金はとても便利だ。

 酒が嫌いな奴はいても、金が嫌いというのはほとんど聞いたことがない。


 上手く溜めて、巧く使う。

 明日の夜明けまでに、松明を買ってでも街の外に出る必要がルイにはある。

 ヴィクトル大親分の迎えは手配しているが、可能であれば自分も同行したい。

 ヨーゼフに一刻も早く会ってみたいというのももちろんあった。

 が、それ以上にルイにとっての親分に当たる<剛腕>ダヴィドの“頼み”の件が大きい。

 ダヴィドはルイに、<神速>のヨーゼフを最上級の客として迎えるように、と言った。


 最上級の客を迎えるには貴賓に対するのと同じく、先触れが必要だ。

 迎えを寄越す前に、事前の報せを入れる。

 明日中にヨーゼフを迎えに上がるのであれば、早朝の内に先触れとして訪ねねばならない。

 こういう細やかな気遣いの積み重ねが、上に登る為の下積みになる。


 打ち捨てられた古い寺院の鐘撞堂を回れば、もうそこが旧水道の出入口だ。

 その時、ルイは茂みに怪しい人影を見つけた。


 ○


「ジジイ一人相手に大仰(おおぎょう)なこったな」


 薄暗い茂みには、十人ほどの男が集まっている。

 ルイは鐘撞堂の影に隠れて様子を見ようと近付いた。

 男たちは服装からして、ならず者らしい。

 月の光だけではよく見えないが、いずれも手に得物を持っていた。


「けどよ、あのジジイがあんなに強ぇなんてのは聞いてねぇぜ」

「ああ、ありゃただの<鋳掛け>じゃねぇな」


 <鋳掛け>、という言葉にルイの鼓動が早くなる。

 確かヨーゼフは<鋳掛け>を偽名に使っていたはずだ。


「そうは言っても、老いぼれだ。十人で囲めば、千に一つのしくじりもねぇだろう」

「油断は禁物だ。五人で行っても返り討ちにあったんだ」

「そりゃ、お前らが弱っちぃからだろうが」


 軽い諍いと、それに伴う失笑。

 “油断するな”と言いながら、ならず者たちは弛緩し切っている。

 十人というのはそれほど大きな戦力だ。如何に相手が英雄といえど、もはや老人。

 囲んで負けるはずがないという安心だろう。


 膝が震えるのを必死に堪え、ルイはならず者の話を総合する。

 どうやら彼らは五人で一度ヨーゼフを襲い、失敗した。

 そこでさらに人数を増やし、再度襲撃しようとしている。


 ルイは顔から血の気が引くのを感じた。

 どこまでも英雄に憧れながら、浮浪児の生まれは<悪童>を現実主義者に育てている。

 十対一。

 それは喧嘩慣れしたルイにとって、覆すことの出来ない戦力差だった。

 不意打ちを掛ければ、或いは策を練ることさえ出来れば、或いは何とかなるかもしれない。

 但し、今回の場合は状況が逆だ。

 奇襲を掛けるのはならず者の側であり、襲われるヨーゼフはこのことを知りすらしない。

 これだけ冷える夜だ。酒でも飲んで、もう寝ているかもしれなかった。


「<鋳掛け>のジジイは、女を連れてるそうじゃないか」

「ああ、一緒に飯食ってたな。まだガキだ。あんなしょんべん臭そうな娼婦(スケ)はいねぇ」


 ヨーゼフと一緒に居る、少女。

 それはロザリーのことに違いない。

 ダヴィドから預かった書状には、彼女も一緒に迎えるようにとしたためられている。

 年相応に女に興味のあるルイだったが、ロザリーには気後れして近寄れなかった。

 その割に妙に印象に残っている。

 もう一度会いたくなる、不思議な少女だった。


「ふぅん。そいつはどうする?」

「決まってるさ」


 ならず者のリーダーらしき男は、嗤った。


「愉しんだ後、さっくり殺るさ」


 ○


 叫び出しそうになる自分を、ルイは必死に抑え込んだ。

 どうすればいい。

 自分の中で神格化された英雄という存在ではなく、顔を知っている少女が殺されると聞いて、初めてルイの中に激しい怒りと嫌悪と恐怖が渦巻いた。

 人の死には慣れている。理不尽なそれも随分と見て来た。

 だからと言ってこの状況を見逃すことは出来ない。

 ここで踏ん張らないと、一生後悔する。そんな予感がルイに押し寄せていた。


(考えろ、考えるんだ)


 相手は十人。

 位置関係からして、先回りも難しい。

 かと言って、自分が捨て石になるのも御免蒙る。

 ルイ一人が出て行ったところで、撫で切りにされて事態は振り出しに戻るだけだ。

 では仲間を呼ぶか。

 それも、間に合いそうにない。ここから<跳ねる鱗魚(さかな)>亭までは結構な距離があるのだ。


 逃げ出したい。

 自分如きでは、どうしようもない事態だ。


(でも)


 吟遊詩人の語る、物語の中の英雄ならどうするだろう。

 こんな時、勇者の同行者(パーティ)なら決して逃げないはずだ。

 騎士なら斬り込んで捩じ伏せるだろう。

 僧正は説法で説き伏せるかもしれない。

 では、魔法も歌声も持たない自分には何が出来る?

 機転だ。

 斥候の、機転。


(落ち着け、ルイ。お前なら思いつくはずだ)


 ○


 大工の親方は腹を立てていた。

 新年まで、明日で半月を切る。

 ということは、夫婦の“お愉しみ”は新年の感謝祭が明けるまでお預けということだ。

 ところが信心深い彼の妻は、今日から身を慎むべきだと親方に諭した。

 元はといえば妻は先代の親方の未亡人だ。こう言われると強く出られない。

 しかし男というのはこういうことについては一度火が付くとなかなか収まりが付かないものだ。

 親方がなけなしのヘソクリを手に夜の街に飛び出したのも無理からぬ話だった。


 それが、だ。

 どうした訳か今日は不運が重なった。

 馴染みの淫売宿は店主の禿爺が風邪だとかで看板を出しておらず、行き当たりばったりで飛び込んだ店では酷く痩せぎすな、しかも疥癬(かいせん)持ちの女を宛がわれたのだ。

 これで怒らない方がどうかしている。

 散々店の前で暴れて料金は負けさせたものの、それでも腑には落ちない。


 道端の石を蹴りながら家路をゆっくりと歩く。

 妻の所為でこんな目に遭ったとは言え、事が済めば後ろ暗さも出てくるものだ。

 怒りと後ろめたさに夜の寒さが加わって、どうにも気分が落ち着かない。

 安酒でも引っかけて行くかと<乞食通り>に差し掛かったところで、親方は妙な物を見つけた。


 子どもが、倒れている。

 それくらいなら珍しくもなんともない。

 季節は冬だ。屋根のある(ねぐら)を見つけられなかった浮浪児はしばしば凍死する。

 大抵は墓掘り人夫が明け方の内に始末してしまうが、見慣れないものでもない。

 ところが、この子は夜目にも分かるほどの血塗れだ。


「おい、大丈夫か! しっかりしろ!」


 浮浪児相手とは言え、見捨てるのも忍びない。

 それに、何か事件であれば見逃すわけにも行かなかった。

 大工の親方といえば、<首府>の参事会にも出席権を持つ、立派な市の構成員なのだ。

 抱き起した子どもは息も絶え絶えに呟く。


「や、夜盗……」

「夜盗だって?」


 夜盗にやられたというのか。

 それはますます見過すわけにはいかない。


「坊主、夜盗はどこにいる?」

「外壁の傍の、古い、鐘撞堂の…… 数は、十人くらいで……」

「分かった、もう喋るな」


 そう言って子どもを取りあえず近くの軒下に横たえると、親方は手近な家の戸を乱暴に叩いた。

 <乞食通り>と言っても、乞食が住んでいるわけではない。

 ほとんどは、旅籠や安い木賃宿だ。

 こういう処に乞食が潜んでいるので、この通りの名が付いた。

 程無くして、寝ぼけ眼の宿の親爺が顔を出す。


「……どうされましたな、こんな夜更けに」

「夜盗だ、子どもが刺された」


 寝起きを叩き起こされて明らかに不機嫌な親爺にそれだけ言うと、戸口から引っ張り出す。


「オレは今から衛士を呼びに塔まで走る。お前さんはこの辺りの男衆を叩き起こしてくれ」

「は、はい」


 気迫に圧倒された親爺は人形のように諤々と頷くと、早速隣の戸に取りつく。

 大工の親方は満足げに鼻を鳴らすと、一番近い東塔に向けて走り出した。

 その時には、既に血塗れの子どもが姿を消していたことには、気付きさえしない。


 やがて、どこからか半鐘が鳴り始めた。

 男衆は手に手に武器を持ち、松明で夜道を照らす。

 <首府>は<王都>だが、市民の街でもある。

 夜盗や魔物が城壁内に入り込めば、力を合わせて撃退するのがこの街の流儀だ。


 ○


 ルイはフユヤマゴボウの汁で汚れた上衣を脱ぎ捨てた。

 お気に入りの一着だったが、あの汁は一度付くと洗っても取れない。

 演技は、巧くいった。

 見つけてくれたのが、どこかの親方だったのもついている。

 これがただの職人や徒弟だったら、こうも上手に事は運ばなかったに違いない。


 この騒ぎは間違いなく城壁の外にも届くはずだ。

 優秀な斥候(スカウト)である<神速>のヨーゼフが、これに気付かないはずはない。

 ルイは地面にへたり込みそうになる身体を、必死に持ち堪えた。

 今になって膝が震える。大人を担いだことは何回もあるが、これほど緊迫した演技は初めてだった。

 だが、まだ仕事が終わったわけではない。

 よろめきながら鐘撞堂の影に潜む。

 ならず者たちの動向を確かめねばならなかった。


 ○


「おい、どうなってやがる?」


 胴間声のならず者は、明らかに焦っていた。

 無理もない。

 <乞食通り>には煌々と松明の明かりが灯り、“夜盗の群れ”を追う声はここまで響いている。


「駄目だ兄貴、このままじゃ捕まっちまう」

「そうだよ、得体の知れない爺の相手なんて止めちまってさ、逃げようぜ」


 言いながら気の早いものは市外に通じる旧水道にもう足を向けている。

 この稼業は見極めが肝心だ。

 少しでも欲を掻けば、あっという間に冥府行き。それだけに男たちの動きは俊敏だった。

 蜘蛛の子を散らす、という表現がしっくり来る腰の軽さで逃げ出していく。


「おいこら、待て!」

「兄貴も早く逃げた方が身の為ですよ。あいつら、夜盗には容赦しねぇ」


 事実だった。

 都市は一個の人格であり、王の臣下である騎士と同じく自衛権(フェーデ)を持っている。

 王は君臨するが、下々の家臣まで庇護してやることは出来ない。

 言ってしまえば、自分の身を自分で守る権利、ということになる。

 都市の外からの夜盗は明らかに自衛権を侵害していた。


 となれば、その扱いは厳しくならざるを得ない。

 激した<首府>の市民は統制が効かず、しばしば正規の裁判を待たずに夜盗を城壁から突き落とすことで知られていた。

 落ちても無事であれば、神の恩寵があるとして無罪。

 物陰に隠れたルイの知る限り、これまでに無罪になった夜盗はいないのだが。


 ついに最後の一人まで旧水道の闇に消えるのを確かめ、ルイは今度こそ腰を下ろした。

 やり(おお)せたという充実感が身体に満ちている。

 普通の何倍も疲れた身体に鞭を打ち、ルイは城門に歩を向けた。

 いつの間にか、城門の開く時間だ。

 使わなかった松明を仕舞い込み、ルイは英雄の下へ急ぐ。

 城壁越しに見える東の空は、もう白み始めていた。

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