<王女摂政宮>アレクサンドリーヌ
<凱旋歴一〇一二年一五月十四日夜 王城、首府、東王国>
嘲笑が驚愕に変わるのに、それほど時間は掛からなかった。
女摂政宮主催の酒宴に参加した貴族たちは、そこに居並ぶ冒険者たちを新しい余興の参加者か何かと考えていた。
まともな格好をしているのは一握り。
祭りの仮装でもしているような冒険者たちが貴族と同じ席で食事を取ると知り、嘲りは怒りに変わった。
「どういうことだ、アナトール・デュ・ブランシェ男爵!」
「そういうことです、ル・マーン子爵殿」
ル・マーン子爵のぶつける憤怒を軽く受け流し、<寝取られ男>は恭しく宣言する。
「本日ここにお招きした歴戦の冒険者の方々は、新年には騎士、あるいは従士に叙されます。
これは勿論、畏れ多くも王陛下の大権を代行されている摂政宮殿下も御存知のことです」
貴族たちも流石に怒号を上げる真似はしない。
摂政宮とアナトールの握る権力は絶大だ。
今ここで歯向かうのが愚策だということくらいは、誰でもわかる。
そうは言っても、発表の内容が内容だ。怒りの籠った囁き声が大広間に満ちる。
予め企ての内容を聞かされていたバティーニュ塔伯は、目立たぬように隅の席で葡萄酒を啜っていた。
下手に騒ぎに加わって要らぬ勘繰りをされるのを嫌ったからだ。
広間は沢山の蝋燭で照らされている。
壁に映る貴族と冒険者のゆらめく影の動きは、まるで喜劇のように見えた。
この蝋燭も、安くはない。
今の王家がどれだけの力を持っているのか、集められた貴族たちに見せつけるつもりか。
料理も豪勢だ。
鴨肉のステーキや、豚肉のラグーをはじめ、冬の<首府>ではお目にかかれないものが並んでいる。このもてなしを見れば、王家に、いや王女摂政宮と<寝取られ男>に逆らうのがどれほど莫迦らしいことか分かるはずだ。
だが、何処の馬の骨とも知れぬ冒険者と同列に扱われた貴族たちの憤懣は収まらず、誰かと怒りを共有せずにはいられないらしい。
「塔伯殿、どう思われますかな?」
声を掛けて来たのは随分と肥え太った騎士だった。この体躯では戦場働きは難しいだろう。
「どう、とは?」
「あのならず者たちのことですよ。あんな連中を王家の藩屏に加えるというのは如何でしょうな」
「さて、やんごとなき方々の考えは深慮遠謀に満ちておりますからな。
小職如きが論評を加えられる問題ではないかと思いますが」
適当に受け流しながら、太っちょ貴族の物言いにバティーニュは鼻白んでいる。
確かこの貴族も、ただの騎士だ。准男爵ですらない。
簒奪王朝である今のパリシィア王家に譜代の家臣などほとんどいないのだから、彼らも元を辿ればどこの馬の骨か知れない連中なのだ。
“王家の藩屏”などと偉そうなことを言っているが、果たして槍働きでは冒険者とどちらが役に立つか。
「帝国の方は随分キナ臭いと聞きますぞ。
こういう時こそ、王国貴族は力を合わせて苦難に立ち向かわねばならんのです、塔伯殿。
それを、あのような…… <寝取られ男>の奴め!」
酒臭い息を吐き散らしながら怒鳴る貴族を宥めながら、バティーニュは酔いが醒めて行くのを感じていた。
そうなのだ。
帝国総督の健康が思わしくないと伝えられる今、東王国は戦に備えなければならない。
パリシィア家は、“王”というよりは横並びの諸侯の中で頭一つ抜けた大貴族と言った方がしっくりくる。
指揮下にあるのは王家の郎党衆とこの太っちょのような新興貴族による騎士階級。
そして、傭兵だ。
その中で一番比重が大きい傭兵をどれだけ巧く扱えるかは、戦争に当たっての大きな課題となる。
専業傭兵は古くからの地縁血縁と契約更新によって富裕な大貴族に囲われていた。
王家が連隊長に勅許状を与えても、集まるのは新兵ばかり。
だが、冒険者の主だった者を騎士、従士として抱き込めばどうなるか。
新兵がほとんどでも、その中核に戦慣れした冒険者が五百も加われば部隊の戦意は大きく上がる。
それも踏まえての今回の動きなのだろうか。
葡萄酒を呷ろうとして、バティーニュは陶器が空だった事に気付く。
視線の先では、麗しの王女摂政宮と、<寝取られ男>が何か話し込んでいた。
○
「殿下、如何ですか? 新たに騎士に叙される者どもの面構えは」
「少し野卑だな。だが、それが頼もしい」
口に付いたソースを優雅な手付きで拭いながら、摂政宮はアナトールの問いに答える。
“妙策”の内容は事前に知らされていたが、実際に二十六人もの冒険者を一堂に見ると壮観だ。
作法も何もなく宴の料理を貪る様は、確かに品がないとも思える。
とは言え、こういったものをも使いこなせねば難事を成し遂げることなど出来はしない。
「で、手筈はどうなっている?」
「万事抜かりなく。新年の祝賀の際には発表出来るでしょう」
「ふむ」
<寝取られ男>の“妙策”は、実のところ枝葉に過ぎない。
王女摂政宮と<寝取られ男>の二人が温めて来た巨大な企みから、目を逸らす意味もある。
蕎麦粉のクレープを齧りながら、王女摂政宮アレクサンドリーヌは大広間に視線を走らせた。
やはり目を引くのは、アナトールからも報告のあった<鬼討ち>ヴィクトル。
流行りを取り入れた服装は、ここに列席する貴族の中でも上から数えた方が良い。
それと、<嘆き>のイシドール。
魔術師のローブに身を包んだ陰惨な雰囲気の男だが、目の光は深い知性を窺わせる。
なるほど一家を構えるだけあって、集められた冒険者はそれぞれにどこか見所の一つもあるものだ。
こういった在野の士を取り立てることに、アレクサンドリーヌは躊躇しない性分だった。
王家の置かれている地位からすれば、重用する人間はしがらみが少なければ少ないほど上等なのだ。
二十代前に王が居ようが、三十代前に勇者が居ようが、百代前に教皇が居ようが関係ない。
今はただ、一個人として能力の高い臣下を揃える必要がある。
「しかしよろしいのですか? 今ならまだ、引き返すことも出来ます」
「構うまい。祖法とはいえ、時代に合わなくなったものは改めねばならない」
「では、“王都定立の勅”の件、進めさせて頂きます」
王都定立。
これまでのように王廷が各地を行幸することを止め、<首府>に<王都>を定める。
王家の求心力を高め、政治機構を整備する上でこれは不可欠な措置であった。
国法や数代に渡る王宣は王廷が各地を巡幸することを前提に作られているが、それも改める。
王国全土に無数の飛び地の王領を持つパリシィア家は、長年に渡ってこの機を待ち続けていた。
王家が力を持ち、最大の仮想敵である帝国は身動きが取れない。
この好機に王都を定め、官僚機構を拡充し、国力を高める。
水運と陸運は安定して発展しつつあり、無理をすれば王廷が動かずとも税収を<王都>に集中させることも出来るようになってきていた。
今でこそ冬は物不足になるが、これも適切な手を加えてやれば解決できるはずだ。
冒険者の騎士叙任は、王都定立による祝賀の一環として行われる。
機能を拡充した王都の治安は、今まで以上に守られなければならない。
が、王都定立の混乱で税収は落ち込むだろう。
ならば、金の掛からない方法で治安を維持するしかない。
その為の、“妙策”である。
放っておけば不安要素にしかならない冒険者を、抱き込む。
案自体はアナトールが出したが、騎士叙任にまで踏み込んだのは摂政宮アレクサンドリーヌの考えだ。
位で、縛る。
冒険者は利に敏い。理念や制度では、彼らを操ることが出来ない。
ならば、餌をくれてやろう。
犬の躾と同じだ。言うことを聞けば、欲しいものをくれてやる。
鍍金の拍車、ちょっとした名誉、貴族としての扱い。
こうして鎖に繋いだ犬を使って、王都を定める。
東王国を安定させ、王権を強化する。
そして、それを甥である幼王に譲り渡すのだ。
「任せたぞ、<寝取られ男>。責任は私が取る。好きにやれ。思うまま、な」
「御意にございます」
アレクサンドリーヌは、空虚な笑みを浮かべる。
世間では王女摂政宮は女王に即位するつもりだ、と噂されているというのを思い出したのだ。
莫迦莫迦しい。
叔母にして摂政たる自分ほど、幼王を大切に思っている人間など居はしないというのに。
宴場は騒がしかったが、奇妙に雰囲気は醒めている。
敵意を隠そうともしない貴族たち。
それを鋭敏に感じる冒険者たち。
これを巧く噛み合わせ、馬車の両輪にしてやらねばならない。
アレクサンドリーヌは燭台の蝋燭に灯る火をじっと見つめる。
混乱は、絶対に避けられない。
それでも妥協するつもりはなかった。
(自分の代で、全てケリを付ける)
その瞳には、静かな覚悟が宿っていた。