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スープ

<凱旋歴一〇一二年一五月十四日夕刻 城門前、首府、東王国>


 雪はいつの間にか小止みになっていた。

 身を切るような風の中、王城から冒険者が吐き出されていく。

 一団の中に<剛腕>と<大樹折り>、そして<鬼討ち>の二人を見出すよりも早くルイは駆け寄っていた。


「お疲れ様です」


 声を掛けながら、妙なことに気付く。ヴィクトルがいないのだ。

 手回し良く準備した松明で二人の足元を照らしながらヴィクトルの姿を探すが、どこにも見えない。

 見渡してみれば、王城から出て来た冒険者は全て供周りだ。

 親分衆は、含まれていない。


 <剛腕>も<大樹折り>も表情は平静だが、他の冒険者たちは俄かに殺気立っている。

 それもそうだ。

 このまま親分衆が王城の虜囚(とりこ)となることを恐れている。

 脛に傷のない冒険者はいない。ある意味では、市民よりも王城に対する畏怖は大きいと言えた。


「ルイ、ヴィクトル親分は今夜は王城に泊られるそうだ」

「畏まりました。では、明日の朝にこちらに迎えを寄越すようにします」


 ダヴィドの言葉にルイは速やかに答える。

 即断即決を重んじる<飯場>で鍛えられただけのことはあり、ルイの頭の回転は速い。


「ああ、そのようにしてくれ。

 オレたちも中で何が話し合われているのか、分からない。

 朝からでは無駄足になるかも知れんが、ヴィクトルの親父殿が出てきた時に迎えの一人もいないとなれば、沽券に関わる問題だからな」


 言いながら辺りを見渡すダヴィドの表情は、先を見通している。

 他の組織は、そのほとんどが親分一人の才覚で切り回しているのだ。

 恐らく気の利いた二、三の組織を除いて、迎えなど寄越しはしないだろう。

 王城の中でどのような話が出ているかは分からないが、部下の結束が強いことを示すことは決してヴィクトルの不利益には繋がらない筈だった。


「それと、一つ頼みがある」

「頼みですか?」


 頼み、という言葉に引っ掛かりを覚える。

 <飯場>の仕事なら、命じればいいだけなのだ。つまりこれはダヴィドの私事ということだ。


「ああ、人を一人、<跳ねる鱗魚(さかな)>亭にお招きしたい。客人として、だ。

 その方を迎えに行ってくれ」

「承知しました。で、どなたを?」


 尋ねるルイに、ダヴィドは微笑みかけた。

 それは、何かの覚悟を決めた者の眼だ。隣の<大樹折り>も、似たような眼をしている。


「<神速>のヨーゼフ殿、だ。

 我が<鱗魚(さかな)>亭は、ヨーゼフ殿を最上級の客人としてお招きする」


 ○


<凱旋歴一〇一二年一五月十四日夜 酒場、首府、東王国>


 昼間の雪が収まったからか、酒場はなかなかの繁盛具合だった。

 ヨーゼフはロザリーを伴って、城壁の外にある小さな酒場を訪れている。

 日中の鍛錬に全力を注ぎこんだ所為で晩の飯を用意するのが億劫になったのだ。

 自分が用意すると言い張るロザリーを宥めすかしてまでここに来たのは、疲れた身体が酒精を求めていたということもある。


 カウンターに座る二人の目の前で亭主が卵を割り、ベーコンエッグを作る。

 食べ盛りにしては痩せ細っているロザリーへのヨーゼフなりの気遣いだ。

 旅立てば、まともな食糧は期待しない方が良い。

 焼き固めたパンと、干し肉。季節によっては、温かいものを一口も食べずに行くことになる。

 最初は遠慮していたロザリーも、いざ料理を目の前にすると匂いに抗いきれなかったようで、貪るように匙を動かしていた。


 食べ慣れない料理と格闘するロザリーを見つめながら、ヨーゼフの研ぎ澄まされた耳は店内の噂を拾うのに余念がない。これはもう、習慣の一部となっていた。 


「……北の方はまた随分とキナ臭いそうじゃないか」

「方伯は金をばら撒いて軍を集めてるらしいな。選挙の前に一悶着ありそうだ」

「また戦争か。帝国の貴族さまはつくづくドンパチがお好きだね」


 噂は、帝国に関するものが多かった。

 全て憶測に過ぎないが、状況は芳しくはないらしい。


 帝国の名を冠しているが、神聖帝国には皇帝がいない。

 古帝国が魔軍との前線に置いた辺境領がその前身だ。

 五百年に渡って四分五裂を繰り返した版図は今や麻のように乱れ、数百とも千とも言われる諸侯が覇を競っている。

 その頂点に立つ者が、神聖帝国総督を名乗る。

 帝国の中でも列強とされる三王国、五公領の当主による選挙によって選ばれた総督は、一千諸侯に一応の強制力を持つ存在として認められた。

 当代の総督であるバーデン王国の王アルフォンス三世は、老練な政治手腕を持って知られる。

 長年に渡って諸侯の利害を調整してきた総督は、既に老齢。

 悪いことに、実子がない。

 娘婿や他家に養子に行った弟がいるが、法的にも慣習的にも彼らに継承権は認められないはずだ。


 となれば、戦争ということになる。

 建前として、新総督は三王五公による選挙で選ばれることになるが、親族姻族による派閥争いの激しい帝国諸侯のことだ。建前に名分を与える為には多くの血が必要となる。

 帝国に再び戦争の季節が訪れることは避けられないだろう。


 だが、ヨーゼフにっては帝国の趨勢などどうでもよかった。

 それよりもただ、総督の死だけが恨めしい。


(結局、儂の手で討つことは叶わなかったか)


 酸っぱい葡萄酒(ワイン)の入った陶器を持つ手に知らず力が入る。


 神聖帝国総督アルフォンス三世こそ、ヨーゼフにとっての最大の仇敵だった。

 この十年、あの皺首(しわくび)を斬ることを何度夢に見たか。


 葡萄酒を呷り、邪念を払う。

 禍根を捨て、新しい土地でやり直す為に帝国を捨てたのだ。

 死にかけの老いぼれに構っている場合ではない。

 それは苦渋の決断だった。

 全てを捨ててでも、ギルドを建てねばならない。

 全てを捨ててでも。


 ○


 酒場が騒がしくなった。

 声を荒げて店内に入って来る闖入者の顔に、ヨーゼフは覚えがある。

 昨日人混みでならず者呼ばわりしてやった<邪魔屋>の連中だ。

 数を減らして五人しかいないのは、残りが衛士に捕らえられたからだろうか。


「おい、鋳掛けェ。こんな処で酒かっ食らえるとぁ良い御身分だな、エェ?」


 目聡くヨーゼフを見かけた男が、こちらに近付いてくる。

 瞳は怒気に曇り、尋常な様子ではない。

 いや、怒気ではない。殺気だ。だが、バルタザルに向けられた物に比べて、何と陳腐な殺気か。


「ここでは、他に迷惑になる」

「“他に迷惑になる”だぁ? お前がどれだけオレたちに迷惑かけたと思ってやがるッ!」


 全くの言いがかりでもない。

 最初に<邪魔屋>セレスタンを突き出したのは、ヨーゼフだ。

 だからと言って酒場で襲ってくる理由にはならないだろう。

 こういうやり方をするから、真っ当な冒険者まで疎まれることになる。


 だが、理を説いて通じる相手でもない。

 それに、今晩のヨーゼフは少し虫の居所が悪かった。


「ロザリー、危ないから離れていなさい」


 コクリと頷くと、少女はまだ食べかけの皿を持って避難する。

 よほどベーコンエッグが気に入ったらしい。

 振り返ると、店内だというのに<邪魔屋>たちはもう剣を抜いている。

 他の客は我先にと逃げ出している最中だった。


「ジジイ、今日が貴様の命日だ!」


 安っぽい文句を叫ぶ男の顔に、ヨーゼフは手早く葡萄酒をぶっかける。

 眼潰しだ。酒精は目に入ると激しい痛みを引き起こす。


「ぐわっ」


 顔を押さえる男に向かって、ヨーゼフは椅子を蹴る。

 巻き込まれて倒れ込む男に一瞥もくれず、腰からナイフを抜いた。

 逆手に構えるいつもの態勢だが、昨日までとは気魄が違う。

 別の相手に陶器のコップを投げつけながら、姿勢を低くしてテーブルの間隙を縫って行く。


 相手も長剣を振るが、天井の低い場末の酒場では取り回しに向かない。

 圧倒的に、経験が不足している。

 多対一の利点を活かすことすら出来ていない。


 長剣を振りかぶる相手の鳩尾(みぞおち)にナイフの柄頭を叩き込む。

 必要なのは、殺すことでも倒すことでもなく、敵戦力の各個無力化。

 昨日の戦いと今日の鍛錬は、ヨーゼフに僅かなりとも往時の動きを取り戻させていた。

 テーブルの上に転がる串焼きの串を投げ、怯んだ相手の背後に回り込んで首筋に一撃。

 昏倒する男の表情には、疑問が張り付いている。何をされたかすら分からないだろう。


 三人倒した所で、残りの二人は逃げ出した。

 ならず者を討つ時の定石は、一人も逃がさぬことだ。

 しかしヨーゼフは、敢えてそれをしない。


(さぁ、怨みを募らせろ)


 相手の眼を、ヨーゼフに集めねばならない。

 何処から何処までが敵なのか。それは情報だけでで線引きすることの出来ない問題だ。

 蔓を手繰るように、少しずつ根気よく。

 自分を標的にすることに、躊躇いはない。

 これまでの九回のように失敗しない為には、成しうることの全てをしなければならないのだ。


 ○


 三人を縛り上げて席に戻ったヨーゼフは何事もなかったように食事を再開する。

 迷惑賃として、亭主に舟型(ベトゥ)銀貨を一枚渡すのも忘れない。

 足りない分は、縛り上げた三人を塔伯に突き出せば報奨金が出るだろう。


 葡萄酒も良いが、動いた後には麦酒(エール)が美味い。

 特にこの時期の麦酒はよく冷えている。

 肴のベーコンに舌鼓を打っていると、ロザリーが袖を引っ張るのに気付いた。


「ヨーゼフ様は、スープを飲まないのですか?」

「ん? ああ、スープは昔から半分残すことにしている」


 用心の意味もある。

 今のように急に敵に襲われた時に、腹が膨れて動けないのでは斥候(スカウト)の恥だ。

 ただ、それだけではない。


「ちょっとした願掛け、だな」


 そう言ってスープ皿に視線を落す。

 薄い豆のスープはとうに冷め切っていた。

 分け合うべき相手は、今何処にいるのだろうか。

 最悪の予想は常に付きまとう。が、ヨーゼフの頭はそれを受け入れようとしない。


(……早く、帰って来い)


 今はただ、ギルドを建てねばならない。


 それが、<勇者>との約束なのだから。

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