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<悪童>のルイ

<凱旋歴一〇一二年一五月十四日午後 城門前、首府、東王国>


 風に吹かれた雪は次第に強さを増している。

 下馬先(げばさき)に残された冒険者たちは狭い軒先に集まって寒さを堪えていた。

 親分衆が王城に招じ入れられてから随分になるが、まるで音沙汰はない。

 何が起こるかと期待と不安を募らせていた気持ちはいつの間にか萎み、後には惨めに着飾った姿を晒しているだけだ。


「寒い」


 口に出した誰かを、全員が睨みつける。

 言われなくても分かっているのだ。

 辺りは吹雪の様相を呈しはじめている。こんな日に出歩くのは、莫迦かさもなくば狂人だ。

 ああ、今は温めた葡萄酒(ワイン)()りたい。

 そう皆が思った鼻先に、湯気が漂った。


「兄さん、白湯(さゆ)は要らんかね?」


 粗末な木の器になみなみと注がれているのは、確かに白湯だ。

 思わず受け取りそうになって、冒険者は差し出す手を見た。

 小汚い子どもだ。

 いや、ただの子どもではない。

 <剛腕>ダヴィドの子分、<悪童>のルイだった。


 ○


「要らんのか?」


 ルイが尋ねると、冒険者は引っ手繰るようにして器を採り上げようとする。

 が、そこは手慣れたものでルイもひょいとそれを躱す。


「……白湯だと?! 寄越せ、糞餓鬼!」

「はい毎度あり。貝殻(シェル)銅貨一枚になります」


 満面の笑みで手を差し出すと、冒険者の顔が引きつった。


「金を取るのか?!」

「そりゃそうだ。ツケは効かぬが冒険者稼業でしょう?」


 冒険者は、ツケが効かない。

 明日をも知れぬ渡世者に好きこのんで金を貸すお人よしはいないからだ。


「ええぃ、一シェルなら安いもんか。ほらよ」


 冒険者は貝殻(シェル)銅貨を叩き付けるように渡し、今度こそ木の器を奪い取る。

 ルイは銅貨を懐に収めながら、周りの冒険者にも声を掛けた。


「さぁさ皆さま。白湯はまだまだございますよ、ご要りようの方はいらっしゃいませんか」


 ○


 銅貨で一杯になった合財袋の重さを確かめ、ルイはにんまりと笑った。

 ひとしきり掌で愉しんだ後、袋の中から銅貨を三枚ずつ分けて取り出す。


「御苦労。これがお前たちの取り分だ。今日は助かった」


 そう言って一人ひとりに声を掛けながら、浮浪児たちに銅貨を配る。

 報酬だ。

 白湯の準備も販売も、ルイはこの浮浪児たちを使った。



 雪のちらつく中で親分たちを待たねばならないと分かった時、ルイはすぐに浮浪児を集めた。

 元々自分が浮浪児の出だ。顔は広い。

 集めた連中を王家の御猟場まで走らせ、薪を集めさせる。

 自分は王城の南門近くの寺院に頭を下げて回り、炉と鍋を借りる算段を取り付けた。

 木の器は、<跳ねる鱗魚(さかな)>亭から運ばせる。あそこなら人足用の器がたっぷりある。

 どうせこの雪なら、荷揚げは中止になるに違いない。


 そこまで支度を整えたら、小芝居の時間だ。

 一番苛々している冒険者に白湯を売りつける。

 勝手に大声で宣伝してくれるという寸法だ。

 殊の外巧く行き、浮浪児たちへの賃金を払っても随分と袋は重い。


「それにしても、遅いな」


 ルイは王城を見上げた。

 吹雪に吹かれる王城が何か恐ろしい生き物に見え、慌てて眼を背ける。

 三人は、まだ出てこない。

 垂れそうになる(はな)を袖で拭いながら、ルイは次の金儲けのことを考え始めた。


 ○


<凱旋歴一〇一二年一五月十四日昼過ぎ 王城、首府、東王国>


「ヴィクトル、お前さんが“そちら側”に立っている理由は説明して貰えるんだろうな?」


 並んで立つアナトールとヴィクトルを見て、イシドールは尋ねた。

 アナトールの部屋に二人目に招じ入れられたのは、魔術師であるイシドールだった。

 その表情は凪いだ水面のように何も映していない。

 魔術師の正装である濃紺のローブに身を包んだ彼は、まるでこうなることを知っていたかのようだ。


「イシドール君、貴方なら予想出来たのではないですかね? “魔法”の力で」


 アナトールは意地の悪い笑みを浮かべ、イシドールの顔を覗き込む。


「男爵殿、魔法は、それほど便利な代物ではありませんよ」

「そうなのですか?

 貴方の修めた“兆術”は魔術の中でも先見(さきみ)に向いた術だと聞いていますが」

「そういう側面も、あるにはありますよ。だが、全てが見通せるわけではない」


 魔法を構成する四術(クワドリヴィア)の中でも、兆術は扱いにくい術だった。

 占術と同じく先見の力であるが、能動的ではないのだ。

 見ようと思うものが見えるのではなく、ふと先のことが分かったりする。

 天気や農作物の出来具合といった天象のことが多く、練達せねば飯の種にはならない。

 修行に修業を重ねねば、それが未来のことなのか自分の妄想なのかの判別もつかない。

 使いどころの難しい術であったが、イシドールはその兆術を専門としていた。


「今回のこれは、見えていたとも言えますし、見えてはいなかったとも言えます」

「ほう」

「兆術は兆しの術。先々の景色が見えるだけですから。理由や意味合いまでは分かりかねますな」


 アナトールに卑屈な愛想笑いを向けてやる。

 兆術を使う者は、常に言葉に気を使わねばならない。

 常に、曖昧に。どうとでも取れるように。

 見えたと言えば疑われ、見えないと言えば罵られる。

 実際には今日呼ばれて一番慌てふためいていたのはイシドールだ。何の兆しも見えていなかった。

 そのことをここで言って、わざわざ自分の値打ちを下げるほど莫迦ではない。


「<嘆き>のイシドール、お前もオレと同じく、騎士に叙される」


 それまで黙っていたヴィクトルが重々しく口を開いた。

 有無を言わさぬ口調だ。


「それは有り難いことだね、<騎士>ヴィクトル殿。明日をも知れぬ冒険者をやっているより余程いい」


 自然と口調に棘が混じる。

 批難というよりは、皮肉だ。

 或いは自嘲かもしれない。謎々(リドル)の答え一つ読めない自分が、騎士になる。

 魔術師として修練を積み、魔術師株は得たもののついに仕官先のなかった自分が。


「魔術師イシドール、貴方には期待していますよ」

「それは恐悦の至りです、男爵殿」


 <寝取られ男>に恭しく礼をして見せながら、腹の中では別のことに頭を巡らせる。

 細かいことは、後で良い。

 問題はどうすれば生き残ることが出来るかだ。

 多くの人間はこの胡散臭い耳長男の専横がこの先も続くと考えているようだが、<嘆き>のイシドールはそこまで楽天的にはなれない。

 <嘆き>の名を冠する兆術師は、杞憂と笑われるほどに未来を悲嘆して備えるのが信条なのだ。


「さて、騎士にして頂けるのは大変名誉なことですが、私は誰の剣を肩に()ければよいのでしょう?」


 ヴィクトルの眉が微かに動く。

 さしもの<鬼討ち>もそこまでは尋ねていなかったようだ。

 騎士に叙任される場合、誰に叙任されるかはとても大きな問題となる。

 叙任権を行使した人間は、形式的に主君と看做されるからだ。それも、生涯に渡って。


 今の東王国の内情は、難しい。

 幼王。

 王女摂政宮おうじょせっしょうのみや

 この二人は対立していないものの、利害は完全には一致していない。

 その取り巻きともなると、ほとんど暗闘しているに等しかった。

 イシドールにせよ、ヴィクトルにせよ、誰の剣を享けるかで将来が大きく変わる。


 <寝取られ男>アナトール・デュ・ブランシェは王女摂政宮派だ。

 だがここでアナトールの肝煎りで冒険者たちが王女派として騎士叙任されれば、それは露骨に派閥の強化と映るだろう。幼王が親政を敷くことの出来る年齢になる前に、地歩を固める。

 気の早い諸侯は王家に内紛の火種ありと見るかもしれない。


 かと言って、王の剣を享けるのも最善ではない。

 王の直臣となれば立場としては男爵であるアナトールと同じとなる。

 陪臣(またもの)を多く抱える東王国貴族の中で、昨日まで冒険者だった人間が直臣となるのは、秩序への挑戦とも言える蛮行だ。

 神々が許しても腹に据え兼ねる人間は少なくないだろう。

 他ならぬ王の直臣団、<官僚派>と呼ばれる連中がアナトールに軽んじられたと騒ぎ出すに違いない。


 兆術師であるイシドールは師から宮廷遊泳の術も多少学んでいる。

 この状況は、判断の難しい局面だ。

 策略家として名声のあるアナトールが、どのような奇策を用いるのかに興味があった。


 ○


(これは思わぬ拾いものをしたかもしれんなぁ)


 <嘆き>のイシドールの問いに、アナトールは目を細める。

 これまで冒険者などというならず者を“人材”として捉えたことはなかった。

 <鬼討ち>ヴィクトルは手駒に加えても良いと思ったが、このイシドールは口調からすると宮廷政治の機微について初歩的な知識を持っているらしい。

 これだから、政治は面白いのだ。


 盤面に並んだ駒以外が、突然躍り出る。

 アナトールは現実主義者であり、英雄などは信じていない。

 国庫に負担を掛けてまで勇者を擁立するなど愚行の極みだと思っている。

 世の中を動かすのは英雄ではなく、人であり、知恵であり、金であり、力だ。

 だが、冒険者というのはそれほど捨てたものではないのかもしれない。


「イシドール君の懸念はもっともだ。

 実は今回の叙任は、王叔宮(おうしゅくのみや)殿下にお願いする手筈になっている」


 ヴィクトルとイシドールは一瞬顔を見合わせ、腑に落ちないような表情をしている。

 それはそうだ。

 王叔宮といえば、既に忘れられた過去の人物なのだから。


 ○


 王叔宮(おうしゅくのみや)殿下、と呼ばれる人間はこの東王国に一人しかいない。

 先王のさらに叔父、当代の幼王から見れば大叔父に当たる人物である。

 名を、ピエールと言う。


 既に老齢で政治向きに興味を示さず、兄であった先々王の下賜した田舎の荘園で土いじりをしているだけの隠居老人だ。

 ほとんど政治的に死んだような人間だが、数少ない王族の一人であり、宮殿下でもある。

 騎士叙任権者の格からいえば、王女摂政宮より上。王に次いで東王国で二番目だ。

 アナトールは、この人物を田舎から担ぎ出すことに成功した。

 この老人ならば、騎士・従士となった冒険者を炊き付けるようなこともない。

 奇策と言えば、これ以上ない奇策であった。


「宮殿下は王城に居を構えておられる。日を改めて、挨拶に行ってはどうかな」

「ご配慮いただき有難うございます」

「早速、手配を致します」


 二人の新しい手駒を見て、アナトールは喜悦を感じている。

 これならば、事は巧く進むだろう。

 <首府>の治安回復など、大事の前の小事に過ぎない。


 アナトールは、みすぼらしく垂れた長い長い自分の耳たぶを触る。

 異相故に虐げられた自分が、国を動かすのだ。全てを。

 これは、とてもとても楽しいことになりそうだった。

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