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握手

<凱旋歴一〇一二年一五月十四日昼過ぎ 王城、首府、東王国>


「待って下さい、騎士への叙任など…… 従士でもない人間を、急に」


 騎士に叙される為には、まず従士である必要がある。

 従士として行儀作法を身につけ、徳が高く武の修練を怠らなかった者が騎士に叙されるのだ。

 それをこの男は、一足飛びに騎士に叙するという。


 慌てるヴィクトルを、まぁまぁとアナトールは嗜める。


「従士ではない人間を騎士に叙する、というのは古くから英雄譚ではよくある話じゃないか。

 何も特別な話ではない。それに、君だけが騎士に叙される、というわけではないしね」

「私、だけではない?」

「ああ」


 アナトールは満面の笑みを浮かべる。


「親分、だったかな。<冒険者>の主だった者の中から、騎士を四人。従士を二十二人取り立てる。

 合わせて二十六名。ああ、ちょうど今日呼んだ人数と同じだね」

「しかし、それは……」


 ヴィクトルは絶句した。

 この男は狂っている。間違いない。

 <冒険者>など何処の馬の骨か分からないのだ。それを二十六人も。


「血筋の問題かい? 気にすることはない。

 偉そうに騎士剣を吊っている人間も、五代(さかのぼ)れば何をしていたか分からない。

 それに……」


 <寝取られ男>はヴィクトルの背後に回り、耳元で囁く。


「君の場合、血筋の心配は何もない。違うかい? ヴィクトル・デュ・エロー」


 デュ・エローはヴィクトルの姓だ。

 冒険者になる時に捨てたつもりだったのだが。


「デュ・エローの家は代々従士を輩出しているそうじゃないか。

 確か君の曾爺さんに当たる人物は主家の男爵家からの養子だったということだしね」


 何処まで調べているというのか。

 曾祖父の話など、ヴィクトル自身が初耳だった。


「他の者たちも心配することはない。

 イシドールくんは一応魔術師だから騎士にして問題はないし、後の二人についても“あて”がある」


 金に困った貴族の中には、大切な大切な家系図の中に消えかけた名前を見出す者がいるそうだよ。

 そう言って忍び笑いを漏らすアナトールの声を聞いていると、ヴィクトルは何かが急速に冷めていくのを感じた。


(この男は、不遜にも全てが自由になると信じているらしい)


 なるほど、政治の手腕は確かだ。頭も悪くない。

 敵には回したくない種類の人間だ。

 だが、今は敵対しているわけではない。むしろ相手は先に餌をぶら下げて見せた状態だ。

 差し詰めこちらは大物の魚か。

 釣られるのはしょうがないが、精々高く吹っ掛けてやろう。

 唯々諾々と従う人間を欲しがるような男でもなさそうだ。



「それで男爵殿、私に何をお望みです?」


 アナトール・デュ・ブランショは目を細める。

 値踏みするような、癪に障る目だ。


「市中のね、治安を任せようと思うんだ。つまり、君たち<冒険者>に」

「ほう」


 息を呑みそうになるのを、ヴィクトルは必死にこらえる。

 治安の維持だと?

 ならず者と大して変わらない冒険者に、逆に<首府>の治安を委ねるというのか。


「怖れながら、現在その任にある塔伯殿がたは?」

「そのまま留任する。君たちには、その下に付いて貰う。つまりは寄騎(よりき)だね」


 ヴィクトルは頭を巡らす。

 既存の組織の中に、冒険者を取り込む。

 当然、人数が増えた分だけ犯罪の取り締まりはしやすくなるだろう。

 罪を起こす側を取り込むのだから、効果は大きい。

 今日呼ばれた親分衆の中には、ほとんど夜盗の頭目に近い連中も含まれているのだ。


 だが、それだけではないだろう。

 偏執的なこの男が単に衛士の増員の為にならず者を貴族の末席に加えるはずがない。

 一体、何だ。


「ああ、それと。君たちには俸給が出る。騎士とは言え領地がないからね」


 俸給。

 その言葉を聞いた瞬間に、ヴィクトルの中で全てが繋がった。

 完全に、()められている。

 ヴィクトルが、ではない。他の親分衆が、だ。


「そうは言っても、今回の件は特例だからね。満額というわけにはいかないよ」


 アナトールの言葉が空虚に響く。

 地位と、金。

 つまりは、冒険者に対する締め上げなのだ。

 頭目となる親分衆を地位で縛り、犯罪を行えないようにする。

 これまで養っていた部下はどうなる?

 資金源のなくなった組織は、解体される。されざるを得ない。


 ヴィクトルのように人足を束ねるという現業の資金源を持っているところは、まだいい。

 真面目に隊商の護衛をしている連中も助かるだろう。

 だが、みかじめ料を集めたり違法な賭博や塩などの専売品の密輸で儲けていた連中は……


(分裂、しかないだろうな)


 かつての親分と舎弟が血で血を洗う戦いをする。

 それは親分と舎弟としてではなく、王廷の手先としての従士とならず者の対立だ。

 <首府>は不安定になるだろう。しかし、それも一瞬のことだ。

 犯罪に手を染めるならず者がいなくなることはあり得ないが、今よりは数が減る。

 そして、新たに田舎から<首府>に上って来る犯罪者予備軍となる冒険者は、ヴィクトル達に徹底的に取り締まらせ、農村に送り返させる。

 この男はこれくらいは考えているに違いない。

 いや、もっと先までか。


 冒険者は、減るだろう。

 今よりもっと弱々しく、今よりもっと御しやすく。

 騎士や従士に叙された親分衆も、いずれは力を失う。

 高い身分である為には、体面を保つ為に相応の金が必要となるのだ。

 舎弟からの収入を失った彼らが、それを払い続けることの出来る期間はさほど長くないだろう。


 牙を抜かれた狼は、いずれ王廷に尻尾を振る犬になる。

 犬を飼うことは悪いことではない。盗人避けにもなるし、猟にも使える。

 戦争の役にも立つだろう。

 畜生。


 いつの間にか俸給の説明が終わったらしく、アナトールは仄暗(ほのぐら)い笑みをヴィクトルに向けていた。


「どうかな、ヴィクトル君。これは、悪くない話だと思うんだ。

 国にとっても、王にとっても、民にとっても、もちろん君にとっても」


 ヴィクトルは心の中でお前にとっても、と付け加える。


 ああ、完敗だ。

 世の中には本当に頭が切れて底意地の悪い奴がいるものだと思い知った。

 そして、この案に心惹かれている自分がいる。

 この案なら、資金源を温存できるヴィクトルは生き残ることが出来るのだ。

 敵対する親分衆を合法的に葬り去り、<首府>を手にする。

 それはとても甘美な誘惑だ。

 それに。


 騎士。

 作法師(エロー)だった親爺が、憧れ続けていたもの。

 それが手に入る位置にぶら下がっているのだ。

 釣りの得手不得手は餌選びに因ると聞いたことがある。

 金も名誉も手に入れたが、常に満たされていなかった、何か。

 その何かは今、目の前に鍍金の拍車として転がっていた。



「君は、頭が良い。私たちは、仲良くなれると思う」

「……そうあれればと願っております、閣下」


 アナトールが、手を差し出す。

 ヴィクトルは躊躇うことなくその手を取った。

 握手は、固い。

 目指す方向は違えど、利害は一致していた。



 窓の外では、雪は吹雪に変わりつつある。

 <首府>は、新しい季節を迎えようとしていた。

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