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拍車

<凱旋歴一〇一二年一五月十四日昼過ぎ 王城前、首府、東王国>


 王城に入るには中洲にある南門から入るか、東西の跳ね橋のいずれかを通らなければならない。

 いずれの入り口の前にも下馬先(げばさき)と呼ばれる溜まりがある。

 塔伯配下の十人長であるボーマルシェは、南門前下馬先の応援に駆り出されていた。


(……厄介な仕事だな)


 駆り出されるからにはただの応援ではない。

 莫迦の相手だった。

 昼前から下馬先には<冒険者>の親分衆が詰めかけている。

 どいつもこいつも礼儀も仕来たりも知らない連中で、ボーマルシェも元からいる門番も対応に追われていた。


「だから何度も言っているだろう。ここから先に連れて行ける供周(ともまわ)りは、二名までだ」

「ンだと、それなら中で何かあった時どうしろッてンだ!」

「王城の中で何かあるはずがないだろう!」


 そもそも貴族ではない人間が王城に部下を連れて入ること自体が、異例だ。

 ギルドに名を連ねる豪商ですら、荷物持ち以外の人間を連れて入ることは認められない。

 加えて、こいつらは<冒険者>なのだ。素性が定かでないことについては折り紙付きと来ている。

 そんな連中を大人数で受け容れられるほど、王城の警備はしっかりしていない。

 王家の郎党と、金で雇った傭兵。後は臣下の小貴族が差し出した子弟が少々。これに賃雇いの衛士を加えれば、それで東王国が<王都>に置く常備兵力の全てだ。

 ボーマルシェは算法に明るくないが、一〇〇をそれほど多くは超えないだろう。


 つまり、何のかんのと言っても東王国は比較的平穏なのだ。

 それが<寝取られ男>の手腕によるらしい、というのは何とも薄気味の悪い話だったが、戦争が少ないのは良いことだ。

 諸侯同士が血で血を洗う争いを続けている帝国よりはマシに違いない。



「申し訳ないが門番殿、ここを通して貰いたいのだが」


 考え事をしていたボーマルシェは一瞬、返答に詰まった。


「ええ、どうぞ」


 敬礼付きで答えてから、しまったと気付く。

 相手は、<鬼討ち>ヴィクトル。冒険者だった。礼をすべき相手ではない。

 しかし見事な格好だ。

 流行に(のっと)った衣装は嫌味にならない程度に金が掛かっている。

 正装という言葉の意味すら理解出来ずに、鎧兜の戦支度でやって来た莫迦な親分とは大きな違いだ。

 酷い奴になると何を勘違いしたのか女物の襟巻まで着けてくる始末。


 それに引き換え、ここまで馬に乗って来たはずなのに拍車を付けていないことも素晴らしい。

 馬を御する為に使う拍車は騎士の象徴であり、庶民が勝手に付けていることが知れれば、本来なら罪に問われる。

 頭の中におが屑でも詰っているらしい他の親分連中はこれ見よがしに拍車を付けて来ているのだが。


「お役目、お疲れ様ですな。些少ですが、皆さんでお分け下さい」


 そう言ってヴィクトルは袋を差し出す。

 ボーマルシェが中身を改めると、干したナツメヤシの実が入っている。

 ここで銭金や酒を渡すことは厳禁だ。実によく心得ている。


「有り難く頂戴しよう」


 流通の滞るこの時期に、袋一杯の干しナツメヤシがどれほどの値段になるか。

 なるほど、流石は<首府>の冒険者でも頭一つ抜けている男はやることが違う。

 同行者も注意するまでもなく、二名だ。

 <大樹折り>と<剛腕>。

 どちらも親分として一家を構えていてもおかしくない器量持ち。


(格が、違うな)


 他の親分衆に隠しナイフなどを差し出させながら、ボーマルシェはヴィクトルの背中を見送った。


 ○


<凱旋歴一〇一二年一五月十四日昼過ぎ 王城、首府、東王国>


 ヴィクトルは水楢(オーク)の扉を(たた)いた。

 供として連れて来た二人は別室で待機させられている。

 今日、二六人もの親分衆を城に招いたのは、この部屋の主だということだ。

 他の親分衆は色々と理由を付けられて、まだこの部屋までは至っていない。

 まともな格好をしてきたのがヴィクトルと<嘆き>のイシドールだけだったのだから仕方がなかった。


「入り給え」

「失礼致します」


 一拍置き、扉をゆっくりと押し開ける。


 なるほど、耳が長い。

 部屋の主<寝取られ男>のアナトールは、柔和な笑みを浮かべて座っていた。


「さ、こちらへ来たまえ、ヴィクトルくん」


 ○


「実を言えば、君とはもっと早く知遇を得るべきだと常々思っていたんだよ」


 男爵位にあるはずのこの耳長男は、ヴィクトルに気さくに椅子を勧める。

 ヴィクトルは、内心で舌を巻く。これはやり難い。

 高圧的に出て貰った方が、いくらかあしらいようがある。


「失礼します」


 椅子に腰を下ろしながら、<鬼討ち>は頭を巡らせなければならなかった。

 この男は、何の為に自分を呼んだ?

 手掛かりを求めて、視線はそれとなく部屋の中を舐める。

 二脚のしかない椅子。

 机。

 そして、机の上には。


(拍車?)


 思わずそこに釘付けになりそうな視線を引き戻す。

 一体、どういうつもりだ。


「私が<御伽衆>という者たちを束ねている、というのは街でも噂になっているのかね?」

「ええ。仕事の内容までは分かりかねますが。街の雀は噂が餌のようなものですから」


 慎重に、言葉を選ぶ。

 目の前にいる男は、ただの三十過ぎの貴族ではない。

 王国一個を差配するだけの力を持った男なのだ。


「大変結構。知らない、ということは知っている、ということより大きな力を持っている」


 そう言ってアナトールは口角を上げた。

 つまり、今の君と私の関係のように、ね。耳長男は目でヴィクトルにそう語りかけてくる。


「君は、今日のこの日にどうしてこれだけの<冒険者>が王城に呼ばれたか、疑問に思っている」


 ヴィクトルは、頷く。


「そして賢明な君は、この部屋に置かれている物を見て、一つの結論を導いていた。

 半信半疑ながらね」


 くそ。この男、遊んでやがる。


「君の到った結論は、恐らく正解だ。謎々(リドル)は得意な方かね?」

「……さて、あまり得意ではないかもしれません」


 脳裏にあの夜のことが蘇る。

 ちくしょう、沈黙が正解だったんだ。あの時も、今日も。


「なるほど。まぁ、今日の分に正解してくれれば、私としては構わない」


 そこでアナトールは机の上の物に手を伸ばした。


「騎士の位、というのは莫迦にくれてやるには少々値の張るものなんだ。実態は、ともかくとしてね。

 ちょっとお高いものだとしておいた方が、与える側にも受け取る側にも有益なんだな、こういうものは」


 そう言って、無造作にヴィクトルに“拍車”を手渡す。


「おめでとう、ヴィクトル・デュ・エロー。

 君は、今日から、騎士だ」

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