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招待

<凱旋歴一〇一二年一五月十四日早朝 街区、首府、東王国>


 嫌な雨だ。

 小走りにヴィクトルの家を目指すダヴィドは恨めしそうに天を睨んだ。

 後ろにまだ眠たそうなドミニクとルイが続く。

 ヴィクトルがダヴィドたち舎弟衆に非常の招集を掛けたのは、つい先刻のことだった。

 何が起こったというのか。

 泥濘(ぬかるみ)に足を取られそうになり、苛立ち紛れに道端に転がっていた樽を蹴り上げる。

 ダヴィドが拾われてから、こんな時間に呼び集められるのは初めてのことだ。

 (はや)る気持ちを抑え、ヴィクトルの屋敷に急ぐ。

 氷雨はまだまだ止みそうになかった。


 ○


「集まって貰ったのは、他でもない」


 居並ぶ面々を前にし、ヴィクトルは一通の書状を取り出した。

 蝋燭の明かりしかない薄暗い部屋の中で、表情は窺えない。


「王廷から、召喚状が来た」


 おぉ、とどよめきが漏れる。

 冒険者が王廷から呼び出されることなど、ほとんどない。

 良いことにせよ、悪いことにせよ、精々が塔伯の処に呼びつけてお仕舞いとなる。

 ところが、ヴィクトルは王廷からの呼び出しであるという。これは、珍事だ。

 勇者の同行者として選任されるのでもなければ、冒険者が王城に呼びつけられることなどない。

 だが、今のところ東パリシィア王国が新しい勇者を立てるという噂は立っていなかった。


「一体、どのような要件でしょうか」


 尋ねたのは<大樹折り>だ。

 ヴィクトル舎弟衆でも古参の一人で、ほとんど兄弟分のような扱いである。

 その名の通り力自慢の舎弟の問いに、ヴィクトルは顎を撫でた。


「それが、見当も着かない。だからこうやって集まって貰ったのだ」


 ○


 ダヴィドは回覧されている書状を手に取る。

 上等の涜皮紙には簡潔に、本日昼過ぎに正装にて登城するように、といった内容が記されていた。

 わざわざ“正装で”と断っているということは、何かの慶事だろうか。


「昔の英雄譚ではないからな、騙し討ちに討たれるとも思えんが」

「確かに“正装で”とも断っていることではあるし」

「いやいや、それこそ相手の罠かもしれん。<寝取られ男>は狡猾な策士と聞くぞ」


 議論は纏まりそうもない。

 この文面からだけでは、王廷の真意など組めるはずもないのだから当たり前なのだが。

 果たして、とダヴィドは考える。

 この書状は、ヴィクトル親分にだけ届けられたのであろうか。


 親分にだけ届いているのであれば、きな臭くはあるが、理解は出来る。

 ヴィクトル親分の勢力は、<首府>において頭一つ抜けていた。隔絶しているほどではないが、一朝一夕で覆る程度の差ではない。

 他の親分衆も飯場を抑えたり他の稼業を束ねることで冒険者を纏めているが、ヴィクトルの手腕に勝る者は一人としていなかった。

 今や<首府>の河岸での荷揚げに携わる人足のほとんどには何らかの形でヴィクトル親分の息がかかっており、要所要所には実際に舎弟となっている人間を配している。水運と陸運によって成る<首府>において、人足を束ねることの意味合いは大きい。


 これまでその事実を黙認してきた王廷が、くちばしを挟もうという気になっても何ら不思議ではない。

 むしろ、遅すぎたという感すらある。

 例えば、ヴィクトル親分の"王国"を分割しようという目論見を王廷は持っているかもしれない。

 それはとても自然なことだった。

 適当な王宣か、法律をでっち上げ、ヴィクトルの手足をもいでしまう。


 但し、これはとても馬鹿馬鹿しいことでもある。

 人足というのは本質的に荒くれ者で、野放しにすれば治安が悪化してしまう。

 ヴィクトル親分という頂点がいるから、<首府>の人足にはある程度の秩序が生まれているのだ。

 無論、ヴィクトル親分と対立する人足の組織もある。

 だが争いは組織対組織のものであり、互いに図体が大きくなれば妥協もする。

 ここで王廷が考えなしにヴィクトル親分を害することになれば、治安維持にはあまりよくない影響があるだろう。


 これが、他の親分衆にも届いているとなると、話が違う。

 それはきっと、これまでに類のないことだ。


 ○


 喧々諤々の議論の波の中で、ダヴィドは黙考する。

 自分が王廷側に立っていればどう考えるか。


 冬の<首府>には冒険者が満ちている。

 今年の冬は、厳しい。生きる為に奪う者も早晩出てくるに違いない。

 王廷の人間も莫迦ではないのだ。何か手を売って来るだろう。

 だが、人手は足りない。塔伯配下の衛士だけでは抑えきれない。

 さて。


 そこまで考えた処で、扉が大きく打ち鳴らされた。


 ○


「やはり、ヴィクトル親分の処にも届いておりましたか」


 訪ねてきた<鐘担ぎ>は非礼を詫びながら、ヴィクトルの持つ書状とそっくり同じものを懐から取り出した。


「<嘆き>のの処にも届いているとなると、他の親分衆も御同様かもしれんな」


 文面を改めながら、ヴィクトルは顎を撫でる。

 涜皮紙の質も、封蝋も、そして内容もまるで同じものだ。


「……いずれにせよ、招かれたからには応じねばならん」


 <首府>に暮らす以上、王廷の招きを断ることは出来ない。

 自分一人ではなく、他の親分衆も呼ばれているとなれば謀殺の線は消えたと見て良いだろう。

 情報に気を配る<寝取られ男>は多少偏執的ではあるが、莫迦ではない。


「では、支度をせねばならん。悪いが折角集まって貰ったのだ。手伝いをして貰おう」


 ○


 ヴィクトルの正装はダヴィドから見ても見事なものだった。

 貴族の流行を押さえながら、一定以上の階級の人間しか着けることを許されない装飾は、省く。

 それは冒険者らしからぬ、洗練された装いだった。


「ダヴィド、お前には以前話したかも知れんが……」


 作法師(エロー)という役職がある。

 中小貴族の抱える家臣としては、それなりに格が高い。

 主につき従い、儀礼や作法の手ほどきを行う仕事だ。

 格式を重んじる貴族の社会において、優秀な作法師(エロー)を召し抱えることは大きな意味を持つ。


「俺の親爺は代々続く作法師(エロー)の家系だった」


 ヴィクトルの父は、さる男爵家に作法師として奉職していた。

 作法師の子は、作法師。

 ヴィクトルも、父から様々な宮廷儀礼について指導を受け、髄にまで叩き込まれていた。


「人生、何が役に立つかわからんものよな」


 そういって自嘲気味に嗤うヴィクトルの襟元を、ダヴィドは直してやる。

 拾って貰った頃は随分と大きく思えたヴィクトルが、今では自分よりも小さい。

 そのことに気付き、ダヴィドは息を飲んだ。


「なに、心配するな。生きて帰って来るさ」


 ダヴィドの様子を、ヴィクトルは不安と捉えたらしい。

 昔と変わらず優しい手つきで、ダヴィドの頭を撫でる。


 蝋燭の明かりが揺らめく。

 いつの間にか、木窓を打つ雨は雪に変わったようだった。


 ○


<凱旋歴一〇一二年一五月十四日午前 <天駆ける飛竜>亭、首府、東王国>


「今日は、何か祭りでもあるのでしょうか」


 二階の窓から道行く人々を眺め下ろしながら、男が呟く。

 目鼻立ちの整った美丈夫だ。

 金髪に、碧眼。

 鍛えられた肉体と誠実そうな表情は、まるで英雄譚から抜け出してきたようにも思える。


 事実、彼は英雄譚の登場人物であった。


「いや、アドルフ様。そういう話は聞いてないですよ」


 応えたのは、バルタザル。

 昨日、ヨーゼフと戦った、南方の騎士だった。


「それにしては、着飾った人が多いですね」

「調べますか?」

「構わないでしょう。東王国が新しい勇者を立てるという噂もありませんし」


 そう言ってアドルフと呼ばれた男は、見る者全てに好感を与える微笑みを浮かべる。

 アドルフは、当代の勇者だ。

 正確には勇者候補というべきかもしれないが、他に候補はまだ立てられていない。

 暫定的に、唯一の勇者と言っても良い。

 勇者宗家の血を引くアドルフが、同行者(パーティー)を率いて大冒険行(クエスト)を達成すれば、晴れて本当の意味での勇者となる。

 今、アドルフは同行者を集めている最中であった。


「しかし、凄腕の斥候(スカウト)とは惜しいことをしました」


 この街で、少しでも出来る冒険者を。

 そう思って滞在していたものの、今の処、目ぼしいのはバルタザルが昨日刃を交えた老斥候だけだった。


「高齢だということですが、騎士である貴方とまともに打ち合うとは…… 本当に人間ですか?」

「ひょっとすると、化かされたのかもしれません」


 惜しい、とはバルタザルが一番感じている。

 あれだけの相手と戦うことなど、今までになかったのだ。


「それに」

「それに?」

「あの老人、この俺相手に手加減をしていました」


 ほほう、とアドルフは笑う。冗談だと思っているのだ。

 聖王国の騎士団長を務めていたバルタザルに、手加減をする。そんな人間がいるはずはない。


「<鋳掛け>のヨーゼフは、ナイフを逆手に使っていたのです」

「逆手に?」


 盗賊の中には、ナイフやショートソードを逆手に使うことを得手とする者もいる。

 だが、順手で持つのに比べれば、やはり一瞬攻撃の手は遅くなるのだ。

 速さを最大の武器とする斥候(スカウト)が、それをするというのは、異常というほどではないかが違和感がある。


「……それは、本当に化かされたのかもしれませんよ」

「と仰ると?」

「先代勇者、アルベルトに従った<神速>のヨーゼフは冒険行(クエスト)が終わった後、殺し過ぎたことを悔いて順手を封じたそうです。ひょっとすると貴方は、ヨーゼフの亡霊か何かと戦ったんではありませんか?」


 ああ。

 確かに、名前もヨーゼフですな、とバルタザルは笑う。

 と同時に、内心でははらわたが煮えくりかえるような怒りを覚えているようだ。

 同じ勇者の同行者(パーティー)として、剣で仕える者が目と指先で仕える者と互角であったとなれば。


 隠しきれないバルタザルの怒気を心地よさげに受け流しながら、アドルフは再び階下を見遣る。

 そこには着飾った冒険者たちが粉雪の中を、王城を目指して練り歩いていた。

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