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It's a good day to die.

 どうやら自分は幸運の持ち主らしい。


 それが、ロザリーの自分自身に対する理解だった。

 ロザリーの知る限り、二回売られて無事で済んでいる人間はいない。

 まして、何の対価も無しに自由になった端女(はしため)なんて、聞いたことすらない。

 それはつまり、ロザリーが幸運だということなのだろう。


 顔も思い出せなくなってしまったが、ロザリーの母親はよく言っていた。


「世の中の幸運の量は限られているのよ、ロザリー」


 幼いロザリーには意味はよく分からなかったが、この言葉だけは一言一句間違えずに覚えている。

 不思議な言葉だ。

 世の中の幸運の量が限られている。

 自分が幸せなら、世の中のどこかの誰かはその分不幸になるのだろうか。

 この言葉の意味を聞く前に、ロザリーは売られてしまった。

 実の、父親に。


 多分、父親と母親が幸運である為にはロザリーから幸せを取り上げないと足りなかったのだろう。

 それはとても悲しいことだ。

 でも仕方のないことなのかもしれない、とロザリーは割り切っている。

 結局、ロザリーは死ななかったのだし、買い取られた先で文字も教えて貰った。

 売られてしまって不幸だったけれども、多分、ちょっとましな部類に入る不幸だろう。

 そして今、ロザリーは自由になった。


 ○


 ロザリーは、考える。


 ロザリーが幸せになった分、誰が不幸になったんだろうか。

 最初にロザリーを売った父親?

 父親からロザリーを買った魔法使いのお爺さんは、もう死んでしまったから違うだろう。

 お爺さんからロザリーを買い取った借金取りのお兄さんかもしれない。

 ロザリーが会ったこともない、どこかの誰かかもしれない。


 借金取りのお兄さんはロザリーをすぐに“兄貴”のダヴィド様に売り渡した。

 ダヴィド様はとても良い人だ。

 美味しいパンをくれた。

 良い人には、不幸せになって欲しくない。

 自分が不幸になるのは嫌だけど、自分が幸運になる為に良い人が不幸になるのはもっと嫌だ。


 良い人と言えば、ヨーゼフ様も良い人だ。

 ロザリーを自由にしてくれた恩人だ。

 どこからか服も用意してくれた。石鹸もくれたし、美味しいパンとシチューも食べさせて貰った。

 でも、そのヨーゼフ様自身は、何だか不幸せに見える。


 ロザリーは、故郷の神様に願う。

 自分はちょっぴり不幸でも構いません。

 だから、ヨーゼフ様にその分の幸運を分けてあげて下さい。


 ○


<凱旋歴一〇一二年一五月十三日午前 中洲、首府、東王国>


 <首府>には寺院が多い。

 (まつ)る神の数が、尋常ではないのだ。

 父なる主神の下に連なる無数の小神が、無数の寺院に祀られている。

 あちらに何柱、こちらに何柱といった具合に、<首府>の辻々に小寺院が建立されていた。

 古帝国時代に征服された各部族の守護神や、徳行を為して死後に小神となった聖人もある。

 素性定かならざる神や、名も忘れられた神さえ<首府>の住民にとって信仰の対象となった。


 特に中州の南半分には寺院がひしめいている。

 言うまでもなく、北半分は王城だ。

 ヨーゼフは、ロザリーを連れてこの中州を訪れていた。


 ○


 雨上がりの街は人でごった返している。

 品薄で値段が上がる前に年始の小麦を買っておこうとする主婦。

 寒さに備えて薪を買う老人。

 声を嗄らして卵を売る農夫。

 そして、坊主。

 頭の天辺を丁寧に剃り上げた僧都がこの中州には集住している。

 二人はその人混みを掻き分けて進んでいった。


「ヨーゼフ様、私たちはどこへ行くのですか?」

「付いてくれば分かる」


 この街は長くないはずなのに、ヨーゼフの足取りには迷いがない。

 目指す先には、一()の小さな寺院があった。


 ○


「どういったご用件ですかな?」


 受け付けに現れたのは年嵩(としかさ)の僧侶と、弟子らしい若い僧侶だった。


 石造りの寺院は、静謐(せいひつ)な空気に満たされている。

 それほど天井の高くないこじんまりとした寺院だが、手入れが行き届いていた。

 天井近くから鴉神の像がヨーゼフたちを睥睨(へいげい)している。

 今では祀る寺院も少なくなったが、鴉神は智慧と旅と魔法を司る古い古い神だ。


「寄付をしようと思いまして」


 そう言ってヨーゼフが懐から取り出した巾着の大きさに、年嵩の僧侶が目を剥く。

 大した量だ。

 貝殻(シェル)銅貨が、一〇〇枚は入っているだろう。


「これはこれは。良い心掛けです。徳の高い行いはいずれ必ずや報われるでしょう」


 恭しい態度で巾着を受け取りながら、窺うような視線で僧侶はヨーゼフを見つめる。

 それもそうだろう。

 こんな場末の寺院に何の見返りもなしに纏まった額の寄付をする冒険者など、滅多にいない。


「実は、お願いがありまして」


 ヨーゼフは、本当の要件を切り出す。


「この子に、堅信礼(けんしんれい)を施して頂きたいのです」


 堅信礼、というのは一種の成人式である。

 生まれた時に洗礼で父なる主神に帰依し、成人した時に改めて信仰を篤くする誓いを立てた。

 ヨーゼフは、ロザリーにその堅信礼を受けさせようという。


「この子にですか。堅信礼を施すには、まだ齢若いようにお見受けしますが」


 年嵩の僧侶の言葉に、ロザリーも肯く。

 ロザリーが戸惑うのも無理はなかった。

 年齢もそうだが、一般の市民や冒険者は滅多に堅信礼を受けることはない。

 ヨーゼフが今渡したように、纏まった額の寄付が必要だからだ。

 その堅信礼を、ロザリーに施そうという。


「……実は、この子はこれから魔法の修行に入るのです」

「ほう」


 僧侶の顔が、綻ぶ。疑問が氷解した、納得の笑みだ。


「それはとても良い心掛けですな。

 今では堅信礼を受けずに魔法使いになるものも多い。大変危険なことです」


 魔法とは、神と交わる法である。

 神と交わり世界と合一(ごういつ)し、現象を変容させる。

 種類によって程度の際はあるが、常に使用には危険が伴う。

 未熟で信仰を伴わない魔法の行使は、精神を神に囚われる恐れと無縁ではありえない。

 だからこその堅信礼だった。

 父なる主神への信仰を新たにし、帰依する小神を明らかにする。

 こうしておくことで精神は(いかり)を得、神に心を連れ去られにくくすることが出来た。


「ここに祀られている神さまは、エカチェリーナが帰依しているのと同じ神さまでな」


 ロザリーに語りかけるヨーゼフの口調は柔らかだ。


「エカチェリーナに会いに行く前に、堅信礼を済ませておいた方が後が楽だろう?」

「でも、そこまでして貰っては悪いです」


 ヨーゼフの口元が緩む。


「儂はな、ロザリー。お前さんに魔法の勉強をさせてやる、と約束した。

 その為に必要なら、堅信礼でも何でも受けさせる。寄付が要るとか、そういうことではない。

 約束する、というのはそういうことだ」

「……はい」


 そう言って、泣きだしそうになるロザリーの髪をくしゃくしゃと撫でた。


「さぁ、ロザリー。堅信礼を受けさせて貰うんだ。終わるまで、儂はちょっと出掛けてくるがね」


 ○


 寺院の扉を後ろ手に閉め、ヨーゼフは人混みに紛れた。

 歩調を変え、角を曲がり、急に立ち止まる。

 それは、斥候(スカウト)独特の尾行者を炙り出す歩法だ。

 貧民窟の(ねぐら)を出た時から付いて来ていた気配は、十以上になっていた。


(何とも都合の良いことだな)


 今日の外出の目的はもちろんロザリーの堅信礼だったが、ヨーゼフの本当の狙いはこちらだった。


(釣りは成功した、というわけだ)


 追ってきているのは、冒険者だ。

 それも恐らく、<邪魔屋>を生業(なりわい)としている。


 ヨーゼフが<首府>に来て最初に狙ったのが<邪魔屋>セレスタンだったのは、何も偶然ではない。

 <邪魔屋>を、釣る為だ。

 セレスタンの後に突き出した二人も<邪魔屋>だった。

 <邪魔屋>と呼ばれる連中は、冒険者であるにも(かか)わらず信義を重んじない。

 犬畜生にも劣る存在だとヨーゼフは思っている。

 これまでにギルドを立ち上げようとした都市でも、いつでも<邪魔屋>は目障りだった。

 あの連中が居ることで、冒険者全体が白眼視される。

 だからこそ、一番最初に取り除かねばならない。


 ○


 一番近くを追って来ている二人を狭い路地に誘い込む。

 人目が無くなった途端、追手は殺意を剥き出しにナイフを取り出してきた。


「<鋳掛け>ェ、覚悟しろやァッ」


 腰だめに構えて突っ込んでくる<邪魔屋>の膝頭に、ヨーゼフは素早く(つぶて)を打つ。

 鈍い音がして、先頭の男が倒れ込んだ。間違いなく、折れている。

 蛙の潰れたような悲鳴を上げる男を尻目に、二番手が駆け寄ろうとする。

 が、倒れた男が邪魔で巧く行かない。

 ヨーゼフは振り返りもせずに、路地を掛け抜ける。

 所詮、年季が違うのだ。


「ちっくしょォッ」


 後ろから聞こえる怨嗟の声に、老斥候(せっこう)は胸の中で何かが(たぎ)るのを感じる。

 枯れたとはいえ、否定しがたい衝動だ。

 ヨーゼフは、自分がこの状況を愉しんでいるのに気が付いてしまった。


 ○


 路地から大路へ飛び出すと、人混みから悲鳴が上がる。

 ヨーゼフは(つぶて)を投げただけだが、追手は刃物を隠しさえしていない。


「衛士だ、衛士を呼べっ」


 声音を変えてヨーゼフが煽ってやると、辺りは途端に騒ぎになった。

 追手の気配も明らかに浮足立っている。


「なんだ、冒険者が暴れてるのか?」

「違う、<邪魔屋>だ、ならず者だ!」


 群衆の疑問に、ヨーゼフが応える。

 これが狙いだ。

 冒険者と、ならず者を区別させる。


「ならず者が刃物を持って暴れているぞ!」


 話題に飢えた住民たちに、この騒ぎはすぐに広がるに違いない。

 大通りでならず者が刃物を振り回す。

 印象には残らないかもしれないが、冒険者ではなくならず者、という言葉を刷り込ませる。

 少しずつ、ならず者と冒険者を切り離していく。

 気の遠くなる作業だが、それをしなければまた同じことの繰り返しになる。


「ならず者だ、ならず者だぞ!」


 ヨーゼフ以外も、ならず者という声を上げ始めた。

 これで、目標は一つ達したことになる。



 その時、ヨーゼフは首筋の毛が逆立つのを感じた。

 今までの追手ではない。異質な気配が混じっている。


(こいつは…… 強敵だな)


 どうやら、<邪魔屋>にも一筋縄ではいかない遣い手が混じっていたらしい。

 気配は一ヶ所から動かずにヨーゼフに誘いを掛けている。

 誘われるように、ヨーゼフは路地の奥へと潜って行った。


 ○


 路地を抜けると、少し開けた場所に出た。

 <首府>の家々の玄関は通りを向いているが、裏口は井戸に面したこういう広場に繋がっている。

 そこに、一人の男が立っていた。

 黒髪と日に焼けた肌、鍛えられた肉体は何処か猫を思わせる。

 レザーアーマーに、抜き身の段平(ブロードソード)を下げるその姿は、ただの<邪魔屋>ではない。

 明らかに、手練(てだれ)だ。


「<鋳掛け>のヨーゼフ、に違いないな?」

「左様」


 ヨーゼフも懐からナイフを取り出し、逆手に構える。

 老いが恨めしい。

 <勇者>と北の原野を駆け巡った時の力があれば、このような戦士など一捻りだったのだ。

 いや、どうだろう。

 現役時代でも、これほどの相手であれば苦戦したかもしれない。


 雑念を振り払い、呼吸を整える。

 なるほど、強敵だ。隙が無い。


「名を」

「バルタザル。<青>のバルタザルだ」


 バルタザルと言えば、南方の名前だ。

 言われてみれば微かに聖都の訛りがある。


「誰に雇われた」

「さて、こちらの冒険者は依頼主の名を聞かれれば軽々しく話すのか?」


 道理だ。

 腕だけでなく、冒険者としての資質も高い。


「とは言え、そんなことはどうでも良くなった」


 バルタザルが人好きのする笑みを浮かべた。


御身(おんみ)と剣を交えたい。貴方ほどの腕の持ち主は、聖都にはあまりいなかった」

「買い被りだな。ただの年寄りだ」

「ただの年寄りに鳥肌を立てるほど、このバルタザルは弱くはないつもりなのだがな」


 そう言って見せるバルタザルの腕には、確かに鳥肌が立っている。


 ヨーゼフは自然と笑みがこぼれるのを禁じ得なかった。

 自分は、今日ここで終わるかもしれない。

 毎日が死と隣合わせだった日々から遠ざかって忘れかけていた感覚が呼び覚まされる。


(“今日は、死ぬには良い日だ”)


 毎日朝起きて、そう唱えていたはずだ。

 躊躇えば、死ぬ。

 死を恐れなければ、半歩先を見通すことが出来る。


(なるほど、老いとは恐ろしい)


 ヨーゼフは自分の死神と向き直った。

 精神は、恐ろしいほどに研ぎ澄まされている。

 むざむざと殺されてやるつもりは毛頭ない。


 呼吸を整え、ナイフに籠める時の要領で魔力を取り込む。

 意識を身体の隅々にまで行き渡らせ、最盛期の動きを思い出させる。


()ッ!」


 ○


 消えた。

 バルタザルは、息を飲んだ。

 勘を頼りに段平(ブロードソード)を振り下ろす。

 キンと涼しげな金属音が響き、ナイフを斬り払う形になった。


 油断はしていない。

 していないが、何だこれは。

 音と気配で予測しながら、襲い来るナイフを弾き、受け流し、斬り払う。

 見た目に、騙された。

 やはりただの老人ではない。

 死線を潜りぬけた者だけが持つ、凄味のある太刀筋だ。


 しかし。

 これならば、勝てる。

 バルタザルの中の醒めた部分がそう告げていた。

 目が慣れ、動きが読めてくる。

 防戦一方だった処に、五撃に一撃は反撃出来るようにもなった。


 歓喜がバルタザルを支配している。

 これだけの強敵と戦い、勝つことが出来る。

 間違いなく、椿事(ちんじ)だ。

 これだけの敵、大陸を探してもそうそうお目に掛かれるものではない。

 <青>のバルタザルをして、気を抜けば殺されそうになる。


(……惜しい。あと十年、いや、五年早く出会いたかった)


 ヨーゼフのナイフを受け流しながら、バルタザルは背中に力を蓄える。

 未だ誰も受け切ったことのない、裂帛(れっぱく)の一撃。


()ァッ!」

「止めてっ!」


 ○


 ヨーゼフは、確かに死を()た。

 叫びと共に振り下ろされる全身の力を籠めた一撃。

 刃はヨーゼフのナイフを砕き、脳天に吸い込まれるはずだった。


 その一撃が、反れた。

 原因の方にヨーゼフは視線を巡らせる。


 そこには、堅信礼の衣装そのままのロザリーが立っていた。


 ○


 どうやら自分は幸運の持ち主らしい。


 それが、ロザリーの自分自身に対する確信だった。


「ヨーゼフ様は、私の大切な人です。殺すなら、私を先に殺して下さい」


 革鎧に身を包んだ冒険者に、ロザリーは言い放つ。

 堅信礼は無事に済み、いつでも死出の旅に出る支度は出来ていた。

 それが、ヨーゼフの為に時間を稼ぐ役に立つなら、何を躊躇うことがあるだろう。


 ぎゅっと目を閉じ、訪れる死を待つ。

 だが、いつまで待っても刃の冷たい感触はやって来なかった。


 ○


(きょう)が、殺がれた」


 バルタザルは、段平(ブロードソード)を仕舞った。

 その表情は妙に晴れ晴れとしている。


「ヨーゼフ殿、良い勝負だった」


 黙り込むヨーゼフにそれだけ声を掛けると、バルタザルは背中を向ける。

 後ろの心配など、何もしていない。

 刃を交えて分かっている。ヨーゼフと云う(おとこ)は、そんな詰らないことをする人間ではない。


 ○


 後に残されたヨーゼフとロザリーは、しばらくそのままじっとしていた。

 空から、粉雪が舞い降りる。

 二人は無言で、バルタザルの背中を見送った。

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