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Rogue

<凱旋歴一〇一二年一五月十二日朝 貧民窟、首府、東王国>


 脱税竈(だつぜいかまど)に火を(おこ)し、ヨーゼフは麦粥の鍋をとろ火に掛けた。

 昔はこんなものを食べたいなどと思ったことはなかったが、近頃は痛飲の明けた朝にはこういったものが堪らなく恋しくなる。

 塩で味をつけただけの、単純な粥。

 かつて<勇者>の横で伝説の息吹を感じた英雄の朝餉(あさげ)としては、あまりに簡素だ。


(歳を取る、というのはこういうことなのだな)


 ロザリーの為に田舎パンを温めてやりながらヨーゼフの胸に去来するのは、ここ十年のことだ。


 ○


 それはまるで苦行のようですらあった。


 十年前、不幸なことにヨーゼフはまだ自分を信じることが出来ていた。

 <神速>の名の下に募れば、人も金も集まる。ギルドは、簡単に出来るはずだった。

 目論見は最悪の形で裏切られる。

 支持者の裏切りで資金は持ち去られ、仲間は散り散りになり、幾人かは投獄されさえした。

 冒険者がギルドを作ることなど、冒険者以外には誰一人として望んではいなかったのだ。


 それでもヨーゼフは諦めない。

 場所を変え、方法を変え、英雄の名も捨てた。

 老いが身体を蝕み、希望と夢は悲憤と妄執に塗り潰された。


 繰り返される失敗は、太古の冒険者が迷宮に挑む姿に似ている。

 遥か昔、古帝国の冒険者は自らの研鑽を知らしめるために、一人で迷宮に挑んだという。

 下層に安置された証を持ち帰ることの出来た者は少なく、屍で迷宮は舗装された。

 繰り返し繰り返し冒険者は迷宮に挑み、あたら命を散らしていく。

 一人ひとりの冒険者にとってはそれは悲劇であったが、総じて見ると滑稽ですらある。


 ヨーゼフの戦いは、それに似ていた。

 金を貸してくれと馬借に頭を下げ、唾を吐かれたこともある。

 仲間になってくれと頼みにいった冒険者に闇討ちされたこともある。

 組織が形になりかけた時に近くで争乱が発生し、傭兵として駆り出された仲間が全滅したこともある。


(今回が、最後だろう)


 場所を改める度、拠点を構える度、今度こそは成功させようと心に誓う。

 三度目までは、間違いなく本気だった。

 五度目に、心の何処かで逃げ道を探し始めた。

 七度目の誓いに初めから諦念が混じっていることに気付いた時、ヨーゼフは戦慄した。

 そして、これが十度目になる。


 粥を皿によそう手には、無数の皺が走っている。

 運命の女神との勝負に使える命数(チップ)は、あと一回分しかない。


(だが)


 希望は、ある。

 それはヴィクトルであり、ダヴィドだ。

 これまでの街の冒険者は三々五々と群れているだけで、ヴィクトルの舎弟のように組織立ってはいなかった。

 ダヴィドのような後継者も、持っていなかった。


 今度こそは。


 ナイフに魔力を通わせる練習をしているロザリーを見遣る。

 春になれば、この子をエカチェリーナの所へと送ってやらねばならない。

 それまでに、せめて何かの形は作っておきたかった。



<凱旋歴一〇一二年一五月十二日午前 川沿い、首府、東王国>


 厚く垂れ込めた雲の下にパンを売る声が響く。

 街には降り出す前に買い物を終えようという人の波が満ちている。

 今年は、冬晴れが少ない。

 空模様を眺めながら、ダヴィドはヨーゼフたちを送った貧民窟からの帰り道を歩いていた。


 声は、<首府>の外からやって来るパン売りだ。

 街のパン屋だけでは十分なパンを焼くことが出来ない為、毎日近隣の村から籠に入れたパンを売りに来る。


 ダヴィドは貝殻(シェル)銅貨を渡し、パンを一個買った。

 街で作られる“正規”のパンよりも、優に二回りは大きい。

 今朝までは何とも思わなかったことだが、不思議と気にかかった。

 千切って口に運ぶと、田舎パン特有のライ麦の香りが広がる。


「旨いな」


 どれだけ旨くて大きなパンを焼いても、村のパン屋は街に店を構えることは出来ない。

 パン屋の組合に入っていないからだ。

 街のパン屋は“正規”のパンを作り、店頭で売る。

 苦労もあるだろう。街の中で小麦を手に入れ続けるのは、並大抵ではない。

 だが、組合のパン屋と村のパン屋にどれほどの差があるというのか。

 ほとんど、差などありはしないだろう。

 中身として差はなくとも、一方は店を構え、もう一方は籠を抱えて声を嗄らす。


 ダヴィドは、パン売りの方を振り返った。

 人相も背格好も全く違うが、何故か鉱山掘りだった父の姿に重なる。


「……オレは」


 ただ、ならず者で終わるのか。

 終わってしまうのか。


 残りのパンを口に無理矢理放り込み、咀嚼する。

 自然と今朝のヨーゼフの言葉が蘇ってくる。


「ギルド、か」


 ギルド。

 冒険者の、ギルド。

 市民が市民である為に、必要なもの。


 自然と足が速くなる。

 道行く人を押し退けるようにして進みながら、ダヴィドの腹の(うち)は定まりつつあった。


 ○


 ダヴィドの差配する飯場、<跳ねる鱗魚(さかな)>亭は対岸に王城を望む川沿いにある。

 亭などと大層に呼ばれているが、炊き出しのテントとそれに付随する形で小屋が建てられているだけの建物だ。

 それでもダヴィドはこの飯場の一国一城の主の気概で臨んでいる。


 この時間、飯場には川での荷揚げが一段落した人足たちが腹ごしらえをしていた。

 皆、ダヴィドを見ると丁寧に礼をする。

 人足と言いながら、実態はヴィクトル配下の冒険者だ。

 両者を分ける区分はあまりにも曖昧で、当人たちにもよく分かっていない。

 冒険者は人足をするし、人足は冒険者もする。

 確かなことは、どちらも街の人間からはならず者扱いをされているということだ。


 ダヴィドは配食の指図をしていたドミニクを手招いた。

 元々小役人をしていたこの中年の小男はいつも眠そうな顔をしているが、頭が切れる。

 ヴィクトルからの預かりでなく、ダヴィド自身の舎弟だ。


「若、無事に戻られましたか」

「ああ、この通りだ。こちらは変わりないか」


 <鋳掛け>のヨーゼフを仇討ちに出たのが、随分昔のように感じる。


「ルイの莫迦が若い衆を焚き付けて他の人足と喧嘩しやがったんで、転がしてます」

 ルイというのもダヴィドの直属の舎弟の一人で、まだ十二歳だがなかなか見所がある。

 天涯の孤児で、スリとして街をうろついていたところを拾ってやったのだが、喧嘩癖だけが抜けない。


「またか」

「はい。それ以外は概ね好調ですな。世はなべてことも無し、といったところです」

「分かった。後で、オレの私室に来てくれ。相談したいことがある」

「これは珍しい」

「頼んだぞ。配食に目途が付いてからでいい」


 そうドミニクに声を掛け、炊き出しテントに隣接する小屋の一つに入る。

 何度も建て増しをしたせいで(いびつ)な形になってしまっているが、この小屋こそダヴィドの私邸であり、<跳ねる鱗魚>亭の中枢でもあった。


 川沿いに、風が吹き始めていた。

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