賭けられるもの
<凱旋歴一〇一二年一五月十一日深夜 ヴィクトルの家、首府、東王国>
「賭け、ですか」
「左様」
ヴィクトルの問いに、ヨーゼフは楽しげに肯く。
賭博は冒険者の日常の一部だ。
賽を使ったものや、札を使うもの、いろいろ種類がある。
宴の座興としては確かに面白いが、ヴィクトルにはこの老人がそういった遊びを指して賭けと言っているのではないように思えた。
案の定、ヨーゼフが言いだしたのは、そういった普通の賭け事ではなかった。
「儂が、謎々を出す。
答えられれば、ヴィクトル殿たちの勝ち。誰も答えられなければ、儂の勝ち。至極、簡単なルールだ」
「なるほど。謎々ですか」
謎々と簡単に言っても、奥が深い。
昔は冒険者の一般教養とまで言われていたが、今では詩や歌と同じく趣味のようなものになっていた。
それでも、謎々に精通する者は尊敬の目で見られる。
(やはり、試されているか)
ヴィクトルは顎を撫でながら思案する。
英雄は、どんな難題を吹っ掛けてくるのか。そして、賭けられるものは何か。
銀貨一〇枚の値打ちがある契約書を焼いて捨てた後だ。単純な財貨ではあるまい。
「もし、儂に勝つことが出来たら……」
「勝つことが、出来たら?」
「何か一つ、願いを聞いてやろう。<神速>のヨーゼフとして」
○
それは全く破格の条件だった。
<神速>のヨーゼフに、頼み事をする。
相手は英雄だ。仮に義兄弟の契りでも交わすことが出来れば、その影響は計り知れない。
「た、例えば、義兄弟になって頂く、という願いでも?」
恐る恐る尋ねたのは、<嘆き>のイシドールだ。
いつも泣いているように眉の垂れた男だが、これでも数少ない魔法の使える冒険者である。
ヴィクトルの風下に立ってはいるが、いつかは見返してやろうという気概があるのはヴィクトルもよく知っていた。
「無論のことだな。流石に命まで取るというのは勘弁して貰いたいが、叶えられることならば、叶えよう」
誰かが、嘆息を漏らす。
この英雄は、本気だ。
思いもよらず人生の岐路が目の前に現れたことで、冒険者たちの酔いは醒め、殺気にも似た気魄が酒席に満ちる。
「儂は卑怯なことが大好きではある。が、今回は正々堂々と勝負をしよう」
そう言ってヨーゼフは手にしていた杯の裏に、ナイフで何かを手早く彫り付けた。
「今ここに、謎々の正解を刻んだ。儂が答えを左右しないようにな」
確かに、これならば不正のしようもない。
ヨーゼフは続ける。
「勝利を掴むことが出来るのは、最初に正解した一人のみ。その一人の願いだけを、儂は聞く。
そしてもし、誰も答えることが出来なかったら……」
そうだ。
賭け事には常にチップが必要だ。
一体、この老人は何を要求するのか。
「……この街の、飯場一つの利権を頂こう」
○
<嘆き>のイシドールは、ことの成行きを注意深く見守っていた。
この老人は、食わせ者だと直感が告げている。
勝負に出るべきか、それとも出るべきではないか。
<鬼討ち>ヴィクトルの持つ飯場の数は、五つ。対してイシドールの持つ飯場は、三つ。
誰も答えられなかった時、取られるのは恐らくヴィクトルの飯場だ。
となれば、埋めがたかった二つの差が、一つになる。
自分の分が取られるとしても、ヴィクトルの飯場がそのままということはあり得ない。
これは良い兆候だ。間違いなく。
座興を座興として成立させるためには、満座の賛成が必要。
ここで臆して退いたとなれば、一生浮き上がる目はないだろう。
イシドールは、隣に控える舎弟頭の<鐘担ぎ>に目配せをした。
○
「乗った!」
<鐘担ぎ>の胴間声が響く。
「俺もだ!」「オレも!!」
つられたように、ヴィクトルの舎弟たちも賭けに乗る。
進退極まったのは、ヴィクトルだ。
イシドールも舎弟も、ヴィクトルに比べれば負けても失うものは少ない。
勝手なことを言ってくれるものだ。
だが、ここで断るわけにもいかない。
「乗りましょう、この賭けに」
ヴィクトルが答えると、ダヴィドも「乗った」と声を上げる。
この忠義者だけは、師父と慕うヴィクトルが返事をするまで待っていたらしい。
ヨーゼフは、口元を綻ばせた。
「よろしい。この部屋に居る全員が、参加ということでよろしいな?」
○
英雄は、朗々とした声で歌う。
『其は緑林の奥義。
何処にも在り、何処にも無し。
儚き其の名を呼ぶことは、何人にも能わず。
呼べば直ちに崩れ去る。
さて、其は、何か』
居並ぶ冒険者は、顔を見合わせた。
難題だ。
歌い終えた英雄は、それきり押し黙っている。
つまり手掛かりはこれだけということだ。
<嘆き>のイシドールは掌にじっとりと汗をかいていた。
答えが分からない。
だが、願いを聞いて貰えるのは最初の一人だけだ。
焦りが頭の中を渦巻き、思考が纏まらない。
答えねば。何か、答えねば。
「か、風!」
○
ヨーゼフが小さく首を振る。
外れたらしい。
魔法の素養がある<嘆き>のイシドールが最初に外したことで、場の空気は渾沌としてきた。
「水に映った月!」
「夜!」
次々と答えが飛び出すが、英雄は笑みを貼り付けたまま、小さく首を振るのみ。
ついに答えていない冒険者は、ヴィクトルとダヴィドだけになった。
ヨーゼフの眼が、二人に催促する。どうした、まだ答えぬのか?
「……影」
ヴィクトルの隣に座るダヴィドが、絞り出すように答える。
どこにでもあり、どこにもない。
だが、これも外れていたようだ。
一体、答えは何だ。
満座の視線が、ヴィクトルに集中する。
ここで外せば、飯場が一つ奪われる。最初からこの老英雄はそれが狙いだったのか。
乾いた唇の間から、嗄れた声が漏れる。まるで自分の声ではないようだ。
「……空」
○
ヨーゼフの笑みが、一際大きくなる。
そして、首を横に振った。
してやられた。
焦りが焦りを生み、全員がほとんど当てずっぽうで答えたに等しい。
手掛かりもほとんどない中で、ヴィクトルたちは完全に老斥候の術中に嵌まっていたのだ。
恨みごとの一つも零したくなる。
一体、どこの飯場を持っていかれるのか。
場所によっては随分と苦労させられそうだ。
ヴィクトルは強靭な自制心で、溜め息を堪える。
その時、少女がヨーゼフの元に近付いて行った。
先ほどヨーゼフに自由にして貰った、端女の少女だ。
手には大きな平パンと蜂蜜の壺を持っている。
注目が集まる中で、少女はヨーゼフに平パンを差し出すと、蜂蜜でそこに何かを書いて行く。
ヨーゼフの顔が一瞬歪み、ついで讃えるように笑顔に変わった。
「正解だ」
○
ヨーゼフの掲げた平パンには、蜂蜜で“沈黙”と書かれていた。
「少女よ、名を聞こう」
「ロザリーです」
ロザリーと名乗った少女は、祖父と孫ほども離れた英雄にぺこりとお辞儀をした。
その様子に微笑みを返し、ヨーゼフは尋ねる。
「ロザリーよ、何故答えが分かった?」
「はい。えっと、まず緑林というのは、盗賊のことです」
遥か昔、神聖帝国の森林地帯を根城に暴れまわった盗賊団の名残から、今でも盗賊を緑林と言い換えることがある。
いわゆる雅言葉だ。
「盗賊の人に大事なことは、いつも黙っていることだと思います。それにヨーゼフ様はずっと手掛かりを出してくれていました」
「手掛かり?」
ヨーゼフが、先を促す。
「はい。謎々を出してから、ヨーゼフ様は一度も喋っていません。だから、これが答えだと思いました」
○
「儚き其の名を呼ぶことは、何人にも能わず、か」
考えてみればその通りだ。
声に出してしまえば沈黙は破られる。
答えを知ってしまえば何ということはない。
ヴィクトルは苦笑を堪えることが出来なかった。
まさか十二、三の少女に敗れるとは。
それにしても。
ロザリーという少女に、ヴィクトルは内心舌を巻く。
緑林という雅言葉を知っていた、知識。
ヨーゼフ翁の所作から手掛かりを導き出す、洞察力。
どうしてこんな少女が端女などしていたのか。
そして、一体何を望むのか。
「ロザリー、おめでとう。お前の勝ちだ」
ヨーゼフは、慈愛の籠もった目で少女を見つめている。
「さあ、願いを言いなさい。儂に出来ることなら、何でも叶えてやろう」
視線が集まる。
少女は、躊躇いがちに答えた。
「私、魔法の勉強がしたいです」
○
「良いだろう」
ヨーゼフはロザリーの頭を撫でた。
「最高の師匠に付けてやる。儂の仲間、<暴風>エカチェリーナにな」
エカチェリーナ!
冒険者たちが息を飲むのを感じて、ヨーゼフは微笑む。
<暴風>エカチェリーナと言えば、六英雄の中でも<勇者>アルベルトと並んで別格。
<呪文持ち帰りし者たちの冒険行>の立役者だ。
一晩に一人ならず二人の英雄の名を耳にし、冒険者たちの感動は計り知れない。
「有難うございます」
深々とお辞儀をするロザリーに、ヨーゼフは好感を覚えた。
これはひょっとすると、大した魔法使いになるかもしれない。
「さぁ、ロザリー嬢の勝利と前途を祝して乾杯と洒落込もうじゃないか!」
ヴィクトルが音頭を取り、再び酒宴が始まる。
ヨーゼフは、何かが動き始める予感に年甲斐もなく喜びを見出していた。