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銀貨一〇枚

<凱旋歴一〇一二年一五月十一日深夜 ヴィクトルの家、首府、東王国>


 酒宴の席に、心地よい気だるさが満ちている。

 普段であれば酒癖の悪い者が暴れ出す頃合いだったが、圧倒的上位者である<神速>ヨーゼフの存在が良い意味での重しとなり、宴は和やかに進んでいた。


 杯の葡萄酒(ワイン)を啜りながら、ダヴィドは安堵の溜め息を吐いた。

 親分であるヴィクトルはヨーゼフに、仇討ちのことをわざわざ持ち出す様子はない。

 ヨーゼフに捕らえられた<邪魔屋>セレスタンは確かにヴィクトルの弟分であったが、それほど縁が深いというわけでもない。要らぬわだかまりは酒と一緒に呑み下されてしまえば良いのだ。

 命の恩人であるというヨーゼフに難題を吹っ掛けるほど、ヴィクトルは子どもじみてはいない。

 そもそもが<邪魔屋>は嫌われ者だった。

 理想的ではないが、水に流したことで誰もヴィクトルを責めることはないだろう。


 視線をヴィクトルとヨーゼフの方に向ける。

 何やら、ヨーゼフが合財袋(がっさいぶくろ)の中身を確かめているところだった。


 ○


馬蹄(サボット)銀貨で一〇枚ある」


 老冒険者は、銀貨をヴィクトルの方に押し出した。


「ヨーゼフ様、これは?」

「<邪魔屋>セレスタンを突き出した、報奨金だ」


 一瞬、場が凍りついたようになる。

 敢えて誰も触れなかった話題に、ヨーゼフ自らが口火を切るとは予想もしていなかった。


「この金を、<鬼討ち>ヴィクトル殿に返そうと思う」

「返す、と言われましても……」

 自分の払った金ではない。

 受け取ってしまえば、ヨーゼフがセレスタンを突き出したことをヴィクトルが是認したことにも、なる。

 この場はそれで収まるかもしれないが、今後ヴィクトルに刃向った者が金を積めば許されると誤解するのも癇に障った。

 ヴィクトルは返答に窮しながら顎を撫でる。

 難問だ。

 ヨーゼフの眼を見ると、そこには、悪戯っ子のような光が浮かんでいる。


(なるほど。試されている)


 <神速>ヨーゼフと言えば、<暴風>エカチェリーナと並んで六英雄の参謀役として名高い。

 器を見られているのか、単に遊ばれているのか。

 ここでどう応じるかが、ヴィクトルのこれからの人生に関わってくるとも言える。


「ヨーゼフ様。<邪魔屋>セレスタンは確かに私の弟分であり、私は奴の仇を討たねばなりません」

「で、あろうな。この街の冒険者の繋がりはそう言ったものだと聞いている」


「……とは言え、この<鬼討ち>が“年寄り”一人を囲み殺したとあっては、冒険者の名折れ」


 場が再び凍りつく。

 よりによって、<六英雄>を(つか)まえて“年寄り”とは。

 周囲の視線も気にせず、ヴィクトルは続ける。


「私個人としてヨーゼフ様には命の恩もあります。この一件は、水に流して差し上げましょう」


 言った。

 英雄相手に大した口上だ。

 ここでヨーゼフの風下に立てば、明日からのヴィクトルの立場は悪くはならないだろうがこれまでと変わらない。

 逆に<神速>さえ“許す”ことが出来れば、少なくともヴィクトルは英雄と同じ立ち位置で話をしているということだ。格が、上がる。

 対立する<嘆き>のイシドールもこの場に居るのだ。威勢を見せなければならない。


 ○


「水に流して頂けるのなら、有り難い。有り難くはあるが」

 ヨーゼフは、一〇枚の銀貨を再び押し出す。

「この金子(きんす)は、()れて貰わねば困る」


 道理ではあった。

 昔日(せきじつ)の恩を対価にヴィクトルとヨーゼフが手打ちに到るのであれば、この銀貨一〇枚はまるで宙に浮く。

 たった一〇枚。

 ヴィクトルにとっては端金(はしたがね)だが、田舎の村なら一人が食っていける程度の(うね)は手に入る。

 <冒険者>はこの一〇枚の為なら喜んで人を殺すだろう。

 馬蹄(サボット)銀貨一〇枚とは、それだけの価値がある。


「言ったはずです、ヨーゼフ様。

 私は、許した。これ以上銀貨も受け取るのは、道理に合わない」

「ヴィクトル殿、儂は許して貰った。

 であるからには、この銀貨を持っていることは、道理に合わない」


 ○


 奇妙な静寂が場を満たす。

 当人同士はやりとりを愉しんでいるのかもしれないが、脇に控えるダヴィドは気が気でない。

 この場にいる冒険者は会話の機微が読める者ばかりではないのだ。

 例えばダヴィドの後ろに座を占める<赤銅(しゃくどう)>のガスパールなどは、既に腰を浮かせて備えている。何かあれば、ヴィクトルの楯となるつもりか。


(この場をどちらがどう収めるか)


 ヴィクトルが英雄に花を持たせるか。

 ヨーゼフがこの街の顔役ともいうべきヴィクトルに恩を売るか。

 ひょっとすると、<嘆き>のイシドール辺りが仲介の労を取るかもしれない。


 だが。

 ダヴィドは空になった杯に葡萄酒(ワイン)を注いでいた端女(はしため)の少女の手を掴む。

 ヴィクトルの家に仕えているが、この少女はダヴィドの“持ち物”だった。

 まだ小さいが、長い金髪と青い瞳は少女が美しく育つことを暗示しているようだ。

 少女の身体が恐怖で強張るのが分かる。

 ダヴィドは少女の手を掴んだまま、腕を挙げた。


「ヨーゼフ様、銀貨一〇枚でこの少女を買われませんか?」


 ○


 ダヴィドという若者は機転を利かしたつもりだったのだろう。

 行き場のない銀貨を、取りあえず片付ける先として、少女を売りに出した。

 端女にしては器量の良い娘だったが、ヨーゼフに少女を囲う趣味はない。

 それでもこの誘いに乗ってやったのは、ヴィクトルがダヴィドの申し出を聞いて相好を崩したからに他ならない。

 なるほど、手の良し悪しはともかくこの状況で二人の間に割って入ることの出来る胆力は、冒険者を統べる上で不可欠な要素だろう。

 舎弟のダヴィドがここで目立つことは、彼にとって悪いことではないらしい。


「ヴィクトル殿が良ければ、儂はそれでも構わんが」

「ヨーゼフ様さえよろしければ、私に反対する理由はありませんな」


 合意がなされ、涜皮紙(とくひし)に譲渡の契約が記される。

 文章は、ダヴィドが書いた。

 驚いたことに、この冒険者は文章を書くことが出来るらしい。大したことだった。


 当の少女はぼんやりとヨーゼフを見つめている。

 それもそうだ。

 突然、主がこんな老人に変わったのだ。まだ十二、三にしかならない少女では混乱するのも無理はない。


「ヨーゼフ殿、こちらにご署名を」

「うむ」


 ヨーゼフは少し躊躇ってから、ヨーゼフ・フォン・クルンバッハと記名する。

 自分ではただの<鋳掛け>のヨーゼフのつもりだが、公的な文章には本名を記す必要がある。

 冒険行から帰って随分と長くなってしまった本名を、ヨーゼフはあまり好いていなかった。


「ではこれで、この少女はヨーゼフ様のものです」


 ダヴィドに背を押され、少女がヨーゼフの足もとに跪く。

 次いで、譲渡の契約書がヨーゼフに渡された。

 涜皮紙の文面は、歴とした契約書の体裁を整えている。


 ヨーゼフは腰からナイフを取り出すと、柄に魔力を籠め、刀身に火を灯した。

 そのまま契約書に火を近づけ、


「娘、良かったな。今宵からお前は自由だ」と、少女に向かって微笑んだ。


 少女も、周りの冒険者たちも呆然としている。

 銀貨一〇枚の値打ちがある契約書が、燃え尽きようとしていた。



「流石」


 声を漏らしたのは、ヴィクトルだった。


「流石は六英雄のお一人。欲のない」


 清貧は美徳だが、冒険者とは無縁だ。

 死に近しい冒険者たちは、食べ、呑み、犯し、貪る。

 才智を絞って利益を得ることは、冒険者にとって行動規範とも言える。

 ヨーゼフが契約書を燃やして見せたことは、これに反する。

 ヴィクトルはヨーゼフを無欲であると讃えることで、並の冒険者と違うことを際立たせようとしている。

 それは同時に、そのヨーゼフを許したヴィクトル自身をも一段上に置く為の布石でもあるようだ。


 ヨーゼフは、嬉しくなった。

 たったこれだけの間にそこまで頭を働かせることの出来る冒険者が、いる。


 それは、ヨーゼフの夢の実現には欠かせない要素だった。



「今宵はすこぶる機嫌が良い。ここは一つ、賭けをしようではないか」 

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