<邪魔屋>セレスタン
<凱旋歴一〇一二年一五月七日早朝 川沿い、首府、東王国>
昨日までの快晴が嘘のように、夜明け前の冬空は低く垂れ込めていた。
川面から立ち上る白い靄は視界をねっとりと白く染め上げている。
セレスタンは寒さで痺れる指先に息を吐きかけた。
歳の所為か、最近では身体が温まるのに時間が要る。
川沿いの開けた場所に人々が集まり始めていた。といっても、それほど数は多くない。どいつもこいつも不景気そうな表情をしているのは、寒さだけが原因ではないだろう。雪の降りそうな朝には辛い上に急ぎの仕事が多い。目端の利く<冒険者>なら、日が昇ってから旨みのあるものを探すはずだ。
つまり、ここに集まっているのは食い詰め者の冒険者の中でも、とりわけ仕事を選ぶことの出来ない面々ということになる。
理由もない苛立ちを覚えながら、セレスタンは頬を掻く。目の前の冒険者を莫迦にすれば莫迦にするほど、自分も惨めになるという仕組みだ。
冒険者。
そんな風に呼ばれているが、実態はやくざな無宿者のことに過ぎない。
何でもいいから仕事に有り付きたいはみ出し者と、面倒な仕事は誰かに押し付けたい街の住民の利害が一致した結果生まれた、隙間の住人。
隊商の護衛、酒場の用心棒、荷揚げの助っ人、人探し、お遣いから雪かきまでどんな仕事もする。そう言えば聞こえはいいが、そんなことでもしなければ途端に乞食となって野垂れ死ぬしかない面々。
こんな連中が今や、<首府>には一〇〇〇も二〇〇〇も居るのだ。
近くで怒声が上がる。視線を遣ると、くたびれた壮年の冒険者同士が喧嘩をしているようだった。
このところ、この街の冒険者たちは皆、気が立っている。火の粉が掛からないように距離を取りながら、セレスタンは腰に吊ってある水筒に口をつける。中身は気の抜けた麦酒だ。
苛々する。
下らないことで喧嘩する莫迦どもを一喝してやりたいという気持ちがふつふつと沸き上がる。
冒険者に醜い姿を晒されれば晒されるほどに、自分の不遇を鏡で見せつけられるような不快さを覚えた。
ぶっ殺してやろうか。とロクでもない考えが頭を過ぎる。
さぞかしスッキリするだろう。腰に下げたナイフをまさぐる。やって、やれないことはない。
そんなことを考えながら無精髭の生えた顎にしたたる雫を拭っていると、漸く待ち侘びた<斡旋屋>たちがやってきた。
仕事の種類に応じて人数を集めてくれる斡旋屋というのは、街の人々にとっては有り難い存在だ。仕事を頼む側に取ってみれば揉め事の種の荒くれ者と顔を合わせないで済む、というのはとても魅力的なことらしい。支払った代金のほとんどを斡旋屋がピンはねしていることは服装を見ればわかるのだが、冒険者としては仕事を得る為には彼らにへつらうしかない。
温かそうな厚手の毛皮の服に身を包んだ斡旋屋たちは品定めの目付きで集まった冒険者たちを選っていく。
セレスタンは一団の中に見知った顔を見つけた。
「や、旦那。久しぶり」
「なんだ、セレスタンじゃないか。まだこんな稼業をしてたのかい?」
気さくに応じながらながら斡旋屋はセレスタンにブリキの缶を手渡す。口を付けてみると、どうやら薯焼酎のようだ。セレスタンは二口だけ喉を焼き、ちょっと悩んでから斡旋屋に返さずに懐に仕舞った。どうせ搾取されているのだ。この程度は貰っても怒りもすまい。
「まだというか、もう、というか。この歳になって他の生き方は出来やせンよ」
「そういうもんかね」
そういうものだ。
冒険者として危ない橋を渡って稼いだ元手で商売を起こしたり田舎に田畑を購う者もないではなかったが、ほんの一握りに過ぎない。腹に詰めるパンとスープ。それに夜露を凌げるだけの安い宿の代金。それを稼ぐのが精いっぱいの稼業だ。
「そういうもンです。……ところで旦那、今日は何か<仕事>を頂けるンで?」
斡旋屋は辺りにそれとなく視線を配る。
「……いや、今日は無理だな。次の機会にはよろしく頼むよ」
とそう言ってセレスタンに舟形銀貨を一枚に握り込ませた。
せしめた薯焼酎を呷りながら、セレスタンは路地裏に入って行った。
汚い浮浪者風の老人が付いてくるので貝殻銅貨の鐚銭を投げてやる。
ふと気になって貰ったばかりの舟形銀貨を齧ってみた。流石にあの<斡旋屋>は偽物は掴まさないだろうが、念には念が必要だ。
セレスタンは、いわゆる<邪魔屋>だった。
雇い主の妨害したい仕事や脇の甘い冒険者の邪魔をして小銭を稼ぐ。
恨みは買うが、巧くいった時の儲けは大きい。首府のように大きな街になれば、こういった汚れ仕事には必ず需要があるものだ。
だが、その邪魔屋セレスタンが焦っていた。
仕事が、無い。
よくない雰囲気だった。
(面が、割れてきたか)
農村に賃雇いの仕事のある春から秋には、セレスタンは首府を離れる。これまではそれで色々なことが帳消しになったものだ。人の出入りの激しい首府だ。一度紛れてしまえばそうそう見つかりはしない。
殺しも盗みも火付けも、忘れられさえすれば無かったことになる。そういう首府の乾いたところがセレスタンは気に入っていた。
それがここに来て、巧くいっていない気配がある。
(仕事熱心も、善し悪しってことなンだろうな)
ぼんやりとそんなことを考えながら、薯焼酎を口に含む。
その瞬間、セレスタンの右太腿に熱い痛みが走った。
○
ヨーゼフは、少し拍子抜けしていた。
<邪魔屋>セレスタンと言えば、少しは名の知れた小悪党だ。護衛に雇われた隊商を皆殺しにしただとか、用心棒に入った商家に強盗を手引きしたとか、そういう武勇伝には事欠かない悪人。
神出鬼没でいつの間にか姿を消し、またいつの間にか仕事に勤しむ謎の人物。
そのセレスタンが、今では太腿にナイフを生やしてヨーゼフの足もとに転がっている。
致命傷、ではない。
死にはしないが身動きも出来ない傷。そのように、狙って刺したのだ。
噂には尾鰭が付き物だ。本人が思っている以上に周囲の評価が高くなってしまうことはままある。
名高い<邪魔屋>も、実は単なるごろつきなのかもしれなかった。
(浮浪者の恰好をするまでもなかったか)
苦悶に歪むセレスタンの顔を踏み付け、ヨーゼフは辺りを見渡す。
払暁まで間もない街はそろそろ人の声がしはじめる時間だ。
「ま、悪く思わんでくれよ。こっちも仕事なんでな」
一度腹に蹴りを入れ、ちょっと屈んで刺さったままのナイフの柄を握り締める。
ただのナイフではない。
少し魔力を込めてやると、セレスタンはくぐもった悲鳴を漏らした。刀身が灼け、肉の焦げる臭いが立ち込める。
後ろ手に縛り上げ用意してあった菰にセレスタンを包むと、ヨーゼフは老人とは思えない力でそれを抱え上げた。
準備を始めた屋台の間をすり抜け、ヨーゼフは衛戍の詰め所に向かった。