006.穏波羅
旅立つことを宣言した時、理由も事情も聴くことなく、ただ「ご武運を願っております」と一言告げられた。
幼いころから導いてくれた彼女に反対されたとしたら、自身の決意も鈍ることは分かっていたので、ひどく安堵したことを覚えている。
「それでは、餞に此方を贈りましょう」
そう言って渡されたのは一振りの小太刀。
「必ずや貴方の力になります。手放すことのないようお気をつけください」
何かを確信しているかのように紡がれた言葉に、疑問を感じることもなく、その小太刀を受け取った自分。
「お気をつけ召され……御自身では気付きようもないことかもしれませぬが……」
彼女は何と言ってただろうか? 記憶をたどっても、言葉が思い出せない。
そして、その小太刀は、先日の山賊騒ぎで、手元から離れてしまった。辛うじて自分と真太が取り戻せたのは、それぞれの守り刀で……
(あれ?)
あの時、真太は呟いていなかったか?
「どうせ、手元に戻ってくるんだけどな」
誰に聞かせるわけでもなく呟いたその声は、諦めにも達観にも似た、それでいて酷く昏いものだったから耳に残った。
目を覚ました時、まず視界に入ったのは眩しいほどの白い光。真夏の太陽は、障子越しとはいえ、とても主張が激しかった。
布団の中で目を覚ました。野宿ではない、屋根の下の部屋の中だ。板張りの床の上ということで、一般的な民家だということが分かった。
そこで、佳晴は身体の痛みに、ク゚ッと呻いた。
(どのくらい寝ていたのだろう)
身体が硬くなるほどには倒れていたらしい。自分が何処にいるのかも分からないため、不安を覚えながらも身体を起こした。
継ぎ接ぎだらけの障子の外は明るい。反対側の衾も継ぎ接ぎだらけだが、きちんと手入れされているのが分かった。
「此処……」
呟いたところで喉が引き攣れて咳が出る。ケホケホと咳き込んでいると、足音がして音を立てて障子が開いた。
「佳晴!」
真太だ。ひどく心配げに此方を見ている。
(っていうか、私の名前、ちゃんと覚えていたんだな)
いつも若様とばかり呼ばれていたから、実は名前を憶えていないのではという疑惑がほんの少しあったが、どうやら杞憂だったらしい。
ケホケホと咳き込む佳晴に、持っていた水筒が差し出された。
(慌てて飲んではいけない……)
昔から彼女に言われたことを思い返しながら、流れ込む水を口に含み、ゆっくりと嚥下する。
「よかった……すげぇ熱を出してたんだぞ」
「いろいろ、面倒を、かけた」
咳き込まぬよう一言一言区切って言う佳晴に、真太は「目が覚めて良かった」と安心したように呟く。
「此処は?」
改めて部屋を見て見るも、見覚えなどあろうはずがないわけで、一時的にでも腰を落ちつけて良い場所なのか不安に思い尋ねた。
「穏波羅の黒鋼屋……オレの昔なじみ、っていうか旅のイロハを教えてくれたオレの師匠の店。穏波羅で訪ねようとしていた場所だよ」
真太の言葉にホッと胸をなでおろす。
「そうか。真太の知り合いの家だったか……助けてもらった礼をしないとな」
とはいえ、何か礼になる物も無ければ伝手も無い。どうすべきかと思ったところで、開いた衾の向こうから女性が現れた。
「姐さん」
「真太、寝てるんだから静かにおし……って、目が覚めたのかい?」
真太の声にシィッと指を唇に当てた女性は、此方を見て驚いたように目を丸くする。と同時に向けられる心配げな眼差しに、少々くすぐったい気持ちを抱きつつ、「ありがとうございます」とぺこりと頭を下げた。
「大丈夫かい? 熱は……あぁ、下がったようだね。旦那の見立てじゃ、旅の疲れだろうってことだけど……」
姐さんの言葉に真太は気まずげに呟く。
「ちょっと強行軍だった、かな?」
「いや、私が自分の体力を見誤ったのだろう」
真太の言葉に佳晴は軽く首を振って答える。
「お手数をおかけしました」
「無事ならいいんだよ。起き上がれるようなら飯にするかい?」
軽く食べられるものを用意してくれるという姐さんの言葉に有難く甘えることにした。
布団から起き上がろうとしたときだった。自身の身に寄り添うように、細長いものがあることに気付いたのは。
「……!」
見覚えのある小太刀だった。山賊に襲われた時に取り戻せなかった……彼女から餞に賜った小太刀。
「なぜ……」
疑問が声に乗ったが、それに応える者は誰も居なかった。
「若様、飯食おうぜ?」
廊下から聞こえる明るい真太の声が、佳晴の中に空虚に響き、呆然とする。
(一体……何処で?)
ゴクリと唾を飲み込んだ。
最後にこの小太刀に触れたのは何時だと考えて、件の山賊に襲われた際というのは覚えている。自身の守り刀と小太刀、どちらか一方しか持ちだせない状況下で、自分は家紋の入った自身の拠り所でもある守り刀を選んで手に取ったのだ。
その時、確かに小太刀は諦めた。
あの時の山賊たちは、小太刀と守り刀を見て、その価値が高いことに気付いたはずだし、そう言ってた記憶もある。残してきた小太刀を手放すとは考えにくいし、自分に気付かれぬように此処に置く意味はない。
訳が分からなかった。
「若様、どうしたん?」
ひょいと障子の向こうから真太が顔を出した。
そして、佳晴と小太刀を見比べると「あぁ」と頷いて、スッと目を逸らした。障子の向こう、姐さんが向かったであろう場所を見て、何でもないことのように言うのだ。
「行こうぜ? 飯が冷めちまう」
小太刀に関しては丸っと無視である。此方の認識の方がおかしいのかと思ってしまうほどに、平常通りの姿だった。
「……」
妙に座り心地の悪い気持ちになりながらも、グゥッと腹の鳴る音に耐え切れず、起き上がる。小太刀は、そのまま布団に置いておいた。些か気味が悪く、少し距離を取りたかったのだ。
ふらつきつつも、真太の後ろを歩き出すと、出汁の香りが漂って来た。
果たして、簡素な食卓の上には、湯気の立った雑炊が用意されていた。その薫りが食欲を誘い香ばしい。二人の腹が示し合わせたように鳴り響き、顔を見合わせて苦笑した。
「さぁ、どうぞ。召し上がれ」
「いただきます」
姐さんの言葉に両手を合わせて一礼すると、匙で雑炊を掬う。出汁のきいたトロミのある熱々の粥に細かく刻んだ根菜が柔らかく煮込まれている。それらとふわりと固まった溶き玉子とが絶妙に合わさり、一口含めばその熱さにハフハフと息を吐く。ごくんと飲み込むと喉から胃に向かってじんわりとした温もりが走り抜けた。
「旨めぇ!」
「美味しいです」
声を揃えて叫んだ。思わず頬が緩んでしまう。こんなにも美味しい料理を食べたのはいつぶりであろうか?
「残り物の野菜ばかりの雑炊だよ? そんなに喜ぶだなんて、どんな食生活を……」
呆れたような姐さんの言葉も二人の耳には届いてない。匙を動かす手が止まらなかった。
「た、食べた……」
米粒一つ残さず綺麗に平らげた二つの茶碗が食卓の上に並ぶ。
「御馳走さまでした」
「お粗末様。気持ちいいほどの食いっぷりじゃないか」
茶碗の中に白湯が注がれる。有難くゴクリと飲み干した。
「で? 真太の話じゃ、浅嶺山越えをするつもりなんだって?」
何処まで話したのだろうとチラリと真太を見れば、目を逸らされた。どうやら、ある程度までは話しているらしい。
「科埜の国を目指していまして……」
ポツリと呟くと、姐さんは「科埜ねぇ。随分遠いとこまで足を延ばすんだね」と思案気に空を眺める。
「国賀田の噂は聞いてるのかい?」
「あぁ……ちょっと前に、きな臭いって……」
「耳が早いね。商人は情報が大事だからね。良い事だよ」
姐さんは真太の頭をなでる。褒められて照れたような真太の姿が物珍しかった。
「まぁ、きな臭いのは国賀田に限ったことじゃないけどね」
「……といいますと?」
「あっちこっちで戦の種が燻っててね……どこもかしこも何が起きても不思議じゃない状態だよ」
溜息をついた姐さんは金継ぎした湯呑に白湯を注いで、食卓の向かいに座る。
「うちは穏波羅に店を構えてるとはいえ、商品は各地から旦那が仕入れてくるからね。その辺の話にはどうしても敏感になっちまう」
溜息をついた姐さんは「坊も気を付けるんだよ」と真太に告げた。
「浅嶺山の山道街道はそうでもないけどねぇ……その奥、本嶺山もね、最近は曰憑きになってるだよ」
姐さんの話を総括すると、例の『藤の御三家』の生き残りを自称する山師が、どこからか聞き及んだ隠し財産の話に躍起になり、勇んで本嶺山へ入るも、そのまま消息が分からなくなっているらしい。それが一度や二度でなく、かなりの回数が続いているものだから、『藤家の祟り』としてまことしやかに噂になっているとのことだ。
「っていってもね、普通に浅嶺山の山道街道を通る分には問題ないらしいんだよ。旦那も商品を運んで、何度も山越えしてるしね」
「つまり、被害にあうのは欲に目がくらんで本嶺山に足を踏み入れた者たち、ってことですか?」
佳晴が呟くと「そうかもしれないねぇ」と深刻さの欠片も無い声で相槌を打つ姐さん。
「祟りかぁ……」
あまり本気にしてなさそうな真太は「まっ、大丈夫だろ」と呑気なものだ。
なんにせよ気を付けなくてはと、気持ちを引き締めた佳晴は、ずっと気になっていたことを姐さんに尋ねた。
「ところで……私の小太刀って……」
「あぁ、大切なもんなんだろ? 旦那が言ってたよ。大事そうに抱えて倒れてたって。確かにうちに来たときに抱えて離そうとしなかったからね、寝かせるのに苦労したよ」
軽快に笑う姐の声が、ダメ押しのように佳晴の中に響く。
その時の佳晴の感情の揺れは、これまでにないくらい大きなものだった。
(私は、倒れたときに守り刀しか持っていなかった)
それだけは確実に言えるのに、真太の呆れたような眼差しを受けると、自分が間違っているのではないかと不安を覚えた。
(あの時選んだのは、守り刀だけだった)
「もう少し寝ろよ」
愕然とした佳晴に真太は告げる。
「まだ本調子じゃないんだろ? しばらく休ませてもらって、体調を整えてから準備して山越えしようぜ」
考えても無駄だと言われた気がした。
「あぁ……そうさせてもらう。あの申し訳ないのですが……」
「まだ本調子じゃないんだ。ゆっくりおし」
茶碗を片付けながら姐さんが優しく促してくれ、その言葉に甘えることにした。
寝ていた部屋に戻る際、後ろから姐さんと真太の声が漏れ聞こえる。
「ところでさ、真太。また悪いんだけどさ」
「あぁ、また例の知り合いの代筆? そろそろ文字くらい書けるようになれって伝えてくれよ」
「いつも悪いねぇ。今回も昔世話になったっていう伯母さん宛なんだけどさ」
「へぃへぃ。若様も世話になってるからな。それくらいなら書いてやるよ」
「助かるよ。書いてもらうのは簡単な文で構わないんだけどね」
よほど困っていたのだろう。ホッとしたような、心なしか浮ついたような姐さんの声が後ろから聞こえた。
身寄りがないと言っていた真太に頼りにする相手がいるというのが、嬉しいような羨ましいような不思議な気持ちを抱いて部屋に戻ると、小太刀がいた。
(頼りになる相手……)
思い出すのは彼女の慈しみに溢れた眼差し。
(今は弱ってるだけだ……)
腹を満たし、安全な場所に寝床がある。自分は病み上がりで精神的に弱っている。
(だから……)
難しいことを考えるのは後にしようと、布団に包まり目を閉じた。
その夜、夢を見た気がするが、どんな夢だったかは覚えていなかった。
ただ、ひどく心が満たされた気がして、何事にも立ち向かえるような奇妙な万能感が身体の奥底から溢れてきたのだ。
傍らには小太刀があった。とても手に馴染んだその刀は、ずっと共に旅を続けてきた大切な……
(本当に?)
微かに感じた違和感は、刀を手に取ると不安げに揺れた。
(……)
その時、何かを感じたはずなのに、次の瞬間、霧散して消える。
ひどく複雑そうな眼差しで此方を見る真太に、佳晴は首をかしげて応えるのだった。




