001.荒良木
この世には『心力』と呼ばれる不可思議な力がある。
小さな種火を熾したり、微かな風を操ったり、僅かな水を湧き出したりと、生活をほんの少し便利にする力だが、職人や武人たちの手にかかれば、それらは姿を変える。
薬師が心力を込めて作った薬であれば、その効能は通常のものとは一線を画し、職人が心力を込めて作った作品であれば、その性能は飛躍的に向上する。
鍛冶師が心力を込めて打った武具であれば、力を持たぬ農民とて凄腕の武人に匹敵するだろうと言わしめるほどだ。
そして、その武具を武人が使ったのならば、その力は千人力だ。武具に心力を行き渡らせれば、その武具の力を十二分に発揮できるだろう。
(そう……武具に見合う心力がなければ、宝の持ち腐れになるだけだ)
うららかな昼下がり。鳶のピィヒョロロという甲高い鳴き声があたりに響いた。
目の前の空は青く何処までも澄み切っている。
カチリと硬質な音が手元に響いた。質素だが実用的な誂えのそれは、武骨な男の容貌と似通って見えた。
陽の光を浴びてギラリと光る小ぶりな刀身。見栄えを重視した儀礼的な刀を愛する者たちからは、野性味あると言葉を濁らせそうな短刀は、実に使い勝手が良さそうな面持ちで男の手の中で笑っていた。
鎧通しと呼ばれる短刀がある。甲冑の隙間から刺すことを目的として作られた短刀で、刀身の刃区と呼ばれる柄に近い部位が分厚く、刃先が薄い。隙間という狭い場所を通す都合上、一般的な短刀よりも細身なのも特徴の一つだ。
「逐刃刀、か……獲物を逃がさぬと言ったな」
自分の元に売り込みに来た野武士が手土産として持参したものだ。
「獲物を狙うのであれば、わざわざ鎧通しなぞ使わずとも、弓で射ればいい」
武具の武の字も知らぬ農民ではないのだ。適材適所で使うものは変わる。なにより変えない理由はない。
鳶の甲高い鳴き声が辺りに響く。ゆったりとノンビリ空を漂う灰色の影が澄んだ青空に良く映えた。
男は手の中の鎧通しに心力を通した。掌から柄の中に染み込んだ心力は、柄の中に隠れた茎を捉え、スーッと刀身を走り抜ける。その滑らかさに、胡乱気だった男の眼差しが真剣なものになった。
切っ先まで心力が行き渡ると、その刀身は仄かに光を帯びる。蛍火よりも微かな光は、陽の光の中ではほとんど見えなかったが、もとをただせば男の心力である。持ち主である男の目には、柔らかな光が確かに見えた。
男は紙飛行機を飛ばすかの如く、軽く手首を動かした。男の手から放たれた鎧通しは、そのままゆっくりと浮遊し、いきなり向きを上空へと変えた。
そう、鎧通しは狙い過たず鳶を狙い……鳶がふらりと揺れて落ち始めたところで、男の足元にいた犬が慌てて走り出した。犬は河原を走り抜け、落ちてくる獲物に向かう。しばらくすれば、獲物を咥え、得意げに戻ってくるだろう。
この時の男は、この鎧通しが単なる便利な狩りにも使える道具だと思っていた。
その認識が覆るのは、その後に命じられた鬼討伐に向かった先、戦場でのことだった。
戦場の空気は固く引き締まったもので、緊張の糸が目に見えるようにキリリと引き絞られている。
対峙する相手を見れば、皺の見えないツルリとした肌に、目鼻立ちは左右対称で人形のように整った面。ほっそりとした体格はひ弱そうに見えるが、その体幹は揺るがなく、見た目通りの相手ではないと伺えた。簡素な鎧は、けれど機能的で、シッカリと適所を防護している。
極めつけは表情だ。皮肉気に歪んだ唇に惑わされそうだが、目の奥にはこの世の悪意を凝縮したような激しい感情が宿っていた。怒りとも憎しみともつかぬその色は、それでも対峙すれば、此方に向けられていることはハッキリとわかる。
相手は独り、此方は総勢おおよそ百人ほど。それでも、此方の方が明らかに分が悪い。
すでに、大半が奇妙な術により負傷を受けており、戦況は厳しいと言わざるを得ない。
目の前にいるのは、鬼だ。同じ人の形をしていようとも相容れることが出来ぬ存在。
傷一つない美しい指が空間をなぞる。なぞられたそこにバチバチと光の線ができて、指の弾く動作とともに、衝撃が此方全体を襲った。武具に守られていない肌がチリリと焼けた。
鬼は動かない。ただ、此方を観察するように眺めているだけだ。いや、観察などと生易しい視線ではない。何方かというと害虫を眺める時のような、嫌悪感が滲み出ていた。
幾度も同じような攻撃を受け、此方ばかりが被害を受ける。留まっていてもジリ貧で、損害ばかり増えてしまう。
馬の腹を挟み合図を送れば、心得たように馬は駆ける。一気に鬼との距離が縮まり、槍を繰り出ば、ひらりと避けられた。
避けられるのは想定の内。そのまま走り去ると馬を旋回させて槍を繰り出す。
今度は鬼は槍を受け止め、そのまま槍を掴んで引き寄せる。鬼の唇が三日月のようにニィッと弧を描く。
男は、槍を手放した。勢いでたたらを踏んだ鬼の目が広がり、愉しいと言わんばかりに歪む。
(愉しい?)
即座に否定する。接近して分かった、鬼の目の奥は昏かった。これは、愉しむというより、いらだちや悪意に満ちている。
やはり、鬼にとっては、こちらは害虫のようなものなのだろう。
槍を手放した腕を鬼の首に回す。落馬の勢いで鬼を潰そうとするも、上手く受け身を取られて、折り重なるように転がる。
勢いがある程度殺されたところで、この状態ならばと判断した男は、鎧通しを腰から抜いて心力を通す。
そのまま、心力の纏った刃先を鬼の鎧の隙間に通した。
(浅い……)
反撃が来ると判断した男は素早く鬼から距離を取り、油断なく身構える。
ユラリと生気のない様子で立ち上がる鬼の姿に、致命傷を与えられなかったという自分の判断は間違えなかったと確信した。
「……?」
フラリと鬼の首が力なく揺れる姿に、何か妙だと気づく。
何かがおかしい。
『ゴ命令ヲ……』
無機質な声が零れ落ち、鬼が男をジッと見つめる。
生気のない瞳だった。少し前に見た、あのすべてを憎むかのような悪意を凝縮したような力強い光が、見当たらなかった。
その異様な雰囲気に男はゴクリと唾を飲み込もうとするが、口の中はカラカラで何も呑み込めなかった。
カタカタと手が身体が動くのは、武者震いだと思い込む。
「ぶ、武器を、捨てろ……」
掠れた声がする。自分のカサついた唇から零れたのは、嘘のように力のない吐息のような声だった。
『御意……』
鬼の手が腰に下げた太刀に伸び、無造作に地に捨てた。
己の息が荒い。それは恐怖か興奮か、どちらに起因しているのか分からない。
ここを逃してはダメだと自分の中の何かが囁いた。
「跪け」
一言告げる。光のない黒い瞳が男を見つめ、徐に片膝をついた。
否、視線の先を辿れば、鬼が見つめているのは、この鎧通しだ。
(罠か?)
一瞬よぎる考え。しかし、此処で罠など仕掛ける道理はない。
鬼の力は人の力と比べるべくもなく強力なもので、人側は『討伐』と謡いながらも一時的に退けることしかできないのだから。
(もしこれが……)
鎧通しを握る力が強くなる。自分の考えが正しければ……
「次、命令をするまで、人から身を隠せ」
『御意』
知性のない瞳を鎧通しに向けた鬼は、ユラリと立ち上がると、フッと姿を消した。
遠くから自分を呼ぶ部下たちの声が聞こえる。
ドクドクと耳の奥で響く音に、部下たちの近寄る足音が重なって、これが現実だと理解した。
男は震える手で鎧通しを鞘に納めた。
「は、はは……」
カタカタと震える手を握りしめて、声を上げる。
強張った顔の筋肉を無理やり動かして、皺枯れた無様な笑い声をあげた。
(力を手に入れた……)
鎧通しを持つ手に力を籠める。一体で人数百以上葬る力があると言われている鬼の力が手に入ったのだ。このまま燻り続ける所以はない。
それに操れるのも一体だけとは限らないのではないのだろうか?
(鬼を探さねば……)
探してこの鎧通しで、と考え始めた男の脳裏に、昏い血のような朱が広がった。
突き抜けるほどの青い空の下、真白い雲の間を鳶がのんびりと甲高い声を上げていた。
男には、それがまるで鬨の声のように感じて、血が湧きたつような興奮を覚えるのだった。
数年後、鬼を従えた男が下克上を果たしたという噂が世間を賑わせた。
その武将の名は、鬼使いの荒良木。
遅れて聞こえてきたのは、鬼を操るという刀《操鬼刀》の噂だった。




