王妃の宣告。「子を産んだら離縁せよ」
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東棟の客室に通されてから、小一時間ほど、いまだ荷を解くこともできず、イリアは窓の外をぼんやりと眺めていた。
これから始まる王宮生活への不安で、何も手につかない。
一つ、小さなため息をついたとき、コンコンと扉が叩かれた。
現れたエルザを見て、イリアの心はどんよりと曇った。淡々とした彼女のとりつく島のない様子を目にするだけでげんなりする。
「イリア様、王妃陛下がお呼びでございます。すぐにご参上ください」
長旅で疲れ切っていたが、一気に目が覚めたようにイリアはまばたきをした。
「……王妃陛下が、私を?」
「はい。お支度を整えてくださいませ」
フェイラン国王陛下の正妃、リゼット・アーデンは、国内でもっとも広大な領土を有するアクトン公爵家の娘。容姿端麗であり、若き王を支える冷静な女性だと聞いている。
これまで、イリアが逆立ちしても会うことのできなかった王妃が、まさか、やってきたばかりの側妃に会いたがるなど、想像もしていなかった。
イリアは不安を押し隠し、衣装を整えた。
しかし、心の準備は整わないまま、エルザとともに部屋を出た。
彼女は王妃について何も語らなかった。
どんな人なのか、聞き出すこともできず、イリアはまるで、身を焼かれているかのような気分になりながら、真っ赤なじゅうたんの上を進んだ。
重苦しい沈黙の中、ようやく到着した王妃の居室は、意外にも国王の私室とは違う塔にあった。
「イリア・ローレンス様をお連れいたしました」
エルザの声と同時に、雅やかな扉が静かに開かれた。
両脇には侍女が並び、その奥には、燃えるような赤い髪を結い上げ、雪のように白い肌をした女が座っていた。
イリアを目に止めた彼女は立ち上がることなく、柔らかくほほえんだ。イリアはハッとし、視線を床に落とすと、身をかがめて胸の前で手を重ねた。
「お目にかかれて、光栄でございます。イリア・ローレンスと申します」
「ようこそ、イリア。正しい礼をありがとう。あなたのような方なら……陛下もお心を開かれるかもしれませんね」
イリアはほっと息をつく。
挨拶は間違っていなかった。
その上、リゼットの声は柔らかく、まるで、花弁の上をなでるそよ風のように優しかった。
しかし、次の瞬間には、思いもよらないことを言われ、イリアはリゼットを凝視してしまっていた。
「あなたを呼んだのは、ほかでもありません。陛下から部屋への出入りを禁じられたと聞きましたよ。その意識の低さは問題ですね」
静かだけれど、厳しさのある声音に、イリアの身体はぞわりと震えた。
「あなたは目的を理解してこちらへ参ったはずです。所詮、何も知らない田舎者とあざ笑われることのないようになさらないといけませんよ」
「……も、申し訳ございません」
またしても、気を許しそうになっていた自分を後悔した。
ここに味方は誰ひとりとしていない。
王妃も侍女も……夫となる陛下ですら、イリアに同情し、甘やかすことはない。
「イリア、あなたは誤解しているかもしれませんね」
誤解は何もないはず。世継ぎを欲する王家のために、イリアは尽くすだけ。しかし、早速、陛下に遠ざけられ、リゼットは心配しているのだろう。
「わたくしから、この結婚の条件をお伝えします」
「はい……」
イリアは深くこうべを垂れた。
側妃に嫉妬するどころか、後継問題を政治的瑕疵ととらえるリゼットとは立場が違いすぎた。
リゼットは口を開く前、ほんの一瞬、目を伏せた。まるで、何かを自分に言い聞かせるように。そして、自身の役割を果たすかのように、堂々とした声音で言った。
「あなたは世継ぎを産んだら、子を置いて、速やかに王宮を離れなさい。陛下との離縁が、この結婚の絶対的な条件です」
イリアは叫び出しそうになるのを、ぐっとこらえた。いっさいの感情を含まない声が、せめてもの救いだった。なぐさみは、かえって残酷だった。
しかし、イリアは自身の行く末を案じずにはいられなかった。
優雅な後宮生活など、何ひとつ保証されていない。我が子を取り上げられ、父の待つ屋敷へ帰される。それが、どれほどみじめなものか、想像するのはたやすかった。
それでも、イリアは唇を噛みしめた。
与えられた役割を受け入れることはできても、望まれるままに微笑むだけの人生を歩むつもりはなかった。




