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冷ややかな歓迎と孤独を纏う国王陛下

 王宮の廊下を進むと、金糸のタペストリーや豪奢な花々が目に飛び込んでくる。

 階段を上がると、歴代の王を描いた絵画が立ち並んでいた。


 その一つひとつすべてが立派で、地方で育ったイリアの立場の小ささを思い知らせるようだった。


 背筋を伸ばし、気を張って歩くイリアを、扉の前で止まったエルザが振り返る。


「こちらが、陛下の御前に出る際の控え室でございます」


 そして、何気ない調子で言葉を続けた。


「田舎からおいでと伺っておりますので、王宮での作法が少々異なりますかと存じます。ご心配には及びません。私が丁寧にお教えいたします」


 イリアは一瞬、崩れ落ちそうになる表情を保ったまま、心の奥がざらつくのを感じた。


 "田舎からおいで"とは、ずいぶんな言い方ね。


 それでも優雅な笑みを浮かべ、上品に返す。


「ええ、助かります。どうかよろしくお願いします」


 控え室に通されると、エルザは早速、陛下に対する挨拶の手本を見せた。


「陛下への挨拶は特別でございます。ほんの少しでも手を抜けば、不敬と取られますゆえ、くれぐれもお気をつけくださいませ。まず、陛下の御前では、裾を両手で広く持ち上げ、このように腰を落とします。そして『お目にかかれて光栄でございます、陛下』とお声をかけてくださいませ」


 イリアはその所作を見つめながら、胸の内で小さく首をかしげた。


(ドレスをあんなにも広げて……、少し、華やかすぎないかしら)


 本来、公的な行事では、手のひらはそっとドレスに添えるだけのはず。

 しかし、イリアは陛下に会ったことがない。ドレスを広げるのが正しいと言われれば、それを信じるしかない。


「わかりました。ありがとう」


 そう答えつつ、イリアの脳裏には、一枚の絵画がよぎっていた。


 ここへ来るまでの廊下に飾られた絵画。

 令嬢が身をかがめ、両手を胸の前に重ねて、王へ一礼する姿。

 それは、エルザの教えとはまったく違う所作──


(……やっぱり、何か引っかかるわ)


 イリアはもやもやしたが、問いただそうとはしなかった。


 それから、エルザの一方的な振る舞いを、イリアはただ黙って受け入れた。


 父の用意した華やかなドレスを流行じゃないと言って取り替えたり、母の形見である格別豪華なネックレスを野暮ったいと馬鹿にして、箱から取り出そうともしなかったが、彼女の機嫌を損ねるのは得策ではなかった。


 何より、エルザの用意した装飾品やドレスは、今まで見たことがないほどに雅やかで、どんなに彼女がイリアを軽んじようとも、表面上は歓迎してくれていると思えたのだ。


 おそらく、今のイリアを見たら、アルフレッドが悔しがるほどに美しく着飾った彼女は、陛下の待つ部屋へと案内された。


 長い回廊を渡り、何度も折り返す階段を昇った先に、その部屋はあった。


「陛下、イリア・ローレンス様をお連れいたしました」


 エルザの呼びかけに応える声はなかった。しかし、彼女は臆する様子もなく、扉を押し開いた。


 繊細で美しい金色の髪を持つ青年を真っ先に目にとめたイリアは、驚いてまばたきをした。


 この青年が、フェイラン・アーデン──エストレア国の若き王。


 彼は王座ではなく、木製の椅子に腰をおろし、机の上に開かれた書簡をぼんやりと眺めていた。


 てっきり、謁見の間で顔を合わせるとばかり思っていたが、そうではなかった。執務中に見えるが、熱心に取り組んでいるようでもない。


 ここは……、彼の私室だろうか。


 そうと気づくと、イリアは軽く握ったこぶしに力を入れた。

 温かく迎え入れてもらえると思っていた、ほんの少し前の自分がとてつもなく腹立たしく、恥ずかしかった。


 側妃とはいえ、己の妃がやってきたというのに、形式すら欠き、私室に呼びつけるとは、イリアを軽んじているほかならなかった。


 イリアは深く息を吸い込んで落ち着きを取り戻すと、凛と背筋を伸ばして前へ進み出た。


 フェイランがわずかに、こちらへ目を移す。かすんだ灰色のような青の瞳に、一瞬、怯んだ。


 王としての威厳など感じられない。

 薄情、病弱、怠惰……彼を表す言葉すべてがあてはまるような、士気のない姿だった。


 フェイランがゆっくりと立ち上がった。


 イリアはハッとして、エルザに教えられた通りに左足を引いて腰を落とした。


 そして、ドレスのすそを取ろうと、手を伸ばしかけて──ふと、あの絵画を思い浮かべた。


 王妃として迎え入れられる令嬢が、両手を胸の前に重ねて頭を垂れていたあの姿。


 それが本当の敬意の形のように思えた。


 イリアはそっと両手を胸の前で重ね、深く頭を下げた。


「イリア・ローレンスにございます。陛下の御前に参上できましたこと、大変光栄に存じます」


 長い沈黙が続いた。


 耳に届くのは、鳥のさえずりだけ。


 ──間違えた、だろうか。


 不安が胸を締めつける。急速に高まる激しい拍動。焦りが額に汗をにじませたとき、低く少しかすれた声が部屋に響いた。


「……そうか」


 それだけだった。


 イリアが顔を上げた時、フェイランはすでに視線を窓の外へ向けていた。


 風に揺れるカーテンの向こう、遠くの空を見ている。


 そこに、王としての関心も、これから夫婦になろうという妻への情愛もなかった。まるで、この世界の何事にも興味がないかのようだった。


「……エルザ」

「はい、陛下」

「彼女を、客室へ案内しなさい」

「かしこまりました」


 エルザが恭しく頭を下げる。


 イリアは驚きのあまり、声を出すことができなかった。


(客室……ですって?)


 王の妃を、一時的な滞在者のように扱う。それは、イリアを重視していないと言ったようなものだった。


「それと……、ここへはもう来てはならない」


 焦点の定まらないような目で虚空を見つめるフェイランは、どこか痛みを抱えたような表情をしていた。


「イリア様、どうぞこちらへ」


 イリアは深く頭を下げ、エルザの待つ扉へと向かった。


 そのとき、彼の視線が一瞬だけこちらに向いた気がした。けれど、それが錯覚なのか、本当なのか、確かめることはできなかった。


 扉の静かに閉じる音が、胸の奥に重く落ちていった。


 春を告げるミモザが咲き始めたころだというのに、王宮の空気は、外よりもずっと冷たかった。

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