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氷河期世代化 ――名もなき者の戦――  作者: winten


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第2話 地下で広がるもの

 男が意識を向けた瞬間、地面が動いた。

 揺れではない。

 崩落でも、振動でもない。


 青木ヶ原樹海の地下深くで、溶岩層そのものが静かに“ずれていく”感覚が、男の足裏に伝わった。


 音はほとんどない。

 岩が砕ける轟音も、掘削機の唸りも存在しなかった。

 あるのは、低く一定の周期で続く、規則的な振動だけだった。


 視界の端に、情報が浮かぶ。

 地質構造。

 圧力分布。

 応力解放の進行率。


 男が理解するより先に、処理は進んでいく。

 掘るのではない。

 削るのでもない。


 不要な部分が、最初から存在しなかったかのように退いていく。


 溶岩層は割れない。

 押し潰されもしない。

 ただ、配置を変え、空間を明け渡す。


 男は、立ち止まったまま、それを見ていた。

 驚きはなかった。

 恐怖もない。

 理解が、感情よりも先に追いついていた。


 「……そういうやり方か」


 声は、ほとんど独り言だった。


 地下水脈は避けられ、圧力は分散され、地表への影響は即座に再計算される。

 富士山麓の地盤に、変化は起きない。


 地上では、誰も気づかない。

 樹海の中を吹き抜ける風も、鳥の声も、何一つ変わらない。


 地下だけが、静かに形を変えていた。


 やがて、空間が生まれる。

 天井も、壁も、床も、最初から設計されていたかのように整っていく。


 柱は存在しない。

 支えが不要だからだ。


 照明が灯る。

 だが、光源は見えない。

 影だけが均一に落ち、距離感を曖昧にする。


 男は、その中央に立っていた。

 立たされた、という表現の方が正確だった。


 どこまでが空間なのか、目測では判断できない。

 視界は遮られていないのに、奥行きだけが掴めない。


 湿気はない。

 土の匂いもない。

 溶岩層の下にいるはずなのに、閉塞感が存在しなかった。


 男は、ゆっくりと息を吐く。

 肺の奥に溜まっていた空気が、わずかに軽くなる。


 「……すごいな」


 感嘆ではない。

 評価でもない。

 完成を確認するための、ただの音声だった。


 視界に、最終確認の情報が重なる。

 地質安定度。

 地下水影響。

 地表変位。

 すべてが「問題なし」と示される。


 ここまで来て、ようやく男は理解する。

 この空間は、拠点ではない。

 防衛のためでも。

 研究のためでも。

 何かを始めるための場所ですらない。


 「……整理するための場所か」


 男は、そう呟いた。

 誰かに聞かせるための言葉ではない。


 地上を変える前に、地上を測る。

 そのための余白。

 地下空間は、静かに完成していた。

 音もなく、祝福もなく。

 ただ、使われるのを待つだけの状態で。




 地下空間が完成したあとも、男はしばらく動かなかった。

 空間そのものより、視界に浮かび続ける情報のほうが、注意を引いていた。


 地上の映像が、段階的に重なっていく。

 最初は地形。

 次に道路、鉄道、港湾、空港。

 そして、人の流れ。


 都市部は時間帯ごとに明滅し、地方は静かに推移している。

 同じ国でありながら、負荷のかかり方が極端に違う。


 男は、それを評価しない。

 ただ、見ていた。

 視界を切り替えたとき、初めて未知の項目が現れた。


 ――フォルティシアン。


 名前だけが表示され、その下に簡潔な定義が並ぶ。


 自律稼働個体。

 中枢演算系は宇宙船に接続。

 判断は個体、最終制御は管理者。


 男は、情報を読み進める。


 それらは、兵器ではなかった。

 攻撃力の数値は存在するが、目的として設定されていない。


 主用途は、制圧ではない。

 秩序維持。

 介入。

 分離。

 沈静化。


 暴力が発生した場合、それを最短時間で収束させるための存在。

 相手を殲滅するのではなく、行動不能にし、状況を固定する。


 男は、ふと足元を見下ろす。

 空間の一角に、静止した個体が表示された。


 人の形を大きく外れてはいない。

 腕と脚に相当する構造はあるが、装飾は一切ない。

 最小限の動作は無駄がない。

 感情表現のための構造も、排除されている。

 威圧のためでも、親和性のためでもない。


 「……道具だな」


 それは侮蔑ではなかった。

 機能を正確に表した言葉だった。


 次の瞬間、男はある項目に気づく。


 ――製造可能。


 数量の欄は、空白だった。

 上限値が、存在しない。

 男は、思わず視線を止める。


 「……最初から、揃ってるわけじゃないのか」


 理解が、ゆっくりと追いつく。

 フォルティシアンは“保有兵力”ではない。

 必要に応じて生成される存在だ。


 材料は、地殻内の元素。

 エネルギーは、宇宙船の中枢から供給される。

 時間は、人間の基準では意味を持たない。


 男は、数値入力欄を見つめる。

 何体必要か。

 治安維持だけなら、限られた数で足りる。

 災害対応なら、さらに少なくて済む。

 だが、それでは足りない。


 「……見る側と、見られる側が固定される」


 それは、男が嫌悪してきた構造だった。

 管理する者と、される者。

 例外を持つ側と、持たない側。


 同じ条件を適用するなら、数も同じでなければ意味がない。

 男は、日本の人口データを呼び出す。

 年齢別。

 地域別。

 昼夜人口。

 その総数を、静かに確認する。


 「……同数だな」


 声は低く、淡々としていた。


 日本にいる人間の数と、同じだけ用意する。

 過不足は作らない。

 誰かを優先しないための数。


 男は、数量欄に数値を入力する。

 表示が変わり、製造計画が展開される。


 期間。

 配置予定。

 待機状態。


 すべてが、即座に算出される。

 フォルティシアンは、完成次第、順次待機に入る。

 まだ表に出ることはない。

 存在を主張することもない。


 ただ、必要な場所に、必要な数だけ置かれる。


 男は、その一覧を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。


 ここまで来て、初めて実感が伴う。

 これは準備ではない。

 配置だ。


 戻ることを想定しない選択。

 地下で、静かに。

 だが確実に。

 社会の前提条件が、書き換えられ始めていた。



挿絵(By みてみん)

 フォルティシアンの製造計画が静かに進行する中で、男は次第に別の違和感を覚え始めていた。

 数は揃った。

 配置も整う。

 物理的な偏りは、いずれ解消される。


 それでも、何かが足りない。


 男は視界に表示された地上の映像を、再び呼び戻した。

 人の流れは、以前と変わらず都市へ集中している。

 道路は混み、駅は溢れ、地方は静かなままだ。


 フォルティシアンが待機していても、この流れ自体は変わらない。

 暴力は抑えられる。

 混乱は収束する。

 だが、それだけだ。


 「……止めるだけじゃ、()らないな」


 秩序は保たれる。

 しかし、秩序は結果であって、原因ではない。


 男は、かつての自分を思い返す。

 法は守っていた。

 規則も守っていた。

 それでも、生活は安定しなかった。


 問題は、違反ではなかった。

 怠慢でもなかった。


 基準が、なかった。


 男は、視界に新たな情報層を重ねる。

 賃金。

 労働時間。

 成果。


 それらは、別々に管理されている。

 時間は契約で区切られ、成果は主観で評価され、賃金は慣習で決まる。


 三つが、同じ場所で計算されていない。

 だから、説明ができない。

 なぜこの人は報われ、なぜあの人は切り捨てられるのか。


 「……測ってないからだ」


 数字はある。

 だが、結びついていない。


 男は、作業台のように視界を整理する。

 一つの画面に、要素を並べる。


 時間。

 動作。

 成果。


 余分な言葉を削ぎ落とし、それだけを残す。

 善意も、空気も、期待も含めない。


 人が一日にどれだけ身体を動かしたか。

 どれだけの時間、役割から離れなかったか。

 その役割に対して、どれだけの結果を出したか。


 それらを、同じ重さで扱う。


 男は、数式を組み始める。

 まだ粗い。

 だが、方向は明確だった。


 これなら、言い逃れはできない。

 努力したつもり、という言葉も通用しない。

 同時に、切り捨てられる理由も、明確になる。


 「……平等じゃないな」


 ふと、そう呟いた。

 だが、その直後に訂正する。


 「……公平だ」


 感情を挟まない。

 例外を作らない。

 誰かを救うための制度ではない。


 ただ、返すだけだ。


 男は、フォルティシアンの行動原則を思い出す。

 逸脱を抑え、暴力を最小化し、状況を固定する。

 その役割は、変えなくていい。

 だが、彼らが守るべきものは、秩序ではなく基準になる。


 「……守るのは、人じゃない」


 守るのは、計算結果だ。


 男は、その考えに違和感を覚えなかった。

 むしろ、長年抱えてきた不整合が、静かに収束していく感覚があった。


 地下空間の広さが、初めて意味を持つ。

 ここは、何かを溜め込む場所ではない。


 基準を定義するための余白だ。

 男は、数式の仮組みを保存する。


 まだ名前は付けない。

 名前を与えるのは、適用が決まってからでいい。


 この時点で、男ははっきりと理解していた。

 フォルティシアンは、道具に過ぎない。

 本当に地上を変えるのは、

 暴力でも、恐怖でもなく、

 測り直された現実そのものだということを。


 地下で、世界を均すための発想が、静かに形を取り始めていた。




 地下空間は、変わらず静かだった。

 振動の周期も、照明の色も、最初から何一つ変化していない。


 だが、男の中では、すでに段階が一つ進んでいた。


 視界に浮かぶ数式は、もはや仮組みではない。

 時間。

 動作。

 成果。


 それらは整理され、互いに結びつき、一つの評価軸として成立していた。

 善悪を含まない。

 希望も、配慮も含まれない。


 ただ、測るための形だ。


 男は、その数式を地上のデータと重ねる。

 職種。

 雇用形態。

 役職。


 どれも、免罪符にはならない。

 肩書きも、経験年数も、特別扱いされない。


 再計算された数字が、淡々と並ぶ。

 現在の報酬と一致するものは少ない。

 大きく乖離しているものもある。


 それが示しているのは、不正でも犯罪でもなかった。

 ただ、今まで測られていなかったという事実だけだ。


 男は、その結果を見ても、感情を動かさなかった。

 驚きも、躊躇もない。

 予想通りだったからだ。


 男は、過去の記憶を一つ、引き寄せる。


 氷河期と呼ばれた時代。

 低賃金で、長時間働き、評価されなかった日々。

 あの条件は、異常ではなかった。


 ただ、選ばれた人間だけに適用されていた。

 ならば、全員に適用すればいい。

 それだけの話だ。


 男は、数式に名前を与える必要があることに気づく。

 制度は、名前を持った瞬間から、社会に存在し始める。

 画面の片隅に、企業データが表示された。


 テンモ製薬。

 医薬品の製造現場で、止まらずに稼働し続けることを前提とした労働管理システムを持つ企業。


 休憩を最小限に抑え、

 秒単位で作業効率を測定し、

 成果を数値で管理する。

 そこに、思想はない。

 あるのは、現実だけだ。


 「……テンモ指標」


 男は、その名称を、静かに確定させる。


 語感が良いわけでもない。

 覚えやすいわけでもない。

 男が以前働いていたブラック企業の名だった。


 だが、現実的だった。

 テンモ指標は、理想を語らない。

 努力を称賛しない。

 救済を約束しない。

 ただ、測る。

 そして、返す。


 男は、テンモ指標を既存の社会データに重ねる。

 政治家。

 経営者。

 管理職。

 現場労働者。


 例外は、一つもない。


 視界の端に、新たな設定項目が現れる。

 適用開始日。

 移行期間。


 男は、わずかに考え、期間を設定する。

 猶予は必要だ。

 だが、長すぎても意味がない。


 「……半年だな」


 差額を清算するための時間。

 現実を受け入れるための最低限の期間。

 それ以上は、与えない。

 だが、準備期間がなければ、社会は壊れる。


 テンモ指標の適用開始日が、静かに設定される。


 同時に、フォルティシアンの行動条件が更新される。

 介入基準。

 制圧の閾値(いきち)

 復旧までの手順。


 彼らは、誰かを裁かない。

 説得もしない。

 感情に反応もしない。


 基準から逸脱した行動が発生した場合、

 それを最短で固定し、元の状態に戻す。

 それだけだ。


 男は、すべてを確認し、画面を閉じた。

 地下空間には、依然として何の変化もない。

 だが、地上はもう、元には戻らない。


 この瞬間から、日本は「測られる側」になる。

 かつて、選ばれた人間だけが置かれていた条件に、全員が立つ。


 男は、深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。

 覚悟というほどの感情はない。


 ただ、作業が一段落したという感覚だけが残る。

 地下で、

 社会を均すための基準は、すでに完成していた。


 あとは、それを適用するだけだ。

4月3日まで、毎週金曜日21時に更新します。

評価をくれると、励みになります。

よろしくお願いします。

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