えぴそーど 〜はち〜
「ほんわか堂」の店先には、小さな黒板が立てかけてあります。
そこには、ほとりの手書きで、こんなふうに書かれているのです。
わびしい さびしい
人っていつも
そんな感情につつまれますよね?
そう、いつもいつもね
あ 良いことをおもいつきましたよ!
この際、「しい」をとっちゃいましょう!
「わびさび」
とても美しいことばになりましたね
「ほんわか堂」
今日も ふわっと あいています。
あなたのお悩み、少しだけこぼしてみませんか?
~どうでもいい茶と、鳴き声のポストカード~
***
「触ったでしょ!? 何回も触ったでしょ!!!」
怒号が響いたのは、夕方のスーパーのレジでした。
まなみは静かに会釈しながら、バーコードをもう一度通します。
(……バーコードがずれてただけなのに)
(猿じゃないんだから……キーキー言わなくても)
怒鳴る中年男性の顔は真っ赤で、まるで怒りが服を着て歩いているようでした。
まなみは「申し訳ありません」と繰り返し、やり過ごすしかありませんでした。
仕事帰りの足取りは重く、単に肉体的な疲れより精神的な疲れが心にのしかかっていました。
あのレジで受けた怒りが、心にベタッと張りついています。
(家に帰っても、夫も息子もスマホやテレビに夢中で、きっと話を聞いてくれない。)
(誰か、あの気持ち、分かってくれる人いないかな……)
そんなとき、商店街の路地裏にふと目に入った小さなお店がありました。
『ほんわか堂』と書かれたのれんが、風にふわっと揺れていました。
(あれ?こんなお店あったかな?)
***
おそるおそる中に入ると、柔らかい香りと、木のぬくもりに包まれた空間が広がっていました。
「こんにちは」
やさしい声で迎えてくれたのは、どこか不思議な雰囲気の女性──ほとりでした。
「どこか、お疲れの様ですね。少しだけ、おはなししてみませんか?」
まなみは、今日の出来事をぽつりぽつりと話しはじめました。
「怒鳴られて……バーコードがちょっとずれただけなんです。なのに……」
「なるほど。それは、災難でしたね」
ほとりはうなずいて、温かい湯のみを差し出した。
「どうぞ、“どうでもいい茶”です」
「え……?」
「“どうでもいい茶”っていうんです。特に何も効能はありません。でも、そういうのが、いちばん心を軽くしてくれることもあるんです」
まなみは湯のみを手に取り、ひとくち含みました。
ふわっと香るのに、味はうすくて、でも優しい味がします。
(……なんか、気が抜ける……)
ほとりは、さらに一枚の小さなポストカードを差し出しました。
そこには、小さな猿がキーキー叫んでいるイラストが描いてありました。
裏にはこう書かれています。
『その人はかわいい動物です。まともに受け取らないでくださいね』
まなみは吹き出しました。
そして、肩の力がストンと抜けた。
「あの人……猿だったのかも」
「かもしれませんね」
店を出るころ、まなみの足取りは少し軽くなっていました。
***
翌日。
またあの中年男性が、会計にやってきました。
「今日は、触らないでくれよ!まったく」
何か隙があったら言ってやろうという顔をしています。
そして……
(あは、やっぱり、猿みたいだわ!キーキー言いそうで可愛い)
まなみは、臆することなくその男性の会計を終えました。
その後、年配の女性客がやってきました。
「さっきの人、またあなたに怒鳴りそうで怖かったわねぇ。でもあなたの対応、とても丁寧で素敵だったわよ」
まなみは思わず笑いました。
胸ポケットには、昨日もらった“キーキー猿”のポストカードがそっと入っていました。
***
その日の帰りも、まなみは「ほんわか堂」に寄りました。
「今日も、あの中年男性がきたんですけど、このポストカードのお陰で、うまくやり過ごせました」
「それは、よかったですねぇ」
「で、思ったんです。うちの夫と息子も、『ナマケモノ親子』だって思えば、怒る気持ちもなくなるかなって」
「その見方、とても楽になりますね」
「何か、ほとりさんにお礼をしたいんですが。あ、そうそう、スーパーの割引券なんかどうですか?明日また持ってくるので!」
「いえいえ、それには及びません。その代わりに、この“ありがとう帳”に、一言添えていただけませんか?」
「え?そんなことで良いんですか?」
「はい」
まなみは“ありがとう帳”にこう書き残しました。
《怒鳴る人は、心のどこかが寂しいんだって、誰かが言ってました。でも、猿がキーキー鳴いてるだけだと思えば、ちょっとだけ笑えますね。 “どうでもいい”って、時には魔法の言葉だなって思いました。 ナマケモノ親子を世話するまなみ》
***
のれんがふわりと揺れます。
ほとりは、棚を片付けながら、ぽつりとつぶやいていました。
「きょうも、だれかのものの見方が すこしだけ やさしくなりますように」
【おくり物】
「猿のポストカード」と「どうでもいい茶」
メッセージ:
『その人はかわいい動物です。まともに受け取らないでくださいね』
**次にのれんをくぐるのは、もしかすると“あなた”かもしれませんね**




