えぴそーど 〜じゅう〜
「ほんわか堂」の店先には、小さな黒板が立てかけてあります。
そこには、ほとりの手書きで、こんなふうに書かれているのです。
人生って、いろんな事のれんぞくですよね。
たのしいこともあれば、そうでない事もたくさんあります。
わたしには、それを変えることはできないけれど
すこしだけよくするために
「おくり物」をひとつお渡しします。
よかったら受け取ってみませんか?
「ほんわか堂」
今日も ふわっと あいています。
あなたのお悩み、少しだけこぼしてみませんか?
~小さな手鏡と、見えなかった才能~
ケントは30代前半。
お笑い芸人として10年活動してきました。
ですが、一度もテレビに出たことがありません。
それでも、10年付き合ってくれている彼女がいました。
「信じてるよ」と、いつも笑ってくれる、たった一人の味方です。
でも──
長年苦楽を共にした相方とコンビを解散し、
人生最後の賭けとして挑んだ「ピン芸人グランプリ」では、
あっさり2回戦敗退という結果でした。
楽屋のトイレで、涙が止まりませんでした。
「オレ、なんの才能もなかったんやな……」
その帰り道のこと。
ふらっと立ち寄ったのが、「ほんわか堂」だったのです。
***
ほんわか堂ののれんが、風にふわりと揺れました。
「いらっしゃいませ。」
ほとりは、優しい笑顔で出迎えました。
「お好きなお席へどうぞ」
ケントは肩を落としながら、席に座りました。
「あなたにお出しするお茶は、ほほえみのお茶です。」
ほとりは、ほんのりやさしい香りが漂う、暖かいお茶を出しました。
ケントは一口飲みました。
「ありがとう。何か心がほほえむような、そんな味やね」
「そうですか。良かった。」
「……。」
ほとりの前で、ケントは思わずつぶやきました。
「夢って、変えたら逃げになるんですかね……ボク、ケントと言います。ピン芸人をしています」
「ああ、あのケントさん!」
「え?知っているんですか?」
「しりまへん!」
「なんでやねん!あ……すいません。思わずツッコミ癖が」
ふたりは、顔を見合わせて笑いました。
「ふふ、少し元気になりましたね」
「なかなか、良いボケでしたよ!ボクとコンビ組みませんか?」
「くみまへん!」
「くまへんのかい!……あは、そうですよね。すぐスカウトしてしまうクセが」
ケントは人懐っこい笑顔をほとりに向けました。
「ケントさんのその、人との距離感、素敵ですね」
「あの、実はボク、才能ないんで、お笑いやめようと思うんです。でも、彼女に何て言ったらいいか…10年、ずっと支えてくれていたんで」
ほとりは、にっこり笑って、小さな手鏡を差し出しました。
「これは、あなたがずっと見えなかった才能を、ちょっとだけ映す鏡です。」
受け取った鏡は、ただの曇った鏡にしか見えませんでした。
そして、小さなメッセージカードが添えられていました。
『あなたのまま、ありのままで、いいんですよ』
***
帰り道、ふとした瞬間に、手鏡を覗いてみました。
そこに映っていたのは、ピン芸人の顔じゃありませんでした。
アルバイト先のイタリアンで、子どもに笑顔でピザを渡していた自分でした。
「あ……オレ……こんな顔してたんだ」
ケントは、気づきました。
──これは、人を笑わせる才能じゃない。
──でも、誰かを“笑顔にする”才能かもしれない。
「本人が否定している間は、曇っていて何も映らない。“ありのまま”を受け入れた時だけ、にっこり笑った自分が見えるのです。」
***
翌日、アルバイト先に頭を下げ、正社員として働かせてほしいと願い出ました。
それは逃げではなく、自分の心の奥底からの希望でした。
店長は言いました。
「実は、ずっとプロデュース側に来てほしかったんだ」
ケントは、初めて“芸人じゃない道”を選びました。
でも、そこには自分の“明るさ”や“人との距離感”が、ちゃんと生かせる居場所があったんです。
***
やがて、彼のアイデアが大当たりして、人柄の良さと、お笑いへの情熱を全部お店へ注いだ事によって、系列店は次々にオープンしていきました。
若手芸人をアルバイトで雇いながら、支援する側にも回るようになりました。
「芸人にはなれへんかったけど、“笑わせる場”は、まだ作れるんやって、ようやく思えたんです。これが、ボクの本当にやりたい仕事、才能を活かす仕事やったんやなって」
***
そのころ、ほんわか堂では──
ケントが“ありがとう帳”に記入した名前の下に、こんなメッセージが浮かび上がりました。
《いつか、あの鏡を若手に渡してやりたいんです。ボクも、“見えんかった自分”を、やっと笑えるようになったから。 笑顔をお届けするピン”職”人 ケント》
ほとりが、いつものように棚を片付けながら、ぽつりとつぶやきました。
「きょうも、だれかのえがおが おおくの人のえがおにつながりますように」
【おくり物】
小さな手鏡(ありのまま鏡):持ち主の「本当の才能」が見えるような気がする鏡。
メッセージ:
『あなたのまま、ありのままで、いいんですよ』
**次にのれんをくぐるのは、もしかすると“あなた”かもしれませんね**




