優しすぎる彼女のそばで
※本話は、これまでとは一部異なる視点を含みます。
それぞれの立場や距離感を、楽しんでいただければ幸いです。
「ねえ~、アイリスちゃんってば~、きいてるの~? ぐんぶはもっとさ~、わたしたちのたいぐうをよくするべきだよ~。こんなにがんばっているのに~、きゅうりょうはすくないし、おまけにやすみもすくないし~。ひっく」
片手に酒瓶を持ちながら、呂律もあまり回っていないカシナが愚痴をこぼし続ける。彼女とのポーカーの後、チェスを何回か指しているうちに、日が暮れてしまった。そこで、何か食事をしようと思ったのだが……
「貴方、酔いすぎよ……。明日から、また行軍が始まるんだから、その辺にしときなさい。それに、その話をするのは、もう三回目よ」
「ええ~、だいじょりゅよ~。わたしは~、あさけにはちゅよいんだから!」
明らかに大丈夫ではない声で、カシナは返事をする。食事と一緒にと、持ってきた酒が悪かった。カシナが一つの酒瓶を飲み干したと思ったら、いつの間にやら、また一つ、また一つと瓶の蓋を開けていた。かくして、目の前のだらしない姿をした獣人の少女が誕生してしまった。
「いいから、もうお酒は止めなさい。ほら、これ。水でも飲んで、少しは酔いを醒ましなさいよ」
「もう~、だいじょうりゅだって、いってるのに~。でもアイリスちゃんのおねがいならきいちゃう!」
渡した水を、カシナはごくごくと飲み干す。まったく、いつもの彼女の可愛らしさはどこに行ってしまったのだろうか。いまの彼女は、まるで飲んだくれのような、締まりのない顔をしている。
「ほらほら~、アイリスちゃんは、私になにかして欲しいことはないの~?今の私なら、なんだっておねがいを聞いてあげるぞ~!」
「そうね、じゃあ、これをもっと飲んで頂戴。そうしたら、私は凄く嬉しい気持ちになるわ」
また、コップ一杯の水をカシナに渡す。
「ええ~、そんなことでいいの~?でも、アイリスちゃんが喜んでくれるなら、なんでもしちゃう!」
そんな堂々巡りな会話を、十数分ほど続ける。さすがに水を飲ませすぎたのか、カシナの顔が、急にそわそわとした表情に変わっていく。そして、「ト、トイレ!」と言って、走り去って行ってしまった。
残された私は、ふと昼過ぎの出来事を思い出していた。獣人と人間が仲良くしていた光景。いや、昼間の光景だけではない。今なお、獣人たちと人間たちが、目の前で酒を飲み交わし、楽しそうに笑いながら、話し合っている。
私は、そんな光景が不思議だと思う反面、どこか安心するような、心地よい気持ちが、私の心を掴んでいた。
本来なら、互いにいがみ合っていた種族が、この共同行軍を通して、その関係に明らかな変化を見せている。互いに寄せ付けなかった雰囲気が、歩み寄ろうとする、そんな穏やかな空気に変わろうとしている。
もちろん、全員が全員、そんな空気に浸っているわけではない。仲良く話している集団を尻目に、侮蔑するような目で、その空気をあざ笑っている者も、ちらほらといる。今までのしがらみが、完全になくなったわけではないのだ。
それでも、そんな些細な空気の揺れに、何かを期待してしまっている自分がいた。
「ごめん……お待たせ……」
そんな考え事をしていると、カシナが戻ってきた。さっきまでの様子とは対照的に、彼女は本来の落ち着きを取り戻していた。酒で赤く火照っていた頬は元の色に戻っていたが、顔色が少し悪いのを見るに、おそらくトイレで吐いてきたのだろう。
「大丈夫?やっぱり飲みすぎていたのよ」
「そうみたい……でも、ちょっと酔いは醒めてきたわ」
「なら、良かったわ。明日の行軍に、二日酔いが響かなければいいけど……」
「大丈夫よ、多分……」
「ほら、水でも飲んで、少し横になりなさい」
「そうね、ありがとう。でも、ここじゃ寝にくいし、テントに戻ることにするわ」
「そう? 横になるなら、膝枕ぐらいしてあげてもいいと思ったけど……」
その言葉にカシナは、驚きつつも目を輝かせて、言葉を返す。
「……! やっぱり、ここで横になるわ! せっかくのアイリスの太ももを無下にするわけにはいかないしね!」
「貴方、膝枕ぐらいで、目を輝かせすぎよ……」
そして、カシナは耳をぴょこぴょこさせながら、私の膝に頭をのせて、横になる。
「いやー、やっぱり女の子の太ももはいいねー! 柔らかいし、ゆっくりと休めそうだよ!」
「あまり、太ももを触らないでくれるかしら……。それに、私の太ももはそんなに寝心地がいいものではないと思うわ。私って、獣人の中でも特に小柄でしょ。だから、あまり肉がつかなくて、少し骨ばっているのよ」
「そんなことないよー、アイリスは確かに小柄だけど、言うほどごつごつしてないし、何よりスタイルがいいじゃない! 私なんて、脂肪ばっかりつくもんだから、いつも体重を気にしているのよ!」
「お世辞はいいわよ。それに、貴方の場合、脂肪が付くっていっても……」
そう言いながら、彼女の胸部にある大きく膨らんだ二つのモノを見る。私にはまったくなく、成長するにつれて諦めてしまった、その夢(巨乳)。きっといつか、自分にも与えられるものだと、勝手に思い込んでしまっていた幻想だ。
その視線に気づいたのか、カシナは自分の胸に視線を落としながら、答える。
「別に、これ(巨乳)はそんないいもんじゃないよー。肩は凝るし、訓練の時なんかは、追加で重りを持たされてるようなもんだからねー。それに、男からの視線もうざいし……」
「それでも、胸があるだけいいじゃない。私なんか、まったくないのよ……。ほんと、自分でもビックリするほどにね……。それに、男の人から見られるってことは、それだけ貴方が女性的な魅力が高いって証拠でしょ」
「えー、でもやっぱり、視線はうざいよー」
「まあ、不埒に見てくる男の人がいるっていうのも難儀ではあるわね。でも……好きな人を魅了できる武器があるっていうのは、羨ましいわ」
その言葉にカシナは、すばやく反応する。
「やっぱり⁉ アイリスってば、遂に好きな人が出来たのね!」
「違うわよ! ただ、そういうものを持っていれば、いつか役に立つって言いたいだけで……」
カシナの言葉を慌てて否定してしまった。何となく気恥ずかしくなってしまったのだ。いつもなら何も感じなかった、この手の話題を振られて、動揺してしまったのだ。
「やっぱりそうだと思ったのよねー。でも、あのアイリスがねー。なんか感慨深いなー」
「だから、違うって! むしろ、なんでそんなに、私に好きな人がいるって思っているのよ!」
「なんでって、それは、あの時、貴方の耳が……」
そこで、カシナが口を止める。
「私の耳が何よ?」
「……いや、やっぱり何でもない。気にしないで」
「そこで止められたら、さすがに続きが気になるわよ!」
「うーん、でも私が何か口を出すってのも、野暮だと思うのよ。だから、これ以上は何も言わないわ」
「……貴方からこの話題を出しておきながら、随分と利己的ね」
「あまり怒らないでよー、アイリス。自分でも分かっているのよ。ただ、思い直したってだけなのよ」
カシナの表情はどうしてだか、何かを思案しているようであった。そんな表情を見ているうちに、これ以上聞き出そうとする気が起きなくなってしまい、会話が途切れた。
「ねえ、アイリス。昼間のこと覚えてる?」
数分の沈黙を破り、カシナが問いかける。
「昼間って、ポーカーをした時のことかしら? それなら、覚えているけど……」
「あの時、キースっていう金髪の人間がいたじゃない? 彼が、今回の行軍の私のパートナーなの」
昼間の記憶を思い出す。キース。たしか、彼と友人だと言っていた人間だ。なるほど、カシナは彼とタッグを組んでいたのだ。だから、はじめは、あの三人でポーカーをしていたのだ。
どこか腑に落ちるような感覚を覚えながらも、彼女の言葉を聞き続ける。
「でね、あいつと一緒にいるうちに、なんだか変な感覚を覚えてきてね……」
「変な感覚?」
「うん……私もおかしいとは思っているんだけど、なんか……友達……みたいな」
「友達ね……。でも貴方、人間には興味がないみたいなこと、言ってなかったかしら?」
「そうなんだけどね。取り繕う必要がないから、自然に接することができるというか……自然体の私で話せるっていうか……。でもね、分かっているのよ。今までのこともあるし……」
彼女は、きっと迷っているのだ。
今までの自分の価値観を信じていくのか、それとも、この行軍中に感じた新しい自分の気持ちを信じるのか。
今までの自分を変える。それは、難しいことだ。自分自身が作り上げてきたもの、その考え方を根本から変えるに等しいからだ。ずっと恐ろしく、ずっと悩むのも無理はない。
そんな苦悩を浮かべたカシナの顔を、私の方へと向き直させ、目を見つめる。
「私はね、どっちでもいいと思うわよ。今までの自分を信じ続けても、新しい自分を信じてみてもね。どんな結果になっても、私は、貴方と親友であることは変わりないことだし、それで傷ついてしまったら、私が慰めてあげるわ。だから、貴方は、自分が信じたいと思ったことをしなさい。自分で選んだ選択なら、どんな結果が待っているとしても、最後はきっと、貴方なら受け入れることができると思うわ」
「そう、かな……」
「ええ、きっとそうよ。だから、自分が信じたい方を選びなさい」
「……うん、わかったよ! 私が信じたい方を選ぶ!」
戸惑っていたカシナの表情は、いつの間にか、いつもの明るい表情を取り戻していた。どうやら、迷っていたことは解決したらしい。
「……ごめんなさいね。少し無責任な言い方だったかもしれないわね。でも、私は、選択するということは、最終的には自分の心で決めないといけないと思っているの。だから、貴方にも、何か悩みがあるんだとしたら、それは自分で決めないといけないことだと思ったの」
「ううん、アイリスは十分、私の力になってくれたわ。こんな話を真剣に聞いてくれるのも、きっとアイリスだけよ。だからね、ありがとう」
カシナは、横になっていた体を起こし、私を正面に見据えて、そう言った。
「じゃあ、そろそろ戻る?」
どうやら、長く話し込んでしまっていたようだ。さっきまでいた人だかりも、もうそこにはなく、静かな森の夜に、夏の虫の音だけが響いていた。
「そうね、戻りましょうか」
私は、その場から去ろうとして、席を立つ。
「ねえ、アイリス。怒らないで聞いてほしいんだけど……」
去ろうとする私に、カシナが声をかける。
「……どうしたの?」
「アイリスって、やっぱり母性があると思う」
「また、その話? だから、私に母性は求めないでって……」
「うん、分かってるよ。でも、アイリスは本当に優しいんだもん。本当に……」
それ以上、カシナの口から言葉は出てこなかった。
「ありがとうね。素直にそう受け取っておくわ」
「うん。じゃあ、おやすみ! アイリス!」
「ええ、おやすみなさい」
そこで、私達の会話が終わり、それぞれが自分のテントへ戻った。
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静まり返る緑林の中で、一人の獣人の少女は、佇んでいた。
――彼女は優しすぎる。
訓練生の時からそうだった。私が何か失敗するたびに、何度も助けてくれたし、相談に乗ってくれる時は、いつも真剣に答えてくれる。さっきの相談だって、他の獣人に話していたら、きっと鼻で笑われて、まともに話も聞いてくれないだろう。でも、彼女は違う。どんなことにも真摯に、誠実に物事を受け止めてくれるのだ。
そんな彼女だからこそ、きっと戦場では、いくつもの苦悩を抱えたのであろう。半年前に再会した彼女の顔は、訓練生の時に見ていた彼女の顔とは、まったく違っていた。
戦場では、彼女の優しさは、自身に刃を突き立てる凶器となる。そんな刃に刺され続けた彼女の心境は、私には、きっと推し量ることさえできないものだろう。それは、彼女の顔を見ただけで分かった。
そんな彼女を助けたいと思った。今まで助けてもらった恩を返すのだと。
だが、それも徒労に終わった。この半年間、いくら彼女に話しかけても、その呪いともいえる呪縛から、彼女を救うことができなかったのだ。私にできたのは、親友として、そばにいることだけ。せめて、戦場以外では、彼女に笑顔になってもらおうと必死に会話をして、楽しんでもらおうとするだけの、ただのピエロだった。
本当に情けない。自分でもそう思う。
今まで、数えきれないほど、彼女に助けてもらってきたというのに、たったひとつの恩さえ、返すことができなかったのだ。そんな自分に、怒りさえ湧いてくる。
だが、彼女を救えるかもしれない人間が現れた。
いつもぶっきらぼうで、あまり笑わなかった彼女が、その人間の前だと、訓練生時代の、あの頃の彼女に戻っているようであった。それどころか、訓練生時代にも見せなかった感情を、見せるようになったのだ。
ロボットのように無機質になっていた彼女が、彼によって、変わっていっているようであった。今まで、私が触れることもできなかった彼女の心を、彼が、その乱雑に結ばれた心のひもを解きほぐしていっているようで、少し悔しかった。
だが、それと同時に、期待したのだ。
彼なら、彼女の深く傷ついた心を、救えるのではないかと。
「君には、期待しているんだよ……黒髪の若い青年くん」
誰もいない、真っ暗な森の中で、小さく呟く。
彼女は言っていた。選択は、自分自身で、自分の心で決めないといけないと。
ならば、彼女は、これから待ち受ける問いに対して、どんな選択をするのだろうか。そして、その選択は、彼女にとって救いになるものなのか。それとも、今と変わらない不幸が訪れるのか。
結果は、誰にも分からない。
でも、彼女が選ぶ答えが、きっと間違っていませんようにと。その答えが、彼女を絶望から救い上げてくれますようにと。
心の中で、小さな希望を抱くように、私は願った。




