役割
※本話はアイリス視点です。
「人間部隊との共同での長期行軍ですか……」
「そうだ」
目の前に立つのは、体躯の大きな牛の獣人だった。
二つのねじれた古木の枝のような角を持ち、不愛想な表情のまま、こちらを見下ろしている。
人間との共同行軍。
今の時期に、そんな任務を行う意味はない。
ハリス連邦との戦線が拡大している現状で、軍が前線の戦力を割く理由が見当たらなかった。それに、人間と獣人がタッグを組んで行軍するなど、聞いたこともない。
「一つだけ、質問をよろしいでしょうか」
「何だ」
「今回の西方行軍の目的について、詳しい見解をお伺いしたいのですが」
「……ただの訓練だ。獣人と人間が戦場で協力できるようにするためのものだ。陸軍全体の戦略強化が目的だ」
「ですが、それなら――」
「目的はすでに話した。他に質問はないな」
言葉を遮られ、それ以上は聞くなと無言で告げられる。
牛の獣人は不機嫌そうに鼻を鳴らし、そのまま部屋を後にした。
――いつものことだ。
上は、必要以上の情報を下には与えない。
指示されたことだけを実行し、それ以上は考えるなという姿勢。
だが、今回の任務は異常だ。
今さら、人間と獣人が協力できるようになるはずがない。
それに、東の戦線の維持すら危うい状況で、西方へ兵を動かす意味が見えなかった。
「いよいよ、本当に何を考えているのか分からなくなってきたわね」
そう呟いた私の隣で、橙色の尻尾を揺らしながら、狐の獣人が声を弾ませる。
「まあ、いいんじゃない? 私たちはやっとこの前線から離れられるんだし!」
彼女の名前はカシナ。
訓練生の頃からの友人だ。
橙色の綺麗な髪に、整った顔立ち。誰に対しても愛想がよく、いつも笑顔を絶やさない。男の獣人からの誘いも絶えないが、本人は気にも留めていない。
訓練を終えた後、別々の部隊に配属されたが、半年前に彼女が東の獣人部隊へ転属してきて、再び顔を合わせるようになった。それ以来、部隊に友人のいない私の、数少ない話し相手だ。
「でも、人間と一緒に、かぁ……それだけはちょっと面倒くさいね」
「貴方でも、人間相手だと取り繕わないのね」
「当たり前でしょ。人間に好かれたって、何の意味もないもの。アイリスだって、そう思うでしょ?」
「……ええ」
人間と獣人。
軍に入ってから、二つの種族の間にある深い軋轢を知った。
孤児院にいた頃は感じなかった、人間から向けられる見下した視線。
そして、獣人もまた、人間を見下している。
この息苦しい環境に適応するには、孤児院での記憶を切り離すのが一番早かった。
獣人は人間を嫌い、人間は獣人を嫌う――そう考え直すことで、私はようやく息ができるようになった。
「あっ、でもさ」
カシナが、思い出したように笑う。
「最近、人間と仲良くしてるみたいじゃない? 人間部隊にいる、あの若い子と。結構噂になってるわよ?」
「別に仲良くしているわけじゃないわ。孤児院の頃からの付き合いなだけ。向こうが勝手に寄ってくるのよ」
「へぇ~。じゃあ、あっちは好意があるのかもね。ケモナーってやつ?」
「……ケモナー?」
「獣人を恋愛対象として見る人間のことよ」
「それはないわ」
即答した。
「彼は、私を恋愛対象として見ていない。姉として見ているだけよ。孤児院の頃から、ずっとそうだった」
――そう、分かっている。
彼が見ているのは、過去の私。
孤児院にいた頃の、“姉だった私”の幻想だ。
それに応えられる私では、もうない。
応えるつもりも、ない。
――今の私の役割は、姉じゃない。
ただの兵士だ。
「でも、なんか分かるなぁ」
カシナは楽しそうに言う。
「アイリスって、母性があるよね。意外と世話焼きだし、頼りがいもあるしさ。何だかんだ、助けてくれるじゃん」
「組織で行動しているだけよ。仕方なく手を貸しているの」
「え~? 本当かな~? 実は心配で仕方ないんじゃないの~。お・ね・え・ちゃ・ん♡」
「……」
私は立ち上がり、カシナを睨んだ。
「私に母性を求めているなら、やめておきなさい。私は、自分の子供は甘やかさず、きちんと躾けるタイプよ」
甘えるような視線が、瞬時に怯えへと変わる。
「……は、はは。冗談よね?」
私は一度だけ立ち止まり、視線だけを向けて言った。
「次にその呼び方をしたら、貴方の綺麗な尻尾を引っこ抜くわよ?」
「……っ」
「そう思うなら、もう一度呼んでみればいいじゃない」
小さく微笑み、言葉を続ける。
「――い・も・う・と・ちゃん?」
それ以上何も言わず、私は部屋を後にした。
人間と獣人。
交わるはずのなかった二つの種族は、戦争という名の都合の下で、同じ道を歩かされることになった。
それが訓練なのか、試験なのか。
あるいは、誰かの思惑なのか。
その答えを、末端の兵士が知ることはない。
命令は下され、行軍は始まる。
拒むことも、疑うことも許されないまま。
ただ一つ確かなのは――
この行軍が、彼女と彼の関係を、否応なく引きずり出すということだけだった。




