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違和感


 違和感がある。

 いや、違和感というには些細すぎる、ただの引っ掛かりだ。

「ねぇ、カシナ。ここ、気配がなさすぎないかしら?」

 私が感じた小さな違和感を、隣を歩く狐の獣人、カシナに話す。

「気配がない?……確かにそうだけど、別におかしな事でもなくない?逆にこんな所に動物がいる方がおかしい気がするし……」

「そう、ね」

 カシナの言う事は正しい。今、私達が歩くこの場所は、スータン前線のすぐ近くの平野だ。ここは、前線で行われている戦闘の戦火によって、焼き払われ、家も自然も全てが失われた土地となった。そんなところに、動物は棲みつかない。夜明け前である現在なら、尚更のことだ。

 しかしだ。それでも感じ取ってしまう。気配がなさすぎるという、奇妙な不自然さを。

 自分の感覚が鋭すぎることは、自覚している。これは、2年もの間、地獄という名の戦場で生き延びてきた副産物だ。この感覚は、あそこに居たものならば、誰であろうと嫌でも身に付いてしまう。元々、感知能力が高い獣人なら尚更だ。

 だからこそ、何も感じないということが、不自然に感じてしまう。

「(……考え過ぎね)」

 そこで自分の思考の癖を戒める。戦場での感覚が、私には染みつき過ぎている。明らかな気配を感じ取ったならまだしも、気配が無さすぎるという理由だけで、行軍全体を止めるわけにもいかない。

 

「ねぇ、アイリス。あの子とはどうなの?」

 不意にカシナが、問いかけてくる。

「あの子って、一体、誰のことかしら?」

 誰か、なんて分かっている。だが、その話題だけは、避けたいと思い、知らないふりをする。

「そんなの決まってるじゃない!アイリスのパートナーの、黒髪の人間の子のことだよ!」

「……別に、何もないわよ。それよりも、貴女は行軍に集中しなさい。気配がないとはいえ、油断する理由にはならないわ」

「そう。……まあ、分かったわ。でも、私だって油断はしてないわ」

 カシナは少し、訝しむ様な表情で、返事をした。

 

「(……顔に出てしまっていたかしら)」

 カシナは、自分が意図的にその話題を逸らしたことに、気づいたのだろう。だから、彼女の返事には、少しの疑念が含まれていたのだ。しかし、彼女は、それ以上の追求してこない。私が踏み込ませないと決めた一線には、彼女は絶対入ってこない。それが、彼女の優しさであり、私が彼女と一緒にいて安心できる点でもあるのだ。

 彼女には、本当に感謝している。こんな面倒くさい性格をしている私を、友人として受け入れ、話しかけてくれるのだ。そんな優しい彼女だからこそ、私は自分の心の内を明かさない。彼女に、自分の本性を知られたくない。汚れている私なんかを。

 戦場で、硝煙に、血に、死臭に、身を晒した己自身。それに適応してしまった自分を見られたくないのだ。

 

 ――彼にも。

 地獄に適応してしまった者の責任。それ故に、彼の救いの手を、私は拒んだ。私に、救われる資格など無い、と。

あの時は、業なんて言葉で、自分の心を締めつけた。だが、思えば、ただ彼に嫌われたくなかっただけなのかも知れない。彼の手を取ってしまったら、自分の本性を、自分の罪を、彼に打ち明ける事になるのだから。血に染まったこの手を、彼には知られたくない。

 ……それが、きっと、私が救いを拒んだ、本当の理由。


 自分で考えていて、反吐が出る。何処までも都合の良い、利己的な考えだ。

「(彼に嫌われたくない?……馬鹿げている)」

 自分で責任がある、と宣っておきながら、結局は、自身の身勝手な感情が、本当の理由などと考える。本当にどうかしている。

 生き延びる為にした選択。その責任、その業、その罪から、彼への感情を理由に、私は逃れようとしたのだ。だが、それは、絶対に目を逸らす事を許されない、いや、許されてはいけない事だ。他のどんな要因が、それを、その行為を肯定したとしても、自分だけは、否定しなければいけない。正面から受け止め、飲み込み、消化する。決して吐き出してはいけない。それが死ぬことを拒んだ、己の選択なのだから。


「ねぇ、アイリス。顔、怖いわよ」

 カシナはじっと、私の顔を覗き込んでいる。

「怖くないわ。いつも通りよ」

 やはり、私は、顔に感情が出やすいらしい。昨日、彼にも言われたが、このままではカシナにも同じ事を言われてしまいそうだ。

「……そうね。いつも通りの可愛い顔だわ。抱きしめたくなっちゃうくらいね…」

「私の顔は、そんなに可愛らしい方では無いわ。貴女の方が、私より十分可愛いわよ」

 少し、カシナの表情が悲しそうに見えた。だが、

「えー!本当⁉︎嬉しいなー!でも、アイリスも可愛いよー。あっ、でも可愛いというよりは、綺麗って感じかもね」

 すぐにそんな表情は消え、いつもの陽気な彼女に戻っていた。

「お世辞はいいわよ。こんなぶっきらぼうな顔した獣人に」

「いやいや、本当だって!間違いなく、アイリスは綺麗だよ!」

 そんな言葉を交わしながら、私達は行軍を続ける。



 野営地を出発してから、十数キロは歩いただろうか。もう2時間程歩いたというのに、私達はまだ、日が昇らない暗闇の中を歩いている。昨日、引き返した地点はとっくに過ぎ去り、どこまでも広く続く、平野の真ん中を行軍している。

 いくら夜目が効くといっても、ここまで開けた平野だと、敵に気づく前に見つかってしまう。それ程までに、ここでの行軍は、夜が味方をしてくれているとはいえ、目立ってしまっている。それに……

 ――違和感が消えない。


 ずっと感じている違和感。最初は、ただの思い過ごしだと考えていた、あの奇妙な不自然さ。生物の気配をまったく感じないのだ。匂いも音も、不自然な点は無い。正常の範囲内だ。それでも、この不自然さが、私に警報を鳴らしている。何処かおかしい、何処かが変だ、と。

「……カシナ、やっぱり違和感を感じるわ」

 この正体不明の何かを、カシナにも知らせる。

「さっきの話?うーん、やっぱり私には何も感じないけどなー。敵は見えないし…、匂いにも、音にも、別に変な所はない気がする…」

「そうね。不自然なところは無いわ。…でも、いくら何でも無さ過ぎないかしら」

 そう。自然ではない不自然。違和感がない違和感。何かが噛み合わない。何かを見落としている。そんな空気の歪みともいえるノイズが、私の思考を巡る。


「うーん。私も最大限の警戒をしてるつもりなんだけどな…。やっぱり、何も違和感は感じないなー。どうしてもっていうなら、指揮官に報告する?」

「……そうね。報告するべき、かしら…」

 カシナの言葉に思案する。

 報告するべき、か。だが、私の勘違いの可能性だってある。現に、カシナを含めた他の獣人達は、私が感じる違和感に気づいていない様子だ。何よりも、自分もこの違和感の正体。その確信に迫っているわけでは無いのだ。そんな中途半端な、個人の意見を呈していいのだろうか。ただでさえ、この平野を直ぐに突破した方がいいのに、私の判断で、部隊全体の行軍を止めてしまってもいいのだろうか。

……私の選択が、部隊に被害を与えてしまうのではないか?

 その思考が、この違和感を指揮官に伝えることを、躊躇させてしまう。


「どうする?伝えに行く?」

「そうね…。もう少し様子を見ようかしら…」

「そう。まあ、何かあっても直ぐに気づけるわよ!こんなに獣人がいるんだし、誰か一人くらいわね!」

「そう、よね。何かあれば、誰かしら…」

「あっ、アイリス!あれ山じゃない?やっと山岳地帯の入り口に着くわね!」

 カシナが指差す方向を見る。暗闇の中で視認しづらいが、確かに聳え立つ山の影とその麓が見える。そして、山特有の様々な土と木の匂いが、風に乗り漂ってくる。その空気に私は安心感を覚えた。

 ――不自然ではない、自然を感じて。


 そこで私は気づいた。今までの違和感の正体。それは、

 ――匂いだ。

 ここは、匂いが均一すぎるのだ。土も、草も、その匂いが整い過ぎている。普通、これだけ広大な平野なら、風向きによって、匂いの強弱や揺れがあるはずだ。なのに、それが感じられない。

 理由は、分からない。でも、今までの違和感。気配がなさすぎる事や匂いが均一過ぎることを考えると、私の疑念は膨れ上がった。明らかな、確信とも言える異常に。

 私はその異常をカシナに伝えようとする。

「カシナ、分かったわ。今までの違和感の正体は、――」

 瞬間、複数の黒い影が私達の前方に出現した。


 部隊全員の動きが止まった。当たり前だ。いるはずのないモノがそこに現れたのだから。

 その黒い影は、何かを脇に抱えている。それは……

「獣人部隊が接敵‼︎ 直ちに、来た道を引き返せ‼︎」

 それを認識する前に、指揮官が怒鳴り声を上げた。

 ――そして、黒い影は脇に抱えた、それを……銃の引き金を引いた。


 

 最前方にいた獣人達は、最初に撤退命令が下った為、その指令に従おうとして、黒い影に背を向ける。だが、容赦のない銃撃が彼らを襲う。

「(ここで背を向ければ死ぬ。なら…)」

 目の前の光景が私を、その命令から背くことを決断させる。こんな至近距離からでは、逃げる事は不可能だ。ならば、生き残る手段は、一つしかない。

 私は、背中に背負ったライフルを敵に構え、銃弾を放つ。その銃弾は、黒い影の一つに命中する。

 そして、叫ぶ。

「応戦しなさい!!今、逃げたら蜂の巣にされるわよ!」

 その音と言葉が、獣人達の戦意を決定させる。


 銃撃戦は、一時間程で終わった。敵は、30人程の部隊で、待ち伏せをしていた。しかし、こちらには、50人の獣人部隊。相手は、全員が人間だったようで、戦力差には、圧倒的な差があった。それでも、戦闘が長引いてしまったのは、相手が獣人を想定した部隊だった為だ。煙幕や閃光弾を用いて、獣人の視覚、聴覚を奪おうとしてくる。それでも、所詮は、人間と獣人だ。その種族には、圧倒的な身体的な差が存在する。最初は戸惑っていた獣人達も、時間が経つにつれ、その環境に慣れた。そして、次々と敵を殲滅した。


「(相変わらず、凄まじい戦闘力ね。獣人という種族は)」

 殲滅された部隊の亡骸を見ながら、そう思う。

 そして、ある事に気づく。その部隊の服や武器、その全てが特殊な保護色を纏っている事に。そして何より、匂いが異質な事に。いや、異質というには、表現に少し誤解があるかも知れない。匂いに違和感がないのだ。

 この場と、この平野と、全く同じ匂いが、敵の装備からするのだから。

「おそらく、待ち伏せされていたな…」

 指揮官が敵の装備と周辺を見渡して、言った。

「待ち伏せですか…」

「ああ、こいつらは多分スータンの、特に対獣人に特化した部隊だ。ここで私達を殲滅しようとしていたのだろう。こいつらは、ここら一体に、こいつらの装備と同じ匂いを散布して、我々を待ち伏せしていたようだ。スータンとの戦争は長期間している。その為、こいつらの様な部隊がいる事は、不思議ではない」

「何故そんな奴らがここに?」

「昨日の行軍を見られていたかもしれんな。もしくは……」

 そこで、指揮官は口を閉ざす。

「……もしくは、何ですか?」

「いや、気のせいだ。気にしないでくれ。」

 その顔は、ライオンの顔特有の恐ろしく勇ましい顔つきのままであったが、僅かに耳が後ろに傾くのが分かった。

「(……動揺している?)」

 口には出さなかったが、私はこの指揮官、ライオンの将校に不信感を抱いた。

 だが、それよりもだ。

 ――私は、ひとつの嫌な予感を抱いていた。

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