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恐怖


状況は最悪だな。

 声に出さず、心の中でつぶやく。俺は、今、行軍部隊から切り離され、平野の荒廃した民家の中に、一人で隠れていた。民家は、古く、今にも崩れてしまいそうなほど、ボロボロだ。

 

 だが、近くには、この民家以外に、隠れられそうな場所はない。それに…、

 俺は、自分の左足を見る。俺の左脚は、真っ赤な血が染み込んだ布でぐるぐる巻きにされている。これが、部隊と逸れ、俺がこんな所に、一人でいる理由だ。

 撤退の命令が下された直後、俺は一瞬、硬直してしまった。いや、俺だけじゃない。隣に居たキースも含めた、部隊全体の動きが止まったのだ。あの緊張感が走る行軍の中での命令。しかも、既に前方の獣人部隊が接敵したなんて、お知らせつきだ。誰だってそうなるだろう。

 

 だか、それでも時間は容赦なく進む。硬直が解け、俺達が動き出そうとした、その瞬間、無数の銃弾が飛来した。

 ある者は、その銃弾を受け、倒れ込んだ。そして、ある者は、応戦しようと、銃を構えたが、弾を放つ前に、自身がその餌食となった。そんな中では、指揮系統も役に立たない。しかし、生き延びたいという本能だけが、人を動かしたのであろう。銃弾が飛び交う戦場となったその場から、多くのものが敵に背を向け、無我夢中で走っていた。

 そして、俺もそんな集団の中にいた。俺の頭の中は、恐怖という感情に支配され、ただ死にたくないという思考だけが俺の足を動かした。

 

 それでも、一つの銃弾が、無慈悲に俺の脚を、逃げる手段を、奪い取る。俺は、その場に倒れ込んだ。最初は、誰かに押されたのだと思った。しかし、直ぐに立ち上がろうと思ったが、脚に力が入らない。それどころか、脚が燃えるように熱くなるのを感じた。俺は自分の脚を見た。

 ……左脚の太股の外側部分が抉れていた。

 俺は頭が真っ白になった。先程まで感じていた死という恐怖でさえ、この時は忘れ去っていたのだ。だか、一瞬の時を経て、その恐怖という感情は、左脚の激痛と共に、再び、俺の思考を支配した。

 激痛は止まらない。痛みと恐怖が俺の思考を邪魔する。それでも、ここで立たなきゃ死ぬことだけは、理解できた。そんな人の生への執着が、自然と、……いや必然と、あの場で逃げ遅れた、俺の体をここまで運んで来たのだ。

 

「(人間、あの状態からでも動けるもんなんだな)」

 人体とは、不思議なものだ。こんな脚でも、あの時は動けたのだから。だが、脚の痛みは続いている。少し動くだけで、激痛が走るのだ。だから、もう殆ど動くこともままならない。脚の出血は、かなりのもので、自分の履いていたズボンが真っ赤に染まるほどであった。応急処置で止血はしたものの、ここに来るまでに、血を流しすぎた。

 

 ……まずいなと思う。

 いくらあの場から、離れた場所まで、逃げてきたとはいえ、まだ、スータン前線の近くにいる。このまま、ここに居たらいつ敵兵が現れるか分かったものではない。何しろ、この状態だ。応戦することは、不可能だと言っていい。

「(このまま、味方が戻ってくるとも考えずらいしな)」

 味方を待つのも得策とは、言いづらい。おそらく、援軍は来ないだろう。あの銃弾戦から戻って来ない時点で、死亡したと考えられていても不思議ではないからだ。死んでいるかも知れないものを探す為に、軍は兵士を派遣しない。

 

「(となると、自力で昨日の野営地まで戻るしかないが……)」

 再び、自分の真っ赤に染まった脚を見て、苦笑する。

「(……無理かもな)」

 今の状態では、立つことすらままならない。脚を引き摺りながら、民家の廃れたイスに腰掛けるのがやっとなくらいだ。ましてや、十数キロ先にある野営地まで歩くなんて、不可能に等しい。そんな無理難題に直面したと感じたから、俺は呆れまじれの笑みを落としてしまったのだ。


 ここに逃げ込んでから、数十分はたっただろうか。脚の痛みは続いているが、心は、少し落ち着きを取り戻していた。だが、再びあることを思い出して、心臓の鼓動が早まる。

 ――アイリスは無事だろうか、と。

 彼女は、前方の獣人部隊に配置されていた。接敵後、直ぐに銃撃戦が始まったことを考えると、彼女もそれに巻き込まれてる可能性は十分ある。むしろ、最前線で銃撃を受けたはずだ。その考えに至った時、

 ……あの時感じた恐怖とは質の違う何かが、俺の胸を包んだ。

 

 彼女は獣人だ。人間の数倍の速さで動ける。だが、おそらく至近距離での待ち伏せだったあの銃撃で、獣人だろうと無事に済むのだろうか。後方にいた人間部隊でさえ、何人かが撃たれて死んだ。そんな状況で生き残れるのか。

 思考が、最も考えたくない結論へと辿り着く。

 ……アイリスが死んだ?

 ――身震いがした。手の震えが止まらず、手を握っても握っても、力が入らない。

 ――視点が揺れる。さっきまで焦点があっていた筈なのに、物が霞んで見える。

 ――吐き気がする。胃酸が逆流しそうになり、思わず嗚咽する。

 ――心臓が素早く脈打つ。自分でも抑えられない程の鼓動に、何度も息を吸い込んでは、吐くを繰り返す。

 

 アイリスが死ぬ。それは、俺にとって、最も受け入れ難い事。いや、受け入れられない事だ。自分の全身が、否定しようとしている。自分の死以上に、恐怖を与えるその可能性を。

 彼女はいつも戦ってきた。死と隣り合わせという戦場という場所でだ。なのに、何で、

 ――何で俺はこの恐怖を感じていなかったんだ?

 

 いつも隣にいると思っていた。だが、俺と彼女は違う場所にいたんだと気づいた。俺は死を感じたことが無かった。死を感じない程、安全な場所にいたんだ。でも、彼女は違う。死が蔓延る戦場で、自分の死を、仲間の死を、目の当たりにしてきたのだ。何度も死ぬ目に合い、その分の恐怖だって何度も味わった筈だ。彼女が戦場に出てから、2年が立つ。そんな環境に身を置き、表情が無くなり、あんなに真っ黒な瞳をして、精神だってボロボロになった筈だ。そんな彼女と隣にいられていると、疑いもせず思い込んでいた自分を、

……心の底から、忌み嫌った。

 俺は何も分かっていなかった。彼女の本当の苦しみも、苦痛も、恐怖も、何もかも全て。彼女の上辺だけを分かったような気になって、彼女を救いたいと望んだ。何て哀れで、不恰好で、醜いことか。まるで、成長していない。いつまでも子供で、綺麗事ばかりを並べ、理想ばかりを求めるのだ。

……本当に、自分が嫌になる。

 

 このまま消えてしまい。そう思った。もはや彼女にしてあげられる事などない。傍にいるなどと、甚だしい思い違いをしていた自分など、彼女にとって無価値だ。

「(どうせ、このまま動けないんだ。だったらここで…)」

 助けは来ない。野営地まで歩く事もできない。……彼女にも何も出来ない。ならば、自分には、一体何が残っているのだ?このまま生き延びて何をする?……戦争ばかりのこの国で、何の為に生きる?

 ――俺には、もう残されているものが何も無かった。生きる意味さえも。

 俺はイスに座ったまま、静かに、その終わりを待った。


 

 どのくらい時間が経ったのだろうか。どうやら、敵兵は来なかったらしい。だが、今の絶望的な状況は変わらない。適切な処置をしなければ、俺の脚は使い物にならなくなるだろし、敵兵だっていずれは、ここに来る。

 俺の虚になった瞳に、一筋の光が差す。民家の廃れた外壁から、光が溢れたのだ。そこで、俺は朝日が昇っている事に気づいた。

「(皮肉なもんだな……)」

 絶望に打ちひしがれていても、朝日は、その光は、平等に人を照らす。そして、人もそれを美しいと感じてしまうのだ。まるで、暗闇を否定するかの様に。

 

 ふと思う。彼女は何を思って、戦場に立っていたのだろうか。いや、そんな事はもう分かりきっている。

 ――地獄。

 それ以外に、思う事などない。

 俺は目を瞑り、再び、暗闇の中に意識を落とした。

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