分かち合える者
—————夢をみた。
暗い。真っ暗な闇が辺り一面に広がっている。
一人の少女がそこにいた。
認識できるはずのない暗闇の中で、なぜか少女がそこにいるという確信があった。
少女は、能面のような表情を顔に貼り付けて、辺りの闇と同じ色の瞳をして、そこにただ立っている。
『彼女』に似ている、と思った。
でも、きっと違うと、思い直した。
少女が『彼女』だというには、大きな違和感が残る。
自分が知っているはずの『彼女』と大きく印象がかけ離れているのだ。
印象だけじゃない。背丈も、髪型も違う。
何よりも、『彼女』は、そんな表情をしていなかったはずだ。
自分を孤独から連れ出してくれた時も、本を読んでいる時だって、『彼女』は笑っていた。
太陽のような眩しい笑顔で、自分を見ていてくれた。
でも、目の前にいる、この少女は違う。
何かに絶望している様子で、何かを抱え込んでいる。
でも、それを表情に出そうとしない。
心の中で、そんな黒い塊を抑え込んでいるようであった。
――助けたい。そう思った。
子供の自分にできることなどたかが知れている。自分でもそう思う。
それでも助けたいと思った。
なぜなら、『彼女』なら、きっとそうするからだ。
自分を孤独から連れ出してくれた人。
自分が初めて憧れを抱いた人。
そう、『彼女』なら……。
そんな思いを胸に、少女に近づこうとした。
闇の中にいる少女を、そこから連れ出そうと思ったのだ。
少女の手を引いて、そこから連れ出すぐらいなら、自分でもできる。
しかし、近づこうにも、近づこうにも、一向に少女との距離は縮まらない。
それどころか、少女は段々と、周囲の闇に囚われて、見えなくなっていく。
自分は叫んだ。
「すぐに、そっちにいくから!」
少女からの返答はない。
闇がさらに広がり、少女の体のほとんどを覆っていた。
体は闇に飲み込まれ、顔もほとんど見えなくなってゆく。
それでも、
「待ってって、絶対に助けるから!」
少女の姿はもう見えない。
それでも、必死に、叫んで、走って、近づこうとする。
――ここで足を止めたら、きっとダメだ。
言葉にならない恐怖や後悔といった感情が、自分の足を動かし、口を動かして叫ぶ。
それでも、少女には届かない。
――それでも助けたい。
その思いだけが、自身の体を動かしている。
でも、段々と体に力が入らなくなっていく。意識も段々と遠のいていく……。
……体が動いているのかもう分からない。意識ももう途切れそうだ。
しかし、薄れゆく意識の中、一つの思いだけが強く残った。
――絶対に、『彼女』を救って見せる、と。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まだ朝日が昇る前の薄暗い闇の中で、俺は目を覚ました。
昨晩のことを思い出す。
アイリスは、「救われる必要はない」と答えた。
必要はない。
その言葉だけが、俺の頭の中で、何度も繰り返し、反復される。
――必要はない。本当にそうか? 彼女の今の表情を見ても、必要がないと言えるのか?
――必要はない。彼女が必要ないと言っているのだ。これ以上は、踏み込むべきではないのではないか?
――必要はない。でも、彼女をこのままにしておいてはいけない……
――必要はない。いや、……しかし、……でも、……。
答えはでない。
自分で決めたはずの覚悟が揺らいでいる。
救うと、啖呵を切って言っときながら、なんと情けないことか。
アイリスのたった一言が、自分の意志を保てなくする。
それほどまでに、彼女の言葉は重いのだ。
――自分の言葉以上に、何かを抱える彼女の言葉は。
ふと横を見ると、アイリスはまだ寝ていた。
その寝顔は、安らぎの表情ではなかった。
緊張が張り詰め、うなされていた。
いつもの無機質な表情ではない。
そんな姿を見て、思わず彼女に手を伸ばした。
――伸ばしたが……触れられなかった。
触れるのを躊躇してしまった。
あの時と同じだ。
彼女が軍を目指した理由。それを聞こうとしなかった、あの時と。
そう、恐怖だ。
彼女がずっと触れてきた何かを、自分が触れてしまいそうで、怖がってしまった。
そんな自分に嫌気が指す。
結局、自分は何も変われていない。
彼女の傍にいながら、救うと言いながら。
結局これが、自分の実態なのだと痛感する。
自分には、何もできない。
いや、何かをする資格すらないのだ。
漠然とした虚無感に苛まれながら、彼女に伸ばした手を戻し、毛布に再び包まる。
――俺は、自分の不出来さを呪った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨日の指示通り、部隊は、夜明け前に野営地を出発した。
だが、一つ変わったことがある。
それは、獣人とのマンツーマンの解消だ。
野営地の出発前に、指揮官が「現状で最大限、行軍の安全を確保する為」と言い、山岳地帯に入るまでの間の一時的な措置らしい。
そのため、前方に獣人部隊、後方に人間部隊が配置され、行軍することとなった。
どうやら、アイリスの考えは当たっていたらしい。
でも、その思惑がどうしても、自分の胸を騒ぎ立てる。
アイリスとは、起きてからも会話は無かった。
彼女から話しかけてくることも無かったし、自分からも話しかけなかった。
淡々と出発の準備を進め、部隊が分かれると知らされた時も、彼女はいつものように、表情のない顔で、指示に従い、獣人部隊に加わっていった。
俺は、声をかけるべきだったのだろう。
でも、出来なかった。
そんな不甲斐なさを抱え、俺が歩いていると声がかかった。
「お前、大丈夫か?……顔色悪いぞ?」
キースだ。
「……ん。まあ、大丈夫だ」
「本当か? ここから、気を引き締めてないと、本当に死ぬかもしれないんだぞ。しっかりしろよ」
いつになく真剣な顔で、俺を心配してくれる。
まだ日が昇っていないとはいえ、ここは前線から近い。
いつ流れ弾が飛んできてもおかしくないのだ。
そんな状況なら、誰だって、嫌でも意識を切り替える。
「分かってよ。油断はしてない」
「なら、いいが」
交わされる言葉は少ない。
それだけ、今の状況が危険と隣り合わせだということを認識させてくる。
銃弾や砲弾の音は、聞こえてこない。
それでも、部隊には緊張が走っている。
「……敵、出てくると思うか?」
不意に、キースが聞いてきた。
「どうだろうな。でも少なくとも、戦闘にはならないと思うぞ」
「なんでだよ」
「先頭に獣人部隊がいるからだよ」
「いくら獣人がいたって、接敵したら、戦闘になるだろ」
「獣人部隊のメンツを見て、気付かなかったのか? ほとんどが、ネコ系、イヌ系の獣人で構成されていただろ。だから、接敵する前にこっちが必ず先に気付く」
ネコ系、イヌ系の獣人は夜目が効く。
人間よりも遥かに感知機能が高いのだ。
おそらくだが、上は暗闇での行軍も視野に入れていたのだろう。
だから、今回の行軍では、ネコ系、イヌ系の獣人の多くが参加していたのだ。
「言われてみれば……。……そういえばあいつも狐の獣人だったな」
「あいつって、カシナのことか?」
「ああ、そういえばって思い出してな」
珍しいと思った。
キースは、獣人のことはあまり気にも留めないと思っていたのだが。
しかし、休息日の時のことを思い出す。
キースは、カシナとカードゲームをしようとしていたし、仲が悪かったようにも見えなかった。
「お前、獣人嫌いはどうしたんだよ」
「どうしたってなんだよ」
「お前が、そんなに獣人のことを気に掛けるなんて珍しいなと思ったんだよ」
「そんな気に掛けてるつもりはねぇよ……ただ、アイツは……俺のパートナーだからな……」
少し、バツが悪そうにキースが答える。
存外、仲良くやっているらしい。行軍が始まる前とは大違いだ。
「へー、そうか、そうか。仲が良さそうで何よりだ」
「別に、特別、仲が良いって訳じゃねぇよ!」
キースの変わりようを見て、少し揶揄い、それにキースが反応する。
俺は、そんな反応をまた揶揄って、キースの反応を楽しむ。
そんなことを何回繰り返していると、
「なあ、いいか。少し聞きたいことがあるんだけどよ……」
キースが照れくさそうに、口を開く。
「うん? なんだよ?」
「獣人の子が好きなものとかって、何か分かるか?……いや、ほら、お前は昔から獣人と一緒に暮らしてたんだろ?……だから、その、獣人の……女の子の好みを知ってるかと思ってさ……」
「……お前、好きなのか。カシナのこと……」
驚いた。思わず、キースが思いを寄せてるであろう、獣人の子の名前を言ってしまうほどに。
「いや、誰もアイツのことだなんて言ってないだろ!」
キースは思わず声を上げた。
その態度を見るに、俺の失言は、キースの図星をついたらしい。
「この流れで、他に誰のことを思い浮かべるんだよ……」
「いや、……ほら、他にも……。……そうだな。今の流れで、アイツ以外誰がいるんだって話だよな……」
キースは、もう誤魔化すのは無駄だと考え、ぽつぽつと話を始めた。
「そうだ。カシナのことだよ。アイツが何か喜びそうなものを送ってやりたいんだ」
「……プレゼントか。直接聞くってのはダメなのか?」
「ダメってわけじゃないが、何かを送るなら、サプライズで驚かしたいと思ってる」
「そうか。でも、本当に驚かす必要性はあるのか?」
「……勿論、あるに決まってるだろ。あいつに好かれたいんだよ。……俺のことを意識させたいんだ」
キースは、一切の迷いなく、その言葉を言った。
「好かれたい」と。
今までのキースからは、考えられないほど、真剣な面持ちだ。
おそらく、本気なのだろう。カシナのことを、本当に好きになったのだと分かった。
「まさか、お前が獣人のことを好きになるなんてな。……お前も、変わったんだな」
「変わってなんかねぇよ。ただ、見え方が増えただけだ。獣人のことは、今だって……少し苦手だ。ただ、……その中には、そうじゃなくなった奴もいるってだけだ。アイツみたいにな」
「そうか。いや、そうだよな。別に変わってなんかいない。ただ、視野が広がったとでもいうのかな……。でも、今のお前は……なんていうか、話しやすいかもな」
「なんだよ、話しやすいって。今までは、そんなに話しかけにくかったか、俺?」
「いや、別に、そういうわけではないけどさ。今のお前は……」
今まで、俺が感じていた疎外感。
人間と獣人の軋轢、その社会構造ともいえる見えない壁が、俺とキースの間にはあったのだと思う。
俺にある感情がキースにはなかった。
でも、この行軍で、キースは、その感情を獣人であるカシナに抱いたのだ。
それが、俺には嬉しくて、独りではないのだと、分かち合えるものなのだと感じたのだ。
一緒に悩んで、同じ気持ちを抱ける者。
多分、そんな関係を『友達』と呼ぶのだろう。
「……今の俺はなんだよ。何でそこで黙るんだ」
「ああ、悪かったな。別に、大したことじゃない。それよりも、カシナにプレゼントを贈るんだろ。一緒に考えてやるぞ。……友達だからな」
俺は、初めてキースを『友達』と呼んだ。
今まで、その関係を口に出していいのか分からなかった。
でも、今のキースになら、迷わずに言える。
――俺は、今日、人生で初めて『友達』ができた。
「おう、任せたぞ! 頼りにしているからな!」
キースは笑顔で答える。
「ああ! 任せろ!」
俺も笑顔で、言葉を返した。
唯一の友人が、困っているんだ。
精一杯、力になってやりたいと思った。
直後、絶叫とも言える大きな声が、部隊全体に広がった。
「獣人部隊が接敵‼ 直ちに、来た道を引き返せ‼」
その声を引き金に、翌暁の光で薄く照らされた平野に、無数の銃音と眩い光が広がった。




