地獄に適応した者の選択
今日の行軍は、いつもよりも早く終了した。
行軍中に響いていた銃弾の音が、私達のすぐ近くまで聞こえてくるようになったからだ。
そこで、行軍の指揮官は、これ以上の進軍は不可能と考え、次の行軍を明朝の夜明け前と決定づけた。
そのため、私達は、来た道を少し引き返し、前線から少し離れたところに、野営地を設置し、休憩を取ることにした。
私達は、設置したテントの中で、就寝の準備をしていた。
前線から、少し離れているとはいえ、銃弾や砲弾の音は、テントを通しても、無数に聞こえてくる。
ここら辺の地域が、平野であることも関係あるのだろうが、それでもすぐ近くに敵兵がいるような気がして、心がひどく揺れているのを感じる。
……落ち着かないのだ。
自分がいつもいた、あの戦場を思い出して。
ここ一週間ぐらいは、感じないでいた、あの感情を思い出して。
またいつもの日常《地獄》が自分を追いかけてきたようで、……少し怖くなった。
「なあ、大丈夫か?」
そんな気を感じ取ったのであろう、彼が心配そうに声をかけてきた。
「……大丈夫よ。それよりも貴方も早く寝る準備をしなさい。明日は、日が昇る前に、ここを立つんだから」
いつもの無機質な表情に戻し、毅然とした態度を取り繕い、彼に答えた。
「……大丈夫じゃないんだろ。ここら辺の地域に来てから、お前の様子が明らかに違う」
「……少し気になってることがあるだけよ。……本当にそれだけ」
「なんだよ、気になってることって」
彼が心配してくれているという安心感からか、つい口が滑ってしまう。
そんな自分を少し憎みつつ、これ以上は誤魔化しきれないと思い、彼に半分だけ、正直に答えることにした。
「私達が一緒に、行軍させられている本当の理由よ」
そう。
この任務を聞いた時から疑問に思っていた、この任務の本当の意味。
私が、ここにいる理由。
そして、……私が恐怖を抱いた理由。
まあ、自分の感情なんてここで、彼に言うつもりはない。
余計な心配をかけてしまうだけだ。
「……本当の理由、か。まあ、名目上は、人間と獣人が仲良くできるようにって話だけど。それは、……多分、違うんだろな」
「あら、貴方も察しがいいのね。そうね、おそらくそれは違うわ。実際は、このスータン前線を安全に通りつけるためでしょうね。まあ、私の推論でしかないけど」
「安全って、獣人と一緒に行軍するからか?」
「ええ、そうよ。私達の方が強いんだから、そっちの方が人間だけで行軍するより、ずっと安全で、合理的な考えでしょ?」
人間と獣人が一緒に、行軍するメリットは、無いといっていい。
確かに今回の行軍で、獣人と人間の仲が縮まったのは、事実だ。
でも、たかが100数名での行軍。
この100数名の意識が変わったところでなんの意味があるのか。
それが軍全体に広がるとは、上も、到底思っていないだろう。
ならば、なぜこんな指示がでた?
簡単だ。
前線を通り抜けることができるためだけの、ただの戦力強化だ。
きっと、海側を通る北のルートや帝都をそのまま通れれば、わざわざマンツーマンでの行軍なんて実施しなかっただろう。
今回、たまたまこのスータン前線を通ることになったから、ちょうどいいと思って、こんな任務を上は与えたのだ。
人間と獣人は、平等。
でも、実際は違う。
私達には、種族的違いが介在する。
戦場では、それが顕著に表れる。
獣人は、人間と比べて、戦闘能力が高い。
人間よりも素早く動けるし、感知能力だって人間の数倍はある。
だから、獣人の多くは、戦場に駆り出される。
そんな状況で、軍は、獣人と人間を平等に扱うだろうか。
……扱うわけがない。
でも、別にそれでいい。
これは、差別ではない。
ただの適材適所というやつなのだろう。
強いものが戦い、それ以外のものは、別のところで活躍すればいいのだ。
実に、合理的な、帝国らしい考えだ。
……本当に合理的だ。
「……いつか、言ってたよな。俺は、考えてることが顔にでるって」
「……? そうね、貴方の顔を見れば何を考えてるかなんて、すぐ分かるわ」
「覚えてるか? 孤児院で、俺がお前の大事にした本を汚しちまったこと」
「もちろん覚えているわよ。私が子供の頃から、ずっと大事に持っていた小説を、貴方が水でびちょびちょにしてしまったんだから」
彼がまだ6、7歳の頃。
私のお気に入りだった童話が描かれた本を勝手に持ち出したのだ。
私がずっとその本に夢中になっていたから、興味が湧いたのだろう。
私が、孤児院の仕事で、洗濯をしている際に、こっそりと本を持ち出し、何度も読んでいたらしい。
でも、ある日、本を読みながら飲んでいた水を、誤って本の上にこぼしてしまったのだ。
「あの時のことは、本当にすまないと思っている。めちゃくちゃ怒らせちまったな」
「本当よ。読みたいなら、読みたいって、私に言えば良かったじゃない。それに、私が本当に怒ってたのは、その後のことよ」
そう。
あの時、私は別に本を勝手に借りてたことに、怒っていたのではない。
彼は、私に黙って、本を借りてること、そして、その本に水をこぼしてしまったことが、私にバレることを恐れ、その本を私に返さず、隠したのだ。
私は、その行為に怒ったのだ。
私を欺こうとした。
彼のその小さな背信の心が、私の胸をひどく刻み付けたような気がしたのだ。
裏切られたと感じて、幼き頃に植え付けられたトラウマが襲ってくるのを感じた。
だから、私はすごく怒った。
自分でも制御できない感情があふれ出して、止まらなかった。
そんな激昂する私を見て、彼はすごく泣いていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」と言いながら、泣きじゃくっていたのだ。
そんな、彼を見て、私もいつの間にか、涙をこぼしていた。
―彼の姿が、いつかの私の姿と重なって。
「あの時は、何でかそっちも泣いてたよな。孤児院の寮母さんが来るまで、二人共、わんわんと泣いてさ」
「……きっと私もよく分からなくなっていたのよ。あんなに怒ったのも初めてだったから」
後にも先にも、あんなに怒ったのは、あんなに泣いたのは、あの時だけだったと思う。
―いや、その前にも一度だけあった。
「俺はよっぽど、顔に出ちまうんだろうな。隠し通せるとと思っていたのに、すぐに言い当てられた。昔から、俺の考えていることを、お前はすぐに見抜いちまう」
「貴方のことは、昔からよく理解しているからね。……癖とか」
あの時は、いつもと違う様子の彼に、違和感を覚えたのだ。
そして、無くなった本のことを問い詰めたら、すぐに話し出した。
別に、顔に出ているわけでも、何か癖があるわけでもないのだ。
ただ、私が彼の些細な違和感にも気づきやすいというだけ。
ただそれだけなのだ。
「そうか、そうだよな。孤児院にいた頃から、俺たちはずっと一緒にいたもんな」
「そうね、もう10年以上の付き合いね」
「ああ……、もうそんなに経つのか。それなら、俺のことをよく知っててもおかしくないなよなー」
一体、どうしたというのだろうか。
昔話でもするかのような話口調とは、裏腹に、彼はいつになく思いつめた表情をしている。
彼の表情には、既視感があった。
そう、私の本を隠した時も似たような表情をしていたのだ。
何かを心配して、思案に沈むような顔。
私だけが気付く、いつもの”違和感”。
でも、今日は少し違う気がした。
「……なあ、知ってるか?」
「何よ、急に……」
「俺だってさ、分かるんだよ。……アイリス。お前が俺のことをずっと見てきてくれたのと同じくらい、俺も見てきたんだ」
彼の表情は変わらない。
でも、彼の瞳は、まっすぐと私を見据えている。
その時、私は気づいた。
いつもの違和感に混じる、光。
その正体を。
「……苦しんでいることとか。悩んでいることとか。……全部じゃないけどさ、それでも分かるんだよ。見てることしかできなくて、ずっと俺ばっか助けられてきて、お前の気持ちを分かってたはずなのに、……結局、俺は何もしてこなかったんだ」
彼は、悲痛に嘆く。
許しを請うように、今までの後悔、懺悔をすべて吐露するかのように。
―でも、
「だから、今度は、俺が救う。いや、救わせてくれ。エゴだとか思われるかもしれない。だけど、それでも、俺に君を助けさせてくれ。それが、俺が君にしてあげたいことなんだ」
―彼の瞳に宿った光。
そう、その正体。
それはきっと、『決意』だ。
いまだ迷いながらも、その心だけは、揺れ動かない。
そんな彼の瞳が私を見つめる。
もう彼は、あの頃の、幼き日の、彼ではないのだ。
私の後を追いかけ、私を『姉』と慕ってくれていた、彼の姿はもうそこにはなかった。
それは、少女を救いたいと願う、ただ一人の少年であった。
きっと、私はまだ姉という役割に縛られたままなのだ。
彼には、姉と呼ぶななんて言っといて、心の奥底では、まだその役割を演じている。
いや、演じないと安心できないのだ。
その役割だけが、彼と私を『家族』として、繋いでくれる縛りなのだから。
あの日、私と彼の関係を考えて、眠れなかった夜。
結局、あの夜の自問自答では、納得できる答は出なかった。
いや、答はあった。
ただ、それを認めてしまいたくなかった。
その答は、私達の『姉弟』としての関係を壊してしまうものだから。
私にとって、再び『家族』を失ってしまうことと同じだから。
それがどうしようもなく怖い。
……それでも、彼の言葉が、彼の瞳が、私の心を認めさせようとする。
たとえ、この関係が終わってしまうのだとしても、姉としての役割が消え、家族でなくなってしまうのだとしても、……彼はきっと私を一人にしない。
そこで初めて、彼に対して抱いていた、この気持を理解してしまった。
ずっと認めたくなかった、『家族』としての関係を壊してしまうこの気持ちを。
そして、私は、その差し出された彼の暖かな手を、
「救う?何を言っているの。私は、……救われる必要なんてないわ」
……掴まなかった。
私に救われる権利なんてない。
そんなことあってはいけない。
それは、私自身が一番望んでいけないものだ。
見て見ぬふりしてきた分際で、幸せを掴もうなんて、なんて醜いことか。
私は、地獄で生き延びることを選んだ。
そのために、地獄に適応した。
だから、この救いの手を取るわけにはいかない。
それは、私が生きるために背負うと決めた業から、目をそらすことなのだから。
彼は、私のその言葉を聞いて、何も答えなかった。
私もそれ以上、なにも言わずに口を閉ざした。
これでいい。
彼の気持ちを突き放すことになるとしても、私は、私の罪に向き合い続けなければいけない。
それが、私が生き続けるための責任だ。
―そして、私はテントの中を照らすランタンの火を消した。
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