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空回りする恋心


「月がどうかしたのですか?」


 斜めに傾く三日月。それをジッと見ていた私に、ルカが声をかけてきた。


「チェシャ猫みたいに笑ってる。私のことをみてる」

「笑って――?」

「そう。何にも言わないで、ずっと笑って私を。朝までね」


 眠る前のジャスミンティーは、安定剤代わりですよと言って、執事のルカがいつも淹れるもの。

 優雅にお茶を煎れるルカの所作を窓際から眺めながら、私がそんなことを抑揚無く言うと、彼はクスッと笑みを零す。

 綺麗な唇が、今日の月より細い曲線を描いたのは、私の言葉を気に入ったということだろう。


「月が見ているのは世界です。なにもお嬢様だけを見ている訳じゃないですよ」


 さあ、ベッドにお戻りを。

 ルカが、まるで小さい子供をあやすような口調で私を促した。

 幼い頃から私の世話係をしてるルカは、未だにこんな感じの甘ったるさを出してくる。時々、彼の中で私の成長が止まってるんじゃないかと疑いたくなるくらい。

 でも、それはいつも一瞬だけ。ルカが見せるこの単純な愛情は、現れるとすぐ消えてしまう。べつに無くなるという意味じゃない。奥に隠される。そういうこと。

 促されたことに特に反論無い私は、両手に力を入れ車椅子の車輪を動かした。

 ベッドの側まで行けば、あとはルカが抱き上げてくれる。


「相変わらず、軽くて細い身体ですね。好き嫌いばかりしているからですよ」

「軽いなんて嘘」

「今更そんなことを気にして?」

「……そんなの。気にするわよ。当たり前でしょ」

「お嬢様は些細なことが気になるのですね。私にとっては他愛無いことのように思えますが……」


 ルカの微笑みが一層優しさを含んだ。

 確かに、細いくせに意外に逞しい腕で軽々と私を運ぶ彼にしてみれば、他愛無いことかもしれないけど。

 女の子にとっては、そこは結構重要なポイントなのだ。やっぱり「あ、重い」なんてコッソリとでも思われたくはないもの。

 抱っこやらおんぶやらをせがんでいた子供の頃とはもう違う。今では十七歳と二十二歳。色々、考えてしまうのが当然。

 ジャスミンの香りが、ふわりと舞い届いた。この香りは毎夜私を眠りへ誘う。本当はまだ眠りたくない。数度の強いまばたきでは眠気に勝てなくて、私は目を擦り意識を繋ぐ。

 チラリとこちらを窺ったルカが、苦笑を浮かべていた。


「昨日、接続部が痛いと仰ってましたが、今は……?」

「ん……。平気」

「お嬢様、その日私の目を盗んで立ち上がったりしてたでしょう? だから、ここに負担がかかったんですよ。あれほど、無茶は駄目だと教えていますのに……」

「知ってたの?」

「それくらいわかります」


 カチ、カチ

 小さな音が膝部で弾ける。壊れ物を扱うルカの指先。それがふと神経がキチンと通っている場所に触れ、ルカの温度が伝わる。

 こんな時、私は少しだけ寂しくなった。

 私の両足は膝から下……つくりもの。義足は特注の陶器製。生きてない。何も感じない。でも、確かに私をかたどる身体の一部。


「一応、不具合が無いか調べておきます」

「また、持ってってしまうの?」

「些細なことでお嬢様が痛い思いをするのは、避けたいですからね」

「そういうの過保護っていうのよ」

「おや。そんな事はありませんよ」


 ルカは笑いながら、私の陶器の足を大事そうに横へ除ける。そして、白い手袋をはめた手で薄い肌色のラインを撫でた。


「私はただ純粋に、お嬢様が愛おしくて大切なだけです」


 陶器の足はまるでビスクドールの足。昼間の私の不恰好さを綺麗な完成品にしてくれる大事なパーツ。

 街の人達の間では、この両足と私が人形師であることから《レディードール》なんて言ってるらしい――。

 ルカが大切そうに飾り物の脚を扱うと、無いはずの足がギシギシ痛む気がした。でも今は、ルカの言葉に胸がギシギシと軋んでる。


「ルカは私の足が大切?」

「それは勿論。ですが一番はやはり……。たった今、申し上げたじゃないですか」

「……うん」

「珍しいですね。お嬢様がそんな寂しそうなお顔をするなんて」


 私の心の内を見知ったのか、ルカはフフッと嬉しそうに笑った。そして、その表情のまま小花が描かれたティーカップを私に渡し、やんわりと次を促してくる。

 私はいつものようにそれを数口飲んでカップを彼に返した。まるで何かの儀式のように繰り返されること。


「おいしい」


 私がルカにかける言葉は決して変わらない。


「ありがとうございます」


 答えるルカの微笑みが安堵に満ちているのも……やっぱり変わらなかった。

 ジャスミンティーは安定剤の代わり。

 一体いつからそう言って、ルカは私に眠る前のお茶を淹れる様になったんだっけ?

 もともと少し眠気を持っていたけれど、お茶を飲むと、それをグッと後押しするみたいに身体の奥から眠気がやってくる。また目を擦る私を見てルカがニッコリと微笑んだ。


「さあ、お嬢様。今日はもうお休みを」


 ベッドに病人を寝かせるみたいに慎重に。ルカはそっと私を支えてくれた。

 いつの間に身体を動かすのも億劫になるほど眠くて仕方なくなったのか。睡眠を欲してる自分。それでも、重い瞼だけは、まだ降りてこないで欲しいと思う。

 少しでも見たいから。ルカが私を優しく見下ろす姿……。


「ルカ」

「お嬢様?」


 私の傍らに座ったルカは、覗き込む感じで目を合わせてきた。いつも長い前髪に隠れがちなアイスブルーの瞳は、この時ばかりはあまり隠されない。

 しかも、ベッドサイドの小さなランプの明かりが、その普段見えにくい透き通った青をより美しく煌めかせてくれるのだ。

 私はルカの綺麗な瞳を見上げるこの瞬間がとても好きだった。昔はもっと見ていた気がする。昼も夜も。


「きれい……お月様みたい」


 月のように蒼白くは無いけれど、彼の瞳は月のように静かで。(まど)かにやすらぎ。アイスブルーは穏やか。チェシャネコみたいな三日月とは違う。


「私は月とは違いますよ? 世界を見ているのではなく、お嬢様だけを見ているのですから。それに、欠けもしなければ物語の猫の様にからかって笑いもしません」

「知ってる。真面目ね、ルカは」

「お嬢様は、小さな頃からそんな私をからかうのがお好きなようでした」


 クスッと笑うルカは私の髪を一房取ると、どこかの女性の手に口付けるみたいに唇を寄せる。

 眠気に視界がぼやけてるせいかその姿が本当に誰かに口付けてるかに見え、私の胸はちくりと痛んだ。それは誰かじゃなく自分の髪なのに。

 ゆらゆら揺れて沈んでいく意識が、幻想を作り出す。


「私の瞳にはお嬢様しか映りません。ですから、どうかお嬢様はそのままで」

「そのままって……?」

「……。昔からの様に、私だけを頼っていただきたい……」

「変なルカ。私が頼りにしてるのは、ずっとルカだけじゃない」


 凪ぐ海のような優しい瞳。私を見守る柔らかな光。

 ルカ以外にいない。ここまで私を思ってそばにいてくれるのは、きっともう……この人しかいない。それに、こんな身体の私が人並みに生きていられるのは、ルカあってこそ。

 そんな彼のそばを、私は離れるなんて出来ない。


「これからもそうでしょ?」

「……そうですね。つい、変なことを口走ってしまいました」


 唇の端をほんの少し上げて、ルカが笑みを見せた。

 彼の微笑みは私の心を安定させる。本当はジャスミンティーなんか無くたって、ルカが笑ってくれさえすれば、私は安心して昼も夜も過ごせるのに。

 ルカはとても心配性だと思う。


「ねぇ、ルカ」


 ランプの明かりがゆらゆら揺れて。まどろむ時間は毎夜正確に訪れた。眠りにつくまで隣にいてくれるルカに私がお願いすることは、


「おやすみのおまじない、して」


 子供の頃と変わらない。

 怖い夢を見ないようにと、子供をなだめるおまじないは、あの頃は単にプラセボのような役割でしかなかった。それでも、おまじないが絶対だと信じていた子供にとって偽の薬は本物以上に本物で。中身が無くても十分な効能があったのだ。

 でも、今は違う。形だけのそれでは満足出来なくて、中身が欲しい。

 怖い夢が見たくないからじゃない。おまじないが、『ただのおまじない』だから嫌なのだ。


「おやすみなさい、お嬢様」


 ルカは困ったように微笑んでから、そっと私の髪に触れた。そして、さっきと同じく髪へキスを落とすとまた微笑む。貴女が望むものはこれでしょう? と言いたそうな目で。


「…………」


 そのルカの微笑みに、私は応える事は出来なかった。――だって違うんだもの。そうじゃない。

 近いけど遠いと感じるもどかしさが、ほんの少し痛かった。

 優しさ滲む指先と微笑みと紳士的なキスが、彼がすっかり執事になってしまった事を証明している。

 本当ならそれを喜ぶべき立場でなければならないのだけど、いつも素直に受け取れずにいるのは、私が屋敷の主人としての自覚を持てていないせいなのかな……。

 いつでも白いグローブをはめ、素手を見せる事は滅多にないルカ。キッチリと燕尾服を着こなして一定の距離を保つのは、彼が執事として過ごす上ではごく自然な姿だった。

 昔のようにじゃれたり、気軽に触れあうなんてことは、ルカにとって過去のことになったのだ。

 いま彼があろうとするのは、兄代わりではなくこの屋敷の執事長。ここを守り抜くという強い責任感とともに。


「ちがう……」

「え?」

「最近はいつもそればっかり。そうじゃないの。私がしてほしいのは、前みたいなおまじないだってば」


 ルカが《完璧な執事》になってしまう前に私にしてくれたおまじないは、こんなよそよそしいモノじゃなかった。

 大丈夫ですよ、という言葉と微笑みと……額へのキス。あたたかくて包み込む様な、ルカの魔法。おまじない。

 あの頃の私達は、共に暮らす家族のようだった。ううん。もしかしたら、それよりも近かったかもしれない。父よりも身近に母よりも愛情深く感じた、誰よりもの存在。


「それは……いけません。お嬢様」


 ルカはあからさまに困惑と拒否を示し、私からわずかに身を離そうとした。

 嫌だ。全身で訴えられるのは耐えられない。何故そんなことをするの? 分からない私。


「いけませんって何が? どうして?」

「っ」


 手を伸ばす。彼の服の襟元でも掴んで、私はルカを引き寄せたかった。それは、すがりつくというより取り戻すみたいな心情だった。だけど、ルカへ届く手前で私の意識はふわりと大きく浮遊する。

 時間切れ。

 それまで必死に追いやっていた睡魔が、とうとう自分の力では抑えきれなくなったのだ。

 哀しくも落ちる重い手。ルカのホッとした一瞬の表情が恨めしいし、それを見逃がさない自分も恨めしい。

 なんで気付いちゃったんだろう。知らなければ良いことなのに。

 この世はいつだって、知らなくても良いことで溢れてる。いつもいつも、私はそれで悩まされる。


「大丈夫ですから。おまじないなんてなくても、お嬢様はもう怖い夢など見ません」

「……うそ、つき……だって、ルカ……」

「私はお嬢様が眠るまでここにいます」


 ベッドに落ちた手を、ルカはそっと撫でてくれた。甲に伝わるのはサラリとした布の感触。布越しのあたたかさに泣きそうになる。

 もうルカの顔は見れなかった。

 重いまぶたに現実を遮断され、夜の闇と同じ真っ暗な世界へ沈んでいく。声も遠くなって。


「おやすみなさい、お嬢様。良い夢を」


 恐らく、ルカはそんな言葉を。

 穏やかな微笑みを唇に表しながら言ったんだと思う。だって、毎晩彼はそう言うから。月は夜毎に形を変えても、ルカの笑みは変わらない。昔からずっと変わらない。

 だからルカは嘘吐きだ。

 優しく笑うくせに執事の顔で拒絶して、軽く触れるのに深く触れない。私にとっては、それはずるい残酷な優しさだ。

(もっとそばにいさせて? ルカ)

 こんなに願っているのに。なぜ聞き入れてくれないのだろう。どうして、こんなことを繰り返すのだろう。

 私は眠りにつく。一度眠れば、朝まで目覚めない。ルカがまた、あの穏やかな微笑みで私を起こしに来るまで、私は一瞬の闇夜を過ごすだけ。

 良い夢なんて見たこともない。


――おやすみなさい、お嬢様。良い夢を。


 そもそもあんなことを言っておいて、私に夢を見せないようにしているのは……ルカ、あなたじゃないの。

 不恰好な人形みたいな私。綺麗なビスクドールの足が無ければ、完成された姿には見えない。車椅子が無ければどこにも行けないし、何にも出来ない。

 だけど、不自由を感じたことなんて一度もなかった。理不尽も関係なかった。ルカが居たからそう思えるんだと思う。

 だから。だから私は、ここからひとりでどこかへ――なんて思ったこと、ないのに。

 ルカのそばを離れるとか考えられないのに。

 それなのに、ルカはどうしていつもあんな風に言うの?


――勝手にどこかへ行ってはいけませんよ?


 偽薬(プラセボ)だって、優しい言葉と微笑みさえあれば本物になる。

 でも、今の私は幼い頃と少し気持ちが違うから、そこに意味が欲しい。どうして偽物が本物になれるのか、その答えに自分の期待を沢山混ぜて。


『ルカの愛情は、どんな愛なの?』


……どうか、私と同じであって欲しい。

 私がいつも同じことを繰り返すのは、ルカの気持ちが見えないからだった。

 なぜ、彼はこうするのだろう……。

 陶器の足を大事に、毎晩手入れしてくれる。車椅子も丁寧に部屋の隅に片づけてくれる。そして、安定剤代わりのお茶を淹れてくれる。

 私はどこにも行かないよ? ルカのそばにいたいから。ルカが居てくれればそれでいいの。

 だから、いいのに。そこまでしなくても。ルカはどうして……?

 立つこともままならない、壊れやすい陶器の足は、ルカしか扱えない。

 ベッドに入ると、自分では決して届かない場所に置かれる車椅子。

 深い眠りに連れて行く、本物の薬の入ったお茶。

 ルカの本当の気持ちが知りたくて。私は毎晩同じことを繰り返す。分からないから、いつまでも繰り返される。

 月が笑うのも無理はない。今日の月はチェシャ猫みたいに。

 「まだ分からないのかい?」って、私を嘲笑(わら)ってる……。



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