プロローグ
『リルのおうちには、オバケがいるの』
幼い少女は、悲しそうにそう呟いていた。
自分は、それを絵本の世界と混同して戯れに呟いている、幼い子供の良くあるパターンだと思っていた。遠い昔、自分にも覚えがあった感覚だったからだ。
『それは困りましたね。絵本のように、魔法使いに助けてもらいましょうか』
『ううん。それはダメなの』
怯えている風ではなく、悲しみにプラスして寂しさまで感じられる表情が、ほんの少し不思議ではあったが。
『どうしてですか? お嬢様は、オバケがいない方が怖くなくていいでしょう?』
『そうだけど。でも、いっしょにきえちゃったら、ダメだもん』
何が一緒に消えるのか。魔法使いが?
考えても、よく分からなかった。所詮は子供の夢物語の延長。彼女のその世界観は、彼女にしか見えてない。
自分にはどうすることも出来ない。
その時はそう思い適当に話を合わせたが――。
「……フェリルを……、ど……か――たの、む」
それから少しの時が流れ。
(ああ。だからあの時、お嬢様はあんなことを……)
《消えては困るもの》がやっと分かった。
苦しそうに喘ぐ男を見下ろす青年の表情は、悲しみとはほど遠いものだった。
じわりじわりと、男の命は死に近づいていく。それを止める事はもう叶わないと知っている青年は、ただジッと、最期に自分へ願いを託そうとする男の姿を見つめていた。
「えぇ。旦那様」
長めの前髪に隠れがちな、青年のアイスブルーの瞳が細められる。彼の微かな微笑みに、男は救われた様に静かに命を終えた。
閉じた目から伝う一筋の涙に向けられるのは、青年の無音の嘲笑。
「私は、貴方と違ってバカではありませんから」
冷やかな視線と言葉を落とし青年は暗い夜空を見上げる。
小さな溜息ひとつ。
刹那、彼の表情が一転した。
「お嬢様を、悲しみに置き去るなんてことは……。決して――」
下弦の月に誓うかの如く、今度は静かな言葉を空気に溶かした青年は、ひどく哀しげな瞳を隠さずにいた。
「ああだけど、なんで僕はこんな姿なんだろう……。僕はただ、愛しい人のそばにいたいだけなのに」
蒼白い顔を両手で隠す。
どうか、この顔を見ないで欲しい。誰のために自分が存在しているのか分からなくなってしまう。
「やめてくれ。こんなこと望んでいない。だけど僕は……」
消えたくない
切な願いに押し潰されそうになった青年はその場に蹲った。