第3話 合コン!!
4月18日、晴天。2025年、死語と化したはずの花金は、陽キャのコミュニティで生存していた。
「これから合コンな」出し抜けに、フリーダムが言った。「カワっちも入れて、バスケ部全員参加な。飲みありで」
飲みベなんて言っている時点で陰キャなのだ。そんな奴はオフェンス高校バスケ部にはいない。
「ちゃんねーは、どんなん?」ウィンドミルダンクを決めて、猪狩は言った。「エロ系? かわいい系?」
「知らん」フリーダムは垂直跳びでダンクを決めた。「JDが来るってこと以外知らん」
「蟹のときのちゃんねー?」レッグスルーからステップバックスリーを放つ放つ中川。「それなら、蟹の礼って体で奢ってほしいわ」
「蟹蟹ってね!」ヘンリーはシンプルなハンドリングからスリーを放った。「Oh! それは中国でした! でも構いませんね! 欧州からすると日本も中国も同じ穴の狢でーす! HAHAHA! ソーリー! ブリティッシュジョークね!」
全然おもしろくなかった。しかし、全員が腹を抱えて笑った。アジアからすると欧州は全部同じ穴の狢です! おぅ! だけどイギリスは別格です! ははは! ごめんなさい! ジャパニーズジョークです!
「いつまで笑ってんだい! さっさと合コン会場に繰り出すよ!」
そう叫んだのは河合だった。さっきまで小汚いジャージ姿だったのが、いつの間にか小奇麗なスーツ姿になっている。
「社交界デビューでもあるまいに!」執拗なジャブからミドルレンジシュートを放ち、金田は増々笑った。「地に足がついておらんぞ!」
「虎太郎、俺は今年で45歳になる。JDとの合コンはこれで最後かもしれん。遅刻なんて絶対に出来ねぇ」
「しょうがねぇ! カワッちのためにも練習を切り上げるか!」
好き勝手に球をついたり放ったりしているだけ、それを練習と称する面の皮の厚さで、五人は球を投げ捨てた。
「ちょっと汗かいちまったけど、シャワー浴びてく?」
「いらねえだろ」中川の問いに、フリーダムは即答した。「地球には50億人くらいの女がいるんだぜ。今日会う奴らにわざわざ媚びる必要はねえよ」
「ちげぇねぇ」
そうして六人は、汗を流す女バスとバレー部の連中を背に、体育館を去っていった。
飲みがある、だから徒歩。博多駅周辺まで、徒歩。平均身長2メートルを超える六人組に、道行く人々の目は釘付けになった。
「さすがは天下の博多駅」猪狩が胸を張った。「東京駅より人が多いわ」
「あのバーだ」フリーダムが指を指す。「待ち合わせ時間より三十分以上も早いが、入店しちまおう」
重厚なスチールドアを開くと、品の良い音楽が聞こえてきた。無機質な演奏ではない、生演奏だ。ジャズ、ってやつか。
「やばいぜ、この店」中川の顔が青ざめた。「一人当たり五千円以上は確実に取られるぜ。小銭しか持ってきてねえよ、俺」
「俺もクレジットカードやらペイペイやらとは無縁の人間だ」河合の声は達観した響きを有していた。「千円札一枚! それが俺の支払い可能な限度額だ」
「全くもって仕方のない奴らだ!」朗らかに笑う金田。「待っていろ! この店の責任者と話してくる!」
有言実行、ウェイターに話し掛け、バックヤードへ通される金田。時は金なり、五分も立たずに仲間のもとへ戻ってくる。
「俺たちの貸し切りになったぞ! 店の酒を飲み放題でな! すぐに他の客は追い出される!」
「いくらだ、虎太郎!?」真剣な顔で、河合は尋ねた。「いくらかかった!?」
「六百万円だ! 親父が三分で稼ぐ額よ! はした金、ということだ!」
「好き!」河合は金田に抱き付いた。「虎太郎、好き!」
「俺、ずっと、金田君の親友だから!」中川も抱き付く。「死ぬまでずっと!」
親父のものは俺のもの、俺のものも俺のもの。すなわち、この求心力は俺のパワー。親愛すらも金で買えるのだ・・・・・・さすがは生粋の金持ち金田。若くして人間というものを理解している。
「いつまでも抱き合ってんなよ、お前ら!」さっそくザ・マッカランを口開けする猪狩。「おっぱじめようぜ!」
そうして始まる酒盛り。良い音楽こそが酒のつまみで、食べ物は不純なのだと知れる、身近なバケーション。遊びっていうのはこういうものさ。
豊かな時こそ瞬く間に過ぎ去る。三十分が三十秒に感じられた。
六人の女が店に入ってきた。そうして、迎える六人の男は誰も酔っていない。酒の強さが遊び慣れている勲章。
「ごめんなさい! お待たせしちゃって!」リーダー格の女性が合掌のポーズをとり、上目遣いで言った。「舞能ノ浜ではごちそうさまでした! 蟹、美味しかったです!」
六人の女のうち四人は、舞能ノ浜で共に蟹を食らったJDだった。
「改めましてで、自己紹介しますね!」リーダー格の女性は金田の隣に座った。「私は小金井彩花、福岡ビバリーヒルズ女子大学の三年生です! よろしくお願いします!」
「同じく、福岡ビバリーヒルズ女子大学三年の沢村楓です」沢村は猪狩の隣に座った。「仲良くしてください」
「私も、福岡ビバリーヒルズ女子大学の三年生です。江頭真央っていいます。マオマオって呼んでね」江頭は中川の隣に座る。「うわぁ! すごい筋肉ぅ!」
「私も三人と同じだよ。根津菜々美です」根津はフリーダムの隣だ。「フリーダム君、今日は急に誘ってごめんね」
「俺はJDじゃないよ。見ての通りね」そう言った女は、重力に負けてたるんだ体をヘンリーに寄せた。「純子ってんだ。この近くでスナックをやってる」
「純子さん、すごく良い人なのよ!」小金井が前のめりで言った。「今日、私たち、六人揃えられなくて、どうしようか困っていたら、頭数になってやるって言って、付き合ってくれたの! ああ、純子さんとはね、私の先輩が純子さんのお店に通っていて、それで知り合ったの!」
「よく言うよ、この子は」純子は煙草をふかした。「怖い、怖い」
「もう、何を言っているの、純子さん!?」更に前のめりになる。「分かった! ここに来る前に飲んできたんでしょ! しょうがないんだから! それじゃあ、気を取り直して、アビーちゃん! 自己紹介よろしくね!」
「はーい! アビーでーす!」そう言って、アビーは毛深い体を河合に寄せた。「今年度の目標は、タマタマを取ることでーす!」
「アビーちゃんもね、先輩の紹介で知り合ったの! 頭数になることを気持ちよく引き受けてくれた、とっても良い人!」
「女性陣の自己紹介も済んだので、我々も自己紹介、しちゃおっかなぁ!」勇んで、河合は上半身を露にした。「河合吾郎、29歳です! 身長は206センチ、体重は111キロです! みなさん! 愛してまーす!!」
一言一言を発するたびに、大胸筋が激しく隆起した。まるで大胸筋が喋っているかのようだ・・・・・・河合は、知っていた。筋肉の女性ウケの良さを、知っていた。万人受けしないことは百も承知。しかし、需要は確かにある。六人も女性がいれば、一人くらいは惹き付けるさ・・・・・・河合は、知り尽くしていた。
「中川悠真です!」中川も上半身を露にした。「みなさん! 愛してまーす!!」
筋肉も棚橋さんもウケていたので、コスっていく。俗に言うコスり芸、これも女性陣を大いに笑わせた。
「猪狩海斗っす!」迷わず半裸になる。「みなさん! 愛してまーす!!」
「近藤翼フリーダム!」半裸になる。「みなさん! 愛してまーす!!」
筆者が尊敬して止まないお笑い芸人さんは言った。ウケたネタは三回コスれ、と。師匠、会ったこともない師匠、あなたの教えが色あせることは決してないでしょう・・・・・・そのお笑い芸人さんの名前を知りたい? マイナーな方なのでピンと来ないかもしれませんが、お教えしましょう。その方の名は、サンマ・アカシヤ。
女性たちが笑っている。社交辞令かもしれない。それでも、いいじゃない。笑顔と笑い声がある、その事実が重要なのだ。
「マイネームイズ、ヘンリー森島!」さすがは紳士の国出身、半裸になったりしない。「日本の女の子、かわいくて大好きでーす! でも、MOTTAINAIの文化が廃れてしまっているのは寂しいでーす! 親からもらった顔がどこにもあーりませーん! HAHAHA! ソーリー! ブリティッシュジョークね!」
「俺はすっぴんだ」スモークリングを吹き出す。「整形もしてねぇ」
奇跡的に、笑いは絶えなかった。一部始終を目撃していたバーテンダーは後に、この時の出来事をこう称する。黒船が許容された日、と。
「金田虎太郎だ!」半裸にならない、故に金持ち。「今宵は心ゆくまで飲み明かそうぞ! 乾杯!」
乾杯の唱和も済んで、グラスが空く。すかさず、男たちのグラスに酌をする女たち。前時代的だ。裏があるぞ、これは。
『金田虎太郎。この九州においてさえソフトバンクグループ以上の影響力を持つ大企業、金田ホールディングスの御曹司』小金井の心の声である。『インスタで見た虎太郎君の豪遊、半端ないって。インフルエンサーどものちゃちな豪遊とは訳が違う。まがい物じゃない、ガチの金持ち。知り合えたチャンス、死んでも逃さねぇ』
小金井は、同級生たちに目配せを送った。全員が、頷いて返す。
『虎太郎君を手に入れるための策は既に発動している』金田のグラスに酌をする。『名付けて、一人一殺の計。各々が己のターゲットとドロンして、最終的に私と虎太郎君を二人きりにする策だ・・・・・・楓は、美人だ。先月、韓国旅行から帰ってきたら更に美人になった。猿同然の男子高校生を落とすのなんて朝飯前だろう。真央は、あざとい。蜂蜜を垂らしたミルクセーキみたいな女だ。猿同然の男子高校生を落とすのなんて朝飯前だろう。菜々美は、既にフリーダムの野郎とデキている。先走った時は制裁を加えてやろうかとも思ったが、結果的には私の好都合となったのだ、許してやろう。純子は、経験豊富な熟女だ。狙った獲物は逃さない。猿同然の男子高校生を落とすのなんて朝飯前だろう。アビーは、おじ殺しだ。どういう訳かは知らねぇが、おじはあいつにコロッとイッちまう。理解できねぇが、事実だ・・・・・・楓、真央、菜々美、この三人は、友達という名の操り人形。テニスサークルの一軍に留まるために、クイーンビーである私には絶対服従。謀反の心配は皆無。純子は、白人顔しか愛せない生粋の白人至上主義者。念のため金も掴ませてあるし、謀反の心配は皆無。アビーは、おじフェチだ。理解できねぇが、事実だ。念のため金も掴ませてあるし、謀反の心配は皆無・・・・・・完ぺきではないか! 孔明もびっくり! 虎太郎君との1ON1は既に約束されているようなものだ! 二人っきりになりさえすれば、後は酒の力を借りてベッドインに持ち込むことくらい容易! 月経から今日で十日目、既成事実を作ってしまうのだ! 日本最大の富は、私のもの!』
謀略の渦中で、酒が進んだ。気付けない。男は女の嘘に気付けない。違う生き物なのだ、男と女は。体の作りも違う、脳の作りも違う、心の作りも違う、全部違う。気付けない。偽りの笑みを向けられて、作為ある酌を受けて、好きだと思ってしまう、哀れ。酒が、進んだ。
福岡タワーの明りが消えた。夜空が広くなった。
「少しお花をつんできまーす!」
そう言って、小金井は同級生たちに目配せを送った。
「私も一緒に」
「私も! 悠真君、離れちゃうの寂しいよ。えーんえーん。でも、すぐ帰ってくるから、帰ってきたら頭なでなでしてね。約束だよ」
「私も行ってくるね。フリーダム君、帰ってきたら、ね」
そうして、四人は女子トイレという名の作戦会議室に陣取った。
「楓」小金井が言った。「猪狩の野郎はどうだ?」
「アソコがオツムと同じくらい緩いから、声を掛ければどこにでも付いて来るよ」沢村はネイルの光沢を見詰めた。「車と競艇とエロの話しかしない、本当に退屈な男」
「真央。中川の野郎は?」
「えーん。怖かったよ、彩花ちゃん」乾ききった目元を拭う。「あの子、女性経験は十人以上あるとか言って、絶対童貞だもん! ぐいぐい来て、本当にキモイ!」
「落とした、ってことだな? ええ、真央?」
「落としたっていうよりかは、最初から落ちてたって感じ。真央が、死んで、ってお願いしたら、あの子、本当に死ぬと思う」
「フリーダムの野郎は問題ないよな、菜々美?」
「問題ないよ」根津は頬を染めた。「だって、私たち、最初から付き合ってるんだもん」
「純子さんとアビーさんは大丈夫なの?」沢村が言った。「あの二人が不安要素だと思うけど」
「あの二人とは長い付き合いだ」ロジェ・ガレのパルファムで耳の後ろを濡らしながら。「性癖もテクニックも知り尽くしている。奴らは白人とおじを落とすためだけに存在するマシーンだ」
憂いはない。後は化粧を整え直して、いざ、決着へ・・・・・・。
「お待たせしました!」
小金井、沢村、江頭の三人は各々のターゲットの隣に座り、根津は、立ったままキョロキョロと周囲を見回した。
事ここに至ってようやく、座った連中も異変に気が付く。
「あの、猪狩君」沢村が尋ねる。「フリーダム君とアビーさん、どこに行っちゃったの?」
「そういや、ちょっと前から姿が見えねぇや」猪狩は立ち上がった。「ちょっと待ってな。男子トイレを見てくる」
すぐに、男子トイレから戻ってくる猪狩。
「いねぇや、二人とも。ドロンしたね、こりゃ」
「さすがはフリーダム」中川は口笛を吹いた。「フリーダムの名は伊達じゃない」
『あの嘘つき!』小金井は心中で怒声を上げた。『おじしか愛せないとかぬかしやがって! 結局、若いのが好いんじゃねぇか!』
古今東西、得てして仲間内にこそ毒があるもの。官渡の戦いしかり、ボズワースの戦いしかり、関ヶ原の戦いしかり。文学部でありながらも歴史学を軽んじ、孔明の罠ていどの知識で人員ありきの策を弄じたことが、小金井の敗因だった。
敗因、そう、既に勝敗は決しているのだ。歯車が一つでも狂えば、全て崩壊していくのが自然の理なのだから。
「あのデカブツぅ!」根津が大声で泣き出した。「私の初めてをあげたのに! 好きだって言ったじゃねえかよ! それなのに、あんな毛深い男とドロンしやがって! この私の目と鼻の先で!」
スピリタスのボトルをぶん投げる。スツールを手あたり次第に蹴っ飛ばす。ジャズバンドのギターを奪い取り、叩き壊す。それでも気が収まらず、根津は到頭、アイスピックを手に取った。
「殺してやる! 殺してやるぞ、フリーダム!」
そのまま、根津はバーを飛び出し、博多の夜に消えていった。
惨事は予測できた。本物の殺意があったから。それでも、バスケ部の連中は大いに笑うのだった。どんな事も笑い飛ばせる、故に陽。アゲていく。どんなシチュエーションでもアゲていく。
「三人いなくなっちゃったけど、まだまだ夜はこれからなんで!」猪狩が言った。「シャンパン入りまーす!」
『イカれてやがる、こいつら!』小金井の頬を汗が伝った。『しかし、私からしたら命拾いだ! お開きにならない以上は、まだ軌道修正できる!』
沢村と江頭に目配せを送る。躊躇の後、二人は頷いた。
「ごめんなさい! もう一度、お花をつんできます!」
「私も」
「私も! 待て、だよ、悠真君! わんわん! もうちょっとの辛抱だよ!」
再び、女子トイレに陣取る三人。
「確認しておくぞ」小金井が言った。「男5に対して女4だ」
「中国の男女比みたい」沢村は伏し目がちで言った。「一筋縄では行かない状況ね」
「楓、真央。お前らのどちらかに人柱になってもらわなくちゃならん。3Pを前提とした人柱に」
「純子ちゃんがいるじゃん!」江頭が小金井の肩をつかんだ。「純子ちゃんがいるじゃんかぁ!」
「あのババアは白人顔しか愛せない」
「アビーさんはおじしか愛せないんじゃなかったかしら?」
「おじしか愛せないと言う奴、白人顔しか愛せないと言う奴。どちらの言葉に信憑性があるか?」小金井は手洗い器の縁をなぞった。「理に適っている、後者だ。純子は嘘つきじゃねぇ」
それ独断と偏見だろ、という言葉を、二人は飲み込んだ。根拠のない考え、そんなもの、SNSに幾らでも溢れているぜ。スルースキルなら嫌というほど鍛えられている・・・・・・私たちは、そういう時代を生きている。
「真央」今度は小金井が江頭の肩をつかむ番だった。「河合の野郎も落としてくれ」
「嫌だよ! 絶対に嫌!」得意の嘘泣きではなく、本当に泣く。「おじだけは無理!」
「29歳って言ってただろ。ギリギリおじじゃないって。ね、真央」
「あんなのサバを読んでるに決まってるじゃん! どう見たって40歳を過ぎてるもん、あれ!」
「身長180センチ以下の男に人権はない、ってお前の口癖だろ、真央」肩をつかむ手が力む。「206センチだぜ、河合の野郎は。身長のアドバンテージで、おじって事実に目をつぶってさ、頼むよ、真央」
「デカ過ぎぃ!」江頭は髪を振り乱した。「身長180センチから200センチまでの男にしか人権はないのぉ!」
「どのツラが言うか、おどれ!」肩から胸ぐらへ、つかむ手が動いた。「おどれ、このツラで言うか!」
怒声と悲鳴が共鳴し、殺伐とする。令和の洒落た女子トイレが、昭和における女子プロの道場みたいになった。じきにビンタの応酬が始まるだろう。そこまで事が進んでしまったら、解散だ、この仲良しグループは。合コンどころじゃねぇ。
意外なことに、先に平手を振り上げたのは江頭のほうだった。身長165センチメートルの小金井に対し、江頭は157センチメートル。すなわち、絶好の高さに顎があるということだ。現に、江頭は顎だけを狙っている。小指球で強打することを前提に、狙っている。
攻撃の意図を見て取って、小金井も平手を振り上げた。攻撃に対して防御するのではなく、攻撃を返していくメンタリティ。正しく博多のメスライオン。狙いはこめかみ。当然、小指球で強打する算段だ。
絶交では済まない、一歩間違えば傷害になる。勝っても負けても修羅の道、ジャッキー佐藤とマキ上田の宿命が如く。
「私がやるよ」モルタルに包まれた空間では、冷静な声こそ強く響いた。「私が河合さんを落とす」
最高速度に達した互いの平手は、沢村の声を受けて、互いの顔に触れる寸前で止まった。
呆然とした顔で、ふらふらと、小金井は沢村に近付いた。
「楓ぇ」手を握る。「ええんか? ホンマにええんか?」
「幼馴染じゃん、私たち」沢村は微笑んだ。「親友じゃん、私たち」
「楓ぇ!」全力で抱擁する。「礼ははずむぞ! フォロワー3万人越えのインスタグラマー、紹介してやるから!」
「楓ちゃん、超イケメン!」調子よく、江頭も抱擁に加わる。「楓ちゃんが男の子だったら、絶対好きになる!」
人柱が立てば士気が上がる、人類の度し難いサガ。抱擁は、自ずと円陣に変わっていた。
「福岡ぁ! ビバリー!」
「ワン! ツー! スリー!」
福岡ビバリーヒルズ女子大学テニスサークルお決まりの掛け声であった。
「福岡ぁ! ヒルズ!」
「ワン! ツー! スリー!」
円陣は、弾けるように解かれた。
「5対4がなんぼのもんじゃい!」
「5対3だよ、彩花」
絵に描いたような、冷や水を浴びせる、であった。
ドアに寄り掛かりながら、純子は煙草の灰を落とした。モルタルが焦げ、ひしゃげる。
「何を言ってん、純子?」不安感で、小金井の声は震えていた。「数も数えられなくなったんけ? 私と、あんたと、楓と、真央。四人や。5対4やがな」
「俺は降りるぜ」
「冗談は顔だけにしろ!」案の定、小金井は純子の肩をつかんだ。「どいつもこいつもよぉ!」
「前金の一万円は返すぜ」そう言って、千円札二枚を差し出す。「パチでスっちまったからよ、残りは後日返すぜ」
「理由は、あるんだろうな?」極太の血管がこめかみに浮き出る。「この私を納得させられるだけの理由が?」
年季の入ったシケモクが、携帯灰皿に潰えた。
「これ以上ヘンリーと一緒にいたら、気が狂っちまう。奴さん、つまらない上に癇に障るジョークを連発しやがって。フィリップのジョークのほうがまだ愛せる」
そんなことを真剣な顔で言われたら、留めることなんて出来やしない。
肩から手が滑り落ちて、純子は博多の夜に消えていった。
一難去ってまた一難。逆境の連続に打ちのめされそうになる。しかし、そこで踏ん張るだけの強さが、小金井にはあった。最早これは執念。極上の玉の輿に対する執念。金には全てを懸ける価値がある。
「真央!」案の定、小金井は江頭の肩をつかんだ。「ヘンリーの野郎も落としてくれ!」
「フォロワー5万人越えクラスとの相互フォローを確約してくれるなら、OKだよ」必死な人間に対しては足元を見る、これ、人間関係の鉄則。「彩花ちゃん」
「確約する!」
花つみと断って席を外した時間が長すぎた、これ以上は男どもの心証を悪くする・・・・・・そう考えたが故の、即決であった。
間髪入れず、トイレを出る。そうして、三人はホールに戻った。
少し薄暗い店内。先刻、根津が放り投げたボトルがメインの照明器具を破壊していたのだ。
自然発生した暗闇バー、それは怒り顔の余りに崩れた化粧を隠した。
『天は私を見放していない!』金田の隣に座り、小金井は決意を新たにした。『むしろ、これは天命! 私と金田君が結ばれることを天は望んでおられる!』
暗がりは恋のアドバンテージ。粗が隠れれば誰だって自信家になれる。小金井のアプローチは極限まで強まった。
ここで、今更ではあるが、はっきりしておこう。超激突!! オフェンス高校VSディフェンス高校!! はバスケットボールを題材にした創作物である。SLAM DUNK、アオバノバスケ、はっちゃけ☆バスケ団といった作品と同ジャンルであるのだ。故に、バスケらしい格言を記したい・・・・・・己がマッチアップする相手以外にも注意を向けるべし!
この日、小金井が犯した最大の過ちは、沢村への注意を欠いたことだった。
「ねえ、猪狩君」耳元で囁き、紙ナプキンの切れ端を握らせる。「私が住んでるマンションの住所が書いてあるから、先に行ってて。一緒に出ると他の子がうるさいから。出来るだけ早く、私も行くから」
「ちょうど俺のせがれもお前を求めていた」恐れも疑いも知らぬ無垢なハートで、猪狩は立ち上がった。「みんな、ごめん! 急用を思い出した! 先に帰るわ!」
猪狩がバーを去って、すかさず、沢村は河合の耳元で囁いた。
「彩花、河合さんのことが好きみたいなんです」
「マジで!?」恐れも疑いも知らぬ無垢なハートで、河合は興奮を露にした。「俺もそんな気がしてた!」
「彩花って奥手だから、金田君の隣にずっと座ってるのも、照れ隠しなんですよ」
「俺もそんな気がしてた!」
「河合さんから、隣に座ってあげてください。彩花、嫌がる素振りをすると思いますけど、照れ隠しなのでお気になさらず。後、私が彩花の気持ちを伝えたことは内緒にしてください。彩花、こういう風に気を回されるの好きじゃないから」
「楓ちゃん、あんた、良い人だ。大丈夫。あんたの気遣いを踏みにじったりはしないよ」そう言って、立ち上がり、ずり落ちていたズボンを上げる。「さあ、いこーか」
微塵の躊躇もなく、河合は小金井の隣に座った。
「うお!?」
小金井は悲鳴を上げた。当然だ。何の前触れもなく中年男性が至近距離に身を置いたのだから。
「あなたのナイトです」息を吹き掛けるようにして、河合は言った。「寂しいナイトを過ごさせてしまったこと、謝罪します、我が姫」
『何なんだ、このおじ!?』驚愕と嫌悪が強すぎて、ヨレていたファンデーションが更にヨレる。『おじの自覚がねえのか!?』
徐に、河合はポッキーを銜えた。チョコの塗っていないほうを、ついばむような唇で。
「私の気持ちです」
笛の音のような声を漏らし、目をつぶる。初な少年のように。
『おじの自覚がねえのか!?』
「どうだ、小金井!」金田が豪快に笑った。「カワっちは面白いだろう!」
「ええ、ええ、とてもユニークな方ですね」
この日のために練ってきた笑みが、引きつる。
『楓! どうなってんだ、この状況は!?』
笑みを絶やさぬまま、沢村をにらみ付ける。矛盾が成立する、顔面の奇跡であった。
沢村は、スマホに文字を入力していた。すぐに、小金井の携帯が震える。
「ごめんなさい。着信があったので、ちょっとスマホを見ますね」
そそくさとラインアプリを起動し、沢村からのメッセージに目を通す。
ごめんなさい、彩花!
河合さん、彩花のことが好きみたいで!
私、止めたんだけど、止めきれなくて!
本当に、ごめん!
今すぐ助けに行きたいけれど、
真央のほうも危なそう。
ヘンリー君の相手に参っている感じ。
先に真央を助けたほうが良いと思う。
大丈夫。彩花のために、私、頑張るから!
すぐにヘンリー君をここから追い出して、
河合さんの相手に戻るから、
少しの間、辛抱して!
宴もたけなわ、が過去になって大分経つ。焦りで、冷静さを欠いていた。河合に対する嫌悪感も、冷静さの喪失を加速させる。そんな状態で下す判断が悪手となるのは、必然だった。
楓、お前の判断を信じる。
速やかにヘンリーを処理し、
河合の相手に戻れ。
小金井からのメッセージを見て、沢村はほくそ笑んだ。
「真央」江頭に耳打ちする。「彩花の命令。ヘンリー君の相手は私がする」
「ありがとう! ありがとう、楓ちゃん!」脊髄反射で、ヘンリーから離れる。「切れちゃう寸前だった!」
沢村はヘンリーの隣に座った。そうして、紙ナプキンの切れ端を握らせる。
「私が住んでるマンションの住所が書いてあるから、先に行ってて。一緒に出ると他の子がうるさいから。出来るだけ早く、私も行くから」
「これぞ性産業大国JAPANのOMOTENASIね!」恐れも疑いも知らぬ無垢なハートで、ヘンリーは立ち上がった。「ソーリー! 急にこの激辛カルパスをフランス人の知り合いに食べさせたくなりました! 心配は無用でーす! フランス人とはこれ以上仲が悪くなりようがないですから! HAHAHA! これはジョークじゃあーりませーん!」
ヘンリーがバーを去って、すかさず、沢村は江頭の耳元で囁いた。
「もう中川君と一緒に店を出ちゃっていいよ、真央。私も、すぐに河合さんと店を出るから」
江頭は小金井を見やった。小金井が頷く。
江頭は、額を中川の肩にそっと当てた。
「悠真君、私、酔っぱらっちゃったみたい」ボトルを二桁空けてから言う、面の皮の厚さ。「おねんねしたいにゃん」
「俺、良い休憩場所を知ってます!」鼻息が、床の微細な埃までも吹き上げた。「俺、俺と、来てください、お願いします!」
楽勝、赤子の手のほうがまだ難敵。後はラブホまで付いて行って、童貞がシャワーを浴びている間に出て行ってしまえばいい・・・・・・そんな思惑は、容易に現実のものとなるのであった。
中川と江頭もバーを去った。これで2ON2だ。決着は、間近。
江頭のグラスに残っていたグラッパを飲み干して、濡らした顎も拭わぬまま、沢村は河合のそばに移動した。
「少し、二人でお話ししましょう」お得意の耳打ちだ。「店を出てすぐの路地裏で」
こんなのにホイホイ付いて行く奴なんていやしない・・・・・・そんなふうに考えていた時期が、筆者にもありました。
『楓ちゃんも俺のことを!?』
ありもしないモテ期を夢想できる、だから非モテは今日を生きていけるのだ。ホイホイに誘われるゴキブリみたいに、河合は沢村の後を歩いた。
夜風が冷たい。むき出しの大胸筋が、震える。
路地裏は、犬の小便の臭いがした。
「簡潔に言います」振り向き、見詰める。「河合さん。彩花に告白してやってください。私が彩花をここに呼んできますから」
「楓ちゃんは、いいのかい?」見詰め返す。「俺が彩花ちゃんと付き合っても」
「構いません。それが彩花のためだから」
「本当に良い人だ、あんたは」
「もうご存じの通り、彩花は奥手です」
「この令和にあれほど慎ましい大和撫子が存在した、その事実に、俺は驚愕するでもなく、感動した」
「ええ、絶滅危惧種の大和撫子です。ですから、河合さんの告白も、最初はきっと拒否されると思うんです。それでも、諦めないでください。拒否されても告白を続けてください。そうすればきっと、彩花も首を縦に振るはずです。男女交際を敬遠している彩花だけど、河合さんのことを好きな気持ちは本物だから」
「あんたの自己犠牲の精神に誓うよ。今日、ここで告って、俺は彩花と幸せになる」
本気で言っているのだと、確信できた。それだけのパワーが河合の言葉にはあったのだ。正しく言霊であった。
河合を路地裏に残し、沢村は店内に戻った。
『賭けだった』金田と小金井の姿を店内に見つけて、沢村は胸を撫で下ろした。『河合と席を外しているうちにドロンされていたら全てが水の泡だった。救いようのない悠長だよ、彩花。私が裏切るなんて夢にも思っていないんだね。小4の頃からずっと服従していた私が裏切るなんて、夢にも。だからこそ、楽しみだ。出し抜かれたあんたがどんな顔をするのか。スクールカーストよりも遥かに長い時を有する社会のカースト、その高みから見下ろされるあんたがどんな顔をするのか。月経から今日で十日目、金田君と既成事実を作るのは私だよ、彩花』
不意に、目が合って、沢村は使い古した愛想を顔面に張り付けた。そのまま、距離を詰め、本日最後の耳打ちを敢行する。
「彩花、ごめんなさい。河合さん、彩花のことが好きだって言って聞かないの。彩花からはっきりと、キツめに、無理だって伝えて。金田君の耳目に触れないよう、店を出てすぐの路地裏に河合さんを待たせてあるから。金田君のことは心配しないで。帰らないよう、ちゃんと見張っておくから」
小金井はゲジョという名のボーダーコリーを飼っている。この絵に描いたような忠犬を呼ぶとき、3回に1回は、おいで楓! と口にしてしまうのが、小金井という人間なのだ。詰まるところ、沢村の推測は正しかったというわけだ。
裏切りなど、夢にも思っていない。
「金田君、ごめんなさい。少しお花をつんできます」
そう言って、小金井は外へと出て行った。
静まり返る、店内。ジャズバンドの連中は根津が暴れた時点で逃げ出していた。現在、店側の人間は店長が残っているのみ。店長は熟練のバーテンダーであり、忍者と同様に気配を消せる。すなわち、存在しないのと同じ。
純度100パーセントの二人っきり。沢村は、金田の手に触れた。
「彩花と河合さん、相思相愛なんです」薔薇の吐息に乗せて。「でも、彩花は奥手だから、私がお膳立てをしてあげなくてはいけませんでした。二人は今頃、結ばれて、ホテルに直行しているはずです」
「俺の知らぬところで骨を折っていたようだな、楓」
「私、昔からそうなんです。自分のことよりも友達とか家族のことを優先してしまうんです。損な性格ですよね」
「献身的な女を、俺は評価する」
『知ってる』沢村は舌なめずりをした。『インスタのプロフィールに書いてある。金田君の理想の女性像は、磯野フネ」
「俺を狙っていたか」触れていた手を握る。「楓よ」
「もっと早く、こうしたかった」身を、深く寄せた。「私も、ホテルに、行きたい」
「都ホテル博多のスイートを24時間365日貸し切ってある」立ち上がり、手を引いた。「そこで可愛がってやろう」
グラスのこすれる音がした。店長の存在が明るみに出る。動揺したのだ。30年以上も博多の夜を見続けてきた男でさえ、動揺したのだ。
「女って奴は。男って奴は」
それだけ言って、店長は再び気配を消した。
そして誰もいなくなった。