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第2話 蟹道楽!!

 4月16日、曇天。凪がきたならエンジンふかせ。ダンチョネ、ダンチョネ。

 「蟹を食らうか!」

 放課後の体育館、集ったオフェンス高校バスケ部の一人、金田が出し抜けに言った。

 「それな!」猪狩がはしゃいだ。「蟹な!」

 「蟹な!」顧問でありながら、河合も一緒にはしゃぐ。「それな!」

 「足はどうするんだい?」フリーダムが言った。「野郎六人が肩を並べて歩くっていうのもあるまい」

 「俺が車を転がしてやろう。自動車通学だからな」

 「でも、金田君のレヴェントンは二人乗りですぜ?」中川が手をもんだ。「俺と金田君しか乗れませんぜ」

 「俺らはルーフでいいよ」フリーダムのフリーダム。「詰めれば四人くらい乗れるだろ?」

 「道路交通法違反だ、それは!」金田がツッコんだ。「いくら九州が俺の親父の庭だからといって、そいつは無茶だ!」

 「それなら四頭の馬にレヴェントンを引かせましょーう! イタ車なだけにね! HAHAHA! ソーリー! ブリティッシュジョークね!」

 全然おもしろくなかった。しかし、全員が腹を抱えて笑った。ヘンリーがクセになっている。

 「俺のマシンがあるぜ!」河合が親指を立てた。「中古のジープがな!」

 「レッツゴー!」猪狩はバスケットボールを投げ捨てた。「レッツらゴー!」

 そうして六人は、汗を流す女バスとバレー部の連中を背に、体育館を去っていった。

 「これから行く店って、やっぱ超高級店なんすよね!?」レヴェントンの助手席にちゃっかりと座って、中川は言った。「芸能人とかが行くような」

 「芸能人? そんな下賤の輩が屯するところには行かんよ」初動からフルスロットル。「これから行くのは、もっと良いところだ!」

 さあ、楽しいドライブの始まりだ! νガンダムを左手に筑紫通りを北上。豪華絢爛な博多駅を突っ切って、ゆめタウン博多でトイレ休憩。潮の香りを楽しみながら更に北上。ここで福岡アイランドシティを使ったショートカットだ。後は豊かな自然に身を任せつつアクセルを踏めば、ほら、もう志賀島。

 「この道路の正式名称は・・・・・・」金印海道を進みながら、言う。「金田海道」

 「マジぱねぇ。金田君、マジぱねぇ」

 美しい。美し過ぎる、志賀島。バスケ部、春の思い出。一生の宝物。

 軽快ながらも重厚なブレーキ、そんな矛盾を物ともしないボディバランスで、レヴェントンとジープは停車した。

 ここは志賀島の北部に位置する、舞能ノ浜。おや、観光名所に似つかわしくない漁船が一艘、浜に乗り上げているぞ。

 「毛利!」漁船のデッキでぼんやりしている老人に、金田が声を掛けた。「金田虎太郎が来たぞ! 毛利!」

 「やや! これはこれは、虎太郎坊ちゃん!」老人の目に光が宿った。「なんとまあ、御立派になられて!」

 「先週も会ったばかりではないか!」金田は高らかに笑った。「このお調子者め!」

 「おい、虎太郎! どういうことだよ、これは!?」猪狩が怒鳴った。「蟹が食えると思って楽しみにして来たのに、小汚い爺さんがいるだけじゃないかよ!」

 「海斗、デッキを覗いてみろ」金田はほくそ笑んだ。「そこにお前の望んだ物がある」

 「こんな小汚い漁船に俺の望んだ物があるわけないやろ!」そう言いつつも、ポートサイドから身を上げて、目に飛び込んできた光景に、猪狩の声は上擦った。「ほんまや!」

 デッキを覆いつくす、蟹、蟹、蟹。正しく蟹づくし。

 「今朝、ようやく海の状態が落ち着きましたんでね」毛利がはにかんだ。「こっから船を出して、蟹、生け捕りにしてきたんですわ」

 他の連中もポートサイドから身を上げた。そうして、蟹だ蟹だ、とはしゃぎだす。

 「痛ぇ!」ハサミで鼻を挟まれるも、フリーダムの笑顔は絶えなかった。「超、痛ぇ!」

 「全部ズワイガニだ!」中川の歓声。「サイズも見たことないくらいデカい! 食い切れねぇぞ、こりゃあ!」

 「ベーリング海で獲ってきたんでさ」背筋の凍るようなことを言って、毛利は胸を張った。「国際関係が上手くいっていないせいか、銃を撃たれましたがね。なあに、当たらなきゃどうってことないです」

 「超、勇者じゃん」違うぞ、フリーダム。「超、かっけぇじゃん」

 「いやいや、ないない! 今朝、ここからベーリング海まで行って、蟹獲って、戻ってくるって、今18時ですよ! 無理だって!」それはそうだが、他にもツッコむべきところがあるぞ、河合。「嘘ついちゃいけないよ、あんた!」

 「俺の船はJ-58を改良したエンジンをつんでんだ」毛利はむすっとした。「嘘なんか一個も言ってねぇ」

 「このオンボロ漁船にジェットエンジンをつんでるって!? 船体がもたねぇよ! つくならもっとマシな嘘をつきな!」

 その嘲りの響きを波が沖に運ぶよりも早く、毛利は河合に殴りかかっていた。

 「もういいだろう!」親の声より聞いたセリフを、金田が発した。

 毛利のデカい拳は、河合の鼻先で止まった。

 「腹が減っているからイライラするのだ! 毛利! すぐに蟹をさばけぃ!」

 「分かりましたです、虎太郎坊ちゃん」そう言って、懐から出刃包丁を取り出す。「虎太郎坊ちゃんに命じられたとあっちゃ、嫌とは言えねぇ」

 河合は、汗を拭った。冷や汗だ。一瞬で間合いを詰められた数秒前を思い出す。冷や汗がまた湧き出した。

 『俺の過失だ! 漁師の戦闘力を見誤った俺の過失! 喧嘩を売っていい相手じゃなかった!』

 「一体全体、どうしちまったのよ、カワっち」猪狩が河合の肩に腕を回した。「ノリが悪いぜ」

 「すまねぇ、海斗。虎太郎の言う通りなんだ。ジープなんか買っちまったから金欠で、ろくに物を食ってなかったんだ」

 「それなら、蟹を食えば解決じゃん」

 「さばきましたです。とりあえず、一杯」刃が鋭く光る。「どんどんさばきますんで、食ってください」

 いの一番に、中川が手を伸ばした。棒を三本、キープする。若いくせに蟹の美味いところを分かってる。

 「美味いよぉ!」ほじくり出した肉を食して、中川は号泣した。「今まで食べてきた物のなかで一番美味いよぉ!」

 「いくらなんでも大袈裟やろ!」フリも済んだので、肩肉にしゃぶりつく。「ほんまや!」

 「海斗は本当にさんまさんみたいね! それなら蟹はNGよ! 喋らない魚は唯の魚でーす! HAHAHA! ソーリー! ブリティッシュジョークね!」

 全然おもしろくなかった。しかし、蟹が美味しかったから、全員が腹を抱えて笑えた。

 食が、進んだ。不純物を必要としない、蟹だけあればいい。食が、進んだ。

 四人の女性が近くを通り掛かった。躊躇なく声を掛ける陽。聞けば市内の大学に通う仲良しグループだそうな。

 「一緒に食ってきなよ、蟹!」猪狩が言った。「デッキにまだ沢山いるから!」

 遠慮するリーダー格の女性の肩に、フリーダムが腕を回す。

 「やっちゃえ、暴食」

 「これからキャンプファイヤーもやるんだよ!」中川の追い打ち。「蟹の殻を焚き付けにして!」

 逞しい腕とキャンプファイヤーのハッピーセット、抗い難い誘惑だ。その上、よく見たらこのBOYたち、みんなタッパがあるじゃない。金持ちそうなBOYに至っては顔面まで整っている。いいジーンだ。

 「おじゃましちゃいまーす!」

 リーダー格の女性が落ちて、後は全員、羊の群れだった。

 生まれたての夜を炎が照らす。爆ぜる殻と波の声。砂まみれのボトムスをはたくパッション。

 弦楽器の音色が特別な時間に付加価値を加える・・・・・・ヘンリー、いつギターを持ち込んだ? リヴァプール生まれの嗜みだって? ボストンの曲しか弾いてないじゃないか! なに、ブリティッシュジョーク!? HAHAHA!

 談笑に次ぐ談笑。踊り狂って、砂浜がちょっとしたクラブだ。こんな夜、ここでしか味わえない。

 「こんなに楽しくって、こんなに蟹も食べさせてもらって、本当に只でいいんですか?」

 唯一人、良識を有していた女性が言って、リーダー格の女性の顔が般若の面に変わった。キっと睨み付ける。良識を有していた女性の顔から血の気が引いた。

 「金のことは気にするな! 今宵はこの金田虎太郎のおごりだ!」

 「ゴチになります!」誰よりも早く、河合が叫んだ。「ゴチになります!」

 男と女の違いとは何かって? キンタマをぶら下げているヒューマンが男、キンタマをぶら下げていないヒューマンが女、要は同じヒューマンさ! そんな程度の認識だから、見てくれ、出会って一時間足らずの男女がもう仲良し。

 「あれ、菜々美は!? トイレ!? そういえば、あの一番デカい子もいなくなってない!?」

 その甲高い声の言う通り、女性の一人とフリーダムの姿は見当たらなくなっていた。

 リーダー格の女性が、蟹の殻を握りつぶした。クスクス、という女の笑い声が波に隠れた。

 「みんな! 明日、学校は!?」いつの間にかパンツ一丁になっていた河合が叫んだ。「あるの!? ないの!?」

 「あるー!」全員が答える。「あるー!」

 「それじゃあ、今夜はオールナイトだ!」

 有言実行、どんちゃん騒ぎはオールナイトで続いた。そうして、みんなで見た夜明けの玄界灘は、逃げ出した大量のズワイガニで泥水みたいだった。これもまた、永遠の思い出。


 4月17日、快晴。詰め込み式のカリキュラムを売りとするディフェンス高校。地獄の8限目が終わったら、お待ちかね、部活動の時間だ。無限地獄とはこの事か。

 「今日も走らされるのかな?」体育館へ向かう途中、三浦は言った。「ランを強いられるのかな?」

 「昨日は体育館の内周を300周させられたんだ」池上のデカい肩が落ちた。「今日は400周かもな」

 「そんなん死んでまうで!」

 足が、重い。教室棟から体育館までの距離はたったの50メートル。しかし、一向にたどり着かない。まるでオートウォークを逆走しているみたいだ。むしろムーンウォークになっている。自ずと体育館から遠ざかっているぞ。

 心が、バスケ部を拒絶していた。

 「マイコー気取りか、愚図ども! 既に部活動開始の時刻は過ぎているぞ!」

 「ジジイ!」教室棟に乗り込んできた宮倉に驚いて、三浦はうっかりと漏らした。「じゃなくて、軍曹! 軍曹閣下!」

 「一分以内に体育館に来い! 一秒でも遅れたら連帯責任だ! 先に来ている三人の下半身を十倍に膨れ上がるまでシゴいてやるぞ!」

 「俺たちのせいで!」池上が叫んだ。「すまねぇ、山本! すまねぇ、神谷! すまねぇ、赤松! 十倍に耐えてくれ!」

 「くだらんヒロイズムに酔うな、池上! 当然、連帯責任を負うのはあいつらだけじゃないぞ! お前たち二人の下半身は百倍だ!」

 人事じゃねぇ、自分事だ。その理解が出来てようやく、本気で体育館を目指せた。しかし・・・・・・。

 「マイコー気取りか、愚図ども! どんどん体育館から遠ざかっているぞ!」

 「軍曹! 故意ではありません!」三浦が泣き叫んだ。「俺たち、どうしたってムーンウォークになってしまうんです!」

 「ならば向きを変えればよかろう! 少しは頭を使え!」

 頓知とは馬鹿に出来ないもので、体育館のほうに背を向けてみたら、自ずと体育館との距離は縮まった。

 そのまま、三浦と池上はムーンウォークで体育館に到着した。

 既に整列していた三人、その列に二人も加わる。

 「59秒ジャスト、か」宮倉はスマホをしまった。「命拾いしたな、貴様ら」

 失笑の声が聞こえる。女バスの連中だ。既に男バスはイカれた軍隊としての認知を得ている。当然、それは尊敬や親愛の対象ではない。

 「辱めだぜ」池上は唇をかんだ。「JKに笑われてよ」

 「貴様らに問う!」失笑なんて気にしない鋼のメンタルで、宮倉が叫んだ。「バスケットコートという名の戦場において重宝される能力とは何か!? 三浦、答えろ!」

 「チームメイトと信頼関係を築く能力です!」

 「もっともらしいことを言ってお茶を濁そうとするな! 政治家か、貴様は! 政治家は戦場には立たんぞ!」

 「すみませんでした!」

 「謝るな! イエッサーでいい!」

 「イエッサー!」

 「赤松! 答えてみろ!」

 「軍曹に死ねと命じられれば喜んで死ぬ心意気でやんす!」

 「ラリってるのか、貴様!?」

 「素面でやんす!」

 「ならば狂ったことを言うな!」

 「イエッサーでやんす!」

 残りの三人にも同じ問いがなされた。しかし、宮倉の琴線に触れる答えは一つも出なかった。

 「よく分かった! 貴様らが何も分かっていない赤ちゃんだということがな!」

 デカい赤ちゃん、と言って女バスの連中は大笑いした。

 「赤ちゃんの貴様らでも分かるように教えてやる! いいか、バスケットコートという名の戦場において最も重宝される能力とは、腕のタフネスと脚のタフネスだ!」

 「さすがは軍曹でやんす!」赤松が歓喜した。「たくさん走らされたのは脚のタフネスを身に付けるためだったんでやんすね!」

 「でもよ、それじゃあ腕のタフネスはどうなるんだよ?」三浦が言った。「筋肉痛になってるのは脚だけだぜ?」

 「何を勘違いしている! 貴様らを走らせたのは魂のタフネスを鍛えさせるためだ! ランは魂の筋トレ! それ以上でも以下でもない!」

 「それなら、腕と脚の筋トレは・・・・・・」

 不安げな池上の声に、宮倉は不敵な笑みを返した。

 「それをお前らに味わってもらうんだ。今から、たっぷりとな」

 嫌な予感が現実のものとなった瞬間、池上は絶叫し、倒れ込んだ。

 「脚が! 脚が!」100パーセント正常な脚をさすりながら、叫ぶ。「脚がいてえよ~!!」

 「どうしたんだよ!」池上のそばで膝をつく三浦。「どうしたっていうんだい!」

 「脚が、たぶん、折れてる!」

 「そいつは大変だ!」仮病に乗っかって、触診の真似事をする。「酷ぇ、こいつは重度の疲労骨折だ! 軍曹! 自分はこれから池上を病院へ連れて行きます! 今日中に戻れるかは分かりませんが、戻れるように善処はします! それでは、失礼します!」

 「病院に行く必要はない!」

 女バスの笑い声が悲鳴に変わった。それもそのはず、宮倉がチェーンソーを起動させたのだ。恐ろしい駆動音が体育館に響き渡る。

 「なんでチェーンソーが体育館に!?」

 「バスケ部用の救急セットの一つだ!」山本の常識的な問いに、非常識な答えを返す宮倉。「戦場で負傷した箇所を放置しておくことは死に直結する! 切断も止む無し!」

 最初は、冗談だろ? と思った。アーミージョークだろ? と思った。しかし、チェーンソーの振動と共に揺れ動く瞳には淀みがなくて、直に、本気なのだと理解できた。

 「どっちの脚だ、池上!? そのさすってる方か!? 手をどけろ! 麻酔はないが、痛くないように切断してやる!」

 「勘違いでした!」池上は勢いよく立ち上がった。「脚、折れてませんでした!」

 「ならば整列しろ!」チェーンソーをOFFにする。「これ以上、時間を無駄にするな!」

 逃げ場はない、ならば甘んじて苦痛を受け入れよう。

 赤松を除く四人が、天を仰いだ。

 「これから貴様らの貧弱な腕と脚を徹底的に鍛え直してやる!」綺麗な列に向かって、言う。「蟹ステップ! 通称、蟹! それが今日から貴様らの日課となる地獄の訓練だ!」

 蟹、という甘美なワードに恐怖が宿った。ごくり、という音がはっきりと聞こえた。

 「まずは両足を肩幅よりも広く開く!」宮倉、実践。「そのまま膝から尻までが水平になるように腰を落とす! 上体は死んでも倒すな! ウォーリアーであろうと心掛ける以上、常に胸を張れ! ここまで出来たら、後はウェイビングのように手を振るのだ! 腕の付け根からしっかりと動かし、激しく振れ! そうして、横移動! 文字通りの蟹歩き、それを可能な限り素早く行うのだ! これぞ、蟹!」

 「まんま、蟹だ」神谷がうなった。「軍曹が蟹にしか見えねぇ」

 「軍曹! 蟹の最中に恐縮ですが、直訴いたします!」

 「聞いてやる、山本! 簡潔に済ませ!」

 「我々は高校生です! 幼稚園児のお遊戯みたいな真似をさせられるのは心外であります!」

 「お遊戯!? 貴様、この地獄の訓練をお遊戯とぬかすか!」大笑いして、そこから激怒する緩急。「戯け者めが! お遊戯と侮る前に、まずは己の体で実践してみろ!」

 「実践する前に、約束をしてください! 実践してなお、お遊戯に相当すると判断できた場合には、この訓練を永久に禁忌とすると!」

 「構わん! 約束しよう!」

 そうして、山本、実践。宮倉の見本通り、蟹になりきる・・・・・・5メートル、進んだ。時間にしてほんの5秒。それだけで分かる、蟹のヤバさ。

 『これ、ダメ、無理、キツ!』

 脂汗が噴き出す。すごい脂の量だ。さすが福岡、とんこつラーメンもびっくり。

 「言ってやれ、山本!」山本の苦境を察して、池上は懇願した。「楽勝なお遊戯だって、言ってくれ!」

 「乳臭いガキの遊びだ」やっとの思いで、ヒーヒー声をしぼり出す。「これは禁忌ですわ」

 「どうです、今の発言は!」池上は腕を大きく開いた。「軍曹、どうです! お遊戯ですって! これでは訓練の見直しが必要ですな! また後日、改めたものにトライするということで今日のところはお開きに・・・・・・」

 「池上、そのよく動く口にツァーリ・ボンバを詰めてやろうか?」

 あまりにも理解し難いことを言われて、池上の言葉は失われた。

 「山本。酷い脂汗だな」

 「昼食がとんこつラーメンだったので。体質なんです。肌が脂っぽくなっちゃうの」

 姿勢を戻そうとする山本を、宮倉が制する。

 「まだ蟹のままだ」言いながら、山本の腿をつかむ。「口はいくらでも嘘をつく。しかし、筋肉は嘘をつかない」

 「何をしようっていうんですか!?」とてつもなくソフトにつかまれた事が、山本の恐怖をより強めていた。「ナニを!?」

 「安心しろ。筋電位から筋疲労を計測するだけだ」

 「筋電位を触診で測定しようというのですか!?」

 「人体は電気をよく通す。筋電位を感じ取るくらい容易い」

 「何を言ってるのかさっぱり分からねぇが」三浦が口を挟んだ。「ヤバくなってきてることだけは分かるぜ」

 「おお! おお! 山本! 酷いぞ、これは!」宮倉は嬉々として叫んだ。「筋電位をビンビンに感じるぞ! これは酷い筋疲労だ! お遊戯なんぞで発生するレベルじゃない!」

 「嘘をついている!」山本は必死に訴えた。「軍曹! あんたは嘘をついている!」

 「全員、覚えておけ!」腿から手を放す。「嘘と嘘がどつき合えば、パワーの勝る嘘が勝つ! これは戦場だけでなく、人間社会全般における真理だ!」

 多感な15歳が受け止めるには残酷すぎる事実だ・・・・・・ほんとにそうか? 嘘と嘘のどつき合い、噓とまでは言えなくとも誇張や解釈によるどつき合い、そんなもん、SNSに溢れているぜ! 親の顔より見てるわ! 

 私たちは、そういう時代を生きている。

 「おふざけもここまでだ! 全員、バスケットコートを50往復! もちろん、蟹でだ!」

 バスケットコートを眺めて、山本の顔は青ざめた。

 「目測でしかないが、1往復で56メートルはあるぞ」

 「それを50往復って! 5キロメートルくらいか!?」

 「違う! 2.8キロメートルだ!」

 「有馬記念より長い! そんなん死んでまうで!」

 「まだだ! まだ希望を捨てるな!」池上が叫んだ。「この、幅! 距離の短いほうを50往復かもしれねぇ! ねぇ、軍曹、そうでしょう!? お慈悲を!」

 「こすい真似をするな、池上! 距離の長いほうに決まっているだろう!」

 「神も仏もないのか」池上は両手で顔を覆った。「コート=ドールのフルーティーな香りが恋しいぜ」

 「もたもたするな! 10秒以内にスタートを切らなかった奴は100往復だぞ!」

 そういうわけで、すぐさま五人全員がスタートを切る。

 それからの地獄のような時間を、五人は一生涯、忘れることはないだろう。辛かった。これ以上ないってくらい辛かった。今日も今日とて、宮倉の手厚いサポートはあった。体が痛めばマッサージをしてくれたし、喉が渇けば特製のドリンクを提供してくれた。しかし、それが何だ? それが何だっていうんだ? 蟹を強いられている。2.8キロメートルもの距離を女バスの連中に笑われながら。文字通りの二重苦、辛いことに変わりはない。

 その日の夜、五人は同じ夢を見た。蟹になった自分が、狂った陽キャたちに追いかけ回される夢だ。捕まり、食われていく仲間たちの断末魔を背に、逃げて逃げて、ようやく海水に身を投げる。そうして、後はひたすら、故郷を目指して泳ぐのだ。そう、あのベーリング海を目指して。

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