オーウェン一族の餞別
レベッカがアーノルドの推薦により魔界の大使に任命されたという話は、アーノルドの根回しもあり、瞬く間に世界に広がった。
レベッカは、自分が魔界へ行く事を知ったら、離れて行った取り巻き達や彼女の事を口説いていた青年の幾人かは餞別を渡しにやって来ると思っていた。
しかし、やって来たのはマルクス・オーウェンただ一人だった。
「レベッカ嬢が魔界の大使を引き受けるとは思わなかったよ。貴女は勇気のある人だ。」
「ありがとうございます。」
「でも、君を魔界の大使に任命した事でアーノルド王子の評判も少し下がってしまってね……自分を侮辱した令嬢を魔界送りにする恐ろしい人だって。」
レベッカは、マルクスがレベッカに会いに来たのはアーノルドの顔に泥を塗る様な事をするなと釘を刺しに来ただけで、自分を心配して来たわけではないと思った。
レベッカの事を心配してくれているのは、家族のみなのだろうか。
「私を魔界の大使に任命した事を後悔させたりはしないわ。マルクス様、お気遣い感謝します。」
レベッカは、顔を引き攣らせながらも何とか丁寧な言葉遣いと態度で応じた。
マルクスはアーノルドからの信頼も厚く、将来の宰相候補と言われている。
アーノルドとの一件で、少しは自分の言動に注意を払うようになったレベッカは、内心殴ってやりたいが、ぐっと堪える。
しかし、マルクスの目には、レベッカの手が拳を握りわなわな震えているのが見えていた。
「アハハッ、レベッカ嬢は素直過ぎるのかもしれませんね。なぜアーノルド王子が失礼を働いた貴女を気にかけるのか、少しわかった気がします。」
マルクスは小さな包みを取り出し、レベッカに差し出す。
「この包みの中には痺れ薬が入っています。魔界で何か役に立つかもしれないと思って持って来ました。」
レベッカは、包みを開けて瓶を取り出す。黄緑色に光る液体は、通常の痺れ薬よりも強力な物である事が分かる。
「とても強力な痺れ薬ですね……」
「一目見て分かるとは、さすがですね。私の叔父、セドリック・オーウェンの作った物です。」
「あの、セドリック・オーウェンの!」
マルクスの叔父、セドリック・オーウェンは高名な薬学者だ。王族ですら、彼の作る薬を入手するには苦労すると言われている。
まさか、そのように価値の高い薬を贈られるとは思わなかったので、レベッカは困惑しながら薬とマルクスを交互に見る。
「レベッカ嬢、貴女は本当に面白い人ですね。」
レベッカの様子を見て、マルクスはクスクスと面白そうに笑う。レベッカは、以前、アーノルドに笑われた時の事を思い出し不機嫌になる。
「この痺れ薬は、私達オーウェン一族からの餞別だと思ってください。叔父も貴女の勇気を讃えていました。無事に帰って来てください。」
レベッカは、家族以外にも自分を心配してくれている人が居た事がこんなにも嬉しい事だとは思わなかった。
レベッカは薬の瓶をしっかりと握り締め、力強く頷いた。